過去編1ー②
「エコー・マホヒガンテ……です。一ねんかん、どうぞよろしくおねがいします、です」
はじめてのホームルームで、舌足らずな自己紹介。昨日とはまた打って変わって、だぼだぼのセーターを着込んでいる。
エコー。それがあの娘の名前だそうだ。
拍手が鳴り止んだ後で、担任になった四十路の女教師がにこやかに微笑みかけた。
「エコーさん、今朝はありがとう。色々と手伝ってくれて先生、助かっちゃったわ」
シンシアは教室に着いた三十分前のことを思い出す。
そういえば、配布用のプリントか何かをせっせと運んでいた。学校でもこき使わされているのかと思っていたが、どうやら自主的にやっていただけらしい。
公で礼をされて、照れ臭いのか、エコーは恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
「わたしが教えてあげたの!」
太った女子が、急に席を立った。昨日見たビゾオウルの孫娘だ。
ぶくぶくに肥えたその姿は、百三十センチをゆうに超えており、およそ小学生一年生とは思えないほどの体格である。
「あのね、せんせい! わたしがね、手伝いなさいって言ったの! エコーはね、バカだから色んなこと知らな
いけど、わたしが、たくさん、たーくさん教えてあげてるの! お手伝いとか、そういうのも! それからお古のお洋服もいっぱいあげたわ! 名前だって、ウチの苗字を貸してあげてるの! そうよね、エコー!」
「うん」
彼女の主張に、エコーは笑顔で頷く。二人とも偉いですね、と担任が褒めた。
太った女子は、ガハン・ブーリ・マホヒガンテと名乗り、おじいさまはワールドツリーで一番偉い人をやってるの!と付け加えた。
それからシンシアも含めた全員が自己紹介を済ませ、ホームルームは終了。その後の授業も各教科のさわりだけで終わり、午後を過ぎるまでにほとんどの日程が消化された。
シンシアは合間の休み時間、あの少女、エコーを観察してみた。彼女は教室でじっとせず、なにかと辺りをウロついていたので、半ば尾行のようになってしまったが。
人の後ろを付けまわす自分自身に多少の嫌悪感を覚える。こんなマネをしてまでどうしても、ヒロイック能力者の実態について知りたいのだ。
なんだかんだで放課後まで追いかけていた。だが、結局シンシアの疑問が解消されることはなかった。それどころか、以前よりも増して疑念が深まっただけだった。
……エコーは、確かにいい子なのだろう。掃除当番など、クラスの決めごとで誰もやりたがらないような役を率先して自分から買って出たし、生徒同士が起こしたいざこざに仲介もしていた。それに怪我人や具合の悪そうな者を見つけては保健室まで送っているところも見かけた。
先生の仕事を手伝ったり、同級生たちの世話を妬いたりと、困っている誰かがいれば、積極的に手を貸そうとしているのが行動から見て取れる。
だが、その献身性はどこか異常めいたモノにすら感じられた。善人というよりあれは、いいことをしようと必死になっているだけではないのか。
それにあのマホヒガンテの孫、ブーリ。あれがエコーのすることにいちいち噛み付いている。
彼女は早々に自分の派閥を作り、仲間を率いてはエコーをいじめていた。理不尽な言い掛かりや横暴な態度で、彼女が自分に屈服しているかのように、その主従関係を周囲に誇示させた振る舞い。
あの自己紹介からして底意地が悪いのは解っていたが、こうも手早く嗜虐に走るとは思わなかった。しかもそれに対し、エコーはへらへら笑っているのだ。
見ているこっちの気分が悪くなる。なにが、ヒロイック能力者だ。まるで情念の欠片も感じられない。ただの弱気ないじめられっ子ではないか、あれは。
その日の晩、食事中、シンシアは我慢ならず兄に訊いた。たった一日だけだが、あの少女がヒロイック能力者などというレッテルに縛られているのはよく解った。何故、こんなことを統治局は許しているのか。
「……あの程度で潰されるヒロイック能力者なら、意味がないからだ」
兄の代わりに、父が応えた。
