神を殺す者
物凄く久しぶりの投稿でした。
放置しました。
大丈夫です、作者は生きてます。
◆ ◆ ◆
「宜しかったのですか、カノン様?」
大通りに面した夜の街の一角。
丁度雑貨屋の隣に、銀色の蔦の装飾が入った全面硝子張りの電話ボックスが三つ並んで設置されていた。
街灯に灯った明かりは陰影と共に、一番右の電話を使う薄緑色の髪の少女の姿を浮かび上がらせる。
切り揃えられた前髪。
一方で後ろ髪は頭の後で丸く束ね、そこを漆黒のリボンで留めている。
服装は一見、使用人に見えた。
純白のブラウスに黒の短いネクタイを着用し、女性らしい胸のラインを強調するようなデザインのエプロンドレスを身に纏っている。
その黒の短いフレアスカートの裾からは、黒のストッキングに包まれた線の細い脚がスラリと伸びていた。
『一体何の事かしら?』
予定に無い突然の電話に動揺してか、少し思考を巡らせたかのような間を置いて、電話の相手は答えた。
傭兵ギルドには大抵、二種類の電話が設置されている。
ギルド入口のフロアに設置された依頼受け付け用の通常のタイプと、ギルド長に直通で掛かる特殊なタイプだ。
ギルド長直通のタイプは所属メンバーにしか知り得ないコードで設定されており、盗聴による情報傍受も困難となっている。
つまり、ギルド長直通の電話の相手は所属メンバーに限定されているのだ。
そして緑髪の少女から電話越しにカノンと呼ばれたこの少女こそ、先程までジークと会話をしていたギルド長に他ならない。
「王国における調査報告書は、最終的に国王もしくは専属騎士達を統括する近衛騎士の実印が押された状態で提出されます。つまり、軍本部に報告書を提出するのはドラゴンキラー達ではなく、依頼を出した王国側という事になります」
緑髪の少女は背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、はっきりとした口調で滑らかに言葉を紡ぐ。
『それで?』
電話越しに、カノンが飲み物を啜る音が聞こえた。
きっと紅茶だろう。
と、緑髪の少女は20分程前までいた部屋の中の様子を思い返す。
そして、カノンが取り易いように砂糖の瓶を棚からテーブルに置いておいたのはやはり正解だったと、目を伏せて短く笑う。
カノンは必ず、紅茶に砂糖を二杯入れるのだ。
「軍本部に報告書が提出されていない、という事は何かしらの理由で王国側が報告書を未だに保持しているという事。依頼を出した国王が遅滞させている可能性は限り無く低い。ならば……」
『報告書を保持しているのは近衛騎士であるタビン、という事になるわね』
今度は皿にカップが戻る音が聞こえた。
きっと半分も飲めていないのだろう、彼女は猫舌だ。
「貴女は斡旋所の段階で既にそれに気が付き、ジークさんからの報告がある前から王国の近衛騎士を疑っていました。ですが貴女はジークさんにそれを伝えなかった。しかも、極めて効率の悪い指示を与えています。今直ぐに国を出ろ、などと」
緑髪の少女がそう言うと、カノンはクスクスと笑った。
何故、予定に無かった電話が掛かってきたのか理解したようだ。
『都合良く傭兵団【ロード】が襲って来て、ましてやソイツ等がタビンの事を知っているかどうか。まあ向こうの考え方にもよるけど五分五分って所。大丈夫よ、何も起こらなかったらアイツは引き返して来て、アタシに連絡を寄越すわ。そしたら今度は城への侵入を指示する。もっとも、足止めはするけどね』
「相変わらず人が悪いです。国王が死去したという情報が伝わる時間を稼ぐだけでなく、王国を囲うように展開している傭兵団【ロード】をジークさんに切り崩させる事で『本命』をより動き易くさせたのですから」
『誉め言葉として受け取っておくわ』
「後で、ちゃんとジークさんに謝って頂きますから」
「分かってるわよ。事が落ち着いたらね」
適当な返事だが、追及している時間的猶予は無い。
しかし曖昧にするつもりは更に無いので、キッチリと謝罪はして貰うつもりだ。
個人的な要望を強めに伝えた緑髪の少女は、次いで漆黒の両眼を細めた。
「では本当に、宜しいのですね?」
「諄いわよ。ていうかアンタ、そんな事を言う為にワザワザ連絡入れてきたの?」
