指紋採取3
『このえっち!』
褒めてくれてありがとう。
それに俺の狙いはただのセクハラではない。
ここまで騒げば、北条に目が合ったことも勘ぐられないだろう。
カモフラージュだ。
『……最低』
しみじみと言うな。
その後、しらばく俺の受け身地獄が続く。
「やめ!」
顧問の号令がかかる。
俺は汗だくになっていた。
「じゃあ、休憩が終わったら海老名はあの二人と組め」
俺らは正座して礼をする。
「「ありがとうございました」」
そういう風に決まっているのだ。
様式美である。
そして俺は声色を高くして言う。
「二人とも疲れただろ? 飲み物買って来るよ」
そう言うと俺は有無を言わせず更衣室にダッシュ。
スポーツ用の手首に巻く小銭入れを持って、猛然と外へダッシュする。
ぱしれ光太郎!
道着のまま校外に出ると学校から一番近くの自販機へ向かう。
おい、水と麦茶どっちがいい?
『コーラですかね……』
違う。俺の分じゃない。
指紋を採るんだよ!
女の子ならどっちがいい?
『麦茶……かな』
おし、信じるぞ!
俺は麦茶を三つ買う。
一つは自分用だ。
俺は器用にペットボトルの底を持った。
『北条さんに渡すんですか?』
まあな。
俺は曖昧に返事をし、体育館に戻る。
「はーい、買ってきたよー」
「あ、悪い」
吉村は上機嫌だ。
まずは吉村に渡す。次は北条。
「ありがとう」
北条が礼を言う。
そのまま俺は笑顔で自分の分を開けて麦茶を飲んだ。
毒じゃありませんよー。
すると北条はペットボトルにタオルを巻いてから飲んだ。
おそらくボトルを受け取ったときの指紋も拭き取られているだろう。
『失敗ですね』
布製品に付着した指紋を採る方法は存在する。
アクリル系の接着剤を加熱してその蒸気を当てるのだ。
すると指紋の水分と反応して固まる。
さすがにそれをする施設はないし、俺は具体的な方法は知らない。
そもそもタオルを盗むのが難しい。
発覚したらド変態認定されてクラスカースト最下位、お前の席ねえから、教室に入ったら理由もなくクラス全員に指さされて笑いもの、毎日靴がどこかに行方不明……ガチガチガチガチ。
『光ちゃんって徹底的に人間不信ですよね……少しはクラスメイトを信じましょうよ……』
うっさい。
中学生の繊細さをなめるなよ!
俺以外は全員敵だ! 全員敵だ! 全員敵だ!
『もう、しかたない人ですね。それで、どうします』
まあ任せろ。
北条は麦茶をもう一口飲むと蓋を閉めた。
俺は笑顔で北条こと海老名に話しかける。
「どう、海老名さん。合気道やってみた感想は?」
「うん、まだよくわからないかなあ」
北条は困った顔をした。
はっはっは。
俺もよくわからん。
世間話の術。
ちなみに至近距離ではセクハラしない。
すぐにバレるから。
「吉村さんは上手になったね」
俺は微笑む。
「あ、あう、うん……」
ちょっと褒めただけで照れるなよー。
もー、言ってるこっちが恥ずかしくなるだろー♪
『光ちゃんは一度死んだ方が良いと思います』
なんか当りが強くないッスか?
ねえねえ。
『知りません!』
天使が完全にヘソを曲げると顧問が休憩の終了を宣言した。
「んじゃ片手捕り小手返し、やっててくれ。今日の技は二つだけでいいや」
適当だな、おい!
だがここでキレてはいけない。
北条の指紋を採取せねばならないのだ。
俺は吉村に言う。
「吉村さん、海老名さんと俺が先でいいかな? まだ疲れてるだろ?」
「う、うん」
俺は北条に手を差し出す。
財布をつけた方の手を。
「あの……相良くん、その手首……」
「うん……あ、ごめん!」
あら間違えちゃったー。光ちゃんのドジッ娘。テヘペロ♪
っと、俺はドジっ子を装いながら財布を外す。
『娘……?』
ツッコむのそっちか!
「あ、財布置いてくるね。ごめん、二人で練習してて」
「まったく、光太郎はそそっかしいなあ」
なぜかうれしそうにする吉村を置いて俺は更衣室へ戻る。
すると天使が文句を言う。
「どうするんですか? 手がなくなりましたよ! この機会を逃したら次はいつ接触できるかわからないんですよ!」
大丈夫よー。
これ全部フェイントだから。
『フェイント?』
うん。注意をそっちにやるための布石。
だから不自然な態度は一度も取ってない。
俺の狙いは三番目だ。
『三番目?』
おうよ。
そう言うと俺は更衣室の入り口から二人を見た。
二人は小手返し、手をひっくり返して倒す技をやっている。
あれも効かせるのは難しいので二人ともキャッハウフフとやっている。
それにしても吉村って胸も薄いがケツも薄い。
だがそれがいい!
