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何もない日常。

コーヒーブレイク

作者: Hino


思えば昨日は朝から最悪だった。


起きる時間は少し遅くなったし、テレビの星座占いでは最下位手前の11位だったし、あいつはいつも通り無神経に「あれ?いつもとなんか髪違う?」とか言って念入りにセットした髪をめちゃめちゃに触ってくるし。


分かってる………分かってるよ、八つ当たりだって。


起きるのが遅くなったのは目覚ましかけた時計をうっかり下敷きにしちゃった自分のせいだし、テレビの星座占いなんか気にしなくていいし、あいつのあの性格もいつも通りだもん。


分かってる……けど、なんか……ここんとこツイてないな、うっかりそう思うんだ。



「ーー終点、間もなく終点ーーー」


「え!?やだ!!いつの間に終点!?乗り過ごしちゃった!!」


そ、だから今日、うっかり終電で乗り過ごして終点まで来ちゃったのも……もうやだぁ……



ふらふらとさまようように、けれども仕方なく二駅向こうの一人暮らしのあの家に向かって、足取り重く向かっていた。

もちろんタクシーなんか乗るつもりも無かったから手持ちも少なくて、乗れても隣の駅くらいまで。

それでも一駅分でもいいから乗りたいんだけど、運の悪いことにタクシーが通らないし通っても乗車中。


「なんなんだろ……この運のなさは…」


思わずひとりごちるけど、答えてくれる人もいないし、聞こえるのは行き交う車の音だけ。

あいつに電話……してもなー、寝てるだろうし、起きてても迎えなんか……ハァァァ、なんか、良いことないかな……



そんな時だった。

目の前に、明かりのついた、一つの看板が見えた。



あったかいコーヒー、お淹れします。



こんな場所に不釣り合いな、都会のちょっと外れたところにでもありそうな、言うなら……そう、モダン?な感じの、そういうカフェ、ううん、喫茶店があった。


こんなとこあったんだ、気づかなかった。

思わず入ってみると、不思議な内装だった。


レトロな車が丸ごと一台カウンターになってて、中にはお兄さんともお爺さんとも言えないようなマスターが一人。

客席は狭い通路を挟んでカウンターと向かい合うような、立ち飲みのスタンドが数ヵ所。それになんとなく申し訳なさそうに壁際に置かれた脚の長い椅子が二個だけ。

カウンターの右側に、大きなパイプオルガン。


なんとも言えない、変わった店内だった。


「いらっしゃい、お初だね。なににするかね?」


マスターは不思議な笑みを浮かべつつ、私に優しげに問いかけた。


「あ…えっと……」


もちろん何かを飲もうなんて考えずに入った私は、とにかく注文を考えなきゃ、と、慌ててメニューを探した。

けれども、メニューらしいものはカウンターに置いても、壁に貼っても、スタンドに立て掛けてもなかった。


「はは、申し訳ないね。うちの店にはメニューはないんだ。」

「適当に今の気持ちを言ってごらん?」

「お代は君が決めていいから」

「そうだな、まずはこれでも飲んで落ち着いたらどうかな?」


矢継ぎ早に言葉を紡ぐマスターに手渡された一杯の茶色い飲み物。

飲んで良いものかとコップからマスターに視線を移すと、にこりと笑った。


ーーーゴクン。


歩き疲れた私をそっと癒すようなミルクの温かさ。

でも、ここで立ち止まらせないような凛としたコーヒーの苦味。

それにほのかに広がる甘味は…


「ふふ、それはだね、メープルシロップを入れたお菓子みたいなコーヒー牛乳だよ」


「え?カフェオレじゃ……」


「そんな上等なもんじゃないさ。君がこんな時間にこんな場所に立ち寄るんだ、おおよそ終電を乗り過ごしたか何かしたんだろう?カフェオレなんて気取ったもん飲んでたら帰りつくまでに肩までこっちまうよ。それに……」