「今のはカノン様御自身の覚悟を伺ったのです。もし軍上層部に感付かれれば最悪の場合、本部直属のドラゴンキラーと戦闘になります」
カノンが溜め息を吐いた。
計画を実行に移す前から幾度となく話し合ってきた事だ。
『あのお人好しに助けられなかったら、どの道一回死んでたし。今更よ。貴女こそどうなのかしら、ルーシー?』
名前を呼ばれた緑髪の少女、ルーシーは電話を持っていない方の手を胸に当てた。
「私の道は常にカノン様と共にあります。万が一、軍本部と戦闘になった場合は、全身全霊を持って貴女の命を御守り致します。万が一、貴女が処刑されるなら私もお供致します。それが、フロース家に代々使えてきたフォリウム家の役目であり、ルーシーの名を継ぐ者の使命です」
電話の向こうのカノンが、安堵の息を吐くのが分かった。
『愚問だったわね、ありがとう』
「こちらこそ、失礼を致しました」
ルーシーはその場で軽く会釈した後、懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
「では、丁度2分前になりましたので後程」
そう言って丁寧に、ルーシーは電話を切った。
◆ ◆ ◆
目の覚めるような赤い鮮血が、枝の隙間から滴り落ちてくる。
皆が呆然と立ち竦む中、金髪の麗しい少女だけが歩を進めていた。
「汚れは速やかに、広がる前に浄化しなければなりません」
少女は樹から距離を取ると、分かり易く指を鳴らした。
すると巨大な樹木は発光し、緑色の粒子となって大気中へと霧散して消失する。
当然のように支えを失った肉塊が落下し、床に叩き付けられて生々しく潰れた。
皆の視線が釘付けになった所で、少女は脚を止める。
「では、次に救済されたい方はどうぞ前へ」
冷ややかな、しかし美しい容姿で少女は言うのだ。
「撃て……」
タビンが口を開いた。
自身の脳髄が、全力で警告音を鳴らしていた。
「何をしているっ! その女は『竜』だ、直ぐに射殺しろ!!」
ようやく我に返った傭兵達は、その命令通りに一斉に銃口を少女へと向ける。
まだ状況を飲み込めてはいないようだが、始末に動いたらしい。
ライフルを持った男が、先ず引き金を絞った。
乾いた射撃音と共に、弾丸は秒速860メートルの速さで空間を駆け抜け目標物に迫る。
だが、ライフル弾は少女の額に着弾する前に緑色の物体に絡め取られる。
彼女のローブの裾から飛び出した無数の蔦が、精確に弾丸に巻き付いていたのだ。
余りに速く。
弾丸は暫く空転を続けたが、やがて静止した。
「嘘だろ……」
狙撃した男が唖然とする。
蔦が緑色の粒子となって散ると、ライフル弾は少女の足元に転がった。
「う、撃ちまくれ!」
「殺せ!」
伝染した焦りと恐怖が、男達からそんな台詞を引き出した。
派手な射撃音と火花が上がり、少女へ向けて数十もの弾丸が殺到する。
少女は、床を蹴って体勢低く駆け出す。
弾丸は掠りもせず後方の床の上で跳ねた。
弾幕の第一波を掻い潜り、躱したのだ。
続く第二波、三波も、右へ左へ蛇行しながら直進し、突破する。
冷静さを欠いた標準は的を反れ易い。
瞬く間に少女は、先頭に立つ男の懐に潜り込む。
右手を名一杯に広げ、真下から振り上げた。
「ひっ……!」
男が恐怖に顔を引き攣らせたのも束の間。
それ以上の悲鳴を許されず縦に解体されてしまう。
見れば、少女の右手の爪は肉を裂くのに特化した鋭利な形へと変異していた。
真上に飛び散った血肉の雨が、近くにいた二人の男に降り掛かる。
「うっ、うわああああああ!」
男二人は銃を放り出して逃げた。
それは幸いであった。
半ば麻痺していた恐怖への感覚が戻り、ここで闘う事の無意味さを悟ったらしい。
周りの傭兵達もそれに便乗するかのように一斉に逃げ出す。
「ちょっと、貴方達っ!?」
ベールの制止を振り切り、傭兵達は我先にと奥の部屋へ姿を消す。
「成る程、確かにお前の言う通り……この程度の連中だったな」
ジークが鼻で笑う。
「く……!」
タビンの額に青筋が浮かんだ。
引き金に掛けていた人差し指に力が入る。
「そして無駄だ。俺の仕込みは終わっている。とっくにな」
手にしている魔剣の刀身は、僅かに淡い光を帯びていた。
「二手、遅れてるぜ」
そう呟けば、ホールの床から噴き出すように黒煙が巻き上がり、周囲に広がる。
