そして、来る者
相変わらずの久しぶりな更新です。
それでも足を運んでくれている皆さん、ありがとうございます。
◆ ◆ ◆
男は、最初から全てを手に入れていた。
金も権力も女も、力さえも。
「いひひひ、今日のワインは格別ですね。実に品が良い」
下卑た笑いを浮かべてグラスを傾け、目の前の分厚い肉を給仕の女に切り分けさせるのは小太りの中年の男。
綺羅びやかな部屋の装飾に長テーブルの上の贅沢な食事、回りに立つ美女達。
彼女達は皆短いエプロンドレスを着用しており年もまだ若い。
男が身体に指を這わせると、凄まじく不快な表情と涙を浮かべてそれに耐える。
贅の極みを尽くすこの男は、クレマーティ=ウォールナト。
軍本部直属の、九聖剣と称されるドラゴンキラーの一人であり、代々受け継がれてきたウォールナト家の現当主でもある。
九聖剣の立場を利用し、守護した街や国から金品や若く美しい女を徴収。
今や要塞と化したこの広い屋敷に閉じ籠り、夜な夜なワインや女を楽しんでいるのだ。
守護された街や国は高い税金を緩和して貰うために、女を定期的に貢いでいる。
逆らえば、死。
『竜』に向けられるべき刃を容赦なく突き付けてくる。
絶望的な権力と力であった。
「さて、今夜も楽しませて下さいよ」
クレマーティが笑うと、女達は一斉に怯えた。
支配による強要。
その圧力にも、ただ従うしかない。
クレマーティは立派な腹を揺らして立ち上がり、女達と寝室へ向かおうとする。
その時、部屋の電話が鳴った。
怯えながらも、電話係の女が本体をクレマーティの前に置き、受話器を彼の耳に当てた。
「何ですか、こんな時間に」
少し苛立った様子で、クレマーティは相手に話し掛けた。
『それが、あの王国の事で報告が……』
「ほぉ」
暫く頷きながら話を聞いていたクレマーティは、ニタリといやらしく笑った。
「落ちましたか。逃げ道を操作した甲斐がありましたね。全くあの『竜』、時間を掛けてくれたものです。まあ、計算通り落としてくれたようですから。よしとしましょう。早速、救援に向かいましょうかね。ああ、それと、最近飼い始めたあの奴隷も連れていきましょうか」
現在クレマーティのいるこの屋敷は『ヴェスタ』地方の中央に位置しており、ジークのいるルビンズ王国はそう遠くない場所であった。
隣接する『セレス』地方にあるもう1つの屋敷と、行き来しているのだ。
クレマーティは無言のまま、女達を置いて馬車で出掛けて行った。
◆ ◆ ◆
ジークの無謀な突撃に、金髪の少女は悪寒を覚えた。
話を聞いていなかったのだろうか、それともこの状況下で未だ信じていないのだろうか。
人間など、ガラティンに触れられた瞬間に終わりだというのに。
今直ぐに加勢するべきだが、あの位置では近接戦闘であっても逆にジークの動きを制限してしまう恐れがある。
先程の『竜』との戦闘を思い返してみても、連携は難しいだろう。
ジークも分かっているハズだ。
(隙を見て使うしかない……。私は、使命を果す為だけに此処に来た)
金髪の少女は身構えたまま、ジークの闘いを見守る状態となる。
自分の気持ちを偽っている事に、彼女はまだ気が付いていない。
ジークは廊下に転がったガラティンを一瞥し、横目で尻餅を付いているベールに目をやる。
「ひぃっ……!」
「今の内に、あの金髪の女の所まで走れ」
「いっ、嫌よ! 私を殺すつもりでしょうっ!?」
予想はしていたが、ベールはかなり興奮している。
怒りと底知れぬ怯えが彼女の正確な判断力を奪っていた。
「出来る事ならな。だが、俺はお前を殺せない」
「それって、私が『竜』じゃないから?」
「違う。お前を裁くのは、この国だからだ」
予想を通り越した答えに、ベールは呆けたように目を丸くした。
「あは。……あはははは、何よそれ」
そして拍子抜けだとばかりに、ケタケタと笑う。
「大々的に処刑でもするつもり?」
幾分か熱は冷めたようだが、半分は自棄になっていた。
「逆だな。そんな事を国の奴等は望んでいない」
「は?」
「一月も街を調査していれば、国民が今のこの国をどう思っているか嫌でも耳に入ってくるんだよ。口にするのは決まってお前の事だ」
ベールの笑い声がピタリと止み、虚ろだった目が、ハッキリとジークを見た。
「専属騎士達の休暇だったり、中々申請が通らない橋の修復だったり。今は竜の影響で立ち入り禁止になっちまったが、あの公園もお前が整備していたんだろ?」
「止めて……」
「お前がどれだけの努力を重ねているのか、どれだけの事をしてくれているのか。街の人間は王女ではないお前自身を、最初からちゃんと見ていたんだ」
俯き、ベールは思い出の中に浸る。
「止めてよ……!」
あの日々を思い出す。
一気に、それは空っぽの所へと流れ込んできた。
重ねたモノは多過ぎて、大き過ぎて。
確かな温もりがあった。
そして気が付けば、温かな思い出は大粒の涙となり溢れていく。
ハッとした。
もう自分の心は人で無くなり、『竜』のような残虐な化け物に変わっていると思っていたからだ。
だが、それは違うと感じる事が出来たのは皮肉にも、自らを縛り付けていた筈の人達の、煩わしかった筈の敬慕の思いであった。
「お前がずっと一人で背負ってきたモノは、きっと国を潰すくらいじゃあ捨て切れないんだよ」
ジークは右手を差し出し、傷だらけの元王女に立ち上がるよう促した。
「コッチに来い。お前にはまだ、国の奴等への償いとそれを行う責任がある。このまま終わりになんてさせねぇよ」
ジークは嘘を付くのが苦手だ。
それを自分で自覚出来ていない分、質が悪かった。
しかしだからこそ、相手に届く。
心の奥底にまで染み入るのは、結局の所真実の想いだけなのだから。
たっぷりの沈黙の後、ベールは涙ながら穏やかな笑みを浮かべて立ち上がる。
「厳しいわね……本当。貴方、お父様以上よ」
自身を少しだけ取り戻せたと思った時、ベールの足は自然と前に動いていた。
「本当は、私……分かって……」
長い回り道。
ようやく、本当の意味で新しい自分と向かい合う事が出来る。
「お母様の、事も……全部……」
期待と不安、溢れ落ちる涙を抱えて彼女は進む。
だが。
「ジークッ! 避けて!」
金髪の少女の叫びが、薄れかけていたジークの警戒網を再び強固な物にした。
足元に忍び寄った凶悪な気配。
目で確認するよりも速く、ジークはバックステップを踏む。
「おや、惜しい」
空振りした右腕を何度か握った後、うつ伏せに倒れていたガラティンは先ず帽子を被った。それから音も無く立ち上がる。
吹っ飛ばしたハズの右腕と下顎は復活しており、ご丁寧に服も修復されていた。
その姿を見たジークは、動揺を押し殺して身構える。
この緊張は恐らく彼にしか感じないだろう。
ジークはガラティンを攻撃する際、高速治癒力を警戒して魔剣『アスカロン』の能力を使用していたのだ。
つまり今、ガラティンの回復能力は魔剣の能力解除を行わない限り、封印されているハズなのである。
予想される原因は恐らくこの3つ。
1つ、ガラティンの回復力が魔剣の能力の範疇を大きく越えている。
2つ、能力【ブレス】による修復。
3つ、魔剣の能力に抵抗力を持っている。
ガラティンから目を離さずに、ジークは考える。
服も復活している事から2つ目である可能性が濃厚だが、それは自らの願望でもある。
1つ目、3つ目を兼ね備えていた場合が非常に厄介だ。
「成る程ね、ジークか」
ガラティンは床に落ちていた鞄を拾い上げ、開いた。
中に右手を入れて探り、一枚の書類を取り出した。今度はそこに書かれている情報に視線を走らせる。
「間近で見るのは初めてだな、ドラゴンキラー君。金髪の女の子ばかりに目が行っていて、気が付かなかったよ。君のお陰で、仕事に多少の被害を受けた」
