過去編1ー⑤
「どこにもないの? 困ったわね……」
休み時間中、エコーと絵の具セットを無くした女子児童は二人で協力して探していたようだが、どうやら見つからなかったみたいだ。相談された担任も困り果てている。
自分も手を貸したいのは山々だが、またブーリがせっかく完成させたエコーの絵に何かするのではないかと気が気でなかったので、シンシアはずっと彼女を見張り、向こうも察して、お互いにらみ合いのなっていた。
見つかるまでは一緒にお願いね。と頼まれ、エコーが承諾し、担任は先程の小鬼の件を報告しに教室から出ていった。
休み時間が終わって、また引き続き図工の授業。今度は紙粘土を用いての自由課題。
「さっきね、先生がエコーのことをヒロイック能力者とか言ってたじゃない? あれ絶対、嘘よ」
担任がいないのをいいことに、ブーリは吹聴し始めた。
あれからシンシアがエコーの側に付きっきりで神経を尖らせていたので、直接手出しができなくなってしまったようだから陰口で対抗することにしたのだろう。
自分の話題を耳にして反応したエコーに、気にしなくていいわ、とシンシアが言った。
「これで調子に乗って生意気になったらどうしよう。あんな弱虫が英雄の血筋なんてありえないし、それにおじいさまが言ってたわ。あいつは偽善を振りかざす反逆者たちの子だって。そもそもヒーローサイドって、負け組のことでしょ」
怒りを表現するかのように紙粘土をぐねぐねこねるシンシア、エコーは直立した猫のような人形を順調に作り上げている。
「本当は屑の末裔なのよ。おじいさまも嘆いていたわ。わたしみたいな高貴な子が一番で、エコーみたいに汚れた奴は最低以下だから早く死ねばいいって。それでも学校まで通わせてやってるのに、こんな風に持て囃されるなんて許せない。わたし、エコーが嫌がることならなんでもするわぁ……」
シンシアは品なく舌打ちをした。いちいち癪に障る。やはりああいう輩は徹底的に黙らせてやるべきなのかもしれない。
その時、口角からよだれを出してグフグフ笑うブーリの背後、窓からあの小鬼の姿を、女児生徒が視界に捉えた。
「あ、あれ、わたしの!」
可愛らしい動物の刺繍がされた絵の具セット。それを口にくわえて一体の小鬼が中庭を走っている。
シンシアが気付くと同時に、エコーが教室から飛び出した。女子児童もそれに続く。急いで二人を呼び止めようとしたが、意外に素早いエコーの耳には届かない。
ブーリを見る。チャンスだとばかりにニンマリと笑っていた。ここで自分までいなくなればさっきの二の舞だが、子どもがあれに関わるのは危険すぎるとシンシアは知っていた。戸惑っている場合じゃない。エコーを追って駆け出す。
中庭には誰もいなかった。完全に見失ったと思ったが、奥に女子児童を見つける。
ただならない様子で困惑しているので、慌てて駆け寄ると、彼女が指差した場所に視線を移し、顔を真っ青にした。
「なにやってるのよ、バカ! 死にたいの!? はやく降りなさい!」
エコーは学園の門から出て、外壁から伸びる気密ドームの射出部に登っていた。
その先端に小鬼が立ち往生して威嚇している。大丈夫だよ。こっちにおいで。と手を伸ばすエコー。
「そいつは《闇傀儡》って言って、統治局が使役している怪物よ! 下手に出たらあなたが攻撃される!」
聞こえないのか聞いていないのか、エコーはどんどん小鬼に近づく。すると、何故かそこで落ち着いた様子の小鬼は、前足をソッと出した。
自分の気持ちが通じたのだと思ったエコーは、微笑んで絵の具セットを受け取り、小鬼の前足を掴んだ。ーー肉が焼かれるような音が鳴る。
「ブリリリ!! リャリャリャリャリャ!! ギャラァ!!」
全身から煙を噴き出しながら暴れ出した。下にいる二人が血の気を引く。
驚いてエコーが手を離すと、小鬼が飛び掛かり、彼女の腕に噛みついた。牙が崩れる。そしてすぐに力なく落下。