言葉を切ると、マスターはどこかで見たようなニンマリ顔を浮かべた。

あまりにも年不相応なその笑みは、悪戯を思い付いた子供のような、大人に内緒で遠くへ行く前の子供のような笑みだった。


「終電を乗り過ごした最悪、なんて思うより、わぁぁ、こんな場所に素敵なお店があったなんてラッキー!とか久々の散歩だし楽しんじゃお!て思った方が楽しいだろう?」


「ふ、ふふ、ふふふ…自分で素敵なお店って言っちゃうの?散歩、うん、そう思うと楽しいかも」


ニタニタと笑いを浮かべるマスターに、思わずつられて笑ってしまった私。

あぁ、なんだろう、ここ最近ちゃんと笑ってなかった気がするなぁ。

ふふっ、おかしいな。


「さて、そろそろお帰りかな?」


「うそっ!ごめんなさい!もう閉店の時間!?」


「いーや、違うよ?……後ろを見てごらんよ」


後ろ?

遠くの方だがそこには確かにあいつの姿が見えた。

誰かを探しているような、周りをキョロキョロと見回しつつバイクに乗る姿はまるでおのぼりさんのようだ。


……迎えに来るなんて、珍し。


うっかり憎まれ口を叩きそうになった私はもう一口コーヒー牛乳を飲んだ。

牛乳さんがもしかしたら黒い心を白く濁してくれるかもしれないしね……なーんて、ちょっと夢見がちな発言かな?


「ありがとう、マスター。お代は…」


「お代?いくらでも良いさ。それよりも早くお迎えのところに行ってあげなよ、ほら、過ぎてっちゃうよ?」


「えっ!?やだっ!迎えに来といてすれ違うなんてあいつのバカ!…ごめんなさいマスター!今度!また来たとき必ず払うわ!」


マスターに一言、言ってから、すぐさまあいつのもとに走っていった。



ーーーーーー


「んん?どうしたんだ?チェシャ?そんな格好をして」


ふぁぁ、と、眠さを微塵も隠さず若い男がカウンターである車の助手席の奥から起き上がってきた。

若い男、この店のマスターである。


「いいえぇ、マスター。たまには自分で飲み物くらい作ろうかと思いましてねぇ」


チェシャと呼ばれるや否や、お兄さんともお爺さんとも言えないようなマスター風の男性はシュルンと頭を首から離し、両手でお手玉のように一回転させた。

頭は次第に人の頭から形を離していき、毛むくじゃらの四則四足歩行の獣と化していた……が、やはり頭は器用に前足でお手玉のように遊ばれていた。


「……別に何でも良いが、変な真似だけはしないでくれよ?ここは命の潤いを取り戻してもらうための、自殺した人のための場所なんだから。さっさと次の生を歩ませねーと、なぁ?」


ーーーーーー


気づいたとき、私は病院のベッドに寝ていた。

右手にはあいつが両手で握っていて、離れそうにもない。

体はあちこちギブスや包帯で固定されていて、どうにも動かしようがない。


……え?何があったの?


終電を乗り過ごして、途方にくれながら歩いてて、あのお店があって、そんであいつが迎えに来てて……ダメだ、このあとが思い出せない……


私がウンウンと思い悩んでいると、あいつが目を覚ました。

目を覚まして私をその目にとらえると、泣きそうな、そんな顔をして、それからあからさまにホッとした顔になった。


どうやら私は、終電に乗ったのは確かだが、その電車が脱線横転事故という、珍しいものに巻き込まれていたらしい。


……じゃ、あの喫茶店までの道のりは全部三途の川だったのかしら?

こわっ!!

え!?じゃ、もしお代を払ってたら死んでたとか!?え!?こわっ!!!



それから私は、幸いにも全治一ヶ月程度で日常に戻れた。

もちろん戻った当初はツイてなかった時の仕事(のこりもの)が山のようにあったが、なんとか完全復帰することができた。



「あ!課長!お茶淹れてきますよ!」


「あ、ごめん!コーヒー牛乳でよろしく!」


「「「え?」」」



私のなかにまだあの喫茶店は色濃く残っているけどね。

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