床の粉塵も混ざっているようだ。
「何っ!?」
視界が遮られ、タビンはジークを見失った。
発砲を試みたが銃を蹴り飛ばされ、一時的に武装を解除される。
仕方無く他の銃器に手を伸ばしつつ距離を置く。
しかし。
「そう、その位置まで後退するよな」
黒煙から飛び出したジークが、剣先を構えながら肉迫する。
「だから、『遅く』して蹴り投げておいた。剣で床を撫でて、爆発の粉塵が巻き上がるのを『遅く』しておいたようにな」
後退したタビンの足元には、見覚えのある小型の物体が転がっていた。
数にして5つ。
形が内側から変形した、爆発寸前の手榴弾だ。
「貴様……!」
今度はタビンが歯噛みする番だった。
さっき大量に使用された手榴弾を数個、剣で斬り付けて爆発を遅くしておいたのだろう。
「それを今、解除する」
能力解凍。
そして、炸裂。
全ての手榴弾が同時に爆発した。
辺りは再び、粉塵と黒煙に覆われる。
衝撃に片膝を着いたタビン。
爆発によるダメージは殆ど受けていない。
だがそれでも、敗北を悟るには十分な要素であった。
気付いたのだ。
さっき自分が散撒いた手榴弾。
その気になれば全ての爆弾を『遅く』して防御出来たハズなのだが、ジークは実行しなかった。
恐らくは、この状況を作り出す為に。
爆発に怯んで動きを止めるであろう、この一瞬を狙って。
剣撃を確実に叩き込めるよう、敢えて喰らったのだと。
「ふざけるな!」
悪足掻きとばかりに、強靭な尾で前方を滅茶苦茶に攻撃する。
発生した強風が黒煙を引き剥がすも、其処にジークの姿は無い。
「最後まで、俺の予想通りだ」
青年の声に、タビンの背筋が氷付く。
背後を取ったジークは洗練された動作で突きの構えに移行し、踏み込みから高速の剣撃を叩き込んだ。
剣先はタビンの胴に喰い付き、衝撃波でその屈強な肉体を宙に吹っ飛ばした。
タビンは床を破壊と共に跳ね転がっていき、猛烈な勢いで壁に衝突する。
壊れた壁の破片がそこに降り注いだ。
「勝負有りだな」
突きの体勢を崩し、ジークは魔剣を鞘に納める。
「く……!」
ベールは怒りの形相でジークを一瞥した後、傭兵達と同じように逃げ出した。
取り敢えずは見逃す事にする。
ジークには、他に優先すべき相手がいるからだ。
「何故、此所に来た」
振り返った視線の先には、金髪の美少女が佇んでいる。
彼女は軍が干渉出来ない事を利用し、教会に潜り込んでいるのだろうか。
それとも、余り考えたくはないが教会が上級竜【スパイアス】を組織的に取り込んでいるのだろうか。
どちらにしても、教会は闇を抱えている事になる。
だからこそ先ず彼女に質問した。
自分の正体がバレる危険を冒してまで、何故ドラゴンキラーがいる城にやって来たのかを。
金髪の少女は一度目を伏せた後、静かに口を開いた。
「呪いの原点を浄化する為」
生憎と教会的な要素を孕んだ台詞には抗体が無い。
結果、ジークは眉を顰めた。
「浄化だと?」
鞘にこそ納めたが、剣の柄には手を掛けたままだ。
竜化している以上、この少女も少なからず人を食い殺しているという事実が残る。
警戒は怠らない。
「私は教会からの使命で、ある人物を追っている」
少女はジークを横目に動き始めた。
コチラに向かって来るわけではなく、傭兵達とベールが逃げた奥の扉へ一歩づつ歩を進めている。
「名前はガラティン=バンクト」
少女の動きを目で追いながら、ジークは油断無く身構えた。
奥の扉の前に辿り着くと、少女は一端足を止めて首だけ振り返る。
狂気に満ちた城内でも相変わらず平然とした表情を保っていた。
「単刀直入に私の要求を言うわ。この先、私の邪魔はしないで」
この状況化で嘘を付く必要も無い。
付く事になるなら此処へ来ない。
察するに全て本気だろう。
彼女は教会からの命令でガラティン=バンクトなる人物を追って来た。
先程の闘いを見る限り、彼女の言う浄化は抹殺という意味だろうか。
となれば、教会が意図的に上級竜【スパイアス】を取り込んでいる可能性が高い。
「お前が上級竜【スパイアス】である以上、ハイそうですかと見逃すワケにはいかない。まだ聞きたい事もあるし、俺はドラゴンキラーなんでな」
