命を託す者
かなり久し振りの投稿です。毎度の事ですが
◆ ◆ ◆
絶望の雨が降っていた。
朝方の淡い光と霧の中に冷たく、嘆くように。
深い灰色の世界は、広大な草原と森林一帯に淀みなく何処までも広がっている。
その一角。
丘の上の草原には、雨に打たれる二つの人影があった。
仰向けに倒れた男と、剣を握ったまま男を見下ろす蒼い髪の少年。
「完成だ……! 満足のいく、結果だよ」
倒れている男が穏やかな笑みを浮かべて、愕然と立ち尽くす少年へ言う。
「これが最後の課題だった。お前は見事に、合格した。もう大丈夫だ……お前は『完成』したんだ」
腹の傷から血を流しながら。
絞り出すような声で。
少年を諭す。
「2時間後に馬車が来る事になっている。書類は俺の鞄の……」
「父さん」
少年は剣を手から滑り落とし、男へポツリと呟いた。
男の話など、まるで耳に入っていなかった。冷静に受け止めるには、少年の心はまだ少し幼い。
「そう呼ばれるのも、これで最後だな」
男が短く笑う。
「忘れろ、偽りの家族ごっこは終わりだ。俺の存在は、これから全て消されるだろう。これも、計画の都合上という、ヤツさ……」
「父さん」
震える声。
少年は男にフラフラと歩み寄る。
「どうして、避けなかった?」
「……っ!」
核心を突いた純粋な問い掛けに男は息を飲んだ。
「父さんなら、簡単に出来た筈だ!」
雨に混じり少年の頬を涙が伝わる。
男は表情を読まれぬよう、左腕で自分の顔を然り気無く覆った。
「お前と、長く暮らし過ぎた……」
「え?」
「何でも無い。只の、俺の個人的な計画の結果さ。お前の罪じゃあない、これは俺の罪だ」
「そんなの、おかしいだろ! 最初から死ぬつもりだったなんて! 偽りでも、何だっていい。俺には、父さんしかいないんだ……!」
「ハハッ、嬉しいね」
男の声色は平静を保ってこそいる。
が、目尻からは溢れた涙が次々と落ちていく。
「けどな、俺はこれで満足、なんだ……。『竜』に殺された、守ってやれなかった息子の代わりに、お前を守る事が出来た。今度こそ、俺は守れた」
男は両の手を力強く握り締める。
少年がその意味を知るのは、まだ先だ。
「一つ心残りなのは、ジーク……。これからのお前を見届けてやれない、事だな」
もう、終わってしまったのだ。
何もかも全て。
「生き残れ……! そして、世界を……変えてくれ」
その言葉を最後に、男の命は急速に光を弱めていく。
違うカタチで出会っていたら、失わずに、終わらずに済んだのだろうか。
「父さん……」
今はまだ分からない。
ただ状況に流されるだけだ。
空っぽになっていく心の片隅で、少年は必死に別れの言葉を振り絞る。
「ありがとう」
終わって、そして始まる。
きっとこの結末は、最初から用意されていたのだろう。
こうなるように。
キチンとここに辿り着くように。
人為的に決定した運命の上を、確実に歩かせる為に。
耳に残るのは冷たい雨の音と、狂ったように泣き叫ぶ己の声だ。
◆ ◆ ◆
目を開けると、天井が見えた。
室内のベッドの上に仰向けに寝ている。
それにしても悪い夢を見ていた。
目覚めは最悪である。
身体を起こした途端に走る傷の痛み。
顔を歪めるが、まだ自分が生きているという事をジークは理解した。
上半身は腹部に巻かれた包帯以外、何も身に付けていない。
治療の為に脱がせたのだろう。
視線を巡らす。
室内には小さなテーブルとカーテンに覆われた窓しか見当たらず、質素な作りのカーテンの隙間からは、日の光が強く射し込んでいる。
かなり長い間気を失っていたようだが、一体ここは何処なのだろう。
腹部を抱えながら、ベッドに腰掛ける格好になる。
「油断大敵、か……」
ギルド長の台詞を口にし、ジークは自嘲気味にわらう。
文字通り手痛い一撃となってしまった。
もしこの場に彼女がいれば、どんな言葉で叱咤してくるのだろうか。
