最悪の一夜 1
病院の常連である俺を診察した医者は俺を見るなり指をさして笑った。
「またかよ!」と。
『どんまい!』
うむ、よきにはからえ。
結論から言うと、縫うこともない消毒だけですんだ。
結局、今月だけで何度目かのCTを撮影して終了。
すぐに親が来てお説教。
だが今回は豪田がいたので事情を説明する。
うちの母親が豪田にブチ切れる。
豪田は平謝りの術でそれを防御していた。
たまに俺の方も雷は落ちる。
だがこれで終わりだ。
これで終わりなのだ。
そう安堵し、帰り支度をしていると豪田の携帯が鳴った。
さすがの母親もつかんでいた胸倉を離した。
豪田は頭を下げると電話に出る。
「ええ、はい。……え! はい……」
何を言っているかわからない。
「ええ」と「はい」と何度も繰り返すと豪田は電話を切った。
すると俺を真っ直ぐ見つめる。
告白とかのくだらない冗談だったらこの場で殺そう。そう俺は心に決めた。
だが何かおかしい。
豪田の顔は真っ青だった。
やめて、これ以上俺を追い込むのは。
「いいか、よく聞け……」
お、おい、やめろ。
「吉村がいなくなった……」
俺は絶句した。
結論から言うと、死人が出た。
山口先生である。
警察への同行を申し出たが校長と飯田が行くことになり、山口は学校に残ることになった。
電話番である。
学校は校内に残っていた生徒の親を呼び出し親同伴で下校させることにした。
なにせ相手は連続殺人犯だ。
学校側もどうしていいかわからなかったのだろう。
吉村は山口と学校で親を待っていたらしい。
そして吉村の親が到着、子どもがいないことを訴える。
学校に残った先生が捜索すると、吉村がいた教室で顔が明後日の方を向いた山口が発見された。
それはたった30分ほどの出来事だったらしい。
見たことがないほどキレイに首が折られていた。
それと指数本がそっぽを向いていた。。
豪田は泣いていた。さすがに同僚の死亡はこたえたのだろう。
俺はと言うと親しくなかったせいか現実味がなかった。
俺は薄情なのかもしれない。
少しへこんでいると俺の携帯が鳴った。
心臓が高鳴りながら俺は出る。
「やってくれたじゃないか」
それはひどく抑揚のない声だった。
俺はぶるっと震えた。
だがすぐに冷静になる。
俺は冷静に豪田の顔を見ながら、空いている方の手で携帯を指さす。
豪田は無言で頷いた。
よかった。わかってくれた。
「君の彼女はかわいいなあ」
てめえ吉村に指一本でも触れたらぶっ殺すぞ!
と、怒鳴りたかった。
だが俺はその言葉を飲み込んだ。
相手はそう言うのを待っている。
ここは相手のペースに従ってはいけない。
俺が主導権を握るのだ。
『ど、どうやって!』
それを話ながら考える。
要は駆け引きだ。
相手は吉村というカードがある。
俺には北条だ。ただし警察署にいるから交換不可だ。
俺には絶対に不可能だ。
欲しければ警察でも襲えクソが!
俺は心で罵倒すると頭を切り替える。
確か人質交渉は相手を受け入れるところから始まる。
褒め殺しにして敵ではないという立ち位置を確保。
それから誘導尋問で人質を解放させるよう犯人を操る。
……だったはずだ。
つまり下出に出ることだ。
「……ふぅ、食いついてこないか。やれやれ」
野郎は俺の沈黙に反応した!
よし、今だ!
「……お願いです。吉村を解放してください。貴方なら吉村を人質にする必要はないはずだ」
そこまで言って俺はある仮定に辿り着いた。
ただの嫌がらせだったら?
報復で殺すためにさらったのだとしたら……
俺は絶対にコイツを許さないだろう。
地の果てまで追い込んでぶっ殺してやる!
「交渉術か……。安っぽい茶番はやめよう。本音で語り合おうじゃないか」
見透かされた!
