さようなら
────ピーッ、ピーッ………
機械音が、病室に鳴り響く。
たった今、俺の母が死んだ。ちなみに父は、俺が3歳、妹が母の腹の中にいる時に、母を守って車に轢かれて死んでいる。
俺の隣では、今は9歳の妹が母の手を握りながら泣いている。「ママ、ママ」と言いながら。
そして、そんな妹の隣で俺は、無表情で母の顔を見ていた。
……目を開ける気がしない。
本当に、死んだんだ。
「さようなら」
俺が母に言ったのは、その一言だけ。だって、それしか言うことがないから。
妹……笑恋には、俺の声も聞こえてないんだろう。
俺は笑恋の肩を叩く。
「お母さんは死んだんだ。ここにいたって何もできない。帰るぞ」
「やだっ!」
笑恋が、俺の手を振り払って叫んだ。
俺は純粋に疑問だ。どうしてそんなに熱くなれる。
俺の言っていることは、間違ってないはず。
ここにいたって、どんなに呼びかけたって、無意味じゃないか。
「えれん、ずっとママのそばにいる!」
「それで何ができる」
「おにいちゃん、ひどい……」
「何がだ」
まったく意味が分からない。
笑恋が変なのか、俺が変なのか。……多分、後者だろう。自覚はしているんだ。
でも、仕方ないじゃないか。
俺には分からないんだ。
悲しみも、何もかも。涙の出し方だって分からない。
「やだよぅ、ママ……」
母に抱きついて涙を流す笑恋を見て、12歳にして初めて思った。
(“感情”を持ちたい)と。
喜びを感じられる人間になりたい。……幸せを感じられる人間に、なりたい。
怒りを感じられる人間になりたい。……自分の意見を持つ人間に、なりたい。
哀しみを感じられる人間になりたい。……涙を流せる人間に、なりたい。
楽しさを感じられる人間になりたい。……全力で笑える人間に、なりたい。
笑恋の頬を流れる涙を見て、心からそう思った。
笑恋は『素敵な笑顔を持ち続けてほしい』『素敵な恋をしてほしい』という願いを込めて、母が付けました。