対峙
俺は放課後、北条が現れるのを待っていた。
今、北条は合気道部への入部届を出しているはずだ。
もはや直接対決しかない。
俺はもう神様による無茶ぶりや自身の童貞問題など頭から消えていた。
北条を助けねばならない。
これはもう俺の望みでもあった。
俺は外のコンビニで、栄養補助食品のビスケットとビタミン入りのドリンクを買っていた。
これも北条を揺さぶるために買ったものだ。
『来ましたよ』
天使が言うと教室に北条が入ってきた。
俺を見るとキョトンとする。
よほど変な表情をしていたらしい。
「どうしたの相良君」
俺は無言でビスケットとドリンクを取り出す。
そして言った。
「海老名食え」
北条は驚いた顔をした。
その表情は何を言われているかわからないといった顔ではない。
恥ずかしい秘密を指摘されたかのような顔だ。
隠していた秘密を知られてしまったのだから仕方がない。
「どうして……わかったの?」
北条は小声で言った。
まさかステータスを見たなんて言えない。
だから適当に理由をつける。
一部さえ合ってればいい。
あとは勢いで押し切る。
俺は北条を観察する。
そして爪が目に入った。
爪は上向きに変形していた。
「その爪だ。栄養失調で爪が変形している。白い斑点も出てる。亜鉛不足だろう」
エッチなサイトで見かけた亜鉛サプリの記事参照。
『もう、なんで最後まで格好つけないんですか!』
天使は呆れた声を出すが、俺の言葉を聞いた北条は慌てて手を隠した。
顔は真っ赤どころか蒼白だった。
そう、みんな北条の美しさに騙されていた。
痩せたアイドルを見慣れた俺たちは北条が普通の状態だと思い込んでいたのだ。
俺ですら栄養失調のバッドステータスを見るまでは気がつかなかったのだ。
「髪の毛も抜けるだろ? それはミネラル不足だ」
北条はただ下を向くばかりだ。
やはり恥ずかしかったのだろう。
本当だったら女の子に髪の毛が抜けるなんて言ってはならないだろう。
部活での髪の毛、その時点で気づいてやるべきだった
一度真相がわかれば、俺は北条の正体が見えていた。
「海老名、君は痩せすぎている。みんな君が綺麗だから騙されてるけど俺には通じない」
これは牽制だ。
俺には嘘は通じない。
そう宣言して嘘を封じる。
本当はこういった洒落にならないことは言いたくない。
女の子の弱みを突くなんて最低だ。
だが今回は主義主張よりも優先すべきことがある。
「ど、どうして……?」
北条は震えていた。
「料理の味もわからないんだろ? ずいぶん前から……」
これもミネラル不足だ。
心因性の原因かもしれない。
「……放っておいてよ!」
北条が俺に感情を剥き出しにして怒鳴った。
当たり前だ。普通なら怒る。
だけど俺は静かに言う。
「君は自分の本名を思い出せない。違うか?」
「わ、私は海老名……」
「違う。君の名は北条美沙緒だ。今の名前の海老名だって何ヶ月も使ってないんだろ?」
北条は黙る。
それは肯定したようなものだ。
だから俺は第三者を呼んだ。
「吉村! 適当な生徒と飯田先生と……豪田先生を呼んで来てくれ。警察を呼んでもらう」
吉村が盗み聞きしている事は大分前から知っていた。
いや正確に言えばそうなるように誘導した。
案の定、吉村が真っ赤な顔をして入ってくる。
「い、いやね、覗いていたわけじゃないって……」
吉村は言い訳をする。
すまない。だけど今はお前を利用させて貰う。
俺は笑顔を作った。
「ありがとう吉村さん。吉村さんがいてくれて助かったよ」
「お、おう」
吉村は顔を真っ赤にした。
本当は冗談以外の場面で、こういう人を操作するようなのは好きじゃない。
まるでサイコパスだ。
だけど吉村には仕事をしてもらわなければならない。
『まさか……吉村さんが覗きをするところまで計算に入れてたんですか……』
その通りだ。
これで北条の逃げ道は封じた。
全てを表に出してしまう。
悪魔に勝つにはそれしかない。
『どうして素直に助けを求めなかったんですか!?』
簡単だ。
誰も信じないからだ。
学校に誘拐された女の子がいるはずがない。
それが当たり前なのだ。
たとえ俺が論理的に正しかろうとも、信じる信じないってのは感情の問題だ。
既成概念に打ち勝つには演出が必要なのだ。
だから探偵みたいに「お前が犯人だ」ごっこをやる舞台を用意した。
北条があくまでごまかしてこの作戦が失敗したら、一万円を拾ったと吉村を騙して北条を連れて警察に駆け込もうと思っていた。
俺は探偵ごっこを続ける。
「北条、君は10年前に誘拐された北条利香子の娘だ」
「や、やめて! お、思い出せないの! それに父さんに怒られる……お父さんが怒ったら美香の命が……」
シリアスな状況下で『命』という単語が飛び出した途端、吉村は猛然と教室を出て行った。
「お、吉村どうした?」
杉浦の声がした。
だとしたら援軍はもう一人いる!
「杉浦! 委員長! 海老名さんを絶対に教室から出さないで!」
「おい、ど、どうしたんよ!?」
「いいから! 私は先生呼んでくる!」
吉村は急いで教室から出て行き、代わりに手を繋いだ杉浦と委員長が教室に入ってくる。
俺は普段の憎悪を忘れ真剣な顔で頼む。
「二人とも、教室の出入り口を固めてくれ。北条を逃がすな」
「どうしたんだよ。お前ちょっとおかしいぞ……北条って、海老名だろ」
「違う。ここにいる海老名の本名は北条美沙緒。10年前に誘拐された北条利香子の子どもだ」
俺は杉浦の目を見つめる。
「……わかった。お前を信じる」
「いっちゃん!」
委員長が声を上げた。
だが杉浦は友情モードに入っていた。
「りょうちゃん。光太郎は信頼できる。……だろ?」
「いっちゃん……なんて優しい」
いちゃくつく二人を見て俺は心で血の涙を流していた。
『いいから』
天使!
お前には童貞の気持ちはわからない!
この悔しさ、この虚しさ、そしてこの絶望感!
この地獄が永遠に続くかもしれないという不安感!
『いいから黙れ』
……はい。
俺は北条になるべく優しい声で言った。
「今から警察を呼ぶ。わかったね」
「なぜ……どうして……今まで気づいた人はいなかったのに……」
『神様からもらった力でわかった』とは言えないので適当なことを言う。
「偶然だよ……たまたまテレビでやってたのを見たんだ」
「そう……でもお願い……やめて……私が戻らないと美香が殺される……」
俺はこの時、北条に向かっていた注意が逸れた。
少し冷静になったとも言えるだろう。
そして思い出したのだ。
寺島美香。
それがつい最近、千葉で行方不明になった女の子だと言うことに。
次回、バイオレンス(弱)