十六話 アフレコ
壁際にパーテーションで仕切られただけの簡易的な小部屋。エコーが作業をするために急ごしらえで設けられ、アニメーター用の作業机を中心に、彩色や撮影など、デジタル処理を施すための機材までギュウギュウに押し込められた。
「さっき描き直した原稿、持ってきとるやろ?」
「はい、ここに!」
キースは先ほど、エコーに即興で描いてもらった絵コンテと原稿を見比べ、自分の指示通りになっているかどうかを入念に確認。机に手を突き、彼女に目を合わせてコンテの束を振った。
「まずは第一話だけ作れ。そしたら即アフレコを始める。やる気を削ぐようで悪いんやけど、続きはまだ手ぇ付けるな」
「どうしてッスか?」
「配信後の再生回数や投票でアニメを続けるかどうかが決まるんや。人気出ないモンを今後も作ったところで金の無駄やしな。昔は数打ちゃ当たる戦法が主流やったそうだが、今は業界の規模も小さいから余裕は無いし、そんな贅沢なやり方はできへん。選りすぐりの精鋭だけに全力を注ぐんや。そっちの方が売る側としても低コストで効率はいい。盛り上がってるモンを手掛けてるって意識ある方が、作り手のバイタリティも上がるし、一石二鳥やろ?」
「なるほど!」
「分かったら、とっとと仕上げろや。アフレコは明日の午後から。普通、こんなカツカツのスケジュールありえへんけど、大丈夫や。お前ならやれる」
「ありがとうございます! ご期待に添えるよう、頑張りまッス!」
「おう、ホンマに期待しとるで。そんな頑張り屋のお前に、俺からのご褒美や。紹介したる」
スッと部屋の外に隠れていた天久木が姿を現す。キースから満を持しての登場を強要され、薄ら寒さと気恥ずかしさが相まってぎこちなく頬を搔いた。
「この前の新人さんだよね。初めまして、天久木っていいます」
「コイツが今日からお前を手伝う漫画家兼アニメーターや。はっきり言って実力はお前以下やけど、仮にも先輩やから手取り足取り、好きなだけアドバイスしてもらえ」
「……あ、天久木先生!? は、初めましてッス! エ……響と申しますッス!」
思わず勢いよく席を立ち、かしこまって九十度のお辞儀をするエコー。携帯が鳴り、対面した二人に構わず通話に出たキースは、がなりたてるように大声を周囲に響かせた。
「あ、あの! オレ、天久木先生の大ファンッス! 先生のダイナミックブレイバーや特撮のヒーローに憧れて、励まされて、勇気付けられたおかげで今ここにいるッス! 一緒にお仕事ができるなんて光栄です!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
脇に抱えていたパイプ椅子を拡げ、エコーの隣に腰掛けて天久木は哀愁を漂わせる。
「……生でファンの声が聞ける機会なんて、そうそうないからさ」
「うんうん、仲良くやれそうやな。ほな、俺も忙しいから帰るわ。後は頼んだで、天久木ぃ」
先方との電話でやり取りを続けながら、キースは退出。一気に静まりかえった空間で、アニメーターたちが忙しなくペンを走らせる音だけが微かに聞こえる。
口喧しい編集者がいなくなって落ち着くも束の間、年下のファンと気まずくなる前にさっそくレクチャーを始めようと、天久木は「よし」と膝を叩いた。
「じゃあ、響先生。大変だと思うけど、お互いに頑張ろうね」
うッスと、返事と共に気合いを入れ、エコーは目の前の動画用紙と向き合う。
出版社ではなく、近傍の雀荘でゆっくりと深夜まで時間を潰したキースは、自宅へ帰って酒をかっくらい、昼間まで熟睡してからまた制作会社へ行き、従順な手駒に監視の目を光らせた。
覗くと、まるで暇を持て余しているかのように二人で熱く漫画について語り合っている。怒鳴り散らして割り込もうかと思ったが、相手を怖じ気づかせるやり口としては二流のそれである。
まずは下手に出てしばらく様子を見る。そして少しでも小さなミスを発見し、そこを責め立てるようにして必要以上の背徳感を植え付ける。それをすぐに許してやると、また何事もなかったかのように、元の度量がある心優しい編集者に切り替わるのだ。ひたすらこれの繰り返し。