ガラティンは書類から指を離し、床に落下させる。
そして、不気味な笑みを浮かべた。
「でもまあ、それはもういいんだ」
余裕であるのか、敵を前にして鞄をきっちりと閉じる。
「君はさっき、あそこの金髪の女の子の一声で私の手を全力で避けた。彼女から聞いて知っていたワケだ、私の能力を」
「それがどうした」
「あの子、教会の信者だろう? ドラゴンキラーの君が、よくもまあ信じたと思ってね。信じていなければあの避け方は出来ない」
「何が言いたい?」
感触を確めるように魔剣の柄を握り直し、ジークが質問する。
伝わる冷たい金属の温度が鼓動を落ち着かせた。
「なぁ~に、提案さ。この手に触れるとどうなるのか、実際に見てみたくはないか?」
「上等だ。掛かって来な」
死を帯びた眼前の狂気に更なる威圧を放ち、ジークは重心低く身構える。
「それじゃあ、遠慮無くやらせて貰うよ」
その言葉を置き去りにしてガラティンの姿が消えたかと思えば、背後に現れた。
ただし、ジークではなくベールの背後に。
「え……?」
ベールが呆気に取られる。
20メートル程離れていた彼女の後ろへ、鞄を持ったまま一瞬にして移動。
「コッチをね」
そして、薄ら笑みと共に右手が下ろされる。
「止めろおおっ!!」
ジークが叫ぶ。
駆け出すには、余りに遅すぎた。
ガラティンの右手はベールの左肩を軽く叩く。
と、鮮やかな紫電がベールを中心に渦を巻き、その美しさに反して激痛と共に身体を蝕む。
その衝撃で髪と服は大きく乱れ、声にならない悲鳴が漏れた。
それが収縮し、ベールの身体から白煙が立ち昇ると。
「あ……は……!」
始まってしまう。
痙攣する彼女の身体から突如としてドス黒い霧のような物質が吹き出し、瞬く間に全身が包まれる。
そして、まるで卵のような形状となった。
「と、このようになるんだ。貴重なものが見れただろう?」
出来上がったばかりの黒い卵をコンコンとノックしながら、ガラティンは悦に入る。
「何でベールを狙った……!」
ギリギリの所で冷静さを保ちつつも、密度を増した威圧に内包された憤怒の炎は、ジークの理性を容易に焦がした。
魔剣の柄が軋み、空気が緊迫する。
「そう怒らないで欲しいな。狂った王女様は新しい自分を求めていただろう? これでようやく生まれ変わる事が出来たんだ」
黒い卵の表面に縦の短い亀裂が生じる。
「何も考えず、ただ本能のままに行動する別の存在にね」
卵の中の生物が動いた。
少しづつ殻が崩れ落ちていく。
剥がれた殻は暫くすると黒煙となって消えてしまい、その痕跡を残さない。
「君達も知っていると思うけど、氣【ロー】は万物を構成している素粒子状のエネルギー体だ。全てが平等に宿している。私の能力【ブレス】はね、人体構成における氣【ロー】の外殻構造その物に影響を与えて創り変える事が出来るんだ」
ポッカリと開いた卵の穴から、爬虫類の如き細長い灰色の腕が四本飛び出す。
先端部は三角形に配置された鉤爪が三つ。
「簡単に言うと設計図の上書きさ。人が人の形状を維持出来ているのは、氣【ロー】が人間の性質に見合った配列で構成されているからだ。もし、その性質が変化したならば、肉体はその氣【ロー】の性質が宿るべきモノに変化する。それは本質的な境目でありながら、未だに的を得ない答えでもある」
四本の腕は卵の殻を内側から押し広げるように破壊した。
内部の暗闇から低い唸り声がジワリと迫って来る。
「しかし私はそこに、興味と幸福への可能性を期待する」
硬い殻を破って外の世界に生まれ落ちたのは、かつて王女であった怪物。
弓なりに曲がった灰色の身体、四本の腕。
大きく裂けた口と、その上に十字に並ぶ四つの眼球。
「さぁ、後は君の仕事だよジーク君。この国が辿った愚かな結末に、君が終止符を打つんだ」
かつてベールであった怪物は、殺意を露にジークへと襲い掛かる。
四本の長い腕から繰り出される鉤爪が、悔しさを噛み締めたまま立ち尽くすジークへ迫る。
背負った宿命の重さに耐えきれず、心が壊れてしまった哀れな王女。
しかし、再び自分の運命と向き合う覚悟を決めて本当の自分を取り戻した王女。
変わろうと、やり直そうと一歩を踏み出した所だったのだ。
それなのに今、彼女は怪物となって飛び掛かって来ている。
救えなかった。
王女としての彼女も。
ベールとしての彼女も。
その人の上に重ねられた想い出や生活を、あと何度討ち壊せば終わりが来るのだろう。
変える事が出来るのだろう。
「ベール……」
全てを受け入れるが如く、ジークは静かに目を閉じた。
それは構えを捨てた緩かな脱力に見える。
威圧も殺気も何も無い。
大方、情に縛られ剣が鈍ったのだろう。
と、甘い考えを抱いていたガラティンだったが。
「すまない……!」
呟き、ジークが再び目を開いた時には、怪物となったベールの肉体は粉微塵となって宙に舞う。
城内に血肉の雨が降った。
瞬速の剣撃が、抵抗する機会を与えず怪物を粉砕したのだ。
「ふはっ!」
体勢低く剣を突き出した構えのままのジークを見て、ガラティンは玩具を与えられた子供のように歓喜した。
「なぁ~んだ、結局殺すんじゃないか。でもまあ、おめでとう。これで君は『竜』からこの国を救ったワケだ。私の負けだよ~」
ガラティンは両手を上げ、さも降参の意志があるようにしてみせた。
「負けた、だと?」
魔剣に付いた血を振って払い、ジークは一歩踏み込んだ。
途端に、威圧と殺気が復活する。
それも、より強大なモノとなって。
その圧で帽子が飛ばされないよう手で押さえ付けながら、ガラティンは言葉を返す。
「君はここに『竜』の討伐に来た。そして見事に任務を遂行した。黒幕であった王女も討ち取った。本来の目的を果たしたんだ。これ以上の勝利は無いだろ。私も撤退する」
「……撤退? 随分と可笑しな事を言うんだな」
ジークは更に数歩、前に進んだ。
ガラティンは「ははっ」と爽やかに笑った。
「何も可笑しな事はないさ。私はね、別に勝利者になりたい分けではないのだよ。私にとって大事なのは、それが興味を引かれる結果である事さ。興味が生まれない勝利など、敗北より価値の無い結果さ」
後退しつつ、ガラティンは金髪の少女の動きにも注意を払っているようだ。
いや寧ろ、少女の方を優先的に警戒している感じだ。
ジークにとっては好都合だが。
「そうか、俺には分からねぇな。だからシンプルに考える事にする」
乾いた大地に水が染み込むようにジワリと、ジークは両足に力を込めた。
両眼は極めて鋭く目標を射る。
「お前はまだ、負けちゃいないだろ」
床を蹴り付けて前方へ急加速。
その場からジークの姿が消えた。
遅れて、床が砕け粉塵が吹き荒れる。
「お前にとっての敗北は死だからだ」
突きの体勢のまま敵の真正面から強襲する。
白銀の剣撃が閃光となって繰り出された。
「おいおい」
その高速の突きを、ガラティンは左手一本で軽く後方へ去なす。
剣の腹に拳を当てがい絶妙な力とコントロールで制している。
剣は大気を穿った。
ガラティンは素早く右手をジークの背中に忍ばせる。
「分からないかねぇ。見逃してやるって言っているのが」
ガラティンの右手が背中に触れようとした時、ジークは突きで崩れた体勢を左足で踏み堪えた。
そして瞬時に魔剣を逆手に持ち替え、自身の背と敵の右手との間に水平に滑り込ませる。
右手を剣の腹で受け止めた。
刹那、ジークの身体が更に一段沈む。
続け様に左足で床を踏み付けたままガラティンに背を向ける格好で高速旋回。
右脚が円を描くように横薙ぎに足払いを掛けた。
ガラティンを宙に吹っ飛ばす。
(コイツ……!)