勢いよく叩きつけられ、小鬼は跡形もなく消滅した。
「ありがとう!……本当にありがとう!」
「うん……」
画材を取り返してくれたお礼を言う女子児童。廊下を走って去って行った。エコーはなんだか悲しそうな顔をしている。不思議なことに、小鬼に噛まれた傷はすでに癒えていた。
後の祭りでやってきた教員たちに厳しく注意と口止めをされた後、彼女たちは教室に向かって歩いていた。
「少しは解ったかしら? 人助けするのもいいけど、なりふり構わず一人で突っ走ると、返って誰かの迷惑になることだってあるのよ」
うん。と、また空返事。
反省しているのか、あるいは小鬼を殺してしまったことを気にしているのか。自分がヒロイック能力者だからその義務感で善行を積んでいるのかと思っていたが、どうやら常識が足りないだけなのかもしれない。
「……あの子、死んじゃったのかな」
「やっぱり気にしてたのね。いいのよ、群れからはぐれて単独行動する《闇傀儡》なんてどのみち排除の対称だから。それにあいつらには心がないのよ。虫と同じだわ」
そう言い聞かせても変わらずへこんでいる。ブーリにいじめられている時はへらへら笑っているくせに、こういうことには気が滅入ってしまうのか。
いまいち掴み所が解らない子だな。と、シンシアは思った。
「きっとまたブーリに作品をいたずらされてるかもね。駄目よ、ああいうのはちゃんと言ってやらないと。黙って従うだけなんて、あの子のためにも良くないんだから」
気分を紛らわすために話題を変えることにした。
「大丈夫だよ。さっきお願いしたら、もうしないって約束してくれたから」
思わず鼻で笑ってしまう。そんなのブーリが聞き入れた試しがあるのかどうかも疑わしい。
「あいつが? そんなの破るに決まってるじゃない。いままでもそうだったでしょ」
「それは……。でも、今度は絶対守ってくれるよ!」
「だといいけど。聞いたでしょ、あいつ、あなたの悪口ばっかり言うし、目の敵にしてるから分かり合うことなんてできないじゃない? なんならわたしの家に住む? あんな奴らと一緒に生活なんて息苦しいでしょ」
我ながらいい加減なことを言うモノだと思った。そんなこと、父が許すはずもないのに。
え!?と驚き、両手を振ってエコーは断る。
「いいよ、いいよ。シンシアちゃんにはそこまで迷惑かけられないし、それにね、あたし、ブーリちゃんやビゾオウルさんと仲良くなりたいの。いまはまだお世話になりっぱなしだし、嫌われてるのかもしれないけど、家族の一員として認められたいと思う。頑張ればきっと、いつかそうなれるって信じてるから!」
そんな話を聞きながら、シンシアはこの三日間のことを思い返していた。
エコーは、素直で優しく、芯の強い子。なんの躊躇いもなく人を信じようとする真っ直ぐな心を持っている。
ーー信念。ヒロイック能力者は生まれながらに確固としてそれを持っている。
「シンシアでいいわ」
立ち止まってエコーと向き合い、握手を求めて手を差し出す。
これまでで解ったことは、彼女が底無しにいい子であること、そして左利きであることだけだ。
納得がいかないようなことも多いが、エコーがそれを気兼ねせず、純粋な気持ちで向き合って行こうというのなら、自分が横からとやかく言う必要なんてないだろう。
ヒロイック能力者がどうとかは関係ない。シンシアはただ、一生懸命な人が大好きなのだ。
「わたしもエコーって呼ぶから。いまさらこんなこと言うのも照れ臭いけど、わたしと友達になってくれるかしら? エコー」
「うん。よろしくね、シンシア」
小さく握った手で二人は、お互いに築いた友情を確かめ合う。
教室に戻ると、エコーの紙粘土人形はすっかり乾いていた。頭部がなくっている。ブーリたちが何かをちぎって投げ、遊んでいた。