「……貴方が私を警戒する理由はよく分かる。貴方が上級竜【スパイアス】を倒し、この国を救ったのも事実として納得出来る。けど、そのどちらにも根本的に真実が欠けている。貴方はドラゴンキラーであるが故に、真実たり得ない」
「どういう意味だ?」
「この国で発生した『竜』は、ガラティンが作り出したものよ」
「っ!?」
息を飲み、ジークは目を見開いた。
「ガラティンは『呪い』を操れる。貴方が『竜』と闘ったのも、この国を救う事になったのも、全ての根本にはガラティンがいる。ただそれだけの真実」
少女はそれだけ言い残すと、奥の扉へ姿を消した。
「おい、待て! 答えになってねぇぞ!」
思考は追い付けずにいる。
それでもあの少女は追わなくては。
ジークは扉へ駆け出した。
◆ ◆ ◆
血で汚れた長い廊下を少女は駆けていた。
見付けた部屋の中を片っ端から調べて走る。
部屋の中は血塗れの死体だらけだ。
服装からして城内の使用人達の死体だろうか。
死体は縄で縛られた状態で椅子に腰掛けている。
床には無数の空の薬莢。
銃殺されたようだ。
この際、誰が殺したかはどうでもいい。
休む間も無いままに、少女は無機質な廊下を駆け抜けていく。
「止まれ」
ジークに追い付かれた。
背後にピッタリと。
結構な速さで走っていると思っていたのだが。
しかもまさかあの怪我で追って来るとは。
少女は後ろを振り返る。
「嫌だ」
「いいから止まれ」
ジークは少し速度を上げ、並走する。
少女の視線が横に移動した。
この青年の『竜』に対する執念は本物だ。
何処までも追い掛けて来るだろう。
「分かったわ」
やれやれといった様子で少女は速度を落とし、やがて歩くに至った。
ジークは進行方向を遮るように移動する。
「でも時間が惜しい。話は歩きながら」
武装したドラゴンキラーを意に介さず、少女はジークの横を通り過ぎた。
当然のように隙がない。
この少女、見た目からは想像も出来ないが相当闘いに慣れている。
「この国に唐突に『竜』が一匹現れた。出来過ぎた状況だ。お前はその『真実』を知っているのか?」
「教会からの情報通りなら、多分」
少女は長い金髪を右手で肩の後ろへ払い除けながら短く答えた。
微妙に曖昧な返しだ。
時間が惜しいと言っているし、こうして足止めされる事が鬱陶しいのだろう。
「ガラティン=バンクト。お前はそう言ったな」
「言った」
「何者だ? お前と同じように上級竜【スパイアス】なのか?」
ジークは剣に手を置いたまま少女の後に続く。
少女はクルリと全身を回転させ後ろ向きで歩くと、半眼で不機嫌そうに口を開いた。
「貴方は些細な事を気にする。ひょっとして、本棚は左側から巻数順に陳列していないと気が済まないタイプだったりする? 私は食器の陳列や重ね方には拘るけど。棚の一番上にデザートのお皿、その下がパン。各々重ねる枚数は4枚」
「話しを反らすな。俺にとっては重要な事だ」
「別に反らしてない。上級竜【スパイアス】だったら、とか。ガラティン=バンクトに対してその考えは平和過ぎる。何者であるかなんてどうでも良い。本当に些細な事」
そう言ってから途端に少女は口を一文字に結び、ジークの顔をその綺麗な翠玉色の瞳でじっと観察してきた。
「何だよ」
「少し残念」
「あ?」
「やっぱり貴方も、他のドラゴンキラーと変わらない」
少女は再びクルリと回転し、ジークに背を向ける。
「上級竜【スパイアス】だから殺す。冷酷な正義ね」
相変わらずの若干棒読みな口調で、しかし少女は侮蔑するかのような視線を肩越しに送る。
「それがドラゴンキラーが掲げてる唯一だ。食い殺した人間の命を糧に生み出されるのが上級竜【スパイアス】なら、妥当な結末と言えるだろう?」
「ふぅ~ん。でも、私が上級竜【スパイアス】なのは生まれつきよ。人なんて食べてない」
「は?」
「信じられないって顔ね。でも、言ったでしょ? 貴方はドラゴンキラーであるが故にって」
少女は不敵な笑みを薄く浮かべ、顔を正面へと戻した。
重大な事をサラッと言われたが、信憑性の無い情報だけにジークのリアクションは微妙だ。
軍から開示されている『竜』の特長は、今までに幾度となく実際に経験している。
身に染みて分かり切っている事に疑いを抱くなど皆無だろう。
(いや、待て……)
と、ジークはフト気付く。
(この考え方が、ドラゴンキラーであるが故にって事か?)