そんな少し恐ろしい事を考えていると、一つしかない部屋のドアがガチャリと内側に開いた。
長い金髪が先ずジークの目に入る。
「お前は……」
澄んだ翠玉色の瞳を持つ、あの美しい少女だった。
外套を羽織っていない彼女は一回り小さく、より華奢に見えた。
身に纏っているのは白地のローブと、スラリと細く長い脚が露になる短い紺のスカート、そしてブーツであった。
「気が付いた?」
少女は薄く愛らしい笑みを浮かべると、抱えていた小さな椅子をジークの正面に置く。
その動きだけで、彼女の胸元が大袈裟に揺れた。
ローブの上からでも一目で分かる程、随分と豊かな膨らみを持っている。
何処かの特殊階級騎士補佐官とは次元が違うな、と感心した所で。
「そういえば俺の連れがいたハズなんだが、知らないか?」
視点を少女の顔に切り替え、ジークが訪ねる。
「今、上に居る」
おっとり口調で天井を指差し、無愛想とも取れる面持ちで少女は椅子に座った。
只でさえ短いスカートの布が引き上げられ、柔らかい太ももが更に露出するという演出が生じたが、それは際どい位置で停止する。
不覚にも少々狼狽えてしまった自分を一喝するつもりで、ジークは咳払いした。
「上?」
言葉を反復すると、少女はコクコクと頷いた。
「アリンは、見張りをしてる。傷付いた貴方の変わりに。彼女から大体の事情は聞いているわ」
どうやら城から脱出した後は、何の因果か目の前の少女に奇跡的に助けられたらしい。
神の加護とやらか、単なる悪運の強さか。
「成る程な。医者を呼んでくれたのはお前か?」
「え?」
「キッチリと手当てされているようなんだが」
「……あ、うん。そんな所」
少女は本の少し視線を違う場所へ行かせて答えた。
「そうか、世話になったみたいだな。差し支えなければ、礼をさせてくれ」
しかし、状況は好転していない事も悟る。
ジークの金色の両眼が鋭くなった。
「この国を出られたらな」
僅かな沈黙を挟み、少女は一度目を伏せ俯く。
「理解が早くて、助かるわ」
そして再び目を開けると、平然とした表情で語り出した。
「ここは、王国の東側にある住宅街。空き家になっている所を少し借りてる。貴方を連れて移動するのは、ここまでが限界だった」
「……何があった? あの後」
ジークがそう言うと少女はおもむろに立ち上がり、窓を遮っているカーテンに近付く。
「誰にも予想出来なかった事が起こった」
両手でカーテンをそれぞれ左右に開き、窓も開け放った。
「な……っ!?」
少女の隣に立ち、三階からの街の風景を目の当たりにしたジークは絶句する。
街の中心、大通り付近の住宅街や建物は広範囲に渡って派手に破壊されていた。
街中から白煙が昇り火の手も見える。
昨日見た風景とは、余りにかけ離れていた。
「夜明けと共に、大勢の傭兵団【ロード】が国に流れ込んだの。貴方が闘ったのとは別の組織。開門を手引きしたのは、恐らく王女よ。3つある門は全て傭兵達に占拠され、脱出は不可能」
「バカな……!」
国王という目的を失っただけで、何故ここまで国を破壊する必要があるのか。
「アリンが言ってた。二つの目的が王女にはあるだろうって」
大通りから昇る黒煙を眺めながら、少女が続ける。
「一つは、手負いの貴方を見付ける為。でもそれは、この破壊の副産物でしかないって。本当の目的は別にある。もっと恐ろしい事」
「恐ろしい……事だと?」
現実を受け入れ難いジークは、ゆっくりと少女の方に顔を向けた。
少女はコクリと一回だけ頷く。
「王女は、国民を皆殺しにするつもりでいる」
「……。」
言葉が出なかった。
「これは復讐。絶対的で逃れようの無い決定された運命への。支持する者、讃える者、守る者、全てが彼女を運命へ縛り付けた。だから」
「王女としての自分を形作ってきた国その物を、今度は消し去ろうっていうのか!?」
窓枠を強く握り締め、ジークは奥歯を鳴らす。