続けていくうちに、自分は彼らにとって頭の上がらない絶対的な立場の存在へと昇格していく。
単純な飴とムチだが、これこそ自らが編み出した我流の帝王学であるとキースは信じて疑わなかった。
「できたー?」
そんなわけで軽い調子で訊ねながら部屋に入ってみた。すると天久木と談笑していたエコーは、笑顔のままで側のハードディスクを手で示した。
「はい! アニメ第一話、完成ッス!」
PCの画面に流れる色鮮やかな動画にキースは目を丸くした。部屋の脇にあるテーブルには大量のカット袋が山積み。
ここでのアニメ制作は、昔から無料で配布されている著作権フリーの3DCG素材を用いるのが主流であり、手書きでの作業は、キャラクターの頭髪や表情。
首から上は紙とペンでデフォルメ化して重ねる方が、客にとってはモデリングよりも好ましく、様々な角度に応じて少しだけ手を加えることなどが、アニメーターに任される最低限の工程であった。
しかしエコーは、動画も背景も全てえんぴつと筆で描き、むしろPCで行う作業の方がそれほど多くはなかった。
天久木は原画が何かを丁寧に教えた後、あまりにも早くエコーが仕上げてしまったので、そこまでスピーディーだといっそ全部描いちゃった方がいいかもね、と笑いながら冗談半分で言い、それを真に受けたエコーは本当に手作業で進め始めた。
天久木も漫画家と並行でこの仕事を担えるほど、類い稀なる才能の持ち主ではあったが、とんでもない速度で描かれていくと同時に、バラバラとめくられていく薄い紙に浮かび上がった本物のアニメーションには戦慄を覚えた。
キースにとってもこれは想定外で、あんな無理を言ったのは、できなかった時に脅しの材料を増やすため。
まさか本当に一日で五分アニメを作るとは考えもしなかった。アフレコは動画がなくても絵コンテさえあれば十二分。むしろ無くてもできる。
だが、エコーは物理的不可能に近いことをやってのけた。
「お前、最高やな」
「天久木先生のおかげッス!」
「あかん、泣きそ。他の作家もみんなこうだといいのになぁ……。お前も見習えや、天久木!」
「む、無理です……」
「ま、ここで感激しとる場合やないな、次はアフレコや。ほな、このままサクッとな」
当然のように完成していた台本をコピーし、キースはエコーを連れてすぐ隣の収録スタジオに足を運んだ。
防音が施された収録室は意外と広く、五十畳近くはある。タバコが吸えなくて貧乏揺すりをするキースの横で、エコーが発声練習を始める。黙れ!と一喝されてからは数十分の無言が続いた。
予定よりも遥かに遅れて中年の白髪男が入室。今回のアニメで監督を務めることになった人物である。
「ああ、キースさん! お疲れ様です。お世話になっております」
「いやいやいや、監督ぅ~。そんなかしこまらんくても。長い付き合いじゃないですか。気楽にやりまひょ。こっち、原作者の響センセ。主人公の声優もやらせますんで、コキ使ってやってください」
「はじめましてッス!」
「あ、どうも……」
キースには低姿勢の監督であったが、エコーに対してはあまり快くない様子。
映像業に携わる者にとって、原作者とは余計なチャチャを入れる弊害以外の何モノでもなく、そのタイトルも後々自由に制作ができるオリジナル作品のための繋ぎでしかない。編集者もその限りではないが、出版社の人間という立場上、そうそう逆らうことは叶わない。
キースがアフレコや脚本会議に原作者を呼び出すのは、自らの発言権をさらに強めるためであり、客寄せの露骨なサービスシーン挿入など、原作者を介すことでそれらの提案が滞りなく通りやすくなるのだ。
彼はもう完成したアニメをタブレットで見せびらかし、自分の手柄だと監督に自慢した。
「それで、この作品の方針についてですが」
「まずは大々的に宣伝ですね」
「ですよね。いつもどおりそちらに全てお任せで……?」