前方で揺れる、日の光で輝く長い金髪を眺めて思考を巡らす。
目の前の少女は、『竜』が上級竜【スパイアス】への変異段階として人を補食する事を否定しなかった。
ならばこれは教会との共通の情報であると考えられる。
一方、先天的な上級竜【スパイアス】が存在する等という常識はそもそも軍に前例が無い為、教会だけで通用する認識に位置付けられる。
何故、教会だけが知っているのか。
「生まれつきの上級竜【スパイアス】って奴は、お前の他にもいるのか?」
「勿論いる。でも、それほど多くはないわ。教会は行き場の無い私達を軍から保護してくれているの」
原因はこれだろう。
軍は危険因子を排除する傾向にあるが、教会は『呪い』を神の意思として尊重している傾向にある。
だからこそ、気が付けた。
「暗黙の不干渉領域を利用しているワケか」
「そう。生まれつきは、まだ能力をコントロール出来ない場合が多い。だから、不用意に力を使って誰かを傷付けてしまう。そうなれば直ぐに軍に見付かって処分される」
少女が両拳を握ったのが見えた。
「私達は生まれつき『呪い』を受けた、穢れた魂と嫌悪され、あらゆる場所で迫害されてきた。私達は、ただ生まれただけなのに。ただ生きているだけなのに」
途端に少し早足になった少女に、ジークは無言のまま続く。
声色からジットリと滲み出る幼子のような純粋な怒りと悲しみ。
その華奢な背中に背負った過酷な宿命の片鱗をジークは肌で感じていた。
だが、それが偽りであればと願っている自分がいる。
今まで殺すべき存在とされてきた『竜』。
迅速に、冷静冷徹に。
恨みも怒りも、悲しみも憎しみも、『竜』がもたらす全ての負の感情の矛先を向けられても。
闘い、殺し続ける。
それは長い年月で構築された確かな覚悟と揺るぎの無い信念だ。
血の道を歩く自分だけの生き方だ。
そこに新しい認識を差し込む隙間など、今更皆無であった。
「俺達にとって、大した違いは無いからな」
だから咄嗟にそんな言葉で冷たく切り捨てる。
「先天的な上級竜【スパイアス】と、人間を殺して上級竜【スパイアス】になった個体とでは凶悪性が全く異なる。これは、殺しの快楽が経験として個体の精神に蓄積する為」
「生まれつきは人間を殺さないって言いたいのか?」
「ドラゴンキラーも人を殺す」
そこに何の違いがあるのかとばかりに、少女は容赦の無い言葉で切り返した。
バツが悪そうにジークは頭を掻く。
後悔にも似た感情が胸中を巡っていた。
手に入れた、彼女の言う『真実』とやらの代償がこれだ。
「『竜』は人を殺す、人も人を殺す。良い人もいれば悪い人もいる。『竜』にもそれが通用する。そう考えればいいわ」
少女は両開きの大扉の前で足を止めて言った。
恐らくだが少女は、そう自分に言い聞かせる事で理不尽な世界を生き抜いて来たのだろう。
自分の生きる世界を知っているからこそ、非情な現実を経験しているからこそ、ジークの心中が痛い程分かるのかも知れない。
「それで、どうする?」
続けて少女は質問してくる。
そういえば時間が無いとか言っていた。
「私はこの先に用があるから扉の向こうに行く。貴方はどうする?」
遠回しに煽っているのか。
なんとも慈愛に、いや、皮肉に満ち溢れた表現である。
「やれやれ……」
ジークは半眼になる。
そのまま少女の横に並ぶ様に立ち。
「行くに決まってるだろ」
予備動作無しで扉を無駄に荒っぽく蹴り破った。
「俺はまだ、お前の話を完全に信じちゃいない」
ジークは破壊した扉を跨いで進み始める。
「そう」
少女は特に気にする事も無く、扉の先へ一歩を踏み出した。
扉の先は使用人達の居住スペースとなっており、半開きとなっている各部屋の内部は悲惨な迄に赤黒く装飾されていた。
「酷いな、これは……」
鼻を刺激する血の匂い。
乾き方から見て、まだ数時間しか経っていないようである。
「ガラティンを放っておけば、もっと人が死ぬ」
扉の前にジークを残して少女はスタスタと先に歩いていく。
ジークは一人、歯噛みしてから部屋から視線を外した。