舌打ちするガラティンだが、片手を床に着き後転から着地した。
それでいい、とジークはガラティンを視界の端に捕捉する。
足払いの勢いを殺さずに回転を続け、ガラティンと向かい合う位置で静止。
素早く剣を逆手から持ち替えた。
間髪入れず斜め下から、今度は頭を吹っ飛ばすように顔面へ剣撃を見舞う。
着地後の立ち上がりで回避も難しい。
確実に入る。
しかしその期待を裏切るように、魔剣の切っ先は金属の刃に阻まれた。
「何っ……!?」
驚愕に値する事実に目を見開くジーク。
ガラティンの右手に握られていたのは一振りの剣。
何も無い空間に突如として出現したその片手剣を、ガラティンは真下に向ける格好で構えてジークの突きを止めていた。
鈴のように響いた金属の共鳴音が止んだ途端に、ガラティンは手首を返してジークの頭上へ刃を振り落とす。
ジークは咄嗟に右へ転がって素早く立ち上がり、左横から迫った首刈りの追撃を魔剣で受けて弾く。
そして真正面から心臓を狙って既に繰り出されていた別の剣撃の刺突を、ジークはギリギリで捌いた。
ガラティンの左手には細身の片手剣。
また武器を出現させている。
死角からの一撃だった為、いつ出現させたかは不明だが。
「おや、今のをよく凌いだね」
短い台詞を挟みながらも、ガラティンは手を休めない。
双剣による左右二択からの怒濤の斬撃がジークを襲う。
速く、正確に急所を狙ってくる刃。
(コイツの能力……!)
上下左右からの剣撃と刺突を魔剣で捌き、後退しつつ躱していく。
常人離れした反応速度と身体能力が、ジークの生命を首の皮一枚の所で繋ぎ止めていた。
「傭兵ギルド所属の動きじゃあないね」
身体の回転を織り混ぜて剣戟に速さと重さを加え始めたガラティンが、合わせて分析も始めた。
大気を斬る刃の残音により厚みが増す。
「軍本部直属のドラゴンキラーにも十分匹敵する強さだよ、ジーク君」
そんな賛辞の言葉を浴びせてから、ガラティンは一段速い横薙ぎで首筋を狙う。
遅れる事なく、ジークは魔剣で捌いた。
剣は魔剣の刃の上を滑っていき、真横へと流れた。
だが、振り抜いた格好になったガラティンの口元がニィッと吊り上がる。
右手の剣を器用に逆手に持ち替え、踏み込みと同時に剣筋を切り返す。
受け流した刃が同じ軌道で戻ってきた。
「っ!」
絶句するジークだが、その驚異的な動体視力は刃の切っ先を正確に捉えていた。
首の肉を削がれる寸前の所で身を反らす。
剣はジークの残像を斬った。
それでも、刃が掠めた左頬からは鮮血が散る。
(野郎……!)
術無く防戦一方に陥った戦況を打開するべく後方へ跳躍。
適度な距離を取り魔剣を構え直す。
傷を走る痛みは、逆に肉体の感覚を研ぎ澄ませていた。
振れる事の無い低い突きの姿勢を取る。
そこから一足。
再び死地に踏み込んだ。
どれだけの斬撃を展開させようと、両手の剣ごと敵の身体を跡形も無く破壊する。
それだけの威力を込めるつもりで。
至近距離から放つ。
しかし、その渾身の一撃が届き切る前に、ジークは選択を誤った事を悟った。
対峙するガラティンは不敵な笑みを浮かべたまま、繰り出すかと思われた両手の剣を宙に放り投げていたのである。
剣撃に巻き込まれないよう、両手を頭上付近に挙げて。
完全に武装も防御も解除した状態で待ち構えていたのだ。
魔剣がガラ空きの胴体を貫き、大穴を開けて破壊した。
ガラティンの口から盛大に血が吐き出されたが、直ぐに収まる。
破壊した胴体も服ごと再生が始まり瞬時に修復された。
ただし、魔剣が突き刺さった状態で。
剣は固定され微動だにしない。
そこへ。
「君は本質を見誤った」
空いていた両の手が下ろされる。
ガラティンの能力【ブレス】は人間を竜化させる力。
それが本来のアドバンテージであり、警戒するべき所である。
まともに闘えば勝負にすらならない無敵さがあるからこそ、強さを隠す事が必勝法であるとガラティンは確信していた。
ガラティンの手はジークの両肩を掴む。
一呼吸の間を置き、ジークを中心に猛々しく迸る紫電。
「ぐ……あ……!」
まるで身体の内部から破壊されていくような感覚と痛みに、視界が霞む。
「ジークッ!」
少女の声が遥か彼方に聞こえた。
意識が遠退き、闇を連れて来る。
暗く、深い。
光と音の無い黒の訪れ。
目の前が塗り潰される。
気色の悪い色だ。
- 初めまして、だな。早速だが、お前の父親を紹介しよう -
何処か懐かしい、しかし耳障りな男の声が頭の中に反響した。
虫酸が走る。
- お前は緋の遺産【ルベル・へレディウム】の最高傑作、計画にとって貴重な素材だ。期待しているぞ -
そして完全なる闇が訪れた。
無重力へ陥るように身体の全ての感覚が急速に失われていく。
最悪だ。
ガラティンはジークの両肩から手を離し、落下してきた剣を左右の手でそれぞれ受け止めた。
後退して胴体の魔剣をズルリと引き抜くと、傷口を修復する。
「少々筋書きが変わってしまったが、まあ良しとしよう」
間もなく始まる変異に、好奇心が高まる。
一方の全身から白煙を上げたジークの肉体は、脱け殻のようにその場に立ち尽くす。
「君にこの国を滅ぼしてもらおうか。途中で上級竜【スパイアス】になったら、君はどんな表情をするのかな。くくっ」
- 生き残れ……! そして、世界を……変えてくれ -
ジークの指が、ピクリと動いた。
瞬間。
ガラティンの左側頭部に高速の上段蹴りが炸裂する。
蹴りを受けた顔の半分が衝撃で大きく歪んだ。
これは、油断が生んだ隙である。
両手が剣を手放した。
「な……っ!?」
呻くように驚嘆の声を絞り出すガラティン。
反撃が出来る筈が無いのだ。
確実に氣【ロー】の配置構造は書き換えた。
普通は直ぐに竜化が始まる頃合いだというのに。
倒れそうな身体を両足で持ちこたえ、ガラティンは歯噛みしつつ片目でジークの姿を追う。
既に正面にはいない。
視線を少し持ち上げると、滞空していたジークの回し蹴りを顔面に浴びる。
後方へ蹌踉けた所へ、更に半身捻った追撃の回し蹴り。
ジークの身体は未だ宙にある。
そこから床と平行に高速旋回。
遠心力と全身の筋肉を使い、ガラティンの頭上へ高威力の蹴りを亜音速で叩き込む。
「が……ふ……!?」
轟音。
床に激突し、それでもなお横へ弾き飛び、進行方向にあった壁を背中で突き破る。
休憩室と思われる部屋の内部に転がり出た後、左右均等に配置された椅子と硝子製の丸テーブルの中央に頭から突っ込んだ。
けたたましい音と共に吹き上がる硝子の破片。
反撃を受けてブッ飛ばされたという事実を、ガラティンは血みどろになりながらも信じられずにいた。
「何……だ……!? 君は……!?」
肉体の再生が始まる。
折れていた首と両腕が元に戻り、破片で切れた傷が瞬く間に修復されていく。
帽子を失った黒い髪が、廊下から壁の大穴を通って吹いてくる風に揺れる。
「何者だ……?」
驚愕と期待が入り交じった表情で立ち上がり、身構える。
壁の穴の向こう側、粉塵の中に立つ蒼い髪の青年へ。
「ドラゴンキラーだよ」
魔剣を構えジークは突きの姿勢をとる。
額、全身の至る所から流血。
激しい息切れ。
紫電によるダメージも残り、満身創痍の死に体に見える。
だが、瞳の奥に宿る闘気の炎は消えていない。
純度を増して燃え上がる。
「う~ん。上級竜【スパイアス】というワケではなさそうだね。私の力は人間にしか効果が無いから、ダメージを受けたという事は、君は人間だ」
突き出すように伸ばして構えていた右手の指を動かして鳴らし、ガラティンはジークを観察する。
「だが、竜化しないのはおかしな話だ。有り得ない」
「ゴチャゴチャうるせぇよ」
息を整えたジークが臨戦体勢になる。
「お前の力が、大した事なかっただけだろ」
安い挑発だ。
しかし、今の自分自身を冷静に保つ為には最適な言葉でもあった。
ベールの変異を目の当たりにし、ガラティンの能力【ブレス】の力を疑いようのない驚異として感じていたからだ。
何故自分が竜化しないのか追及したいのはジークも同じである。
が、今は後回しでいい。
「俺はまだ闘えるぞ……!」
目の前の敵を片付ける。
金髪の少女が言ったように、ここでガラティンを倒さなければ多くの人間が死ぬ事になるだろう。
「相手に、なってやる……!」
そして終わりの無い悪夢を繰り返すのだろう。
「逃がさ……ねぇ……よ……」
だが、限界は突然訪れた。
ジークの手から魔剣が滑り落ち、床に音を立てた。