「殺戮を行う理由や感情は私には理解出来ない。けど、決定された運命から逃れようとする気持ちには、共感出来る所がある」
「少しはな」
悪夢のせいだろうか。
自分が重複する。
「だが、運命は立ち向かうものだ。それが自分の事なら、尚更な」
ジークは踵を返し、足早に部屋のドアへと向かった。
「何処に行くの?」
「大通りだ。止めるんだよ、この殺戮を」
ドアを開き、質素なリビングに入る。
逆さまになって窓枠にぶら下げられていた自分のブーツを掴み、上着と黒地のシャツが置かれていたソファーに座った。
少女もそこへやって来る。
「その怪我で行くの?」
「当たり前だ」
ブーツ、シャツ、ジャケットを包帯の上から手早く身に付けていく。
最後に壁に立て掛けられていた魔剣『アスカロン』を掴み、腰に特製のベルトで固定した。
街には傭兵団【ロード】が彷徨いているだろう。
極力体力の消耗は避けたい。
街の地図がもうすっかり頭に入っているジークは、大通りまでの最短ルートを割り出しに掛かった。
頭の中で、進むべき道を選択していく。
約一月にも及ぶ調査が意外な形で役にたった。
「行っちゃダメ」
金髪の美少女がそう言ったのは、粗方ルートを絞り終え、入り口のノブを軽く捻った時だった。
「……。」
ジークは無言で首だけ振り返った。
彼女の体はまだソファーの近くにあり、明確な意思表示も見受けられない。
気のせいかと、ジークは再びドアノブを捻った。
「行っちゃダメ」
まるでその動作がスイッチであるかのように、しかし今度は少し声量を増やして、再び彼女はそう言った。
ジークは半眼になりながら振り返り、ドアを背にする。
「行ったら、貴方は死ぬわ」
丁度、少女の薄桃色の小さな唇が、台詞の通りにふっくりと柔らかく動いた。
聞き間違いは期待出来ない。
可愛い顔をして、三度目は随分と物騒な事を言っている。
「……かもな」
ジークは短く答えた。
「私には分からない」
先程まで無愛想だった少女の顔が、僅かではあるが暗く沈む。
「他人の為に命を投げ出して。闘って闘って、傷付いて」
ジークに近付いた少女が、軽く薔薇の香りを振り撒きながら見上げてきた。
何かを強請るような、それでいて悲しみに淀んだ翠玉色の瞳で。
「そんな生き方が、本当に必要なの?」
「……。」
ジークは頭の後ろを掻きながら、少し困ったように視線を外した。
「お前は、今のこの世界をどう思う?」
「え?」
「闘う理由なんて、それだけで十分だ」
踵を返し、ジークはドアを跨いだ。
「少なくとも俺は、自分が後悔しない選択になら命を賭ける」
ドアが閉じられるも、少女はそれ以上引き止めなかった。
半ば唖然とした表情でドアを見詰めている。
追える筈がない。
自殺行為としか思えない行動を裏打ちするかのような、強い覚悟が滲み出た言葉だったからだ。
「ちょ、ちょっと! 今……ジークが走って行くのが見えたんだけど!」
暫くドアの前に立っていると、部屋の奥からフード付きの外套を身に纏ったアリンがバタバタと走って来た。
少女は長い金髪を揺らしながら、コクンと一度頷く。
「あの怪我で?」
呆れたようにアリンが額に手を当てる。
「まだ体力も戻ってない」
「あの人は、もう本当に……」
どうして無茶ばかりするのかしら。
と、続けようとすると。
「でも羨ましい」
未だ背を向けたままの少女が遮った。
「私には、自分が無いから」
少女はドアノブに手を掛けた。
「……やっぱり、行くのね?」
アリンの表情が強張る。
手にしているボルトアクション式ライフルの銃身を強く握った。
コクリ、と少女。
「教会から与えられた使命を果たさないと」
少女によって開かれるドア。
銀色の空を割って地上に降り注いでいる太陽光の一つが、少女の金髪を美しく煌めかせた。
お疲れさまでした。ここまで読んで頂けた事に、感謝です。
次の投稿は、早めに出来そうです。