十四話 完全超悪
「あ、起きた。大丈夫、シンシア?」
意識を取り戻し、目を開けると、そこには心配そうに自分の顔を覗く少女いた。ーーよかった、無事だったのね。
それが大切な親友だと解って、シンシアはまず安堵する。目を覚まして一番最初に彼女の安否を確認できたのは、なによりの救いだった。
ゆっくりと体を起こして辺りを見回す。化粧台とベッドがあるだけの狭い個室。見覚えのない場所だが、おそらくワールドツリーのすぐ側にある街のホテルかどこかだろう。
不思議なほど冴えきった頭を擦ってベッドから降りる。
「……また助けられたみたいね」
「ううん、オレだって。シンシアやみんなが協力してくれたからだよ。おかげであの人たち全員無事だった」
久しぶりに見る屈託のない笑顔に、シンシアも自然な笑みをこぼした。
もう少しだけこの心地よさに身を委ねていたいが、まだそんな余裕はない。シンシアは連絡のため、小型端末を取り出した。電源が入らない。ムキシツとの戦闘で故障してしまったのか。
ちょっと携帯貸してくれる? お願いしてエコーから端末を受け取る。午前七時半。思っていたより長い時間眠っていたようだ。記憶してある番号を入力。しばらくコールするが、出ない。
ちょっと外の空気が吸いたいわ。そう言って、エコーに外へ連れ出してもらうことにした。どうあれ今は現状を確認するのが先だ。宿から一歩踏み出す。
ーー瞠目して愕然。
「なによ、これ……」
「え? あ、うん。なんだろうね。オレもさっきから気になってたんだけど」
事態の深刻さは予想をはるかに超えていることを、その異様な景色が示していた。
網目の赤黒い影。それが空全体を覆いうねっている。まるで世界そのものを包み、閉じ込められているかのような圧迫感。
子どもたちの騒ぐ声。ふとそこに目を向け、また、シンシアは戦慄した。動悸が抑まらない。
「ほーれほーれ!! フハッハッハッハッハッ!!」
仮面が笑って、カラフルないくつものボールを宙に投げ華麗なジャグリングを見舞いしている。
それを器用に手の中へ収めると、ボールを消滅させ、どやッ! スゴいやろ!? と、得意気に訊いた。
うーん。なんか飽きちゃった。つまんなーい。もっと面白いことやってー。ていうかそのお面キモーイ。と、子どもたちから散々に罵られる。
仮面がブルブル震えて、怒りを露に吼えた。
「るぁああぁアアアアァァァ!! うるッッッせぇぞ!! 黙りやがれクソガキ共がぁッ!! シィッ!!」
きゃあきゃあと、からかうように笑いながら散り散りに逃げる子ども。
フーッフーッと、興奮しながら肩を上下し、まったくこれだから餓鬼は……と、オージンは吐き捨てる。
「セーイっ子、ちゃん」
オージンに近寄り、エコーが親しみあり気に声を掛けた。
そんなエコーとは対称的に、シンシアは警戒しながら闇玩具を背中で構えている。
「帰ってたんだ。どこに行ってたの?」
「ぉん? ああ、ちょっと必殺仕事人ってなかんじで……んぐぐぐぐ!」
言い切る前に、オージンは自分で仮面の口元を押さえた。
エコーがおもむろに天を仰ぐ。
「セイ子ちゃん、あの空、なんでああなっちゃったか知ってる?」
「んー? なんでだろうなー。知らん知らん!!」
「そっか」
素直にオージンの返答を受け取ったエコーは、まだ何も食べてないでしょ。キッチンの冷蔵庫にセイ子ちゃんの分は置いてあるからね。と、彼を気遣った。
あ! 後ろのシンシアを見て何かを思い出したエコー。
「そうだ。シンシア、セイ子ちゃんが話したいことがあるんだって」
身構えたままシンシアは恐る恐るオージンの方を見る。
ね。と、エコーが振り替えると、オージンは仮面を外して砕き、ああ、と返事した。
先程のおちゃらけた様子とは打って変わり、不気味な眼でシンシアを睨んでいる。散りばめられたガラスのような眼光。シンシアは自宅にあるステンドグラスの装飾に似ているなと思った。
でも、まずはご飯の方が先かな? みんな娯楽室にいるからそっちで食べなよ。そう言われ、黙って宿に入り、その奥へとオージンは姿を消した。
オレも後で行くから待っててー。と、子どもたちを連れ、エコーは外へ出て、石に躓き門の前で転んだ。ドジだなぁと子どもたちに言われて、恥ずかしそうに笑っている。
二人が離れた隙を見計らい、携帯を鳴らし、まだ繋がらないのを確認すると、シンシアはすぐに娯楽室へと向かった。
中には、エコーと共にここへやってきた仲間たちが全員揃っていて、広い空間を埋めつくし、菓子や飲み物のゴミを乱雑に散らかしていた。
