四話 死屍累々
「本当に一人で大丈夫? あんた、元お尋ね者じゃなかったの?」
病人をエコーとベベルたちに任せ、ユキヒコとフィリップはワールドツリーの真下まで来ていた。
先に来ていたジフたちからの話では、まだ下層フロアにもビフレスト回廊にも人がいっぱいで通れる状況ではないそうだ。一早く駆け付けた彼らでも、混雑で身動きが取れないとのこと。
統治局や能力者機構からのアナウンスもなく、あそこの住民で唯一連絡先を知っているシンシアには何度か電話を掛けたが繋がらない。
なので、正規ルートを通ることなく上層まで登ることが可能なユキヒコが、調査を買って出た。
「どうせてんやわんやしてるだろうし、俺に構ってる暇もないだろ。もし何かあっても、エコーには黙ってろよ」
じゃあな、とユキヒコは能力を発動。重力場を全身に纏い、地球の磁場から自身を切り離す。ワールドツリーの壁面に背中を張り付け、『取り柄がない超高性能』をグルグル振り回して先っちょで叩く。そこを重心点と設定し、バック宙で壁に立った。
一歩ずつ慎重に進んで具合を計り、慣れてきたところでひた走る。凹凸がある場所は重心を変えながら、忍者の如く器用に飛び越えてかいくぐる。
余裕綽々と高くまで登るユキヒコを心配そうに見送り、フィリップはその場を後にした。
経験が役に立ったな、と昔エコーと共にワールドツリーを下りた時のことを思い出し、轟々と吹き荒れる風の中、ユキヒコは難なく上層へ繋がる通路まで辿り着いた。
会員証は通らないので、立ち塞がる扉はやむを得なく破壊。上層に出ると人気はほとんどなかった。まともな情報が入るまで皆真面目に自宅待機しているのだろう。
居住区と商業区を抜け、能力者機構の本部までやってきた。中を覗く。受付フロントは普通にやっているようだ。
一応、ユキヒコは能力者機構を追放された身なので、正面から堂々と入るわけにもいかない。以前、管理棟へ侵入した時の要領で、窓の施錠を外し、別の部屋から乗り込んだ。
「きゃっ!」
三階の廊下に出た途端、誰かとぶつかった。見つかって身構えるユキヒコに、スヲルタはぺこぺこ頭を下げる。
「す、すみません。急いでるので!」
足早に去って行く彼女を見て、ユキヒコはホッと胸を撫で下ろす。能力者機構は大きな組織だ。いちいち全員の顔を覚えている者は多くないだろうから、ここまで来れば一先ず安心。
まずはシンシアに会いたい。彼女との繋がりを証明できれば捕まることもないと考えた。
廊下を進みながら、手掛かりを探すため各部屋の室名札を逐一眺める。そうしている間に妙な違和感を覚えた。
映写室、音楽スタジオ、ゲーム開発室など、明らかに関係のない部屋ばかりある。倉庫番だったユキヒコは本部の中にはあまり入ったことがなく、もしかして全然違う施設に侵入したのかと混乱。
突き当たりに大きな扉。そっと開いて中を覗く。
「どうすんだ……も、もう三週間もD取れてねぇよ……」
「イヤああああああ!!」
「なんだ!? 隣うるさいぞ、騒ぐな! 気が散る!」
「はやく家に帰して! もう書道なんかしたくない!」
まるで監獄のような所だった。円形の大広間で、各階にずらっと個室が並び、能力者機構の者たちが一人一人机に向かって何かの作業をしている。
集中して端末のキーボードを叩く者や、グラスに注いだ液体を飲み比べて頭を悩ませる者、必死にミシンを踏む者、気が狂ったように出してくれと叫びながらドアを叩いている者もいた。
「……」
あまりにも予測外の光景に唖然とするユキヒコ。中央には螺旋階段を取り付けた高台があり、透明なデスク用チェアだけが置いてある。まるで全ての個室を見張るために設けられたかのような場所だが、そこには誰も座っていない。
「ブヒヒヒヒヒ………」
変な笑い声が聞こえる。気が付くとユキヒコはこの広間に足を踏み入れ、立ち尽くしていることに気付いた。
キョロキョロ見渡すが、声のする方向が定まらない。
「ブヒ、ブヒ」
おもむろに天井を見上げた。長髪の少女がヤモリのように張り付いている。
セブンは豚みたいにブヒブヒと鳴き、ユキヒコと目が合った瞬間、彼に向かって飛びついた。
「キャプチャァアアァァァァァーーーー!!」
「うわああああああああぁぁぁぁーーーー!?」
同じ頃、能力者機構の医療病棟にてデルタが目を覚ました。
オージンのジェノサイド・レクイエムから解放され、ワールドツリーの各所に散らばっていたダークネス能力者たちをセブンが集め、全員病室に運ぶことはできたが、いまだに治療法が見つからず、彼らの体力は確実に限界へ近づいていた。
「……オージンは?」
意識を取り戻して開口一番の台詞がそれかと、付きっきりで看病していたシンシアは呆れながらも答える。
「死にました」
「そう、ですか……もう一度だけ話してみたかったのですが……」
重体とはいえ、血迷ったことを言うとシンシアは思った。確かに聞きたい話なら山ほどあったが、仮に生きていたとしても、オージンがまともに取り合ってくれるわけがない。ましてや彼の身を案じるなど、それこそどうかしている。
オージンは、ダークネス能力者に自由な能力の行使を許してはいけないという、その悪例に最も相応しい存在だった。
