兄妹
魔法使い育成学校。
名前をつけるのが面倒だ、などという創立者のなんともいい加減な理由で決まった学校名。そこには人間だけに限らず、実に様々な種族の子供達が魔法を学ぶために通っていた。
「あたし、子供は嫌いなのよ」
そんな場所に呼び出したのだから当然なのだが、美しい顔に不機嫌さを隠しもせずにさらけ出す彼女に、オズワルドは苦笑を漏らした。
柔らかな昼下がりの光が差し込む部屋の床には、所狭しと本が積まれていた。嫌そうな顔をしつつ魔法で片付けていくのは、オズワルドの妹でアリシアの母親であるアマンダだった。
「来てくれて嬉しいよ」
「兄さんが呼んだんじゃない」
「変わらないね」
「兄さんの方こそ、相変わらず整理整頓ができないのね。どこに座れって言うのよ。あ、やめてお茶なんていらないわ。そのカップとポット、最後に使ったのはいつ?」
最低限の指の動きで、椅子が置けるスペースを確保したアマンダは、忘れ去られていたように部屋の隅にあった一人掛けソファを引っ張ってきてとさりと腰を下ろした。もちろん、かぶった埃を全て消し去ってから。
「やだなあ、ちゃんと殺菌してるよ。魔法で」
「そういうこと言ってんじゃないのよ」
綺麗にできないの、と眉をひそめたアマンダにオズワルドは困ったように笑った。
「子供達にも言われたよ」
「直しなさいよ、じゃあ」
もっともである。
家を守るための使い魔であるにもかかわらず、身の回りの世話までをも全てしてくれるトトルがいなければ、オズワルドはなにもできない男だった。
「預ける場所、間違えたかしら」
ぽそり、と落とされた言葉。常であれば聞き流すが、今日はそのことで呼んだのだから、あえて質問を重ねた。
「ねえ君、あの子の父親はもしかして」
「言わないで」
アマンダが子を産んだことは、彼女が数年に一度の頻度で送ってくる生存報告で知った。しかし、その父親のことになると、アマンダは昔から口を閉ざしてしまうのだ。
ふてくされたように横を向いてしまったアマンダは、まるで少女のようだと笑いを噛みしめる。
「いつ引き取りに来るんだい」
オズワルドは意識してアマンダの方は見ずに穏やかに尋ねた。
手元には、生徒たちの宿題が積まれている。数を数えると一枚足りない。いつも通りハルが期限を守らなかったらしい。これはまた怒らなきゃいけないのかな、とオズワルドは気が進まない。
「兄さんは子供好きでしょ」
「ん? まぁ、そうだけど」
「じゃあ、いいじゃない」
さて、これはどうしたものか。
相変わらず、アマンダはこちらに目を向けずひたすらに床を見つめている。ハルの対応をするよりも手強い。
「じゃあ、本当に僕がアリシアをもらっちゃうよ?」
冗談のつもりで口にした。しかし、アマンダはそこで初めてぱっと顔を向け、無表情な目をまっすぐに投げてよこした。
「いいわ。兄さんなら、あたしなんかよりもちゃんとあの子を愛してくれるでしょう」
「……本心じゃないでしょって、言えないのがまた頭の痛いところだよね」
苦笑して妹の顔を眺めると、彼女はふいと視線を外した。
「あたしには、兄さんがわからないわ」
「ん?」
「どうして、そんなにも穏やかな愛を他人にあげられるの? 自分は一度だって貰ったこと、なかったのに」
弱々しくつぶやきぎゅっと左腕を握った、その服の下にはまだ、あるのだろうか。
「そうだねぇ。でも、それを言ってしまったら僕だって、あんな両親の元に育ってもなお、結婚できる君のことがわからないな」
「……男を見る目は、なかったわ」
「責めているわけじゃないんだよ。結婚できるのなら、したほうがいい。君にだって誰かを愛することができたっていう証明なんだから」
その結果があの子だろう。
そう言えば、アマンダは下唇を噛んで俯いた。
(この癖は、子供の頃から変わらないんだな……)
アマンダが、なにかを我慢するときの癖。昔は、両親の罵声に耐えているときだった。
「アリシアはずっと、母親の迎えを待っているよ」
「あたしはあの子に嫌われるためにああしたの。あの子の前には現れないし、あの子の名前を呼ぶことも……、もう、ないわ」
「……」
立ち上がるアマンダを、オズワルドは止めない。ただ、生徒たちの宿題に赤インクを浸した羽ペンを滑らせ、ぽつりと呟いた。
「僕らにとってあの人は、どこまでいっても『母親』だったろう?」
ドアが閉じられる音はしなかった。代わりに、魔法の奇蹟だけが残っていた。
「子供の方が、簡単に答えを見つけられるのにね」
シュッと丸をして、それでよくできている宿題を全員分採点し終わった。
「……結局、アリシアのことを聞けなかったしなぁ」
アリシアの父親が誰なのか。
それがわかれば、彼女が言っていた腕のことがわかったかもしれない。けれど、アマンダのあの様子では、知るのは困難だろう。
「というか、アリシアのことは聞きたいことだらけなのだけど」
ため息をひとつ。
基本的にオズワルド側から連絡を取ろうとしても繋がらないし、今回だってアリシアの名前を出せば来てくれるかもしれない、という駄目元での呼び出しだったのだ。
思いの外すんなりと応じてくれはしたけれど、結局肝心なことは何一つわからずじまいだ。
「ま、気長に待つしかないかなあ」
独りごちながら、ハルを呼び出すための校内放送をかけて、引き出しをそっと開ける。そこには、可愛らしい文字で『ハルへ』と書かれた封筒が一通入れられていた。
「今日来ないと、チャンスを逃すよハル」
チャンスは決められた数しかない。それを十分にわかっているはずの妹には、いまひとつ、自由さが足りないような気がした。
「足して二で割ればちょうどいいのにねぇ」
どうしたものか、と再び息を落とした。
自由すぎる少年はまだ来ない。