「ええ。一応、ウチで取り扱う媒体でも全面的に推しときますが、ネットの掲示板なんかを利用すれば費用も掛からない。まとめサイトや人気動画投稿者にも依頼を出しときます。勝手に人のふんどしで生活してる奴らですからね。こっちの申し出は断れないし、高い金払ってスポンサーに頼むよりも安く雇える上に宣伝効果もそこそこいいですから」
「さすがですね」
「世の中、アホばっか。ちょろいモンですよ」
ガラス越しにアフレコのテストをするエコーを尻目に、そんな話をしながら監督を収録後飲みに行きましょうと誘うキース。
しばらくして入り口のドアが勢いよく開き、一人の女性がヘッドスライディングで滑り込んできた。
擦れたおでこを片手で押さえ、痛みとパニックで涙目になりながら、キースと監督にぺこぺこと頭を下げる。
「の、能力者機構のスヲルタです! す、すいません、道に迷ってて……遅れちゃって……あ、あの、申し訳ありません!」
「おお、待ってました。噂のBランク声優さま! 期待してまっせ!」
それから何度も二人に謝ると、台本を受け取り、収録室へと入った。
スヲルタは元々アニメが好きで、声優という役割も自らで希望した。しかし能力者機構では、個人での活動以外を許されない。
だからセブンには内緒で、スヲルタはワールドツリー外で行われるアニメのオーディションに参加することをついに決意した。
実際にはオーディションとは名ばかりで、現代では数少ない声優は申請さえ済ませればほぼ確実に通る。
そのような情報収集も含めてスヲルタの下準備は抜かりなかった。小さい頃から、この日のために声優としての腕を磨いてきたのだ。
自分の声が、どんなキャラに合うのかを録音して推し測り、同時に主観的、客観的に違って聞こえるギャップも埋めた。
共に作品を創っていく人たちに迷惑が関わらないよう、収録現場での立ち振る舞いなども予習を怠らなかった。
とはいえ、初っぱなから現場を探すのに手間取い、遅刻をやらかした。でも落ち込んではいられない。
こんなちょっとした出来事も、気弱であるスヲルタなら普段は四、五日ほど立ち直れないが、そうならないのは固い決心と夢の力である。
幼い頃から現在までに至り、ずっと努力してきた日々と自分自身が、背中を押し、困難に立ち向かう勇気をくれるのだ!
そうやって、たかが遅刻ごときで大層なモノローグを心の中で歌い、己を奮い立たせる。
「スヲルタです。遅れて申し訳ありません! よろしくお願いします!」
「響ッス! よろしくお願いしますッス!」
先に来ていた声優に謝罪と挨拶。どこかで聞いたことのある声に、顔を上げ、ギョッとした。
エコーは硬直しているスヲルタを見て首をかしげる。彼女は消え入りそうな小さな声で改めて挨拶し、脇の椅子にストンと腰を落として、ブツブツと呟き始めた。
「……開封後は要冷蔵十度以下で保存し、賞味期限を問わず、できるだけお早めにお飲みください……沈殿物は品質に問題ありません。よく振ってからお飲みください……容器を捨てる時はキャップと別けてください……」
違う、これはここに来るまでに滑舌練習で使っていた飲み物の容器だ。読むことに夢中になっていたせいで道に迷って遅れた、忌まわしき注意書きだ!と、ペットボトルに八つ当たりをしてから台本を開いた。
制作スタッフの一覧に目を通す。バドルナスト……響……。変装をしているが、間違いなくスーパーヒロイックのエコーだとスヲルタは確信する。
商業作品として配信されている五分アニメでは、どれか一つの作品に絞ったオーディションを受けるのではなく、今期のタイトル全般を視野に入れられる。プロダクションも存在しないので、声優はみんなフリーで活動しており、どのアニメに出演するのかは制作会社が勝手に決めることだった。
スヲルタはネムレスの判定がBランクだから売りになるという理由で、キースがすぐさま手を上げて引き抜いた。
彼女自身、最近エコーが出版社で漫画家として活動していることはもちろん知っていた。それが問題でセブンは大変荒れている。
「アイドルーアイドルぅ~♪ ゆけーカイワレ村に歌声轟くアイドルんるん~♪」
だがアニメ、ましてや声優の仕事をしているなど全く聞いていない。セブンの目付役としては、このチャンスを棒に振るわず、収録後にでもすぐに攫って行くべきだ。きっと、ものすごく褒めてもらえる。