次いで、ジークの身体が前方に倒れ込む。
「おや」
ガラティンは「くくっ」と短く笑い、好機とばかりにジークへと歩み寄る。
「駄目っ!」
何をするのか容易に想像が着いた少女が駆け出した。
ガラティンは余裕からなのか急ぐ気配がまるで無く、普通なら有り得ないが、少女はガラティンよりも速くジークの傍らに駆け付ける事が出来た。
少女が目の前に現れてもガラティンの歩みは止まらず、見下ろす形で二人の直ぐ傍までやって来る。
そして右手を下ろすと、少女が睨みを効かせる中、悠々と床に落ちていた帽子を拾い上げた。
「殺しはしないさ」
言いつつ、帽子に付いていた埃を払い、深く被る。
少女には目もくれず今度は鞄を拾い、襟元を整えた。
「けど、正直驚いたよ。恐怖すらあったと断言してもいい。間違いなく、ここで殺しておくべき存在だろう」
倒れ伏したジークを一瞥し、威嚇する少女へと視線を向ける。
「しかし今回、君達にとって幸いであった事は、私の興味を引くに値する存在であった事だ。今は殺さない、この場は見逃してあげよう」
そう言って踵を返すガラティン。
「ふざけているの?」
金髪の少女が右手の爪を変異させる。
今にも飛び掛かりそうな勢いだ。
「それは君の方だろ。攻撃する気が無いくせに、自分の面目を立てようと一応の姿勢を取り繕っている」
「っ!?」
少女の表情が驚愕と恐怖を孕む。
悪寒が走った。
「だって君、死のうと思って死ねなかっただろう?」
首だけ振り返ったガラティンは、薄ら笑いを浮かべていた。
「君自身に覚悟が無い、まるで命令に従うだけの人形だ。哀れだな、生け贄【ヘレディウム】は」
「……っ」
的確に抉っている。
気持ちと狙いの全てを見透かされたようで、奮い立たせていた心が終息して行くのを感じた。
精神が挫ければ、自ずと肉体の力も抜け出てしまう。
右手の変異が元に戻る。
少女は頭を垂らし、今頃になって震え出した自らの身体を強く抱いた。
教会の命令に従っていれば、死。
より強く生を感じた事で己の本当の気持ちを知ってしまった。
恐怖に晒された肉体は意思と関係無く、ただ震えるだけだ。
ガラティンは短く鼻を鳴らし、前を向いて歩き出す。
「では、私はこれで失礼するよ。ジーク君の手当てを宜しく~」
後は適当に手を振り、ガラティンはその場を去って行った。
少女は悟る。
屈辱的な敗北だという事を。
◆ ◆ ◆
『……そう、取り敢えずお疲れ様ねジーク』
受話器から聞こえたカノンの声は、溜め息混じりだった。
意識を手放す直前までに起こった出来事を可能な限り細かく伝え終えたジークだが、右手を三角巾で吊っていた。
頬にはガーゼ。
額も含め、全身至る所に包帯が巻かれている。
肋骨の何本かにはヒビが入っていた。
ガラティンとの死闘の後、駆け付けたアリン達専属騎士によって金髪の少女と共に保護されたジークは、負傷した他の兵士と同様に全壊を免れた複数の宿の内の1つに担ぎ込まれた。
目が覚めたのは手当てを受けてから約18時間後の事である。
時刻は朝の8時半。
目が覚めて早々に、近くにいたアリンを伴い、宿の電話を使って一報を入れたのだ。
街の状況や、ジークが眠っている間に起きた出来事を補完するのにアリンの同伴は都合が良かった。
本当はガラティンに関する詳しい話も金髪の少女から聞いて伝えておきたい所ではあったが、姿が見当たらなかった。
アリンの話によると、ジークが目覚める少し前に何処かへ出掛けて行ったらしい。
ジークの手当てや看病は彼女がほぼ一人で行い、ずっと付き添っていてくれたようなのだが。
手厚い看護だったのか、不思議と体は違和感無く動いた。
『身体の具合はどう?』
「問題無い。だが……」
続けようとして、ジークは言葉を詰まらせる。
人間を強制的に竜化させる力。
その脅威に晒されながらも変異する事の無かった自分を、カノンはどう思うだろうか。
これは唯一カノンに報告していない事だった。
伝えるべきか否か、躊躇いが不自然な間を生む。
『どうかしたの?』
「いや、別に」
伝えるのは金髪の少女からガラティンの情報を引き出した後でもいい。
喉元まで出掛かった言葉をそう理由付けて保留とし、少々無理矢理ではあったが自分を納得させた。
『なら良いけど』
本当に怪我の程度が知りたいだけであったらしく、それ以上の追求は無かった。
胸を撫で下ろしたのはジークも一緒だ。
『街の様子はどう?』
次にそう聞かれ、ジークは電話を持ったまま反転して壁にうつかった。
「かなり混乱しているな」
目の前を専属騎士や看護師達がバタバタと往復している様を見て、ジークは一言そう言った。
次々に運び込まれる怪我人の治療と対応に追われる看護師と医者。
宿のベッドだけでは足りないので廊下とロビーのほぼ全体にまで怪我人を寝かせて治療しているのだ。
「食料は何とかなりそうだが、治療薬が底を付きかけてる。街の復旧にはかなり時間が掛かりそうだ」
『そう。ジーク、言っておくけど……』
「分かっている。俺の仕事はここまでだろ」
隣にいるアリンが、少し寂しそうな顔をした。
『ならいいわ。詳しい話は戻ってから聞かせて。国の事なら心配ないわよ、アタシの方で……』
「ん? ちょっと待て、外が妙に騒がしい」
ジークは一度電話を遠ざけ、壁にうつかったままの状態でチラリと窓から外の大通りの様子を伺った。
専属騎士達が顔を見合わせて通りの真ん中で慌てており、その周りを野次馬が取り囲んでいるようだ。
皆、東門の方を時折指差しながら見ていた。
「何だ?」
「様子を見て来るわ」
そう言って、アリンが外に駆け出して行った。
頼んだぞと一言添えて、ジークは電話に戻った。
「悪いな、何でも無い。それで、何か言いかけたか?」
『もう大丈夫よ。そっちに到着したようだから。ほぼ予想通りの時間ね』
「到着?」
『そっちを騒がせているのは、アタシの方で呼んでおいた軍よ』
ジークの両眼が鋭く細められる。
「どういう事だ……!」
出来るだけ冷静を装い、カノンに尋ねた。
『王族を失ったこの国は、今後軍によって統治される。今は強力な後ろ楯が必要なのよ』
「そんな事は分かっている。俺が言っているのは、お前が俺の報告を聞く前からその措置を取っていたって事だ」
『ある程度予想出来たからね』
「王族がいなくなる事が前提の措置だろ!? ベールが死ぬ事も予想出来たっていうのか! アイツは戻って来ようとしたんだぞ!?」
『仮にアンタが王女を守り抜けたとしても、軍は徹底的にこの国に起きた事実を調べ上げるわ。そうすれば、王女の犯した罪は明らかとなり、それ相応の裁きを受ける事になる。同じ事よ』
「だが……!」
『アンタの安っぽい感情で、正義を捻じ曲げないで』
カノンの容赦ない言葉が突き刺さる。
無意識の内に口を開こうとしたジークだが、ここは言葉を呑み込み言い堪えた。
長く息を吐き出し、気持ちを落ち着かせる。
「『竜』を殺して人を守る。俺達が掲げられる正義はそれだけだ」
目の前にカノンがいるような気持ちで、ジークは真剣な自分の想いを訴える。
「解り合えるなら、助けられる可能性があるなら、俺は誰にでも手を差し出すぞ。今までそうだったように、これからもだ」
そう言うと、電話の向こうから「うう~」と悔しがるような唸り声が聞こえた。
先程の口調からは想像もつかない程、可愛らしく拗ねた声色である。
『ず、ずるいわよ……。それを持ち出すだなんて』
「は?」
『な、何でも無いわよ! もういいから、怪我を治してからさっさと帰ってきなさい! バカッ!』
「お、おい!」
机の上に受話器を放り投げたのだろか、ノイズが走る。
「いいから、代わって! アタシの命令だけアイツに……。そう、1つだけ。アンタが言って。……紙に書け? ああもう、分かったわよ」
と、いう声が雑音と共に遠くで聞こえる。
軽く揉めているようだ。
『もしもし、お電話を代わりましたジークさん。ルーシーです』
暫くすると別の女性の声が聞こえた。
滑舌良く、澄んでいて聞き取りやすい声色だ。
『本来はギルド長が伝えるべき用件なのですが、カノン様は先程良い意味で精神的な打撃をジークさんから受け、呂律が回らない程に高揚し、現在ソファで絶賛死亡中です。したがってカノン様からの用件は、僭越ながら私の方から御伝え致します』
「どういう状況なのかよく分からないが、頼む。まあそれに、聞いていて楽なのは正直お前の声だしな」
『はぅ……!』
「ん?」
ルーシーらしからぬ仔犬のような声が聞こえた気がして、ジークは耳を澄ませた。