「いずれお前にも解る。しかし、今はその時ではない。ダークサイドの真意を知るにはまだ早すぎる。できることなら、いまはあの娘と、同じ学校のクラスメイトとして仲良くしてあげなさい」
やはり言うことが漠然としすぎている。話にならない。何を考えているんだ、この人たちは。
夕食後、すぐに家を飛び出し、自宅と同じくワールドツリーの、文字通り富裕層にあるマホヒガンテ家へと向かった。こうなったら、ビゾオウルにも直接問い詰めてやろうとシンシアは決心したのだ。真実は自分の行動で知る他にない。
修飾でその富を強調させた、無駄にきらびやかな豪邸。玄関から、子どもたちが出てくるのが見えた。その中にはブーリもいた。何かを持っている。食器を乗せたトレーだ。あれは、配膳だろうか。
庭の茂みを進んでいく彼らの後を追うと、全面コンクリートの小さな小屋が現れた。子どもたちが窓に向かって小石を投げつけている。もしや、と思う間もなく、あの娘が出てきた。エコーだ。
なるほど、別居を建ててそこに住まわせているらしい。一先ずそこは置いておくとしても、少し意外だった。こうやって毎日、子どもたちは彼女へ食事を与えにやって来ているのだろうか。
ああ見えて、ブーリは少し優しいところがあるのかもしれない。
「いい!? 今日みたいに、わたしがあんたに何か聞いたら、ぜんぶ『うん』って答えること!」
「うん。わかった」
命じるブーリに、エコーは愛嬌のある笑みで元気よく応えた。
食事を受け取って礼を言うと、小屋に戻ろうとして、転んだ。いや、子どもたちが足を引っかけて転ばさせたのだ。嘲笑が、闇にこだまする。お前の家、石の塊みたいだよな。凍え死んじまえ! 化け物!
子どもたちはエコーの身体を蹴って、散々暴言を浴びせた。シンシアは怒髪を逆立て、唇を噛む。なんて性の悪い連中だろう。
ブーリたちが去ってから、小屋の中を覗く。綺麗に片付けられている室内には、テーブルと燭台、おそらく寝具代わりのボロ布、着替えと真新しい学校の教材以外は見当たらない。申し訳程度に、便所は外付けになっているようだ。
シンシアは戸を軽く叩いた。ドアを開き、エコーがキョトンとした顔を出す。
ちょっと、来て。と、無理矢理に手を引いて歩き出した。あわあわと、かなり困惑しているが、そんなことには気を止めず、シンシアは歩を進めた。
そうして、家の者に気付かれぬよう自分の部屋へとひっそり連れ込み、備え付けのシャワー室でエコーの体をよく洗ってあげ、サイズの合う服を着せ、無造作に伸ばされた髪を切り始めた。えーっと、あのーと、エコーは落ち着かない様子で何か言いたげだった。
なんでこんな仕打ちを受けて黙っているのか、と脈絡もなくシンシアが訊いた。学校でのこと、住まいでのこと、今日一日全部見ていた、と伝えた。
普通ならドン引きものだが、エコーは相変わらずへらへらと笑って応えた。
「えへへっ……。あたし、ドジだし、とんまだし、頭も良くないから仕方ない、です。それに、マホヒガンテさんのお家でお世話になってる身でイソーロウ、ですし」
明るい顔で卑屈なことを言うものだ。これがヒロイック能力者?
頭にくる。こうやって自分が意味不明でおかしな行為に走るのも、そのせいだ。こんなか弱い女の子一人をよってたかって、みんな、本当にどうかしている。
腹を立てながらも、シンシアは少し気を落ち着けた。
「大変ねっ。ヒロイック能力者なんて周りから勝手に言われて、訳のわからない重荷を背負わされるなんて、そんなの、わたしなら絶対に耐えられないわ」
そうだ。統治局の思惑がどうであれ、ヒロイックという概念そのものに囚われているに違いない。
善人って、要するに困っている人を助けられる者のことだ。独善的ではあるにせよ、自分だってこうやって人助けのために行動できるだけの心持ちはある。
誰だってそうだろう。自分とエコー、一体どこが違うというのか。
「オモニって、なんですか?」
「わたしたちみたいな子どもじゃなくて、大人が持つべき責任ってことよ」
へぇ。と、あまりよく理解していなさそうなエコー。
そして、無邪気な笑顔で、もうひとつの質問を投げ掛けた。
「ひろいっくのーりょくしゃ……って、なんですか?」