だが、エコーは自分でここに残ると決めたという。彼女の意思を尊重するのなら、このままにしておくのが人としての道理だろうか。
それに……あんなに一生懸命、アフレコの練習をしている。能力者機構の一員として以上に、同じ声優として、その姿勢を無下にすることはできない。
はたして良い結果になるかどうかは解らないが、このアニメが、これから茨の道を進んでいく彼女にとって重要な糧となるのなら、協力したいとスヲルタは思った。
先の事件で、同志たちがエコーのために身を投げ打っていく中、自分は何もすることができなかった。いざという時になってから怖じ気づき、セブンの近くで事態が収束するまで隠れていた卑怯者。
そんな自分が、今度こそエコーの力になれるかもしれない。
「アイドルん~どぅるんどぅるん~♪」
ダークネス能力者としては戦闘向きではない上、身体能力もからっきしだが、声優の能力はあると自負している。しかも、セブンとネムレスのお墨付き。
こっちの方面でなら、他の誰にも負けない。収録でエコーに困ったことがあれば、いくらでも手助けする構えだ。
スヲルタがそんなどうでもいい逡巡を終え、やっと他の声優たちが到着し、ぞろぞろと入ってきた。声優は時間絶対厳守……のはずだが、さっきまで罪悪感で押しつぶされそうになっていた自分はなんだったのかと、釈然としない様子のスヲルタ。
それに妙だった。ここには、収録に必要であるはずの機材が足りない。モニターが無いのだ。
調整室にあったミキサーも小型で、能力者機構にある設備よりもずっと簡素だった。それから何故か無駄にだだっ広い。
声優たちがマイクスタンドを持ち運び、収録室の真ん中に円陣を組み始めた。エコーとスヲルタは訳も分からず、それに習う。
円陣の中心に監督が立ち、頭に女性用のストッキングを嵌めた。身を乗り出して思わず凝視するスヲルタ。
「ええ、それでは第一話『奮起』」
……んんっ!? と、スヲルタがデータベースとは異なるイレギュラーの連続する現状に疑問符を浮かべるのも束の間、監督が台本を読みながら、とち狂ったように喚き始めた。
「チュンチュン! ブゥゥゥゥウウウウウウウウン!! ガラガラ!! はい、ここ響先生ぇえ!!」
「うーん! 今日もいい天気っ! あたしは春風ヒロコ。今日から普通科の高校一年生っ!」
予告も無しに監督から力強く指名されたエコーは、この怒濤の展開にも柔軟に対応。他の声優たちもそれぞれ、当たり前のように役をこなしていく。
いまだ状況を把握できていないスヲルタは、ただあたふたと、周囲の状況に面食らうばかりだった。
「あ……え、え?」
「はい、スヲルタさん!!」
「……ッ!? ひ、ヒロコちゃん、おはよ~!」
いよいよ番が回ってきて、一瞬どもりミスったが、なんとか誤魔化せた。
ぶっ通し四分弱、どうにかこうにか乗り切って収録を終え、監督は息も絶え絶えで、ストッキングを外して汗を拭き、スポーツドリンクを喉の奥へと流し込んだ。やり直すなど面倒なので、互いが一回勝負の一発録り。
「ハァ……ハァ……」
「いや~、監督ー。相変わらず見事な仕事ぶりですなー。惚れ惚れしますわぁ」
「ハァ……ハァ……情けないです。もう疲れちゃって。僕も歳かなぁ……うっぷ」
「へぇー。アニメの収録ってこうやるんッスねぇ。初めて知ったッス」
「……す、少し違う気がします」
百歩譲って、このやり方が有りだとしても、せめて音響監督や別の人がやるべき仕事ではないのだろうか。
古くから受け継がれてきた歴史、それらは根こそぎ奪われてから時間と共に色褪せていき、もはや断片的な部分でしか記録が残っていないことから、妙なところで独自の文化を築いている無法地帯の住人たち、空恐ろしさ、その片鱗を垣間見たような気がするスヲルタであった。
「ちょっとアンタぁ!!」
唐突な大声にびっくりして、スヲルタの短身がぴょんと跳ねる。気が小さいので、こんな時はきっと誰かが不甲斐ない自分を叱りに来たのだと、勝手に思い込むタチであったが、振り返って息を呑み、怒鳴られているのがまさにその自分であるのだと確信した。
