魔王様の『してぃらいふ』 ~ポンコツ魔王の涙~
深淵より響くは、数千年の時を刻む禍々しき鼓動か。辺境の地に峻立する黒岩の巨城、その最深部には、万物を蹂躙し世界の秩序を塗り替えるべき『絶対的な闇』が鎮座している……
「のう、バルザスよ。」
「はい、魔王様。何事でございましょう?」
若き魔王が、側近に声を掛ける。それだけで、辺りに満ちる魔力は目に見えて濃くなる。人間はおろか、並の魔族でも、この重圧には耐えられないであろう。
魔王『アルテミシア・ヴォルデ・カオス・ドラグニル』。父である先王の急逝により、わずか200歳(人間換算20歳)の若輩の身ながら王位を継いだ『女王』。先王には届かないが、魔界屈指の実力者ではある。
仕える側近は『バルザス・ヴォル・グラナート』。先王時代からの重鎮かつ側近であり、700歳(人間換算70歳)の老獪な男である。そして、その知力魔力は共に現魔王を上回っている。しかし、こと魔力において、現魔王が彼を上回るのは、そう遠い日ではないだろう。
「何故、予はこんな辺境の片田舎に居を構えなければならぬのだ? 予も『してぃらいふ』と言う物を楽しんでみたいのじゃが?」
「恐れながら魔王様。魔王様が居られるだけで、そこにいる人間は全て逃げ去ってしまいます。つまり、どんな大都会に居を構えようとも、魔王城は辺境の片田舎になってしまうのです。」
「…………………………………………」
***
深淵より響くは、数千年の時を刻む禍々しき鼓動か。辺境の地に峻立する黒岩の巨城、その最深部には、万物を蹂躙し世界の秩序を塗り替えるべき『絶対的な闇』が鎮座している……はずであった。
「嫌じゃ嫌じゃ! 予も若いヤングのような『してぃらいふ』で青春を謳歌したいのじゃ! あの眩い光の洪水に身を投じたいのじゃ! パンケーキの写真を撮って『まじ尊い……』とか言いたいんじゃ!」
「ええい、我儘を言うでない! このポンコツ魔王が!」
前述から一ヶ月、毎日毎日毎日毎日この調子である。魔王が床を転がる度に、漆黒のローブがぐちゃぐちゃになり、禍々しい角が床を削っていく。対応に追われた側近バルザスの執務は完全に滞り、魔王軍の軍備計画も領土問題も、山積みのまま埃を被っていた。
「……なにか言ったか? 『このポンコツ魔王が』とか。」
「いいえ、別に。空耳ではございませんか?」
「そうか……? 前々から思っておったのじゃが、そなた、予を馬鹿にしておらぬか?」
「そんな事はございません。今もこうして敬語『だけ』は使っております。これこそ私の最大限の敬意にございます。」
「そ、そうか? ならば、良しとしよう!」
(このポンコツ魔王……)
案の定、丸め込まれた主君を見て、バルザスは内心で毒づいた。
「魔王様、いい加減になされませ! 10年前に魔王様が敵情視察という名のお忍びで、人間界の都会のカフェに足を踏み入れた瞬間、何が起こったかお忘れですか!? 客は悲鳴を上げて窓から飛び降り、店員は腰を抜かして失禁し、国軍クラスの討伐隊が組まれ、三日と経たず大陸一の商業都市がゴーストタウンと化したのですぞ!」
「それは予のオーラが溢れ出ているからであって、予のせいではないではないか! 予だって…… 予だって、テラス席で林檎本を広げて『今日はリモートで魔界統治なう』とかやりたいのじゃ!」
「ドやかましい! 大体、さっきから言っている『若いヤング』という言葉は何ですか! 『頭痛が痛い』ような言い草は!」
