四話 電車内にて
「ルート変更だ」
車窓に立て掛けた小型端末を眺めながら、ユキヒコがそう言って、適当にチャンネルを切り替えボリュームを下げた。
「正面から堂々と入るつもりでいたけど、たぶん無理かもな。これに便乗して殴り込んでくる奴ら、きっと大勢いるぞ」
列車は、果てしなく続いている一本道のレール上をゆったりと直進し、車内を単調に揺らしている。
乗客たちはがらがらに空いているのをいいことに、ロングシートに寝転がり、床に広々とスペースを取ってくつろいでいた。
ユキヒコとフィリップは向かい合わせのクロスに。ひとつ後ろの車両では、エコーが子ども連れと戯れてお絵かきに興じているが、二人はそのことを知らないので、長いトイレだな、とユキヒコがそわそわし、フィリップは、あたしなんかお腹こわすようなモノ入れてないわよねぇ……?と、内心不安になっていた。
「でも、大丈夫かしら。あの娘、殺されるんじゃない?」
フィリップは空になったステンレス製の弁当箱を片付け始める。
それはないな、とユキヒコが返した。
「マホヒガンテより能力者機構の方が立場は上なんだよ。あのジイさん、実際は単なるもぐりの金持ち科学者だし。他の醒めた重鎮たちよりも威勢がいいって理由で、公に出てぎゃーぎゃーと喚いているだけのパトロン。最高指導者っつーのも、ただの自称。それにザガインって、たしか上層部のお偉いさんだろ? あの女餓鬼には簡単に手出しできねぇさ」
エコーの描いたキャラ絵のカットや四コマ漫画を見て子どもたちが、上手いね、すごーい、これどうやって描くのー?と、はしゃいでいる。
照れながら、にへらと笑い、頭を掻くエコー。ふと、手前にいる親御さんたちを見る。顔色が悪い。
ーー背後から気配がして、咄嗟に振り向く。
「それでもエコーは心配でしょうね。友達があんなことになって」
数人の輩に取り囲まれていた。子どもたちが彼らを見て、声もなく震えている。
人相の悪い細身の男性がしゃくり上げ、インディアンメイクの女が居心地よくなさそうに渋い顔をしている。猿並に小柄な男が、すぼめた口から丸めた舌を出し、頬の縫い傷を舐めた。
内の一人が、ちょっといいか?と誘いかけ、エコーは腕にしがみついた子どもに、大丈夫だよ、と安心させるようにそっと囁き、席を立った。
「人の心配してる場合じゃねぇだろ。ま、それはともかくとしてだ。問題なのはさっきの放送で映ってた《闇傀儡》の親玉、スレイヴだな。他はフカシギとムキシツってのがかなりヤバい。ダークネス能力者と違って、《闇傀儡》は完全に戦闘特化の怪物だからな。オージンの方は能力者機構の奴らがなんとかしてくれることを祈って、俺たちはこの三体の《闇傀儡》対策に専念だ」
客車と客車の間、乗降口のある狭い貫通路にエコーは連れ込まれる。薄暗い空間に悪人面がずらりと並んで、なんとも言えない緊張感を醸し出していた。
そんなすし詰め状態の中をかき分け、大柄の男が姿を現す。エコーを見つけて、口周りに髭をたくわえた顔でニッと笑った。
「久しぶりだなぁ、ヒーロー少女」
その声と姿に、エコーの表情がパァと明るくなる。
「ジフ!」
「おうよ。俺様がクローラ盗賊団の頭、ジフ様だ。ガッハッハッハッ!!」
おめぇさんなら、絶対にくると思ったぜ。先程とは反対側の車両にエコーを招き入れ、ジフは大きく胸を張って、力強く拳で叩いた。
「安心しな、俺たちがいれば百人力。マホヒガンテの野郎なんざイチコロよ!」
「相変わらずの自信家だねぇ、ジフ」
不意に難癖を付けられ、ジフは奥の開かれた貫通扉の方に目をやる。
雅な格好をした女の集団。彼女たちを率いて先頭に立ち、はだけた胸元を強調して、ツギハギの人形を抱えたその女性はフンと鼻を鳴らした。
