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オズの火蜥蜴姫と人魚王子  作者: 佐藤ゆのあ
1/16

プロローグ


 いつからか、なんてわからない。

 けれど気がついたら。


「おい、こっちに来い」

「ヒッ」


 『オトコ』が駄目になっていた。




 ♯




 乱暴に腕を引っ張られ、肩に走る痛みに顔を歪めた。

 無言で家から連れ出され、見知らぬ土地を歩き続けてどのくらい経ったか。だが、そんなことを気にしている余裕など今のアリシアにはなかった。


「ね……っ、ね、ねぇ!!」


 カツカツとヒールを鳴らして前を歩く女性は止まらない。その背を流れる波打つ長い金髪を見上げ、アリシアは再び口を開いた。


「お、お母さん! 一体どこに──」

「うるさいっ!」


 やっと止まってくれた足。振り返った美しい顔と答えてくれた声。

 それと、次の瞬間襲ってきた頬の焼けるような痛み。一拍遅れて、母にぶたれたのだと理解した。


「あんたがいけないのよ」


 じくじくと熱を発しはじめた頬を押さえ、呆然とするアリシアに降りかかった憎しみと怒り。それなのに、見上げた母はどこか傷ついたような表情だった。


「産んでやったのに。あんたときたらなんにも返してくれないで、恩知らずはいらないのよっ!!」


 ドンッと突き飛ばされ、思い切り地面に転んだ。

 仰け反るほどの力で押された両肩よりも。もろに打ち付けた尻よりも。

 胸が、ギリギリと痛かった。


「ねえちょっと。何やってるの」


 不意に聞こえた声。それが誰のものかを確認するよりも前に、『オトコ』のものだと認識したアリシアの身体が大袈裟なくらい跳ねた。


「ちょうどいいところに、兄さん」

「いや、ちょうどいいって……。ここ、僕の家だからね。真ん前でこんなことされてたら出てくるでしょ」


 兄さん。母は兄と言った。

 アリシアは母に兄がいることを知らなかった。

 もしかしたら他にも兄弟姉妹がいるのかもしれない。だが、祖父母の顔さえ見たことのないアリシアには、全くもって想像もできない存在だ。


「この子、兄さんに引き取ってもらいにはるばる来たのよ」

「えっ」


 伯父だという男が反応する前に、アリシアは目を見開いて顔を上げた。

 母はもう、アリシアを見ない。心臓がドクドクと早鐘を打つ。

 先ほどの、『いらない』というのはそういう意味だったのだろうか。


「突然来て、育児放棄宣言されても……」


 育児放棄。


(私、棄てられちゃうの……?)


 さあっと、血の気が引いた。

 理由。理由はなんだろうか。

 空腹を我慢できなかったことか。殴られたとき声を出してしまったことか。煙草が切れていることに気づかず買い忘れたことか。

 それとも、それとも──。


「育児放棄なんて失礼ね、違うわよ」


 ハッとした。

 ちらりと見えた希望に、アリシアは急いで立ち上がろうとして。


「この子、病気なのよ」


 がちりと固まった。


 ──病気。


 風邪ではない。熱もないし、他にも病院にかかるほどの病気なんてしたことがなかった。

 だから、アリシアが思いつく唯一のもの。


(あれは……、男の人が駄目なのは……病気?)


 だから、母は自分を棄てるのだろうか。


「あのね、」

「兄さん医者でしょ。預かって。この子の荷物全部、そのうち送るから。それじゃあ」

「……っ! お母さ、」


 手を伸ばしたけれど、遅かった。

 突如現れた青い光が母を包み込み、あっという間にその姿を消してしまった。

 あとに残ったのはキツい母の香水の香りと、行き場のなくなったアリシアの小さな手だけだった。


「…………えーっと」


 いつまでも空中を眺めて微動だにしないアリシアに、遠慮がちな声がかけられた。しかし、アリシアは背後の声にビクリと身を竦ませた。

 ザッと土を踏む音に、這うようにして前に逃げる。そんなアリシアの行動に気付いたのか、男が動くのをやめる。


「……わかった。僕はここから動かないから、ちょっとこっちを向いてもらってもいい?」


 心臓が、緊張で震えていた。

 冷たい地につけた手をぐっと握り、ゆっくりゆっくり振り返る。

 最初に見えたのは茶色の革靴。スラリと伸びる脚とそれを包む濃紺のスラックス。骨ばった手と腕、広い肩に流れる淡い金髪。


「……」

「目は、見れないかい?」


 見透かされていた。

 アリシアは思わずかあっと赤くなる。


(そう、いえば、お医者様だって……)


「じゃあ視線は落としておいで。僕は今からしゃがむからね」


 温かでゆったりとした声だった。

 今までに聴いたことがないほどに心が安らぐ深いそれに、そこに見える気遣いに、アリシアははじめて『彼の』声を認識した。

 アリシアの視線が革靴に移ったことをしっかりと確認し、男はゆっくりとした動作で片膝をついた。


「さて。では、はじめまして。僕は君のお母さんの兄で、名前をオズワルドといいます。気軽にオズと呼んで。君の名前は?」

「……ど、して」

「ん?」

「どうして、私のお母さんだって、わかったの?」

「うん?」


 アリシアの髪は燃えるような赤毛で、目もぼんやりとしたブラウンだった。

 金髪碧眼の美しい母とは似ても似つかない容姿は、他の人からいつも見たことのない父親似なのかと憶測されて、その度に母を苛立たせていた。


「似てない、でしょ」


 言えば、ぽつんとひとつ間があった。


「……まぁ、あの子の派手さは受け継いでないようだけど。だけど、全く似てないわけじゃないよね。アーモンド型の目とか高い鼻に太い眉とかそのまんまだし」


 そうして、男がクスリと笑う気配がした。


「なにより、目の色が僕とそっくり一緒だ」


 嫌な遺伝を流してごめんね、と。

 そんな言葉は耳に入っていなかった。

 大きく見開いた目に飛び込んできた優しげな淡いブラウンに、アリシアはしばらく動けなかった。


「おや」


 同じく驚いたような表情をした男は、次いでその薄い唇に柔らかな笑みを浮かべた。「どうだい、同じだろう?」と。


「…………アリシア。十歳です」

「素敵な名前だね。それじゃあ、アリシア。とりあえず家に入ろうか。いつまでもここにいては風邪をひいてしまう」


 トクン、トクンと響く音はなぜだか少し、暖かかった。



よろしくお願いします。

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