入ってきたシンシアを目に留めたユキヒコが、病み上がりで悪いんだけどよ、とテレビを親指で差して訊く。
「終わったんだし、種明かししてもいいだろ?」
テレビにはニュースが流れている。
そこにはエコーの姿が映し出され、ヒーローサイドの復活、などと大々的に報じられていた。
「どういうことだよ、コレ。不自然なくらい祭り上げられてるぞ、あいつ。あんたなら全部知ってるんだろ」
動揺していた気持ちを落ち着かせ、シンシアは簡潔にできるだけ短く話を頭の中で、彼らに伝えられるように整理した。時間が惜しいのだ。
「……ジェノサイドの日は、マホヒガンテの独断で行われたのではありません。統治局、引いてはダークサイドが、それもずっと以前から企画していた事です。スーパーヒロイック。つまりあの子、エコーを救世主として世界に知らしめるための」
茶番かよ!? 突っ込んだユキヒコに対し、はい、と無感情にシンシアが答えた。
「ふざけんなよ……。いつ誰が死んでもおかしくなかったんだ。ましてやエコーを救世主に仕立て上げるとか、そんな馬鹿げたこと!」
「そうね。馬鹿げているわね」
同感よ。彼らの顔を、見定めるようにシンシアは眺めた。
「なにもかも統治局のシナリオ通りです。私はダークサイドの意思に傾倒するつもりはありません。だけど、これで貴方たちみたいにあの子を守ってくれる人が増えるのなら……。それでいいわ」
そう思っているのは仲間内でお前だけか? 腰を下ろしたままウェンボスがそう訊いて、空の酒瓶を床で回した。
「スーパーヒロイックの保護が目的だとしても、解せないな。あの時、能力者機構の奴らはエコーも人質も見捨てて逃げて行ったように見えたが。まさかあの状況で全員が助かると高を括っていたわけでもないだろ」
「いまのは私の利己的な考えです。今回、能力者機構が統治局と敵対する形を取ったのは、あくまでもスーパーダークネスの強大な力を危惧してのことでした。皆、私のように勝手ではありません。彼らはエコーも含めて世界のため行動しています。少なくとも、いまは」
瓶の口を指でなぞり、それ以上何も言ってこないウェンボスから視線を移して、全員に語り聞かせるようにシンシアは言った。
「問題はこれからです。能力者機構の命により、貴方たちにも協力してもらいます」
「……何よ、それ。黙って聞いてれば、言ってることむちゃくちゃじゃない!」
「そうよ! アンタたち、エコーを利用してこれ以上何させる気よ!」
食って掛かるベベルとフィリップを、まあまあ、落ち着けや。とジフがなだめた。
「とにかく、みんな無事でよかったな。嬢ちゃんや俺たちを治してくれたのもヒーロー娘だ。で、あんないい子捕まえて統治局の奴らは何が目的なんだ?」
「エコーがスーパーダークネスを倒すこと」
シンシアがそう言った直後、トレイを持ったオージンが娯楽室の中へ入ってきた。自分に注目している視線を気にも留めず、オージンはテーブルへ向かい、椅子に座って食事を摂り始めた。
シンシアは話を続ける。
「統治局はスーパーヒロイックがダークサイドの頂点である力、スーパーダークネスを打ち破ることで、真の希望として完成すると考えています。……しかし、我々能力者機構はエコーがスーパーダークネスに勝てる見込みがないと判断しました。彼らが衝突してエコーが敗北した場合、統治局がどう動くのかは解りませんが、世界にとって最悪の結末を迎えることになるのは必至です。それを私たちの力を合わせて未然に阻止します」
「いや、それなら問題ないんじゃないか? エコーとこいつ、なんかすごい仲良いぞ」
ユキヒコがオージンを顎で差す。厚手のオーバーコートは趣味の悪い装飾が施され、目元に垂れ下がった黒い前髪と、そこから灰のごとく脱色した後ろ髪はハリガネのように逆立っている。色白で整った顔は、端から見れば少女のように見えなくもない。
不滅型《闇傀儡》は、自己再生能力を持ち、造形も自在に変えることができるという。
なるほど、この女々しい容姿が彼の理想像なのか。ふと、そう思ってシンシアは隣に歩み寄った。
「オージン様」
意を決して、黙々と食事を口へ運ぶオージンに話し掛けた。
外の状況と無関係とは到底思えない。だが、そうでない可能性があるかもしれない。この際、はっきりさせる必要がある。ーー敵なのか味方なのか。
「これからアナタを連れ戻すという名目で、刺客が送られてくるかと思います。エコーも同様です。双方の力量差を推し測るためになりますが、もしアナタが統治局と話を付けてくれるのなら、すぐにでも全てが解決します。どうかお願いできませんか?」