一階部分の部屋は何処も同じ様子で、二人は無言のまま進む。
暫くすると突き当たりに階段があった。
二階に続いているようだ。
使用人が普段使っているのか、質素で幅も狭い。
段差もやや急勾配だ。
「ここまで、誰にも合わない」
少女が階段を上がりながら呟く。
周囲を適度に観察しているようだ。
奇襲に備えてだろうか。
少し遅れ、ジークも階段に足を掛ける。
確かに、ベールにも傭兵にも遭遇しない。
「俺も城の詳しい構造までは把握しきれていないからな。案外、城の外に逃げた所を専属騎士に捕まってたりしてな」
そう言ってフト顔を上げると、段差による角度か単にスカートの丈の問題か。
白地にピンクの小花柄。
上下にやけに柔らかく小刻みに揺れ動く、丸みを帯びた艶っぽい逆三角形が目に飛び込んできた。
「……っ」
マズイと顔を引き攣らせながら、流石のジークも頬を染める。
するとピタリと少女の動きが停止した。
「ジーク、今の見た?」
久し振りに冷や汗を掻く。
今更だが壁に目を向ける。
「わ、悪い……」
「そう。貴方が見逃すなんて珍しいわね」
「ん?」
何か会話がオカシイと少女の顔を見ると、少女はジークではなく、踊り場から折り返した階段の上がった先を見ていた。
「今、『竜』が横切った」
「何っ!?」
ジークは一気に階段を駆け上がり、少女を背中に庇うように前に立った。
少女は目を丸くしたが、直ぐにいつもの平然と落ち着いた表情へと変わる。
階段を上がった先は正面に風景画が掛かった壁、左右に通路がある。
「一瞬だったけど、左に行くのが見えた」
二人は物音を立てないように階段を素早く上がり、左側の壁に背中を張り付かせる。
ジークは角からゆっくりと顔を覗かせ、『竜』の気配を探った。
少し進むと、右側に直角に曲がる廊下が見える。
あとは長い直線廊下と部屋が幾つか。
「どういう事だ、何が起こっている?」
ジークが顔を引っ込め、少女に言った。
すると彼女は神妙な面持ちで。
「正確には、これから始まる」
一言そう言った。
「だから、何がだ」
「ガラティンによる厄災。『竜』を使ったって事は、結末が近い」
急がないと、とばかりに角から飛び出した少女。
ジークも後に続く。
「よく分からないが、ガラティンを探せばいいのか?」
「そう。この城の何処かにいるハズ」
「何でそう言い切れる?」
「『竜』が始まった場所にガラティンは必ずいる」
二人は狭い廊下を駆けながら会話をする。
と、前方の扉が音も無く、廊下を半分塞ぐようなカタチで唐突に開いた。
「っ!?」
それを視認した二人は、殆んど同時にブレーキを掛けて止まった。
扉まではまだ数十メートルはある。
訪れる静寂。
ジークが剣の柄に手を置き身構えた。
すると今度は後方で扉が開く。
これには少女が半身を向けた。
二つの扉はゆっくりと軋みながら開いていく。
が、瞬き一つを挟んで扉が吹っ飛ぶ。
悍ましい姿の怪物が猛烈な勢いで飛び出してきたのだ。
狭い廊下。
前後に一体づつ。
四足歩行と鉤爪。その爬虫類を思わす三メートル近い姿で、上下左右に三次元的な移動を繰り返しながら速攻で肉薄してくる。
縦に長い大口を名一杯に開き、獲物に喰らい付こうと猛襲した。
『竜』の捕食は殆んど本能によるモノだ。
より強い個性を獲得する為、無差別に襲い掛かる仕様になっている。
視覚聴覚共に優れているが、彼等には人間は等しく同じ生き物に見えているだろう。
結論から言えば、今回は相手が悪かった。
白銀一閃。
ジークの亜音速の突きが真っ正面から『竜』の大口に叩き込まれ、頭部を木っ端微塵に粉砕して即死させた。
即座にジークは後ろを振り返る。
先ず少女と目があった。
次いで彼女の後ろで絶命している『竜』に視線が移る。
鋭利な刃物で切り裂かれたかのように、バラバラの肉塊と化していた。
二人が振り返ったのは、決してフォローの為では無い。
互いの実力、能力は数刻前の闘いで目の当たりにしていた事もあり、疑う余地の無い程に卓越した力であると確信を得ていた。
だが、ドラゴンキラーと『竜』。
傭兵ギルドと教会。
