とある探偵の最後
謎の手紙が警察やマスコミ、それに北条利香子へ送りつけられてきたのは10日ほど前のことだった。
中学生が同級生を失踪した北条利香子の娘、美沙緒だと主張しているのだ。
そんなことはありえない。
中学に進学していると言うことは、母子手帳や3歳児健康審査などを無事に通過しているということだ。
戸籍も完璧なはずだ。
この書類至上主義の日本で学校に通わせながら子どもを隠すのは限りなく難しい。
だから中学生のいたずら。
それがマスコミの一致した意見だった。
複数の新聞社やテレビ局にも送りつけられてきたらしいが、全てのマスコミは資料を保留している。
他社、できれば週刊紙が先に報道するのを待っているのだ。
リスクを取ってスクープをゲットするメリットは大手にはない。
訴訟リスクとスクープからの利益を比べれば割に合わないことは明白だ。
テレビに至っては出演するタレントが数字を持っているのであって報道内容に価値はない。
だらどのメディアでも報道内容は同じである。
だからメディアは現在、他社の出方をうかがっている。
他社から多少遅れる程度は、一社だけで報道するリスクに比べればたいしたことではない。
はっきり言って、たかが誘拐事件などタレントの不倫に比べれば利益が少ないわりにリスクが高い不良商品である。
真剣になる必要などない。
一方当事者は人生を左右する出来事だ。
母親である北条利香子は半狂乱で警察に指紋と髪の毛のDNA鑑定を申し出たらしい。
だが残念なことにそれは叶わないだろう。
なにせ北条家が大騒ぎをするのはこれで何度目かのことだ。
テレビの大捜索で占い師が何かを言った。
電話が掛かってきた。
そのたびに警察で大騒ぎしたのだ。
いまや何を言っても門前払いである。
証拠にも問題があった。
毛髪からのDNA鑑定は可能ではあるが、客観性の立証ができない。
いやそれを送られてきた指紋も鑑定をしない理由にできるのだ。
なぜそこまで警察が北条を嫌うのか。
北条利香子と警察は良好な関係とは言いがたい。
怒鳴り込む前からの話だ。
娘の失踪直後に週刊紙で警察を非難したせいで両者の関係は断絶している。
なにせ警察は県警のトップが北条利香子のせいで辞職したという被害者意識がある。
いや公式にそう言っているわけではないし、上層部は捜査に積極的だ。
だが現場はそういう空気なのだ。
警察からしたら北条利香子は仲間を潰した憎い仇……という空気だ。
そんな空気の中で上司の機嫌を損ねてまで捜査をしようという、良心的なサラリーマンが何人いるだろうか?
そんな良心的狂犬は最初から組織に入れるはずがない。
例の手紙も最初からイタズラと決めつけたようだ。
上がそう言うのだから、これはイタズラ。
少しでも疑問を持つ人間は組織には必要ない。
なにせ中学生とは思えないほど、あざといのだ。
彼は母親の働いている会社にも手紙を送りつけた。
この自称中学生は母親の北条利香子がプロダクションで、芸能人のイメージ戦略担当として働いていることを知っていたのだろうか?