呼吸を整える荒い息遣いが遠くの方で聞こえた後、暫しの間を置いて「コホン」と咳払いが入る。
『ジークさん、貴方は天才ですか? 危うく私も行動不能に陥る所でした』
「……何だって?」
『ですが生憎と私はカノン様にお仕えする身、主からの命令を随行してこその従者です。例え私の精神が危機的状況に置かれ萌え死のうと、可能性が残っている限り任務は続行致します』
「……うん。そ、そうか。宜しく頼む」
本の読み過ぎでおかしくなったのか、とは言わず、疑問は残るがジークは軽く流した。
「それで、カノンの奴は何だって?」
『簡略化致しますと、極単純な指示です』
「指示?」
『はい。軍が国に対して行う全ての処置を、寛容な心で黙視しろ、です』
「それくらい分かってるよ。下手に口出しすると、ギルドの立場が悪くなるんだろ? だいたい、俺の事を……」
電話口が聞き上手なルーシーである事をいい事に愚痴を言おうとしたジーク。
しかし。
『ジークさんもご存じかと思いますが』
普段なら絶対に有り得ないが、ルーシーが強めの口調でピシャリとそれを遮った。
『世界大陸は10の地方に分かれており、その内、教会地区を除いた9つの地方は軍上層部直属、九聖剣と称される9人の最強のドラゴンキラー達の手によってそれぞれ守護されています』
何か、彼女なりに話しておきたい事があるらしい。
ジークは話題を合わせる。
「だが現在、俺がいる『ヴェスタ』のドラゴンキラーの席は空白になっている。だから傭兵ギルドへ王国からも依頼が来るんだよな」
『はい。ですが、空席がある場合に限り、隣接する地方を守護するドラゴンキラーに代行として調査権が与えられます』
「何? おい、まさか……」
「ジーク! 大変よ!」
ルーシーとの会話の途中で、アリンが血相を変えて飛んできた。
『ジークさん? 若い女性の声が聞こえたのですが?』
「補佐官だよ。外の様子を見に行って……」
「今、外に軍が!」
「知ってる、今聞いた所だ。少し落ち着けよアリン」
『成る程、アリンさんですか。一月も一緒にいた事もあって、さぞかし仲睦まじい間柄なのでしょうね』
両側から雪崩の如く押し寄せる女性の圧力に、流石のジークもゲッソリした。
と、その時。
それは不意に起こった。
渡りに船、と呼ぶには余りに不釣り合いな、ルーシーとアリンが同時に口を塞ぐ事態となる出来事が。
爆音である。
「っ!? 今のは……」
窓越しに大通りを見るが、それらしい形跡は無い。
見えたのはパニックになった人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている姿ぐらいだ。
『話が途中でしたね。ジークさん、御理解頂けたでしょうか。騒ぎの主はセレス、ヴェスタ地方を支配下に置く九聖剣の一人。クレマーティ=ウォールナトです』
「やはりな。軍本部直属のドラゴンキラーか……!」
『ジークさん。くれぐれも』
「分かっている。手も口も出さねぇよ。また連絡する」
『はい、お待ちしております。それと、傷の事もありますし、帰還前に国で療養されてはいかがでしょう。3日ほど』
「? じゃあな」
若干早口になりつつ、ジークは電話を壁に戻した。
そして、側にいるアリンに視線を送りながら然り気無く彼女を伴って歩き出す。
「何があった?」
宿の入口の扉を開き、逃げる人々の波に逆らって二人は歩く。
「私にもよく分からないの。馬車から貴族のような格好の人が降りて来て、暫く辺りを見回ったと思ったら……」
「思ったら?」
「い、いきなり剣を抜いて。そしたら、城が燃え上がったの」
二人は大通りの方角へ曲がった。
積み上げられた瓦礫の山を駆け上がる。
すると丁度、真っ正面に城が見える位置に降りる事が出来た。
そこには数人の専属騎士達が一点を見つめて茫然と立ち尽くしていた。
ジークとアリンもその輪に加わる。
二人は低く唸った。
金の装飾を贅沢にあしらった馬車が5台、道を塞ぐように水平に停められていたその先。
距離にして800メートル程の所で。
黒煙を吐き出す城は炎に包まれていた。
それは意思を持った巨大な生物の如く、全てを喰らい尽くす紅蓮の業火だ。
城門すら圧倒的な熱で塵に成るまで破壊している。
「その、剣を抜いた男は何処にいる?」
ジークがアリンに訪ねた。
彼女は恐る恐る指を指す。
細いその指は特別派手な馬車の方を向いている。
いや、正確には馬車から少しはみ出して見える黒塗りの立派な椅子の方をだ。
ジークは数歩左に歩き、椅子が視認出来る角度に移動する。
移動してみて分かったが、椅子の近くには小さなテーブルもあった。
ティーセットとスイーツの盛り合わせが乗っている。
と、目当ての人物の確認も出来た。
両足を組んだ状態で椅子に深く腰掛け、紅茶を啜っている小太りの中年の男。
絵画でも眺めるように城が燃え上がるのを観賞している。
「アイツが……」
クレマーティ=ウォールナト。
九聖剣、本部直属の最強のドラゴンキラーの一角。
受けた印象は『気に入らない』の一言で片が付いた。
戦士と称するには疑問が浮上する程に蓄えられた脂肪。
無駄に豪華な服や馬車、装飾品の数々。
燃やした城を眺めながらのティータイム。
「そんな……。どうして」
アリンではない専属騎士の誰かが呟いた。
護るべき物の象徴とも言える建造物を破壊されたのだ。
専属騎士達の喪失感と精神的な打撃は大きい。
しかし、クレマーティは太々しい態度で椅子に座ったまま、専属騎士達を歯牙にも掛けていない様子だ。
「アリン、城には誰かいたか?」
ジークがそう尋ねると、他の専属騎士の男が茫然としたまま青い顔で口を開いた。
「今朝から、調査の為に6人の専属騎士が中に」
「嘘でしょ……!?」
素っ頓狂な声を上げたアリンが、クレマーティ目掛けて駆け出した。
ジークが、やれやれと面倒臭そうに頭を掻きながら後を追って歩く。
先程ルーシーから言われた事。
あらゆる事を黙認しろと言っていた意味を今、正しく理解した。
城を焼いている炎は確実に、クレマーティの所有する竜呪の宝具【ルーン・マディスティ】の能力だろう。
だから本体であるクレマーティを止めようとするアリンの行動は正しい。
実際、一番手っ取り早い。
が、揉め事になるのは目に見えている。
早速アリンが、ボディーガードと思わしき屈強な男二人に捕まったのが見えた。
「火を消して! まだ仲間が中にいるのよ!」
大声を上げ、両側から掴まれた腕を振りほどこうと暴れるアリン。
「騒がしいですね。何事です?」
するとここでようやく目当ての人物が振り返る。
顔をしかめたクレマーティだ。
だが騒ぎ立てているのが若い女性の専属騎士だと分かると、ティーカップを簡易テーブルに戻し、二重になっている立派な顎を擦ってアリンを高慢な態度で眺めた。
「ふぅむ……」
見るからに重そうな身体で椅子から立ち上がると、苛立つ程の緩慢な動きで簡易テーブルを迂回し始める。
その間に歩いて来たジークがアリンに追い付き、喚く彼女のやや後ろへと付けたのだが、クレマーティは眼中に無いのかアリンだけを見据えていた。
隙だらけなのは、ワザとやっているのだろか。
そして数秒後。
「胸は貧相ですが、顔立ちは中々ですね。給仕ぐらいにはなりますか」
アリンの目の前にやって来るなり、クレマーティがそんな台詞を呟いたのが聞こえた。
まあ、特には言い返さない。
嫌な予感はするが。
「離してやりなさい」
二人の男へそう指示を出すクレマーティ。
自由になったアリンがクレマーティへ飛び掛かるのを、ジークが襟首を掴んで止めた。
「ぐぇ」
「落ち着け」
ジークはアリンを後方を押しやると、彼女と交代するように前に出た。
額に眉を寄せたクレマーティと対峙する。
「貴方は?」
「傭兵ギルド所属のドラゴンキラーだ」
「ほぉ……」
「城に仲間がいる。炎を今すぐ解除して欲しい」
ジークは察し易いように、クレマーティの腰に装備されている細身の剣へ目を向けた。
「その剣の能力【ブレス】だろう?」
アリンとは対照的に冷静な口調でジークは話す。
するとクレマーティは短く鼻で笑った後。
「ああ、これは失礼をしました。部下の報告で死体だらけだと伺ったもので。手間を省く為につい」
ニィと笑みを浮かべ、クレマーティは男に椅子を運ばせた。
そしてジークとアリンに背を向けて堂々と着席。
ついでにテーブルも運ばせ、マカロンを1つ頬張った。
「お仲間には申し訳ありませんでしたね」