これだけの惨事を起こすほどの何か深い理由があったのだとしても、多くの人達を苦しめた事実は決して許されていいことでないのだ。
はっきり言って、同情の余地はなかった。シンシアは頑としてそう考える。
「ヒロイック能力者の力なら治せるかもしれません。エコーを連れてきます」
「僕はいいですが、みなさんは助けてあげたいですね。ご迷惑でしょうが、自分からお願いしてみます」
シンシアが携帯の電源を入れ、デルタに手渡そうとした時、メンバーの一人が病室に入ってきた。
更新された最重要指定能力者のリストです。そう言って茶封筒を掲げた。こんな時に何を、と腹立つシンシアをデルタがなだめる。
「いいんです。すみません、代わりに受け取ってもらえますか?」
感情を抑え、黙って受け取るシンシア。確認してくださいと頼むデルタの意思を尊重し、茶封筒から写真付きのリストを引っ張り出した。
「ストライブ、フレンとシッピー、ゼアル、ビクター……どれもA級以上の闇玩具所有者ですね。まさか、あのビクターまで……」
ワールドツリーから出て行き、各地で跳梁し、犯罪などに手を染めるダークネス能力者の捕縛、処分はデルタが重きを置く仕事だった。
通報があるのは毎月のことだが、いつもより数が多い。外の能力者はオージンによって大多数が葬られたらしいが、このリストに載っている人物たちがあのスーパーダークネスの脅威を免れたというのなら、相当の実力者揃いだろう。
未然に彼らを止められなかったのは、能力者機構全体の責任。痛ましいデルタを見つめ、シンシアは決心する。
「今回は私に任せてください」
「……教職はどうするんですか」
「休みます」
「駄目ですよ。せっかく頑張っていたのに」
「自分のことだけ考えている暇はありません。そもそも余計な仕事を増やしたのが浅はかでした。これからはダークネス能力者として優先するべきことを弁えます」
「……ありがとうございます」
後ろめたそうに言った後、急に堰を繰り返すデルタ。虚ろな目で天井を仰ぐ。
熱を測ろうと彼の額に手を置くシンシアは青ざめた。さっきよりもずっと冷たくなっている。
「もう……ここで僕は終わりみたいですね」
「参謀長、あなたは必要な人です。まさか私たちだけを残して先に休むつもりですか? そんなこと許しません」
「ははっ、会長みたいなことを言いますね」
翳りのある表情で一呼吸し、意を決したようにシンシアを見て語り出す。
「最後になるので話しておきましょうか。僕はね、ザガインさん。能力者になる前からヒーローサイドに憧れていたんです。世の中を悪くしたダークサイドを毛嫌いしたほどに。ダークネス能力者になってから情報を得られるようになって、統治局の思惑を知りました。最初は彼らの計画に荷担していたんです。幻滅しましたか? 完全無欠の英雄が実現されることを夢見て、取り憑かれたように……。人道に背くようなことまでして、手段を選ばなかった。続けていくうちに、ふと思ったんです。ああ、かつてのヒロイック能力者たちが目指していたモノは本当にこれなのか、と。そんなわけありませんよね。ヒーローは絶対に他人を蔑ろにはしないはずです。間違いだと気付くのが遅かった。だから彼女を自由にしてあげるのが、せめてもの償いだと思っていたのですが……」
長々と話してから目線をまた天井に移し、ポツリと呟いた。
「……罪深き者は決して救われてはいけない、か」
酷い目にあったとはいえ、ここまで自虐的になるデルタに、シンシアは若干の苛立ちを覚える。
彼が統治局との癒着があったのは随分前から、なんとなく解ってはいた。同じくその関係が続いているのは大義のためであるということも。
「私はあなたがどんな悪さをしていたのかは知りませんし、あなたの面目も知ったことではありません」
「はっきり言いますね」
「重要なのは、一度決めたことをやり遂げることです。生きて、そして協力してください。あなたにはまだやるべきことが残っているはずです」
「……残念ですが、僕がいたところで何もできることはありません。ごめんなさい、一緒に彼女を守ると約束……した、のに……」
「……本当に何もできないと? それじゃあ、私たちはこれから一体どうしたら……参謀長?」
シンシアが再三呼びかけるが、反応はない。眠りについたデルタが再び目を覚ますことはなかった。
ビゾオウル邸の寝室には家族が一同に介し、床に臥すビゾオウルを涙交じりに見守っている。隣のベッドで横たわるカタタユはすでに息絶え、肉塊と化していた。
凍り付いた無表情のビゾオウルは幽かな幻覚を目にする。仮面の少年が、ゆったりと近くに寄って腕を伸ばし、片手でビゾオウルの首を絞めた。
少年は老人の耳元で何かを囁き、老人はその言葉を呑み込んだとばかりに一度だけカクンと頷いた。
幻影が首をへし折り、おぼろげになって消えていく。ビゾオウルは瞼をゆっくりと閉じ、そのまま息を引き取った。
医者がそれを伝えると、彼の最期を看取った親類たちは一斉に悲しみの涙を流す。
ジェノサイド・レクイエムの地獄を見たダークネス能力者、ビゾオウルを含めた無能力者、そして遺憾にも同様の罰を受けることのなかったオージン、計約数千名、
――全員死亡。




