覚えてていいよ
いつかと同じ。太陽はオレンジ色で山の向こう側に消えていきそうで、空気は少し湿っぽい。六月独特の雰囲気を感じながら、収穫の終わってしまった麦畑の側を歩く。
ビニール袋を片手に持つ僕の斜め前を、長い髪の女の子が行く。今時珍しい足首まである長い黒のスカートが六月独特の少し湿った風に吹かれて揺れる。時折、スカート同様に腰まである長い髪を手で解かしていた。
「ねぇ、幸せ?」
女の子は振り向かずに言葉を投げかける。素っ気ないけれど、暖かい言葉。
「……あぁ。幸せだ」
正直な気持ち。どんな人にも嘘ばかり付いてきた僕の。
「……そか」
女の子は疑う事を知らなかった。疑う事を知る時間が、なかった。生きるのに精一杯だったから。人を安心させる事で精一杯だったから。
「お前は?」
「……どうかな?」
歩みを止めて俯き、呟くようにして言う。そして−−−
「幸せ、かな?」
最後には少し困ったように笑いながらそう言うのだ。
「他にやりたい事はなかったのか?」
ここは田舎だが、電車に乗って二十分も行けば都会に出られる。建物の背は低く、大都市に比べれば、まだまだ田舎のクラスに入るだろうが、この辺りでは唯一の都会だ。大抵の物はそこで手に入るし、そこ行きの電車が一時間に一本しか出ていない事を除けば通いやすい場所にあると思う。
「いいの。それに、時間ないし」
時間―――
後、どれくらいあるだろうか?
あの太陽が沈むまで?
あの太陽がまた昇るまで?
それとも―――
「〜〜♪」
この笑顔が消えるまで?
「歌、好きだな」
「うん。好き」
口ずさんで聴こえてくるのは、テンポが少し早めの優しい歌。
『悲しけりゃ思いっきり泣いたっていいよ 恥ずかしい程悔やんでいいよ 涙が飽きるくらいに』
何回聴いただろう?この優しい歌を。優しい女の子が口ずさむ優しい歌を。いつまで聴けるだろう?優しい歌を。
「……歌手に……なりたかったかな?」
不意に今にも泣き出しそうな声が耳に届く。でもそれは一瞬の事で、次にはいつもの笑顔がそこにあった。
「歌手、か」
「……色んな歌、歌いたかった」
「……」
言葉はなかった。ただ黙って、女の子の頭を撫でる事だけをした。
「そんな人生でも、お前は幸せだったか?」
笑えたと思う。あまり自信がない。多分、情けない位に泣きそうな顔をしてただろう。
女の子はそんな僕の顔を見てからニッと笑いいつもの調子で、いつもの笑顔で言うのだ。
「どうだろ?」
それが、女の子の最後だった。
―――――――
女の子は、その小さな身体にいくつも大きな病気を抱えていた。その中でも一番大きかったのは、ガンだった。手術を何度繰り返しても治る事はなく、他の病気も悪化する一方だった。
幸せな筈がなかったんだ。幼い頃から入退院を繰り返して、家族に腫れ物扱いされて、好きな事も出来ずに、ただあの歌だけを聴いて生きてきた人生なんて。
でも女の子は『不幸せ』だとは言わなかった。『幸せ』とも言わなかった。でも、『幸せ』を願ったりもしなかった。『不幸せ』を恨むこともしなかった。だから最後、女の子は『どうだろ?』と濁したんだと思う。
最後に女の子を外に出したのは、そんな『どうだろう?』を少しでも『幸せ』に傾けたかったから。それが成功したのかは、今となっては分からない。
少しでも傾いたかい?
それとも、そのままかい?
四畳半の部屋。布団も敷かずに寝転がり天井を見つめる。CDプレイヤーに繋いだヘッドホンからは、あの優しい歌が流れていた。
「『覚えてていいよ』……か」
CDのタイトル。女の子が好みそうなタイトルだ。
『無理矢理に笑顔作らなくていいよ たまには振り返っていいよ ―――』
「……はいはい。分かりましたよぉ」
最後の部分。あの子らしい一工夫。
最後の部分。あの笑顔が見えてきそうな一工夫。
『気が済むまで ずっとずっと覚えてていいよ』
その部分が、彼女の声にすり替えられていた。イタズラ心満載の楽しそうな声に。
END
物語の一部にKOTOKOさんの『覚えてていいよ』の歌詞をちょっと使っております。KOTOKOさんファンの方、すいません!!!(土下座) さて、意味分かりませんよね?(汗)大丈夫!僕もです!!(え? こんな物語でも感想や評価を頂けたなら泣いて喜びます!! 質問も随時受付中!!!!(笑) では、また。