そう言った後、クレマーティは今度はここを拠点に再び観賞を始めた。
「え!? ちょっと……!」
「少し意見の解釈に食い違いがあるかな」
アリンを片腕で止め、ジークが口を挟んだ。
「謝罪は望んじゃいない。俺達の用件はたったの1つだ。今直ぐに炎を解除してくれ、後の処理は俺達が全て担う」
すると、部下の男達は吹き出した。
「こら、失礼ですよ」と言いつつクレマーティもそれに加わる。
「いひひひひ」と声を上げる辺り、実に下卑た笑いだ。
アリンは困惑したが、ジークは平然とした表情を崩さない。
「傭兵ギルドごときが、交渉のつもりですか?」
「そんなつもりは微塵も無い。なあ、簡単な事だろ?」
ジークは城を一瞥しながら答えた。
炎に包まれているとはいえ、要塞のような堅牢な造りだ。
そう易々と崩れ落ちはしないだろう。
地下牢にでも逃げる事が出来ていれば、まだ生存している可能性は有る。
「人の命が掛かっているんだ」
「お、お願いします!」
少し冷静になったアリンがジークの隣に並び、深々と頭を下げる。
クレマーティは背を向けたまま短く鼻を鳴らした。
「嫌ですよ。面倒な。これから私の所有物になる国と国民なんですから、どう扱おうと私の勝手でしょう?」
国や都市の運営が『竜』等の被害により機能停止となった場合、残された人々を守る為に軍が直接的に干渉し、支援する場合がある。
要請があった段階で軍が適任者を現地に配属。
以後、その配属された軍の人間が中心となって本部と連携、復旧へと以降される。
しかし、それは常に九聖剣の代役という扱いでの配属となっている為、クレマーティ達が直接交渉して支援の意思を示せば、最終的に権利は全て九聖剣に委ねられる事になる。
つまりは、合法的に領地化する事が九聖剣にのみ許されているのだ。
今回の場合、クレマーティに直接カノンから救援要請が届けられたと考えられる為、必用な書類の作成と被害状況を本部へ申請すれば事は足りるだろう。
「こんな小さな国を、これから私は守ってやるのですから」
『竜』の討伐、そして弱った街への支援。
この二つが基本的な軍の活動だ。
しかし九聖剣としての立ち位置を良いことに、目の前の男は堂々とそれに背いてしまっている。
いっその事皮肉って拍手でも送りたいくらいだ。
発言から思うに、まず間違いなく、この国を徹底的に食い物にするだろう。
逃げ遅れた専属騎士を見殺しにして城が燃えていくのをティータイム感覚で眺めるような人間だ。
こんな男が、九聖剣。
同じドラゴンキラー。
カノンは何故、クレマーティに救援を求めたのだろうか。
ふざけるな。
「ふざけないで! 人を助ける事が軍の役目でしょう!? 貴方は最低の人間よ!」
思わず心の声が出てしまったなと錯覚する程に同じタイミングで、隣のアリンが叫んだ。
しかも中々に問題発言である。
クレマーティの耳にも止まったようで。
よく肥えた太い首をグリンとコチラに向けた。
だがその顔面に怒りは無く、侮辱のような嘲笑が脂汗と共に浮かんでいた
「いひひっ。貴女は世界というモノを何も理解していないのですね」
クレマーティは懐から小さなベルを取り出して鳴らし、「良いものを見せましょうか?」と一言添えた。
すると近くに止まっている馬車の扉が開き、一人の少女がクレマーティの前まで裸足で走って来た。
10歳程の、薄汚れた白のワンピースを着た茶髪の少女だ。
手には真っ黒な布切れが握られている。
「馬車の掃除は終わりましたか?」
クレマーティがそう尋ねると、少女は力無く首を振った。
「そうですか」
途端に、クレマーティは鞘に収まった剣で少女の頬を横から殴り付けた。
少女は口から血を流して撥ね飛ばされ、石畳の上に転がる。
「何て事を……!」
思わずアリンが駆け寄り、少女の身体を抱き起こす。
「しっかりして!」
近くで見て分かったが、少女の身体は頬以外も傷だらけで、酷く痩せていた。
「大、丈夫……」
消え失せそうな声で、少女は頷く。
目も虚ろだ。
「その役立たずは、半年程前に竜に壊滅させられた村の唯一の生き残りでしてね」
アリンは少女を抱えたまま、椅子から立ち上がったクレマーティを睨み付けた。
「もしかして、不憫に考えていますか? だとすれば、貴女の方がよほど残酷ですよお嬢さん」
「どういう意味?」
「私が保護して飼わなければ、竜に生きたまま食べられて惨たらしく死んでいましたよ、ソイツは。貴女は、その方が良かったと?」
「それは……」
「いいですかぁ? 私がいたからこそ、ソイツは今まで生きてこれたのですよ。女としての価値も無いヤツに、役目まで与えてやりました。生きているだけ幸せなのですよ」
「っ!」
アリンが懐から拳銃を抜き、片手でクレマーティに標準を合わせた。
誰の影響か、今日は随分と沸点が低い。
「こんなモノが、この子の幸せだっていうの!? 辛い目に会ったからこそ、この子は人より幸せにならなくちゃいけないのよ! そんな事も分からないの!?」
アリンの腕の中で少女はハッと顔を持ち上げた。
見上げる少女の視線には、アリンは当然気が付かない。
「おやおや? 銃を向けましたね。なら、私も」
ニンマリと笑い、クレマーティは剣を掴む。
抜剣と同時に迸る紅蓮。
魔剣の紅い刀身を渦巻く炎は、剣圧となって周囲を吹き荒れ牽制する。
「いひひひひ! これが、ウォールナト家に代々伝わる焔の魔剣『ファレンハイト』ですよ。どうです? 凄いでしょう?」
不意に押し寄せた熱風に、アリンは少女を抱え銃を向けた状態で後退する。
「ああ~、やれやれ。銃を抜かれた以上は仕方有りませんね」
クレマーティは剣の切っ先をアリンに向け、狙いを定める。
すると先端に炎が集中していき、やがて巨大な球体となった。
「正当なる自己防衛という事で、死んで貰いましょう」
押し出すように突きを放てば、炎の球体は石畳を焼き焦がしつつ真っ直ぐにアリンへと向かう。
アリンは踵を返し、全力で走った。
しかし炎の球体はあっという間に背後に迫った。
全身で熱を感じ、モノが焦げる臭いと共に周囲と視界が紅い光に飲み込まれていく。
もうダメかも知れない。
追い付かれる。
そして、肩越しに振り返った時には。
突如として、光と炎は消失した。
「え……?」
城の炎も消えたらしく、石畳と同じように白煙だけが上がっていた。
一体何が起きたのか。
「ど、どうなっているの?」
と、思考停止したアリンの耳に届く。
刃が鋭く風を切っている音。
その音源は宙にあった。
クレマーティの遥か頭上に、円を描いて回転している魔剣が見える。
呆けた顔をしたクレマーティが、空の右手を持上げていた。
あの一瞬で、魔剣を蹴り上げた人物がいたのだ。
もっとも、そんな事をやるのは一人しかいない。
「魔剣ファレンハイト。能力の射程距離は長いが、やはり剣が本体から離れた場合は対象に噛み付いていたブレスは解除されるようだな」
ジークだった。
脚を地に降ろし、尻餅を着いたクレマーティを見下ろす。
「き、貴様! よ、傭兵ギルド如きがクレマーティ様に手を出すとは!」
部下の男が唾を飛ばしながら声を荒げた。
するとジークは落ち着いた様子で。
「おいおい、足だっただろう? ギルド長から手は出すなって言われたからな」
朝食にパンを食べるような軽い気持ちで屁理屈を返した。
「ともかく、これで火は消えた。俺達の用事は済んだな」
「ひぃ!!」
尻餅を着いていたクレマーティが悲鳴を上げた。
丁度、股の間に落下してきた魔剣が間一髪石畳に突き刺さったようだ。
「どうやら武器の強さに頼り過ぎていて、自己鍛練が足りないようだぜ?」
「ぐ……う……!」
屈辱的な醜態を晒しただけではない。
たかが傭兵ギルドが刃向かった信じがたい事実が煮え滾らせたのは、誇りに毒された殺意だ。
「こ、殺してやる……! 貴様のような下品な輩は。貴様のギルドも全員、奴隷にして嬲り殺してやる」
クレマーティは剣の柄を握った。
剣身の炎だけが復活する。
「……その剣を引き抜いたら、覚悟を決めろよ」
ジークが左手で『アスカロン』に触れながら警告する。
クレマーティと部下の男達は震撼した。
殺気を薙ぎ払う特大の威圧。
ジークを中心に放たれたそれは、感じた事の無い恐怖を彼等に与えた。
簡易テーブルと椅子が倒れ、石畳の破片が振動した空気に押され転がっていく。
肉体に内包された強靭な氣【ロー】の鼓動が肌で分かる。
(なっ、何だこの男は……! 本当に傭兵ギルドなのか……!?)