お互いの相容れぬ立場からなる少しの偏見が脳裏を過り、背中合わせでの信頼性を曇らせたのである。
ジークは教会を疑い、少女は軍を毛嫌いしている。
各々で今日まで違う信念の旗を掲げて目的を遂行してきたという根本的な本来の危うさに、二人は既に気が付いていた。
したがって闘いという精神的局地の中で産まれる僅かな疑念に信頼を求めたのは、『竜』と闘う戦士として至極当然の行為といえる。
一先ずの戦闘を乗り切った事を確認し、互いの姿を視界に収めたまま構えを解く二人。
無数の亀裂が生じ、扉がある側の壁が雪崩れの如く決壊したのは、まさにその時であった。
崩壊した壁に紛れて、『竜』。
推定25体の小型の怪物が二人に積み重なるように殺到していた。
一方が壁となる、細く長い逃げ場の無い空間。
更に言うなら、偶然ではあるが警戒を解いた直後に訪れた完全な奇襲攻撃。
少女のローブの端に、既に怪物の爪は触れている。
訓練を受けた兵士でも舌を巻く圧倒的に切迫した不利な状況の中、ジークの動きは反して流暢であった。
ゼロコンマ一秒にも満たない僅かな間で、静かに鋭く、無駄のない動作で瞬時に突きの体勢へ移行する。
身体に染み付いた闘いの感覚が、敵の殺意に呼応して無意識に予備動作を取らせた。
周囲の物体はジークのこの動きに付いてこられない。
そして、既に自身の射程内に捉えている怪物へ向け、ややカウンター気味に痛烈な一撃を放つ。
つもりでいたジークだが、一歩後退する。
背後から彼の胴体に手を回し、軽く抱き寄せるという行動を、後ろにいた少女が取った為だ。
虚を衝かれたように硬直したジークの鼻先数ミリの所を、真下から伸びてきた枝木が高速で通過して行った。
と同時、周囲の床や壁を突き破って無数の枝が獰猛に伸びる。
二人の身体を避けて複雑に枝分かれして成長し、襲い掛かる『竜』だけを空中で串刺しにして一掃した。
「……。」
タラリと頬に冷や汗を流し、ジークが無言のまま首だけ振り返る。
当然だが、その表情は険しい。
「い、言いたい事は分かるわ」
気まずそうに視線を外し、能力【ブレス】を解除しながら少女が口を開く。
辺り一帯に、貫いていた『竜』や壁の一部がザァっと落下する。
この範囲攻撃、ジークも死んでいた。
『竜』追尾するようにカクカクと曲がりながら伸びた枝木だが、あのまま攻撃していれば確実に頭部と胴体を貫通。
即死していた。
「ジークの反応が速過ぎた。まさかあの一瞬で攻撃に転じれるとは思わなかったから」
少々不貞腐れた態度に出た少女の腕に、自然と力が入る。
「っ!?」
再び硬直したジーク。
密着した事で背中に押し当たったのだ。
存在を盛大に主張しまくりの、張りの有る二つのフニャリとした弾力。
「わ、分かった。もういい」
その絶対的な心地好さに屈伏する前に、危なく少女から離れるジーク。
「とにかく、気を付けろ。色んな意味でだ」
「確かに。誤射で死ぬのはお互いに避けたいわ。交代で攻撃するようにする? 今は私が主立った攻撃をしたから、次はジークが。私はサポートに専念する」
「まあ、いいんじゃないか?」
一言そう言ってから、ジークは抜いていた黒剣を鞘に戻した。
少女と顔を見合わせると直ぐに駆け出す。
城の更に内部へと。
「しかし、妙だ。この突然現れた『竜』。本当に、何がどうなっている?」
ジークが横を走る少女に答えを求める。
「……殆んど同じだった」
すると少女は目を細めて答える。
「同じ? 何の事だ?」
「大広間から逃げて行った傭兵の数と、今倒した『竜』の数」
「まあ、確かに。言われてみれば」
しかしそれが何だ。と、ジークが続ける前に、少女は相変わらずサラリと恐ろしい一言を口にする。
「ガラティンは、触れた人間を強制的に『竜』にする能力【ブレス】を持っている」
「っ!?」
その言葉に一人、戦慄が走った。
だがしかし、様々な事の合点がいく驚異でもある。
脳裏を過ったのはカノンの言葉と、あの唐突に街に出現した『竜』。
最初から。
ガラティンは関与していた。
恐らくはタビンとも繋がりがあるだろう。