「貧弱な能力者集団のくせしてよくもまぁ、そこまで大口が叩けるモンだよ。あんたらだけじゃ、どう考えても力不足……。ここは私ら《紅の百花繚乱》に任せてとっとと失せな」
対抗心たっぷりに吐き捨て、彼女はパイプをくわえてから扇子を広げた。
「ケッ! お前は相変わらずの減らず口だな、ベベル。なーにが百花繚乱だ。だらしねぇチチべろんべろんに垂らしやがってよぉ」
「ベベル! ベベルも来てたんだ!」
「キャー! エコーちゃん久しぶりね~! 元気してた!?」
駆け寄ってきたエコーを、ベベルは抱きしめ頬擦りする。ほっぺに厚化粧を塗られ、息苦しそうなエコーを見ていられなくなり、紅の百花繚乱たちは、威厳も風格もなくなったリーダーを止めに入る。
「騒がしいぞ。他の客に迷惑だろうが」
端に設置されたトイレから、唸るようなドスの利いた声が聞こえた。
水が流れる音がしてからすぐにドアが開き、つばの広いテンガロンハットを深く被った中年の男が出てきた。クローラ盗賊団、紅の百花繚乱、双方が息を呑んで静まる。
ウェンボスだ……。ウェンボス……? あの、大黒魔導士ウェンボスか!?と、ざわつき始め、静かにしろってんだ、ったく、これだから最近の若造はよぉ。ラベルの剥がれたバーボンの瓶を片手に持ち、申し訳なさそうに腰を低くして、ウェンボスはあちこちでペコペコと頭を下げた。
いや、すいませんね、奥さん。こいつら世間知らずのはみ出し者でして。ひとしきり謝った後、エコーの前で足を止め、よっ、と軽い挨拶をした。
「今日は火曜日。俺様がいたところでどうせ邪魔にしかならんと思ってな。傍観するつもりでいたんだが、明日なら都合がいい」
帽子の裏から取り出した万華鏡を覗き、口角を上げて紳士的な笑みを浮かべウインクした。
「こんなおっさんで良けりゃ力を貸すぜ、お嬢さん」
テーブルに置いた箇条書きのメモと地図を見ながらうんうんと唸り、ユキヒコは思索する。
ここの経路を使うのが一番だけど、他の連中がどう動いてくれるか……。最悪、ドームをぐるっと一周してゲートが制圧されるまで待ってから戻るか……。いや、そんな余裕ないだろ。
能力者機構がこちら側に付いてくれるのは嬉しい誤算だったが、そのおかげで一から計画を練り直すのに苦心していた。
ーーオレのせいで、もし誰かが死んじゃったら嫌だから。
たった一人でダークサイドに立ち向かおうとしていたのがバレた時、あの夢見がちな少女はそう言った。少なくとも足を引っ張ることだけはしたくない。犠牲者が出ることも許されない。
「ユキヒコ、町で仲良くなったみんなが協力してくれるって!」
戻ってきて早々、エコーがそんな報告をしてきた。
苦虫を噛んだような顔で、何人いる?と、ユキヒコが訊く。エコーは嬉しそうに両手を大きく広げた。
テーブルに肘をついて、ユキヒコは頭を抱える。予想はしていたけど、なんでこの絶妙な時間でカブるんだよ……。
「座れ。着くまで便所以外は立つな」
「え、でも……」
「いいから」
「何やってんだい。ほら、あんたたちもこっちへ来な。作戦練るよ!」
ベベルの呼びかけに、エコーが応じ、フィリップも諦めた様子のユキヒコを見てから腰を持ち上げた。
不仲な奴らがいて、着くまでに上手く話をまとめられるのか? 一応、出くわさないように気を付けていたのによ。
しばし割り切れない気分で、窓からワールドツリーを遠目に眺め、端末のテレビアプリを閉じる。
……こうなったら仕方ないか。あいつらの動向が知れるだけでも好都合と考えればいいさ。と、ユキヒコはメモと地図を手に、立ち上がった。
「ダークネス能力者は、ヒロイック能力者に感化されやすい、……ね。決定的だな」