クレマーティは大粒の汗を掻く。
剣身の炎が消失した。
「ゆ、許さん。このままでは済まさんぞ……! 私の権力で、必ずお前を殺してやるぞ!」
剣を引き抜いて早々に鞘へ戻すと、一目瞭然に馬車へと駆け込んだ。
部下の男達も慌ててそれに続く。
「必ずだっ!! 貴様は殺してやる!!」
そして捨て台詞を吐くと、残りの部下達を置いてさっさと馬車を出して逃げて行った。
暫くすると残りの部下達も気が付いたのか、バラバラに逃げて行ったようだが。
◆ ◆ ◆
「許さん、あの男……! 必ず、必ず殺してやる……!」
もう何度目の台詞だろうか。
クレマーティは魔剣を抱え込んだまま馬車の端に座り込み、怒りの形相で殺意を募らせていた。
だが、身体はまだ震えている。
あのドラゴンキラーの威圧。
味わった事の無い恐怖。
この背筋が凍る程に冷たい怯えを、隣で温めてくれる女達は今はいない。
とにかく、この震えから逃れたい。
その一心で自分の屋敷を目指していた。
だが、先ずは自分が安全な場所へ入りたいという愚かな欲求に従った事が致命的であった。
突如、馬車が止まる。
「おい、何をしている!」
「早く馬を走らせろ!」と叫ぶ前に、馬車は横転。
クレマーティはドアから外に投げ出された。
「な、なな何だ……!?」
剣を抱え地面を這って馬車から離れたクレマーティが見た物は、夕焼けの中自分を取り囲む男達であった。
他の馬車は薙ぎ倒され、乗っていた部下達は惨殺されていた。
「どうも、クレマーティ=ウォールナトさん」
「だっ、誰だお前達は!」
魔剣を引き抜いたクレマーティだったが、声を掛けた男の剣は素早かった。
クレマーティの右腕が、魔剣を掴んだまま切り落とされる。
「っ!? うぎゃああああっ!?」
吹き出した鮮血が、辺りの草木を紅く染め上げた。
「うるせぇよ、豚」
右腕から剣を回収した別の男が、クレマーティの開いた口に靴の爪先を突っ込む。
「我々はね、この機会を待っていたんですよ」
右腕を切り落とした男が、今度は左手の指を二本切り落とす。
クレマーティが激痛の余り暴れるが、押さえ付けられる。
「貴方が自分の要塞から出てくる時を。今まで何度も襲撃を計画してきたが、正確なルートまでは分からずに失敗に終わっていた。しかし」
男は、更にクレマーティの背中へと剣を突き立てた。
紅い噴水が上がる。
「今日このルートでルビンズ王国から屋敷へ戻ると、数日前に仲間に連絡があった。何処の誰かは知らないが、情報をリークした奴がいたらしい」
男が剣を引き抜くと、クレマーティは仰向けに転がった。
「な……ぜ……! きゅ……せ、けの……私、を……!」
息も絶え絶えに、クレマーティが男達へ声を振り絞る。
「ああ、盗賊に襲われたとでも思っているのか? 残念な思考だ」
男は剣をクレマーティの喉元に突き付けた。
「我々は貴方と同じドラゴンキラーさ。まあ、傭兵ギルドの方だけどね。だからさ、知っているんだよ? 二つの地域を守護している九聖剣が死ぬと、軍は穴を埋める為に新たに九聖剣を補充する事を。そして、それは結成8年以上の傭兵ギルドから選出される事もね」
男は笑った。
満面の笑みで。
「だからさ、代わって下さいよ。今まで色々といい思いしてきたんだからさ」
「ひぃ……!」
クレマーティの運は尽きていた。
恐らく、正義に背いた時点で。
◆ ◆ ◆
城の専属騎士達は、やはり地下牢に避難していたらしく、火傷は負っていたが命に別状は無かった。
アリンがクレマーティが火を放った事や、ジークが追い返して炎を消した事を話すと、専属騎士達やその家族は口々に礼を言ってきた。
そして、特殊階級騎士を厄介者のように扱っていた事をワザワザ謝罪しに来る者まで現れる始末となった。
アリンはニコニコして対応していたが、ジークは少し落ち着かない様子である。
もう日も落ちて、夜の帳が降りていた。
「あれから、何人来た?」
ジークが簡易ベッドに横になりながら尋ねる。
すると、近くのテーブルで林檎を叩き付けるように切っているアリンが。
「専属騎士は全員来たわよ。後は、その家族だったり、街の人だったり」
「そうか……」
ジークは目頭を押さえて一息付く。
二人は現在、病院として機能している宿屋の一室にいる。
ジークの体力と傷の回復を図る為だ。
実はクレマーティと対峙した時、度重なる戦闘の影響もあってか、身体が思うように動いていなかったりする。
体術は右足のみ。
そして剣技は完全に封印された状態にあり、魔剣をチラつかせたのはハッタリだ。
だからといって負けるつもりは無かったが、相手は仮にも九聖剣を名乗るドラゴンキラー。
不利な戦闘となるのは確実である。
威圧で逃げてくれて結果は良好だ。
「さすがに疲れたな」
ついさっきまで引っ切り無しに人が訪室していた事もあり、ジークはグッタリしていた。
「良い事じゃない。貴方はもう、この国の恩人なんだから」
ご機嫌のアリンは個性的な形に切れている林檎の乗った皿をジークの前に持ってきた。
「何で皮付きのまま砕け散っているんだ? しかも何か茶色いな」
「し、仕方無いでしょ」
「3階から落として長時間放置したみたいになっているぞ……!」
「味は大丈夫だから! 普通に林檎とシナモンよ」
「その茶色シナモンかっ!」
「少しでも食べ易いように配慮してみたの」
「素材の良さ半減の不必要極まりない配慮だろうが!」
「いいから、食べて! 折角剥いたのが台無しになるわ」
「皿の上の現実を目の当たりにしてよくも剥いたなんて言えるな!? てか、既に台無しじゃねぇか!」
皿を押し返すジーク。
更に皿を押し返すアリン。
二人の間を皿が行ったり来たり。
ついにはアリンが馬乗りに近い体勢で真上から皿を押し込む。
と、ガチャリとドアが開いた。
二人の動きが止まり、入口に視線が走る。
入って来たのは専属騎士でも街の人間でもない。
「あ、ゴメン。邪魔だった?」
朝から何処かに出掛けていた金髪の少女であった。
ジークとアリンは直ぐに離れたが、三人の間に何とも微妙な空気が流れる。
「もしかして、差し入れか?」
少女が抱えているバスケットを見たジークが、絶妙に話題を振る。
金髪の少女は頷き、バスケットをテーブルに置いた。
「うん」
蓋を開けると、香ばしい香りと共に湯気が立ち上った。
「シナモン入りの特製アップルパイ。近くの宿の厨房を借りて焼いてみた」
「アップル……パイ……!」
驚愕したアリンが、敗北を悟ったようにその食べ物の名前を静かに口にした。
「まあ、惜しかったな。途中までは」
哀愁漂う彼女の肩に手を置き、ジークは焼き立てのアップルパイへと手を伸ばした。
「くぅ、その手が……!」
若干の勘違いをしているアリンも、切り分けられたソレに悔しそうに手を伸ばす。
そして二人同時に一口頬張る。
と。
「うお、普通に美味いなコレ」
二口、三口と急速に食べ進めるジーク。
「くぅ。二物を与え過ぎでしょ……!」
何故か涙目で口を動かすアリン。
あっという間にアップルパイは無くなった。
金髪の少女が淹れた紅茶を啜り、一息付く二人。
「お前、今まで何処に居たんだ?」
「国の外。森で薬草を摘んでいたの。爆発が聞こえるまでは」
金髪の少女がジトっとジークの顔を覗き込む。
どうも一部始終を見られていたらしい。