魔王はピタリと動きを止めると、潤んだ瞳で側近を見上げた。
「……バルザスよ、お主は知らぬのか? 最近の人間界では、あえて隠れ家的な場所で、少し古風な格好をして過ごすのが『レトロでエモい』と言われていることを。予のこの城も、見方を変えれば究極のヴィンテージ物件ではないか。あとは、立地さえ…… 立地さえ渋谷であればっ!」
「渋谷に、こんな骸骨で埋まっている城を建てられるわけがないでしょう! 土地代だけで魔界の国家予算がふっ飛びますわ!」
バルザスの正論という名の魔法に射抜かれ、魔王は再び『嫌じゃ嫌じゃ!』と床を転がり始めた。その様子を冷ややかな目で見ていた側近だったが、ふと深く溜息をつき、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……いや、隠れ家的な場所、か。それでしたら、どうにかなると思います。」
「本当か!?」
魔王はガバッと起き上がり、期待と羨望に満ちた視線をバルザスに送った。
「はい。要人がお忍びで使用する『レトロな隠れ家カフェ』を予約いたしましょう。ただ、隠れ家であるため、テラス席は存在しない店舗なのですが……」
「それでも構わぬ! これでようやく予も『してぃらいふ』が満喫できるのか!」
「それでは私は予約等の準備を行いますので、しばらくお時間を頂きたいと思います。」
「うぬ。期待しておるぞ、バルザスよ。」
そして、バルザスは一礼して退室していった……
***
……そして、わずか30分後……
「魔王様、準備完了いたしました。」
「おおっ!? めちゃくちゃ早いではないか。30分しか掛かっておらぬではないか。流石はバルザスだ。」
「お褒めに預かり恐悦至極。それでは、『レトロな隠れ家カフェ』へと向かいましょう。 ……ただし、秘密のカフェ故、場所を特定されては今後立ち入ることが難しくなりますので、移動中は目隠しをしていただきます。」
「おおお……! 徹底しておるな! さすが都会じゃ!」
そして魔王は、何の疑いもなく、バルザスが差し出したアイマスクを装着するのだった。
「のう、バルザスよ。秘密なのは良いのじゃが、これでは歩くこともままならぬぞ?」
「その点は心配無用です。私がエスコート致します故。それでは、お手をどうぞ。」
「う、うむ……」
バルザスに手を取られ、魔王は思わず赤面した。彼女の頭の中では、『都会の隠れ家カフェへエスコートされる、身分を隠した令嬢』的なラブコメ展開がフルカラーで再生されているのだろう。
そうして二人は、謁見の間を出て、魔王城を出て、魔王城の周りを複雑に何周もし、再び魔王城に入り、城内を何周もし、階段を降り、城の最下層へとたどり着いた。
「のう、バルザスよ。随分と時間がかかる気がするのじゃが? 準備は30分で済んだのに、もう一時間以上歩いておる気がするぞ?」
「目隠しを付けての歩行故、時間感覚と距離感覚がズレているのでしょう。それと、他人に場所を悟られないために、少々複雑に動いておりますから。」
「そ、そうか……」
「それはそうと、到着いたしました。今、目隠しを外します。」
「おおっ!? おぉっ…… ぉぉ……」
目隠しを外した魔王は、期待に瞳を輝かせ…… その瞳が徐々に曇っていく。
眼の前にある調度品は、ボロボロのソファ、ぐらつくテーブル、打ち捨てられた骸骨。そして部屋は、どこからどう見ても地下牢だった。たとえ壁に『SHIBU=DANI 107』と木炭で乱雑になぐり書きされていても、何の慰めになろうか?