だとしたら相当のタヌキである。
10代の子どもと言うことはないだろう。
30代、いや50代かもしれない。
警察もそのにおいを嗅ぎつけたのか、一番どうでもいい証拠の棚に放り込んだ。
指紋の鑑定も暇な捜査員が興味本位で鑑定にまわせば、結果が出るかも知れない。
だが警察はそれを拒んだ。
このまま人々の記憶から忘れ去られることを願っているのだろう。
それと、髪の毛の存在そのものも問題だった。
本人に黙って指紋や髪の毛を採取するような気持ちの悪い人間は信用できない。きっと変質者だろう……と、調べることを拒否する理由にされた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ?」という話だが、だから俺のような調査業の出番となる。
そう俺は探偵……とは言えるだろう。登録はしてあるからな。
俺たちは、たとえその情報がフェイクでも俺たちの場合は利益になる。
警察とは違うのだ。
俺はすぐに調査を開始した。
指紋の方は北条利香子が鑑定に出した。
民間の鑑定なので時間がかかるそうだ。
俺の方は送り主の中学生と、名指しされた娘の捜査だ。
送り主の中学生は相良光太郎。
まず俺は手紙に記されていた住所へ向かった。
あどけない顔の中学生だ。
彼がこの手紙を書いたとはとても思えない。
同じ部活の女の子と一緒に帰宅していた。
女の子と一緒でも手も握らない、子どもらしい子どもだ。
学生証まで同封するようなあざとさは感じられない。
おそらく誰か大人が介入しているに違いない。
だから俺は相良光太郎を調べるのをやめた。
一番簡単なのは学校に張り込みをして、北条利香子に似た子が現れるのを待てばいい。
写真を撮ったらすぐに北条利香子に送信して終了。
それで50万はもらえる。簡単な仕事だ。
そして数日たった。
今日も下校の時間だ。
おそらく似た顔の子はいないだろう。
フェイクに違いない。
1時間ほど待つと相良光太郎が歩いていくのが見えた。
いつも同じ女子と一緒に帰っている。
気の強そうな顔の女子だ。大人になったら大化けするだろう。
仲の良いことだ。
甘酸っぱいことこの上ない。
やはり陰湿なフェイクを仕掛けるようには見えない。
微笑ましい光景に目元を緩ませていると、その後ろから少女が走っていくのが見えた。
完成された美少女だ。
そう北条利香子の若いころのように。
だが俺は判断がつかなかった。
北条利香子は残念ながら終わった女優だ。
ヒット作は数多くあれど、数十年後も語り継がれる普及の名作はない。
今では顔が出るのも未解決事件の特番のときだけだ。
それも季節の節目での番組改編時に穴埋めでやるものだ。
つまり、現在では娘の誘拐事件しかない元女優である。
世間もファンでなければ顔を思い出せないだろう。
俺もあらかじめ資料を読んでなければ北条利香子に似ているなんて思わなかったに違いない。
俺は慌てて写真を撮る。
北条利香子そっくりの少女は相良光太郎と連れの少女の元へ走って行く。
どういうことだ?
友人なのか?
俺は三人が楽しく談笑しているところを撮影する。
そしてカメラのWI-FIからオンラインストレージに送信されたファイルをノートパソコンで開く。
やはり似ている。
これで依頼は終了……のはずだった。
だが俺はここですけべ心を出してしまった。
なぜなら俺は確信していた。
彼女は北条利香子の娘だと。
彼女を拉致してでも確保すれば英雄になれるんじゃないか?
そんな邪心が俺を支配していた。
俺は車を乗り捨てた。
そして三人を尾行した。
しばらく尾行すると北条利香子にそっくりの娘が一人になった。
俺は声を出されてもいい所に少女が来るのを待つ。
本人に北条美沙緒だと認めさせればいい。
まずは声をかけるのだ。
周囲には誰もいない。
よし! やるぞ!
俺は少女の肩に手をかける。
その時だった。
俺の首にしゅるりとなにかが掛かった。
そしてぐるんと景色が回った。
首に針金を掛けられ、背中に乗せられる。
容赦なく俺の首に針金が食い込んでくる。
締め付けられたのどからは声はおろか、息も出てこない。
いわゆる地蔵背負いをされているとわかったときにはもう遅かった。
「お、お父さん! なにを……」
「ああ、芽依、すまないねえ。また引っ越しだ。また新しい名前を手に入れないといけないねえ」
「また……殺すの……?」
「あくまで結果さ。芽依も大人になったらわかるよ」
「美香はどうするの?」
美香……もしかして!
俺はさらにもがく。
なんてことだ!
事件は繋がっていたのだ!
それを知っているのは今のところ俺だけだ。
生きて戻れたら俺は確実に英雄になれる!
絶対に生き残ってやる!
「そうだねえ。邪魔だから処分しないといけないねえ」
「お願い! 美香だけは殺さないで!」
「さあどうだろうねえ?」
男の声には感情が一切感じられない。
まるで昆虫のようだった。
一方、俺の方は限界だった。
血流の止まった俺の顔はパンパンに腫れ、耳からじんじんと変な音がしてくる。
俺はジタバタともがくが、もがけばもがくほど首が締まっていく。
「その人は……」
「そうだねえ。とりあえず家に運ぼうか」
ああ……ドジ踏んだ。
変な功名心さえ起こさなければこんなことにはならなかった。
じんじんとした耳の音を聞きながら俺はそこで終わった。