二話 報告
巨大なけん玉を振り回すジフの攻撃を躱しつつ、ウェンボスの操作する道具に対応しながら、エコーは猛撃の中にある隙を窺っていた。ジフは巨躯で球を引く動作を見えないように隠すが、紐がしなる直後に飛べば後方から迫る球は避けられる。
縦横無尽に降り注ぐナイフや手裏剣が問題で、まともに躱すことは依然として不可能のままだった。
だが、今まさに一度だけ二人の攻撃を避けきることに成功し、ヘラヘラと笑っていい気になっていると、鼻っ柱にゴム製のボールが打ち当てられた。
詰めが甘いと言われたことを思い出し、悔しそうな顔で仕切り直そうと体勢を立て直す。
ウェンボスは能力を解除した。
「……よし、今日はもうこれで終わりだ」
「も、もう少しだけ」
「悪いが、いい加減こっちの方が疲れてな」
言われて気付き、ジフの方に目をやる。親指を二つ立てて平気だとアピールした。気を遣ってくれているだけで、本当は疲れているのかもしれない。
肩に手を乗せ、ウェンボスがエコーに言い聞かせた。
「根詰めるな。気持ちは分かるが、一朝一夕でどうにかなるモンでもない」
「つーか、そろそろバイトの時間だぞ」
ワールドツリーから帰ってきて丸一日経ち、その間ずっと交代で仲間達が修行に付き合ってくれていた。
迷惑なのは百も承知だが、一刻も早く強くなって、オージンを倒せるようにならなくてはと、エコーは急いでいた。あの中にはまだシンシアたちも閉じ込められていて、多くの命が自分の手に掛かっていると思えば、どうにも落ち着いていられない。
「なあ、エコー。明日からもこんな調子でやるつもりか?」
「うん」
「その場のノリで付き合うとは言ったけどよ、ウェンボスの言うとおりだ。そう簡単に強くなれたら誰も苦労しねぇって」
「大丈夫ッス! 頑張るッス!」
「いや、だから……」
エコーとユキヒコは市場にまで辿り着いて、それぞれ勤務先の業務に就いた。エコーは現在、ワールドツリー下にある街から仕入れた物品を他の店に委託する、所謂、問屋で働いていた。
ユキヒコは向かいの店で、主に家電製品の修理などを任されている。エコーは皆に挨拶を済ませると、自分が担当する窓口受付へ向かった。
「ブニニニニ……このトゥ○ンキーってヤツ、五十箱」
「ウチからそんなには頼めないよ。お兄ちゃん、製造元から直接発注した方がいいって」
「どこにあるの」
「待ってな、いま連絡してみるから」
「はやくして。ワシ、超急いでるから」
「はいよ。あれま、エコーちゃん。もう大丈夫なの? なんだか忙しいみたいだったけど」
「はい! 今日からまた頑張りまッス!」
「無理しなくていいのよ? じゃあ、今だけ変わってちょうだい」
「了解ッス」
ワールドツリーがどうなっているか気もそぞろだが、バイトはバイトでしっかり頑張ろうと頭を切り換え、ちょこんと椅子に腰掛け、ひょっこりと窓口に顔を出した。
真正面の仮面と目が合う。身を乗り出してイラついているように指で台を叩いていた。ここで出会うのは予想外だったが、勤務中のため、私情は慎み、とりあえず一歩離れてお待ち下さいと注意する。
しかし、聞く耳を持たず無言のままエコーを睨んでいる。負けじとキッと目力を強く、にらみ合いを受け入れた。
「……遅い」
しばらく経つと、向こうが先に口火を切ってポツリと呟いた。ついでに堰も切れたようで喚き出す。
「シィッ!! 遅い遅い遅い遅いおそおそおそおそそそそい!! ガッデェェェム!! 帰る!!」
怒り沸騰といった有り様で、ぷんぷんしながら去って行く。顧客を怒らせてはいけないと教わったエコーも、こうなると慌てて引き留める。
「あ、おまちください! おばちゃん、はやく!」
「もう来なくていいよ!!」
そう叫んでオージンは本当に去って行った。追いかけようとも思ったが、持ち場を離れるわけにもいかないので、つぎ会ったときに謝ろうと決めた。
それから数時間後のワールドツリー上層。能力者機構の面々が一つのフロアに集まっていた。
「これで全員ですか……」
ざっと見渡すと、三割ほどメンバーの数が減っている。それも精力的に自分やデルタに協力してくれた者たちがほとんど姿を見せていなかった。
締め付ける胸の痛みを抑え、シンシアは話し始めた。いつもは一人一人へ密かに情報を伝達するのだが、今回は闇傀儡による統治局の監視もないので、存分に意見を交わせる。
「それでは緊急集会を始めます。みなさん周知のとおり、ワールドツリーはオージンによって完全に封鎖されました。出ることはもちろん、外部への通信も一切遮断。徹底的な食糧制限などを強いていますので、おそらく長期に渡り我々を拘束するつもりだと考えていいでしょう」