「バ、バルザス…… ここは一体? 予には地下牢にしか見えぬのだが?」
「魔王様。この場所こそ、要人(捕虜となった敵軍高官)が、お忍び(人知れず)で、利用する(拘禁・尋問される)、レトロな隠れ家カフェ、『SHIBU=DANI 107』でございます。」
「嘘つけええぇぇぇっ!!」
さすがのポンコツ魔王も、全力で叫んでいた。
「こんな鉄格子剥き出しの、薄暗くてカビ臭くてジメジメしたカフェがあるかぁぁっ!!」
「魔王様、それは誤解でございます。これは鉄格子ではなく、あえて鉄骨を露出させることで、都会の建設的なエネルギーと退廃美を融合させた『スケルトン仕上げ』、究極の『工業的・デザイナーズ・物件』にございます。」
「い…… いんだすと?」
「また、この照明は、蝋燭を利用した落ち着く間接照明でございます。都会のヤングたちには、明るすぎるのは野暮なのです。これくらいの暗さが、都会の孤独と気高さを演出するのです。」
「さ、最高にエモい照明……ということか?」
「更に、この香りはカビの臭いではございません。都会のセレクトショップでトレンドの『アロマセラピー』…… 深淵の森をイメージしたウッディな香りです。」
「よい、香り…… ……なのか?」
「最後にこの湿気ですが、これは魔王様の喉と美肌を守るための加湿…… 『超微細ミスト加湿』にございます。これこそ至高のホスピタリティです。」
「う、うむ! そういえば、なにか元気になってきたような気がするぞ!」
「そして、このソファは、都会の高級ヴィンテージショップで最も価値があるとされる『クラッシュ・ダメージ加工』にございます。あえて中身を露出させることで、完璧を拒むヤングの反骨精神を表現しているのです。」
「……は、反骨精神! 確かに、座り心地よりも思想が大事な気がしてきたぞ!」
「次に、そのぐらつくテーブル。これは今流行中の『ライブ・バイブレーション・デスク』。固定概念を揺さぶるという哲学的なメッセージが込められております。コーヒーがこぼれるのは、変化を恐れるなという都会からの警句です」
「な、なるほど……! 安定を求めるのは、辺境の者の考え方であったか!」
「そして、その打ち捨てられたかのような骸骨……。魔王様、これこそが本物件の目玉、究極の『メメント・モリ・オブジェ』にございます。」
「め、めめ……?」
「『死を忘れるな』。常に死と隣り合わせで刹那を生きる、都会のヤングたちのヒリついたライフスタイルを象徴するインテリアです。あえて無造作に置くことで、死すらも日常の一部として乗りこなす、圧倒的な『こなれ感』を演出しております。これがあるだけで、部屋の『映え度』が三倍は違います。」
「おおお……! 凄いぞ! この骸骨があるだけで、予は今、最高にこなれたヤングとして死を乗りこなしておるのだな!」
「更にはあちらに、魔導電波装置と魔力分配盤、魔力充填石も完備でございます。これで、いくらでも発光魔石板を用いて配信を行うことが出来ます。」
と、バルザスは乱雑に鉄格子に結びつけられたそれらの機械を指さして示した。
「おお、準備万端だな!」
***
「ところでバルザスよ。カフェでと言えばコーヒーとスイーツじゃが?」
「勿論、手配しております。魔王様には、出来立てをご提供…… いや、今しがた準備が整ったようでございます。」
「おおっ!? おぉっ…… ぉぉ……」
再び魔王の瞳が期待に輝き、そして再び曇っていく。
やってきたのは、料理を手にした、三人(三匹?)の執事服を着たゴブリンだった。ゴブリンに執事服。当然死ぬほど似合わない。ここがカフェだったとしても、地下牢だったとしても、思い切り浮きまくっている姿だった。ウェイターたちは料理を『ライブ・バイブレーション・デスク』に置いて、恭しく去っていった。
「バ、バルザス…… この料理(?)は、一体……?」
「まずは、こちらを最初にお召し上がりください。こちらは『タビオガ・ミルクティー』になります。」
「タ…… タビ? この蛙の卵のようなものが?」
「そうでございます。香り高い酵茶と上質な砂糖を使用し、孵化寸前の蛙系のモンスターの卵と混ぜたものです。鮮度が命の賞味期限が短い飲み物なので、一気に飲み干してください。」