考えようによっては都合が良い、面倒な説明をしなくて済む。
「どうするつもり?」
今度は金髪の少女がジークへ質問する。
意味する事は重い。
軍の、それも九聖剣の救援を拒んだ所か、敵に回してしまったのだ。
どんな理由や出来事があろうと、客観的にはそう映ってしまう。
「これで救援の手は絶望的」
「誰か死んだ方が良かったのか? 少しは教会らしく慈愛に満ちた言葉を使えよ」
「敵対してしまえば、今度は国が死ぬ」
「お前、死にかけた本人を前にしてよく言えるな」
「ジーク、いいの。彼女の言う通りだわ」
両の手を膝の上で強く組み、頷き加減でアリンが口を挟んだ。
「私は国を守る為の騎士だから。私だけじゃない、他の専属騎士達も。覚悟は出来てる。本当は、国のみんなが生き残る選択をしなくちゃいけないのに。私の判断が間違っていたから……」
「そんなワケねぇだろ」
ジークが強めにそれを遮る。
「お前が動かなかったら、確実に俺が顔面に蹴りを入れていた」
「はぁ……」
聞こえるくらいハッキリと、金髪の少女が溜め息を吐いた。
「成るべくして成った結果だったのね。人選ミスにも程がある。九聖剣を呼んだ貴方のギルド長の責任も大きい」
等と美貌と毒を振り撒きながらの少女の物言いにも、ジークは極めて落ち着いていた。
「大丈夫だ、問題無い」と不敵に笑ってすらいる。
金髪の少女も余裕を感じさせる態度を意外に思ったのか、小さく首を傾げる。
「もしお前の言う通りになったとして、この国が死んだ後はどうなると思う?」
「……貴方のギルドを酷い方法で潰しに掛かると思う」
「だよな。当然そうなる。俺ですら予想出来てる事だ。だからこそ、大丈夫なんだよ」
「何か根拠があるのかしら?」
「将来的にギルドを危険に晒すような作戦を、アイツが立てるハズがないのさ」
「はい?」
目を丸くした金髪の少女は瞬きを数回繰返した後、「それだけ?」と呆気に取られる。
「ああ、それだけだ」とジークが言葉を返す。
「俺も魔剣を蹴り飛ばすまでは確信が無かった。だが、蹴り飛ばした瞬間にふと思ったんだ。そういえばアイツは、俺の性格をよく知っていたなって」
「……つまり貴方のギルド長は、貴方が敵対する事を計算した上で、敢えて九聖剣を呼び寄せた?」
金髪の少女が半眼でジークの謎の根拠を言葉で言い直すと、彼は頷いた。
「でっ、でも何の為? 九聖剣と対立する事に意味があるとは到底思えない」
「さあな。だが、アイツがこの程度の状況を想定出来ないハズは無いんだ。今こうして俺が国を動かない事すら、予想しているだろう」
そこまで言うと、ジークは片腕を枕にソファーに仰向けとなった。
全く緊張している様子が無く、軽く欠伸まで出ている。
「そう……」
呆れて勢いの抜けた少女が、まだ温かい紅茶へ視線を落として手を伸ばす。
そしてそれを飲み切ると不機嫌そうに立ち上がる。
「私、もう部屋に戻る。上手く行くといいわね」
人目を引く艶やかな金髪を揺り動かし、少女は部屋から出て行った。
暫しの静寂を挟み。
「あ、じゃあ……私も部屋に戻ろうかしら」
「ん? ああ」
「お疲れ様。ゆっくり休んでね」
アリンも出て行き、解散となった。
一人になったジークは天井を眺めながら思考を巡らせる。
そして夜の静寂の中、ジークの姿は宿の屋上にあった。
今日は月が明る過ぎるのか、星々が霞んで見える。
街を見下ろすには眺めは良かった。
所々に松明の灯りがあるのは、専属騎士達が周囲を警戒してくれているからだ。
「今の所は異常無しか……」
自分の部屋から持ち出してきた椅子に座り、ジークは手摺に腕を掛ける。
頭を乗り出して下を見れば、まだ怪我人を運ぶ人の姿が照らされていた。
「帰ったんじゃなかったのか?」
人が担架や人力で運ばれていく様子を見守りながら、ジークは背後に現れた金髪の少女へ声を掛ける。
金髪の少女は額に眉を寄せた。
ジークの感覚の鋭さに若干引いたらしい。
「貴方こそ、どうしたの?」
少女はジークの横に立ち、月を見上げて逆に質問する。
ジークは街を見下ろしたまま答えた。
「何となくお前の言葉が気になって、念のために見張りをしている。まあその、悪かったよ。軽率な判断で」
「そう」
少女は素っ気なく言った。
「それで、お前は?」
「え?」
「何でここに?」
ジークが短く質問を重ねた。
「う……」
金髪の少女は少し口籠もった後。
「さっきは、ごめんなさい」
突然謝罪した。
「アリンもいたのに、不謹慎だった。言った事を後悔してる。でもあの時の私は、犠牲を払ってでも多くの命を救うべきだって、本気で考えていて。それしか考えられなくて。優しく出来なくて。そういう世界で生きてきた私はきっと残酷だから。それを誰かに……ううん、何故か貴方に聞いて欲しかった。知って欲しかった。だから」
下を見下ろしていたジークと、月を見上げていた少女の顔が互いに向かい合い、視線が交わされる。
「だから、私はここに来た」
そう語る月明かりに照らされた彼女は息を飲むほどに美しく、そして何よりも儚く見えた。
「意外だな」
少女から視線を外す事なく、ジークは笑みを浮かべた。
「お前はもっと冷酷で打算的な奴だと思ってたよ」
少女は目を丸くした後、薄く笑ってみせた。
「私も意外だった。貴方は後先考えずに行動する、人の話を聞かない人間だと思った」
いや、それは当たっているぞ、と心の中でジークは呟いた。
しかし彼女からしたら何か発見があったのだろう。
まあ何にせよ、どうやら互いに相反していたようで、そうではなかったようだ。
金髪の少女も結局、友好的に国の為に動いてくれているようだし。
「でも、やっぱり現実的に考えると少し厳しい」
金髪の少女は手摺に近付き、前屈みに体重を掛けた。
豊かな胸が手摺に乗っかり、その質量を妖艶に主張する。
「具体的にはどうするつもり?」
「そ、そうだな……」
ジークは咳払いをして気持ちを切り替える。
そして微妙に引っ掛かかっていたギルドメンバーの言葉を思い返す。
『怪我を治してからさっさと帰ってきなさい! バカッ!』
『帰還前に国で療養されてはいかがでしょうか。3日ほど』
思い返してみても、やっぱりルーシーは真面目で性格が良い。
これがあったから、というワケではないが決定的なのはここだ。
何か二人の方で別の作戦を遂行しているのだろうか。
「……3日だな」
「3日?」
「ああ。とりあえず、3日はこの国に留まって様子を見る。クレマーティが何か起こすつもりでいるなら十分に結果を見極められる時間だし、俺の体も治療に専念すれば全快出来るしな」
「そう。なら、私もそれに付き合う」
「いや、お前は逃げた方がいいんじゃないのか? 九聖剣だぞ」
「大丈夫よ。それに、貴方は危なっかしいから」
「おい……!」
「あと、信じてくれてありがとう」
最後に少女はそう言い残すと、笑顔を1つジークへ送りその場を立ち去って行った。
それは様々な意味を含む言葉であった。
ガラティンの事、自身の事。
本来敵対しているハズの立場である事。
それが今、共闘しているという事。
「参ったな」
余韻のように漂う甘い薔薇の香りが徐々に薄れていく中、自身でも分からない間にジークは苦笑いを浮かべていた。
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