だが俺はやめない。
俺に有利なように動かしてやる。
「そんなことを言われても……こちらは吉村を人質に取られているじゃないですか……それでは自由にものを言うことなんてできません……どうか吉村を家に帰してやってください」
ここで沈黙。
なるべく同情を買うのだ。
「どうやら君は僕と同じタイプのようだ。人間を誘導し、支配し、破滅に導く。まるで悪魔だ」
残念だな。お前は悪魔だが俺は天使だ。
つまり超常の存在と、この男はコンタクトを取っていない。
それに俺には天使がついている。
つまり超常の力については俺の方が有利だ。
相手よりも有利な点を見つけると、俺はかなり冷静になった。
よし黙ろう。
「……」
俺は沈黙した。
「だから僕には交渉は通用しない。いいかげん飽きてきたよ。彼女の指を切断して悲鳴でも聞かせればわかってもらえるかな」
この時、俺は勝利目前だった。
俺が主導権を握る寸前まで来ていたのだ。
だが俺は頭に血が上った。
怒りだけで血管がブチ切れそうだった。
「吉村を解放しろ」
俺は平坦な口調で言った。
怒鳴らなかったのは褒めて欲しい。
ちなみに俺は褒めて貰わないと伸びない子だ。
「よし、ようやく本音で語り合えそうだ。楽しくおしゃべりをしようじゃないか」
これ自体が俺を動揺させる手だ。
俺は無視する。
「俺の名前を誰に聞いた」
「娘だ。君は友だちだそうだな。娘は喜んでいたよ。それに山口先生だっけ。指を折ったらペラペラとどうでもいい事までしゃべったよ。あまりに鬱陶しいから殺しちゃったよ」
気分が悪い。
人の命をなんだと思ってやがる。
「娘……笑わせるな。北条は極度の栄養失調状態だった。お前は金魚も死なせるようなクズだ」
俺はわざと大げさに言った。
実際、北条の状態はひどいものだ。
「……人を飼うのは初めてでね。栄養……なるほど。次に生かそう」
ぞくっとした嫌悪感が俺の背中に走った。
『飼う』と言ったな。『育てた』ではなく。
こいつ人間じゃねえ……
そして俺はようやく自覚した。
俺は確かに北条を調べた。
プライベートを暴き、彼女の日常を壊し、今は別の友人を危機にさらしている。
誰がなんと言おうとも俺に幾ばくかの責任はある。
だが俺にとってすでに北条は友人だったのだ。
だから『飼う』なんて言葉にこんなにも過剰反応しているのだ。
「お前はもう終わりだ」
安っぽい台詞だ。
だが俺にはこれくらいしか言えない。
交渉は一発でひっくり返された。
「僕は、生まれたときから『はじまって』なんかいないよ」
犯人からネガティブな言葉が出た。
やけを起こされたらたまらない。
話を逸らすべきだ。
「……聞かせて欲しい。どうやって北条を学校に通わせた? 身分証をどうやって手に入れた」
「そりゃ難しくないよ。身分証なんていくらでも偽造できる」
「新規に作るのは難しいはずだ」
「誰かのを奪えばいい」
俺はやはりかと思った。
俺の想像は当っていた。
犯人は殺害した一家に成り代わっていたのだ。
「……お前のことはよくわかった。俺に何をさせたい?」
まずい。
コイツは会話してはいけないタイプだ。
とにかく要求を提示させよう。
「娘を返せ」
「無理だ。もう警察にいる」
これは駆け引きだ。
向こうも中学生にそんなことができるとは思っていないだろう。
「だろうね。じゃあ君への要求を言おう。逆らったら……わかるね」
「ああ、ただし吉村を傷つけてみろ。背骨へし折って一生垂れ流しにしてやる」
「怖いねえ。君、それ本気だろ?」
もちろんだ。
少年法で守られているうちに『殺してくれ』と懇願するような目に遭わせてやる。
俺が噛みつきそうな顔をしていると犯人は言った。
「それじゃあ、まずは……踊って貰おうかな?」
どういう意味だ?