二話 出発
『えー、諸君。どういうわけか視聴率があまり芳しくないようだ。なんだ、あれか、近頃の下民共はテレビも見ないのか? まぁ、いい。続けるぞ』
町外れにある喫茶店。カウンターの一番奥に居座る、薄汚い外套を羽織った少年、ユキヒコは、乾いたゴムの塊みたいなスコーンに口内の水分を吸いとられながらも、天井の角に吊るされているテレビの4インチ画面を凝視している。
現在、どこのチャンネルでも垂れ流しにされているその演説は、真面目に見聞きしている者などほとんどいないが、ユキヒコにとっては、それがいま必要になる唯一の情報源だった。
基本的に生放送で、だいたい十五分毎に終了しては、また十五分ほどで前の放送がリピートされる。少なくとも二回以上は同じ内容が繰り返されるようで、この不定期なグダグダ演説は朝の六時頃から八時二十分現在までずっと続いていた。
ーーだから何時始まるんだよ。どうでもいい話ばっかしやがって、クソジジイ。
苛立つユキヒコは、小刻みに足を揺すり、指でトントントンとテーブルを叩き、カウンターに常備された冷や水で何度も限りなく薄めたコーヒーを、味わわずにすすった。
「お待たせ、ユキヒコ」
呼び掛けられて、カップを持ったまま後ろに椅子を傾け、顔を向けるとほぼ同時に、ユキヒコは口に含んだコーヒーとスコーンのミックスを噴き出した。
「なんちゅーカッコしてんだ、お前!」
噴飯の理由は、もう見馴れたはずの友人が、この期に及んで命知らずなマネをしていたからだ。
ゴーグル、赤いマフラー、グローブにブーツ。極めつけは腰に巻いた変身ベルト。おそらく持ち合わせの衣類であしらえたのであろう、即席のヒーロー風なコスプレ。
そんな一瞬誰だか判らなくなるほどの奇抜な装いで、えへへ、とその少女、
ーーエコーは、照れ臭そうに笑った。
「どお、正義の味方っぽい?」
「バカか!? こっちはただでさえ目立たないように行動してんのによ! あー、もー、駄目だわ。これ、ぜぇぇったい失敗する。無理無理、やっぱやめにしようぜ」
呆れたユキヒコはそっぽを向いて、外套から顔を出し、ハァーと息を吐く。……怒らせるつもりはなかった。
彼の思わぬ態度に、エコーは、ほんの少しだけ戸惑った表情を見せたが、すぐに決意の顔つきへと変わった。
「……うん、そっか。でも大丈夫! 待っててよね! 捕まった人たち、オレがみんな無事に連れ戻してみせるからさ!」
そう宣言して、エコーはくるっと身を翻し入り口へ引き返す。長めのマフラーが宙を撫でた。
ドアを開いたまま固定して、来店する客に気を使いつつ、店を出ると、ーー突然、なにかが視界を遮った。
「これでも被ってろ。さっさと行くぞ、時間が勿体ねぇ」
しばらくキョトンとして、我に返り、渡された外套をしっかりと羽織って、小走りでユキヒコに追い付き、エコーも隣に並んで一緒に歩く。
嬉しさのあまり、ついつい顔がほころんでしまう。ユキヒコは気だるそうに、先が思いやられるな、とため息まじりに呟いた。
『おお、そういえば! 開始時刻を忘れておったな! ダッハッハッハ!!』
貧民が行き交う舗装されていない通り。廃品修理のジャンク屋の前に積み上げられたテレビから、やかましく喋る老人の声が何重にもなって聞こえた。
二人は脇道に入って、裏路地に出る。そこは自動車やらバイクやらの部品がそこら中に散らばっていて、鼻孔にこびりつきそうな油の匂いで充満していた。
その一角で、ピチピチのライダースを着こんで黒光りするサングラスをかけた柄の悪い男が、タイヤの山にもたれて座り、肩を大きく広げ、首をのけ反って天を仰ぎながら煙草をふかしている。青髭、そして一見丸刈りに見える髪型だが、後ろ髪ともみ上げだけがヒョロリと伸びていた。
彼を目に留めたエコーがブンブン!と大きく手を振り、ユキヒコは小型端末を取り出して、アンテナを限界まで引っ張った。
「フィルー!」
エコーの声で、男は二人の存在に気付き、ポケットから抜き出した携帯灰皿に煙草を詰めて、立ち上がり、サングラスを外した。
紫色のアイシャドウ、カールされたまつ毛。化粧で綺麗に整えられた眼を三日月のように細め、フィリップはにこやかに微笑んだ。
「ああん、待ってたわよん、エコー!」
手を振り返しながら、くねくねとした動きで二人に駆け寄る。体格のいい長身を屈め、指を組んでニコニコするフィリップを見上げ、エコーも満面の笑みで、両手を見せびらかすように差し出した。
「見て見てー! このグローブ、前にフィルから貰ったヤツを勝手に改造したんだよー!」
「んだとテメェ、コラァああああ!?……あらやだ、可愛いわね」
でしょー、とエコー。あ、そうだわ、あたし今日のためにお弁当作ってきたの。あとで電車の中でゆっくり食べましょ。夕飯の分もあるわよ、とフィリップ。
はしゃぐ二人を尻目に、ユキヒコは小型端末の電源を切った。五回目の演説が終わったようだ。
「お前らさ、これから何するのか分かってんのか。遊びに行くんじゃねーんだぞ? もうちょい気ぃ張ったらどうなんだよ」
「なによ、そういうあんたはちゃんと準備してきたんでしょうね」
言われて、ユキヒコは背中から、布に巻かれた棒状のモノを取り出し、見せつけた。
「それ、ホントに使えんの?」
「ずっと物置部屋に隠してあったからな。ちょっとカビてるけど、簡単には壊れねぇって」
そしてまた背中へ、上着で隠すように仕舞う。
「そうじゃなくて、今のあんたが、そのおもちゃをまともに扱えるのかって訊いてんのよ」
「ナメんなよ、数年のブランクで腕が鈍ってたまるかって」
今度はカード。表面に貼り付いたシールをめくり、自分の名前と顔写真が載っているのを証明した。
「こっちの方は機械通したら一発でバレるけど、あそこまでなら提示だけでいいし、まぁ、なんとかなるだろ」
そこで三人はしばらくお互いの下準備を確認し合い、
「それじゃ、いこっか」
駅を目指して歩き出した。