ジャージだからわからなかったが北条は結構胸あるな。
……胸あるな!
腰つきも素晴らしいな!
『光ちゃんうっさいです……』
大丈夫だ。
女子は視線を読む。
つまり視線を読まれない距離を取れば視姦し放題だ。
『あの……光ちゃん。そういうの、女の子はすぐにわかりますよ……自分たちでも説明不可能な力で』
く、スタンド能力者どもめ!
どうやらこの世界は童貞に優しくないようだな!
絶望した俺は二人の元に戻り稽古に加わる。
吉村が俺を見て言う。
「光太郎どうしたの……斜めってるけど」
「ポウ……」
「……マジでどうしたの?」
「ポウ……」
壊れた俺は受け身をたくさんとりました。おわり。
こうしてゆるく楽しい部活は終わった。
部活が終わると俺は樹脂製の衝撃吸収マットの清掃に取りかかる。
「あの……相良くん。片付け手伝うよ」
「キシャアアアアアアアッ!」
「あ、海老名ちゃん。光太郎は潔癖症で自分の手で片付けやらないと凶暴化するから」
「そ、そうなの?」
「そういうイジワル言うと一緒に帰ってあげないから」
俺はぼそっと言った。
みるみるうちに吉村の顔が赤くなる。
「お、お前! 先生が危ないから一緒に帰れって言うから仕方なく帰ってやってるんだろ! あー、そういう態度。そういう態度なの! もうわかった! 海老名さん帰ろ! バーカ、死ね!」
吉村は北条の手を引っ張り帰ってしまう。
悪いな。これからやることを邪魔されたくなかったんだ。
『……光ちゃん。いつか刺されますよ』
なんで?
『女の子の心がわかってなさ過ぎます』
そうかよ!
俺は天使を気にせず更衣室からバッグを取ってくる。
俺の目的はマットだ。
北条は受け身の稽古をしていた、
マットにいくつも指紋がついているはずだ。
北条の使っていたスペースの上に片栗粉をまぶし、筆で軽く撫でる。
そして浮かび上がった指紋を梱包用のセロハンテープで採取する。
一つだけでは不安なのでいくつか採取する。
途中、ウインナーみたいに太い指紋があったがこれは顧問なので無視。
毎日清掃をしてなければ、指紋だらけで誰が誰のかわからなかっただろう。
普段から拭き掃除を欠かさない俺の作戦勝ちである。
『単に潔癖症のラッキーパンチ……』
暗号名ファルコンの作戦勝ちである!
もちろん、ここまでやったら普通の清掃もする。
ほうきを取ってきてマットの上を払う。
集まったゴミを俺はちり取りの中に入れる。
そして俺はゴミをかき分ける。
……やはりあった!
『え? なにがですか?』
髪の毛だ。
練習中に抜けた何本もの髪の毛がゴミの中にはあった。
問題はどれが北条のものなのか?
それは簡単だ。
北条はストレートのロングヘアだ。
つまり長いのを探せばいい。
俺はゴミを注意深く漁る。
あった!
俺は体育館で練習する他の連中に見られないように、素早く髪の毛を財布に入れる。
幸いなことに普段から執拗に掃除をする俺を不審に思うものはいなかった。
ミッションが終わると俺は雑巾を持ってきて水拭きをする。
『あ、ちゃんと掃除はするんですか……』
「する!」
水拭きが終わるとから拭き。
そして最後に血走った目で次亜塩素酸で消毒だ。
『ほんと……細かいですね』
うっさい!
不潔よりよかろうが!
ゴミを捨てて掃除が終わると、俺は着替えて急いで下校する。
これから忙しくなるぜ。
『そういや指紋をどうやって鑑定するんですか?』
しない。俺はな。
『はい? じゃあ髪の毛は? DNA検査とか』
どうやってやるんだよ!
俺は普通の中学生だぞ!
『じゃあどうするんですか?』
ふふふふふ。
俺のミラクルな頭脳を見せてくれる!
神も納得の手腕って奴を。
……だが俺はこのとき一つ大きな勘違いをしていた。
致命的とも言える間違いだ。
髪の毛からのDNA鑑定は困難なのだ。
金が掛かりすぎて、精度も悪く、しかも量が必要なのだ。
しかもこのせいで事態は俺の思ったとおりには進まなくなる。
このとき俺は本当に愚かだったのだ。
いや、それすらも神の意思だったのかもしれない。