カガリが彼女の隣でホワイトボードに、生存者確認、食糧確保、などの必要事項を箇条書きに記した。
「問題は彼が無差別殺人をいつ再開するのか。オーラでここが包囲された後で、被害の報告は一つもありません。しかし、オージンの考えが変わったとも言い切れません。わたしとカガリさんで話し合った結果、まずはワールドツリー内部にいる一般民の安全確保を優先することが第一だと意見が合致しました。反対の人はいますか?」
誰も手を上げていないことを確認し、シンシアは説明を続ける。
「その場合、統治局、……遺憾ながらオージンにも、了承を得なければなりません。統治局にはわたしが協力の要請も込めて提案します。それでオージンですが、下手な交渉をするとこちらの申し出を度外視して襲ってくる恐れがあります。無闇に刺激して最悪の事態を招きかねません。ダークネス能力者なら尚更ですが、部外者に任せるわけにもいきませんね。適任者は……」
そう言いながらも、すでに決定している適材に目を向ける。本人もやっぱりなと面白くない顔で乾いた笑いを漏らした。眉間を指で下げ、シンシアのしかめっ面をマネする。
「サクラさん」
「イヤだ。なんでだよう、約束と違うだろ」
「申し訳ありません。ですが、緊急事態なので。あなたの能力なら、直接的な被害を受ける可能性も低いですし、オージンと交渉した経験もあるでしょう? カガリさんから聞きましたよ」
「じゃあ、次からわたしを『緊急』だので呼び出してコキ使うの禁止な。それが今回の条件」
「解りました」
「ホントかよ……。これまたあれじゃね、『緊急招集じゃなくて、普通の会議だからいいのねぇ~』って言葉狩りするつもりだろ?」
「しません。安心してください。いつもの誓約書も渡します」
「信用できんなぁ」
そうして半ば無理矢理サクラに押し付けると、名簿の横に書き記された各自の闇玩具に目を通し、今度は別の者に眼差しを向けた。
「スヲルタさん」
「は、はいぃ!?」
「新しく加わったメンバーの能力演習をすぐにでも行います。A級とB級の闇玩具所有者を優先的に育成したいと考えているので、いつもより負担は大きいと思いますが、お願いできますか?」
「大丈夫です。たぶん……い、いえ! 大丈夫です! 承りました!」
立ち上がったままおずおずと応え、小柄な女性、スヲルタは腰を下ろした。
デルタのような最前線で活躍していた能力者たちが居なくなった今、戦力の強化も懸念すべき事柄の一つである。
ダークネス能力者になる者、その能力、どちらもほとんどの場合が統治局と合同で決めるので、有用性を求められる人材は限られてくる。その上、最初は戦闘経験など当然皆無な者ばかりだから、忍耐力も含めて訓練の段階で色々と厳しくなってしまう。
「統治局とオージン、双方に承諾を得た後の話ですが、一般の方々をワールドツリーの外へ避難させます。いまだに事態を把握していない人も多いでしょうから、真実を伝えた上で、退避の可否を決めてもらいます。ここが重要ですが、避難は強制ではありません。断固として、それでも残りたいと言う方には好きにしてもらって結構です。最低限、出た後で一時的な居住地を設けることは可能でしょうが、それ以外のことは保障できないからです。そして住民が減った後の電気、水道などの管理は……」
シンシアは澄ました表情で言葉を紡ぎながらも、胸中ではとうにくたびれていた。
やることが多すぎて頭が痛い。能力者機構が年功序列であれば、自分よりもこの場を取り仕切るに相応しい人物はたくさんいるであろう。
この組織はみんながみんな、公務に尽力してはくれない。ここまでの逼迫した異常事態に陥っているのにも関わらず、上の人間は自分に全て任せ、何も言わない。率先して協力してくれるのは、闇玩具を所持している構成員か、自分と年齢の近い子ばかりで、ジェノサイドの時も身を賭して共に闘ってくれた。
他人のことなど、彼らは本当にどうでもいいらしい。その点は統治局と変わらないわね、と歯痒い思いを抑えられずにいた。
お通夜のように静まりかえったフロアに、着信音が鳴り響く。受信したメールを開き、サクラはおもむろに手を上げた。
「……あ、おい、長官ちょうかーん。なんか全部解決したみたいだぞ。はやく帰らせろー」
説明の途中で水を差され、苦々しい気分だが、無理を通した手前、いまはサクラを叱る気にもなれない。
それに彼女は多くの重要人物たちと繋がりがあるので、何か情報が入って伝えてもらえるのなら是が非でも頼みたい。
「統治局からですか? 言えることなら、どうぞ」
「オージンが死んだ」
ただそれだけ一言さらっと答えると、さっさと帰り支度を始め、他のメンバーが唖然としている中、引き留められる前に早々とサクラはフロアから退散して行った。