あの戦闘で命を落とした専属騎士達も、母親を失った子供も。
全ての原点にガラティンはいる。
メラメラと、およそ形容し難い怒りが底から沸き上がってきた。
「頭、腕、腹、触れる場所は何処でもいい。ガラティンの氣【ロー】は教会が最も危険視している極めて異質で凶悪なタイプ」
続ける少女の表情は平静を保っていた。
それは、ガラティンの仕業と思える『竜』の襲撃を受け、この先に控えているであろう不可避の戦闘をより現実的に感じたからである。
目に見えない重圧のような感覚が程好い緊張を彼女に与え、決して油断の無いよう冷静に徹する事を改めて自身の意識の内に決めたからだ。
「それがお前の言う、もう1つの真実か?」
少女が、話したのを後悔する程明らかに、ジークの感情は剥き出しとなっていた。
猛禽類の如く鋭さを増したその瞳には、触れれば火傷を負うであろう炎が猛る。
無難に、少女は軽く頷く。
「教会は、何でそんな奴を追っている? 普通に考えれば軍の仕事だろう?」
「それは……」
「まあ答えられないなら、それでもいい。ただ単に軍が真実を知らないから、教会が驚異の排除に動いている。今はそう考えるさ」
向かう先、正面には両開きの扉があった。
使用人達はここから王族の領域に入る事になる。
内部の景観を損なわぬよう仕切りの扉は全て装飾が施されており、守りの薄い使用人棟からの侵入を防ぐ為に厳重に施錠されていた。
そしてその鍵は、王族と一部の使用人だけが所持している。
見た目は木造の趣のある扉だが、内側には厚さ30センチの鉄板が仕込まれているのだ。
その、重火器を使用しても決して開く事の無い鋼鉄の扉を、ジークは蹴りの1発で破壊してみせた。
丸く陥没した扉が、重々しく赤絨毯の上に落ちる。
二人が足を踏み入れたのは幅の広い直線廊下。
「ひぃっ」
短く悲鳴を上げて怯えたのはベールであった。
「おやおや~?」
ベールの側には、全身を上品な黒スーツで統一した長身の帽子の男。
扉を破って現れたジークと少女に少々驚いたようだ。
「ガラティン=バンクト!」
少女が声を張り上げて男を睨む。
殺気を漂わせ、一気に厳戒態勢に入った。
「あははは。君のような美人に命を狙われるなんて、嬉しいね~。今夜、食事でもどうかな」
飄々とした態度で、ガラティンは鞄を持っていない右手で帽子を押さえ、後退する。
「隣の男は只の連れかい? それとも……」
「彼氏かい?」と幼稚な茶化しを続けようとしたが。
少女の隣に立っていたハズの男の姿は、ガラティンの前から忽然と消えている。
思考を巡らせ、一拍。
視界の右端に、低い体勢から攻撃に転じる男が映った。
帽子を押さえた事によって生じた僅かな右腕の死角に潜り込んだのだと悟る。
その敏捷さと隙を逃さぬ強かさを高く評価したいガラティンであったが、安易に近接戦闘に持ち込んできた無謀な勇気を嘲笑う下卑た気持ちの方が数倍勝っていた。
先制を取ったつもりでいる名も知らぬ相手。
滑稽かつ酷く愚かな一手に思えてしまう。
撃ち込んで来た所を去なして、右手で軽く触れる。
それだけでいい。
その幾度となく繰り返してきた作業がもたらす結末に、期待と興味が湧く。
つい口に笑みが零れた。
が、予想に反して。
刹那、右腕と下顎を木っ端微塵に破壊される。
「なっ……、ぶぁっ……!?」
盛大に血飛沫を上げてガラティンが宙にブッ飛ぶ。
この体勢になって、ようやく何が起きたのかが理解出来た。
剣撃だ。
想像を遥かに越えた超高速の突きを叩き込まれ、右腕を貫通して下顎まで持っていかれた。
臆することの無い力強い踏み込みから放たれた美しくすらある鋭く重い一撃は、鍛練が物語る究極の成果。
廊下の壁に激突し、血反吐を吐いて赤絨毯に頭から落下するガラティン。
血の海に崩れ落ちる。
「動きがトロいんだよ」
突きの体勢を崩し、剣を肩に担いだジークがそれを見下ろした。
放つ刃は、神を殺す者への宣戦布告となる。
お疲れ様でした。
此処まで読んで頂けた事に深々と感謝です。
そして、投稿された事に気が付いて頂き感謝です。
次回は早く出来るかもです。