すぐには答えず、食事を平らげ、スプーンを置いて立ち上がり、オージンはシンシアの方にゆっくりと首を向けた。
「黙れ」
右手を伸ばす。オージンが乱暴に頭を鷲掴み、シンシアは枯れたような声で絶叫した。
娯楽室にいる全員が絶句して身を強ばらせる。ーータって言ったのよ、このブーー……ーーいや、やめて!! ……ぁぁ、あああああああ!!ーー
身体中に電流が走るような感覚。遠退く意識の中、走馬灯のように記憶が駆け巡る。手を離され、崩れ落ちて悶え苦しむシンシアを尻目に、一つ問おう、とオージンが言った。
「キサマら、なんのつもりだ。エコーと共に闘う理由は」
「……何って、あいつの人助けに協力っつーか」
「図に乗るなよ、ゴミがッ」
答えたユキヒコの言葉を遮り、貴様はいい。死ぬだけで赦してやろう、と横たわるシンシアに吐き捨てた。
「誤魔化すのはやめろ。結局のところ、キサマらもヤツらも、エコーを利用して自分が救われようとしているだけであろうが。間違っているか」
まるで全てを見透かし、吸い込まれてしまいそうなその眼に威圧され、全員身動きも取れずその場で固まったまま誰もオージンの問いに答えようとしない。
頭を傾け、オージンは上目に視線を逸らした。
「やはり理解が足りない。思い出せ、ゴミ共。過去に自分が何をやってきたのかを総括し、よく考えろ。悔い改めるのではない。償い切れると思うな。キサマらにはその資格もないのだ。ただ己の罪に苦しみ続けろ。このセイトウリウがそれを精算してやる。自分がどうしようもないゴミだと理解した上で、惨めたらしく死ね。それが道理だ」
コンコンとドアを叩く音。みんないる? 入るよー。ハッとしてシンシアは立ち上がり、急いで椅子に腰掛け、テーブルにうっぷした。
オージンが仮面を具現化する。
「とにかく今はできるだけエコーから離れることだ。余計なマネはするな。これ以上、ヒロイック能力者を死なせたくなければ、もう二度と関わるな。どのみち、キサマらがいたところで邪魔にしかならんのだ」
仮面を被ると、放出されていた禍々しいオーラが抑まる。同時に、エコーが中へ入ってきた。静まり返った雰囲気の中、エコーはポリポリと頬を掻いて、遠慮がちに口を開いた。
「あのね、色々考えたんだけど……やっぱりみんなには協力してほしいかなって。オレ一人じゃ、まだまだ完全無欠のヒーローにはほど遠いって、さっきの作戦でよく分かったからさ。えっと、少しだけでもいいの。駄目かな?」
皆、押し黙ったまま答えない。やっと顔を上げたシンシアはエコーを心配させないように精一杯の無表情を装った。まだ、嫌な思い出が、頭の中をぐるぐると気持ち悪く渦巻いている。
「あ、いいのいいの! すごく危険なのは分かってる。こんなこと無理強いはできないし、もし誰かと闘うことになったらオレがなんとか説得するし! ほら、手伝ってくれる人は主にレスキュー面でお願いしたいっていうか……」
「はいはい!! はいはい!! ワシも行くゥゥウウ!!」
突然、オージンが大声でビシッと挙手。何人かの女性が小さく悲鳴を上げた。
「そっか。セイ子ちゃんは協力してくれるって言ってくれたんだよね。ありがとう」
「あと、コイツも!! コイツとコイツとコイツとコイツもォ!!」
指を差され、え? 。と、皆が呆気に取られる。
「全員イクイクぅーって!! ザグオババボボ!! 十中八九ッ!! 千載一遇ッ!! 一蓮托ショー!!」
「本当?」
数秒の沈黙の後で、……あ、あったりめーよ! なあ、みんな! と、ジフが言い聞かせ、全員が不揃いに頷いた。エコーは嬉しそうに笑って、涙ぐんだ目を指で拭った。
「……へへっ。嬉しいな。みんな、ありがとう。今度こそ絶対に誰も傷付かないように、オレ、頑張るッス」
「ヘヘヘヘヘッ。ブニニニニニ!!」
ケタケタ笑う仮面。エコーは表情を引き締め、部屋を出る前に一度振り返った。
「そうと決まれば、すぐに作戦会議だね。待ってて、配給の残りとかまた運んでくるから。まずは精をつけなくちゃ」
「わーい!! わーい!!」
おい、待てコラ! はしゃぎながらエコーと一緒に出て行こうとするオージンを、ユキヒコが呼び止めた。
「お前、俺達にエコーと関わるなとか言わなかったか!?」
「……ハ?」
「すっとぼけんな! 邪魔だの余計なマネすんなだの!」
そこで少し間を開け、オージンは怒鳴り散らした。
「うるせぇ!! ワシがやれっつったらやるんじゃボケェ!!」
えぇええぇえええええー!? 全員、緊張を解かれて卒倒。
さっきと言ってること全然違うじゃねーか! 完全に毒気を抜かれたユキヒコがキレ気味に叫んだ。