ケバケバしい化粧で、この場に似つかわしくない派手な舞台衣装姿。彼女こそ、巷で有名なマルチ声優、ディダンダ・ラズベリー。通称ディダベリである。
「ここ、ここさー。思いっきり棒だったよねぇん」
「え!?」
演技を指摘されたことは心外であり、ビクビク怯えることも忘れて、ディダベリの胸元に首を突っ込み、開かれた台本をガッと覗いた。
確かに慣れていない環境でもあって少し戸惑ったが、最初の場面以外では、他の役者たちよりも完璧にこなしたつもりだった。それなのに、いま注意されているのはスヲルタ一人だけ。
もし本当に棒読みしたシーンがあるのなら、このダメ出しは真剣に聞かなくてはならない。
「う、嘘……どこですか!? 教えてください!」
「だ・か・ら、ここー。あそおからダーッいったら、バーってなるっしょ。ぜんぜんてぃてないからぁ」
なにやら色々と教えてくれているみたいだが、何を言っているのか解らず、彼女の言葉がなかなか頭に入ってこない。
かといって、歳上の先輩声優に対し、「滑舌が悪すぎて上手く聞き取れません!」などと言えるはずもなく、スヲルタにはただ黙って萎縮するしか術はなかった。
「Bランクなんでしょー? なんでこんなに簡単な演技もできないのー? しっかりしてよ、ネー?」
「す、すいませぇん……」
「謝るんじゃなくて、誤るなよー。あ、これ言葉遊びね、言葉遊びぃ~。はい、もっかいやってみて」
収録室にはもうこの二人しか残っておらず、ディダベリが放つ喧嘩腰の威圧感によっていつもより余計に緊張してしまう。
しかし仮にも、Bランク声優。ここぞという時にこそ、スヲルタの集中力は常軌を逸する。
原作はまだ見せてもらっていないが、台本から読み取れるキャラの感情、舞台の情景、その全てを心に思い描き、一意専心、役に成りきったスヲルタは目をつむり、見開いた瞬間からまるで俳優のように、ボディランゲージを用いて真に迫った演技を披露した。
「ヒロコちゃん……やっぱり、わたしもみんなの力になりたい! そのためにアイドル……うん! 一緒に頑張ろう!」
「え、なに? もっかい」
「ヒロコちゃん……やっぱり、わたしもみんなの力になりたい! そのためにアイドル……うん! 一緒に頑張ろう!」
「……っぷ」
ディダベリがその演技を見ながら口を押さえている。彼女の反応に、スヲルタは揺らぎそうになった心を抑えた。
……笑われてしまうほど、何かおかしいところがあったのだろうか。
「ひ、ヒロコちゃ……す、すいません。スーハー……スーハー……」
雑念が生じたおかげで集中力が途切れてしまい、しっかり重なっていたキャラクターの魂が抜け、現実の自分へと引き戻された。
ディダベリは相変わらず笑いを堪えている。深呼吸をして、もう一度、アニメの世界に自身を没入させていった。ありったけの気持ちを乗せ、ぶつけるようにして演技に力を入れる。
「ヒロコちゃん……やっぱり、わたしもみんなの力になりたい! そのためにアイドル……うん! 一緒に頑張ろう!」
「んふふ、んふふ。もっかい、もっかい」
「ヒロコちゃん……やっぱり、わたしもみんなの力になりたい!! そのためにアイドル……うん!! 一緒に頑張ろう!!」
「あははは!! にひゃっはっはっはっは!! ヒーヒー! そのためにアイドル……ぅん! だって! なにそれ、バッカじゃねぇぇのぉぉぉぉーーーー!? アニメごときで必死になってんじゃねぇよ! ウヒャヒャヒャひゃひゃ!!」
ついに噴き出したディダベリに、愕然とするスヲルタ。なんだか自分が本当に馬鹿みたいに思えてきて、悲しくなり、涙が出そうになった。
演技をすることが恥ずかしいなど、声優がそんな気持ちを抱いてはいけないのに。このお話はきっと、自分の尊敬するエコーが心を込めて作ったのだ。
スヲルタは人一倍に臆病だが、演技に臨む時だけは自信に満ち溢れていて、その自信は長年培ってきた努力の賜であり、彼女の誇りである。仕事の一環とはいえ、人生の貴重な時間を費やし、命を賭けて挑んできたつもりだ。
