二十三話 エコーの夢
「無理無理、無理だって!」
「そんなこと言ってもやるしかないじゃないのよ!」
シンシアから話を聞かされ、ユキヒコが尻込みする。宿の娯楽室には二人しかいない。
エコーも含めた他の連中は皆、工業区域で負傷者たちの手当てをしている。幸いそこにオージンの姿はなかった。
ダークネス能力者はヒロイック能力者に影響されやすいという風説は、ヒロイックにダークネスを打ち消す作用があるのに起因する。
デルタのように癒す力を持った者もいるが、ヒロイック能力者による治療の方が、まるで憑き物が落ちたように楽になるのだ。
だから負傷者はエコーに任せ、オージンへの対策を練ろうと、シンシアは最も融通の利きそうなユキヒコを連れ出したのだが、どうやらそれは見当違いだったようだ。
「あのデルタで駄目だったんだろ!? 少なくとも俺なんかじゃ太刀打ちできねぇし、ジフとかベベルとか他の奴らだってそうだ! せめて能力者機構から誰か強い奴を連れてこいよ! S級持ちなんてここにはウェンボスのおっさんしかいないぞ!」
それができれば苦労はしない。
サクラとウェンボスを除けば、S級闇玩具の所有者は三人。内の一人は能力者機構にいるが、戦闘向きではない。後は統治局の人間と、もう一人は所在不明。
そもそも能力者をかき集めたところでどうにかなる相手でもない。仮に先刻、サクラが使った以上の威力がある兵器を持ち出せば、ワールドツリーの構造上、オージンによる被害よりも最悪な結果になるのは目に見えている。
「とりあえず統治局と和解しろよ。もうワールドツリー全体でどうにかしないとな」
「彼らと話を付けられなかったから、こうなってしまったのよ。時間がないわ。覚悟を決めて」
つっても俺たちだけじゃ、どうしようも……。ユキヒコは困り果てて壁にもたれる。
覚悟は決めていたが、ここまで大事になるとは考えてもいなかった。自分の命を賭けるだけならまだしも、世界を救うとなるとスケールが違いすぎる。
「ヤッホー! たっだいまー!」
いきなり開いた扉に、ユキヒコは叩きつけられた。頭を押さえて悶える。
終わったの? そう訊いたシンシアに、エコーは満面の笑顔で応えて頷いた。うん。みんな元気百万倍っス!
「あ、ごめん……。ユキヒコ」
「ごめん、じゃねぇよ! 殺す気か馬鹿力!」
「いやあ、テンション高めで戻った方がいいと思ってさ。大丈夫?」
まったく……。体制を整えてユキヒコは立ち上がる。
「ヤッホおおおおお!! たっだいまあああああ!!」
エコーの時よりも勢いよく開けられた扉に、また叩きつけられ、今度は力を失ったようにその場で倒れた。
ガラガラと音を立てながら、仮面を被ったオージンは何かが入った風呂敷を床に置いて、椅子に座り、首を鳴らした。
「フハッ。腹へった。……飯はまだかのー」
ごめんね。今は作り置きないんだ。そこにあるお菓子なら食べていいよ。
転がったユキヒコを起こしながら、エコーはテーブルにある煎餅を指す。オージンがそれを貪り始めた。
シンシアはオージンが置いた風呂敷を見る。……コイツはどこで何をやっていたのだろう。目的が悪人の抹殺なのは確定したから、それと関連した事のはず。
エコーが微笑した。
「本当に良かった。シンシアもユキヒコもセイ子ちゃんも、みんなが協力してくれて。なんだか全部上手くいきそうな気がするよ」
「……そうね」
当事者あるのにも関わらず、エコーは蚊帳の外。水面下で誰かが自分のために奔走しているなど、彼女は知らない。
知らないままでいい。もしオージンによってダークサイドが滅んだとしても、最終的にエコーが無事なら私はそれで……。
諦めるのはまだ早い。頭からそんな考えを拭い、終わったらどうするの。と、エコーに尋ねる。
いきなりの問いにキョトンとしている。オージンの前だから少し話を逸らした方がいいだろう。
「これからの事よ。全部終わって、他になにかやりたいことはある?」
「漫画家!」
一瞬の間があって、……え? と、シンシアはエコーと目を合わせた。
「オレの第一志望は児童向けの雑誌で連載かな。子どもたちに夢を与える仕事って感じで、むっちゃ憧れるっス!」
「そ、そう。いいんじゃないかしら」
予想外の言葉に戸惑った。まあ、本人がそう言うのなら好きにすればいい。それに漫画なら少しは私が……。気が抜けたように嘆息して、シンシアはエコーをまじまじと見つめた
それにしてもエコーは変わった。会っていない期間はたったの一年だが、身なりから何まで別人のように明るくなっている。
それどころじゃなかったから、気には掛けなかったけれど、『オレ』って……。
「漫画家!? マジで、何かエロいの描いて!! エロいのエロいの!! フハッ!」
「いいよー。じゃあ、ここあつクンの弥勒お姉さん描いてあげるね」
「おっぱい大きくな」
無邪気な子どものようにテーブルをバンバン叩き、しばらくして待つのに飽きたのか、鼻歌を鳴らしながらオージンは娯楽室から出ていった。
今のうちにユキヒコと場所を変えて話すか。そう思い立って行動に移す間もなくオージンが戻り、うなだれて座るユキヒコの背中をちょんちょん突っついた。
「あのー」
「……な、なんだよ」
「トイレ詰まっちゃった」
「知るか!」
「ムムッ!! ワシに向かってそんな態度を取っていいのっかな~。お前、あとでマジ、ジェノサイド・レクイエム」
ビシッと二つの人差し指を向けられ、ビクッとするユキヒコ。
彼は渋々オージンに付き合い、トイレへ向かう。
「なんだよ、これ! どんだけデカイの流したらこうなるんだ!? チッ。《取り柄がない超高性能》で……」
「マスターベーション?」
「《取り柄がない超高性能》!!」