たったいま、その全てを踏みにじられた気分だった。
「どこ行ってたんや、キミら。今大事な話してるとこやったのに」
何食わぬ顔で調整室に戻るディダベリに追随するスヲルタは、潤んだ瞳を袖で拭い、平静を装った。現場で泣いてトラブルを起こすなど以ての外。
「やはりアイドル物ですし、五分とはいえオープニングもエンディングも両方欲しいですかね」
「となると、本編削るか……センセ、作り直せる?」
「大丈夫ッス」
「ほんなら、作曲も頼むな」
「え、響先生、漫画もアニメも曲も作るの? それはちょっと負担掛けすぎじゃ……。時間掛かるけど、僕の知り合いの作曲家にお願いしてもいいですよ?」
「いやいや、センセがどぉぉぉしても自分でやりたいって聞かないんですよ。……な?」
「はい! 頑張りまッス!」
「すいませんね-。ホント、漫画家ってのは自己主張が激しくて困りますわー」
「というか、響先生は主人公の声優もやるんですよねー。初めてだから大変っしょ。私が変わってあげようか?」
「初めてッス! でも楽しいッス! 頑張りまッス!」
「ふーん……あんたは? 明らかに現場慣れしてないみたいだったけど、まさかBランクのくせに収録は初とか?」
「い、いえ、外でのお仕事はこれが初めてです。いつもは能力者機構で自作した詩の朗読とか……でも、アニメの仕事もやってみたいなって。ディダベリさんはどうしてこの世界に入ったんですか?」
「はぁ?」
「あ、その、えっと……声優になった理由とか、お聞きしたいなー……なんて……」
「いや、別に私なりたくて声優になったわけじゃないしー。本業はアーティストだからぁ。つーかプロデューサー、オープニングは私の曲使ってくんない? 最悪エンディングでもいいけどぉ。もちろんソロで」
「どっちもみんなで歌うに決まっとるやろ。アイドルグループって設定なんやし。続くとしたら、これからまだ六人くらいキャラクター増えるんやで? 一人でとか、それはいくらなんでも我が儘すぎやで、自分」
「ああぁ~? ちょっと、話違うじゃんよマネージャあああああ、ああぁあああああン!?」
「はひぃ! 申し訳ありません、ディダベリさま!」
「……ッチ。これだからアニメは嫌なんだよぉ……」
「まあまあ、これ一発当てれば全員万々歳や。盛り上げていきまひょ」
その言葉に、エコーだけが元気よく応え、キースとディダベリとアニメ監督、幾人かの声優は、また別の作品で収録が何本かあるため、スタジオに残った。
見事、現実に打ちのめされたスヲルタは、しょんぼりと能力者機構の会員証を見つめた。今日の出来事を話したら、セブンにも愛想を尽かされてしまうだろうか。もちろん、出演したからには最後まで付き合う責任があるが、制作会社には今期は複数のタイトルに出るつもりがない旨を伝えようと決めた。
携帯を取り出して、少し躊躇う。生意気だと思われるかな……もしかしたら、もう二度と使ってもらえないかも……と、あらゆる憂慮に堪えない彼女の肩を、馴れ馴れしくエコーが叩く。
「おつかれッス!……元気ないッスね」
エコーに触れられて、胸の痛みがすうっと引いていく不思議な感覚がした。
それでもスヲルタは苦しそうに笑って、己の不甲斐なさを嘆くばかり。
声優は人間関係の仕事でもある。本当なら、エコーのように誰とでも上手くやっていけるくらい強かであるべき。
「だ、ダメですね、わたし。もっと上手くやれるつもりだったんですけど。ディダベリさんにも嫌われちゃったみたいで……」
「そんなことないッス! スヲルタさんの声、オレが想像してたキャラクターの声そのままッスよ! 一緒に頑張ろうッス!」
弱音を吐いた自分に返されたエコーの言葉が、演じたキャラクターの台詞を連想させる。
それで簡単にコロッと落とされてしまったスヲルタは、落ち込んでいたのが嘘みたいに、表情がパァと弾けて明るくなり、手を組んで愛おしそうにエコーを仰ぎ見るのだった。
「……あ、ありがとうございます、エコーさまぁ……!」
「ふ、ふんふん! 響ッス」