「た、卵……? 卵ということは、これ……」
「おっと、口にしてはいけません。都会では『鮮度が命』と言われております。早く飲みきらないと、孵化…… いえ、味が落ちてしまいます。さあ、一気にどうぞ。噛まずに飲み干すのが都会流の『踊り飲み』です。」
魔王は恐怖に顔を歪めながらも、バルザスの『都会』という呪文に逆らえず、一気にグラスを煽った。色鮮やかでモチモチとした、乙女心をくすぐる宝石のような食感……とは真逆の、喉を通る無数のヌルりとした感触。そして胃に到達した瞬間、それは始まった。
「う、うあああっ! バルザス! 胃の中で、何かが…… 何かが凄まじい勢いで蠢いておるぞ! 白魚の踊り食いなど比較にならぬほど、予の腹がボコボコと波打っておる!」
「それこそが都会のエネルギーです、魔王様。胃の中で生命が脈動するその違和感こそが、生を実感させる『ライブ・バイブレーション』です。」
***
「続きましては、こちらのパンケーキになります。」
「パっ、パンケーキ!!」
魔王が期待に胸を膨らませて目撃したものは、牛脂が滴り、炭化したアスファルトのように黒光りする円盤だった。
「バ、バルザス…… これは、一体?」
「こちらは、『炭・パンケーキ ベリー添え』になります。」
「パ、パンケーキは、もっと、こう…… ふわふわで、綺麗な黄金色で、甘い香りが……」
「最近のヤングは、体内の毒素を浄化するために、炭を食することが流行しております。こちらは、その概念を取り入れ、炭の粉を混ぜ、更に表面を徹底的に焼固めされた一品にございます。」
魔王は恐る恐るナイフとフォークでパンケーキに突き立てた。ナイフが沈み込むような、雲のようにふわふわとした感覚……など、ある筈も無く。
「……バルザス、このパンケーキ、表面が硬すぎてナイフもフォークも通らないのだが?」
「最近のヤングは、甘えた考えを嫌います。勿論、食感に関してもです。カトラリーと歯に魔力付与を施してお召し上がりください。」
「歯…… 歯にもか……」
そうして魔王は、カトラリーと歯に魔力付与を施し、パンケーキを一口サイズに切り取り、震える手で口に運び、まるで煉瓦を囓るかの如く噛み砕き……
「にっ、苦いのじゃ! それに、中は甘すぎて、舌が痺れて、涙が止まらぬぞバルザス!」
「それこそが人生の味。都会のヤングが日々、光の洪水の裏で味わっている苦悩と陶酔の黄金比にございます。その痺れこそが、あなたが都会と繋がっている証なのです。」
魔王は口と喉を押さえて藻掻き苦しみ、荒い息を付いた。
「た、確か『ベリー添え』であったな。この赤いのと白いのが…… 何やら、見たことも無い実だが?」
「こちらは、野生の生命力を凝縮した『蛇苺』と、純白の清潔感を体現した『シラタマノキの実』にございます。パンケーキと一緒にでも、単独ででも、ご自由にお召し上がりください。」
「そ、そうか。よ、よし……」
魔王は覚悟を決めて、それぞれのベリーを口に運んだ。ジューシーな甘味が、口の中に広……がらない。
「……赤いのは、中身がパサパサスカスカで、味が無いのじゃ…… っ!? 何じゃこの白いのは!? 口の中がスースーして、筋肉痛の薬を塗られたような心地じゃ……!」
魔王は、シラタマノキの実独特の湿布臭に、口を押さえて藻掻き始めた。
「それが都会のデトックスにございます。胃の中のタビオガも、この刺激に驚いて大人しくなることでしょう。」
***
「続きましては、コーヒーにございます。」
魔王は、バルザスに示されたデミタスカップを手に取り……
「……バルザスよ。このコーヒー、なんだかドロッとしておらぬか? 液体というより、もはや泥炭を飲んでいるような心地なのじゃが……」
魔王は、カップの中でどろりと揺れる漆黒の塊を、怯えたような目で見つめた。
「魔王様、それは大きな誤解です。これこそが今、命知らずなヤングたちがこぞって口にする、『サードウェーブデスプレッソ』にございます。」
「ですぷれっそ……?」
「左様。豆の魂を限界まで凝縮し、水分という甘えを排除した結果、辿り着いた粉末の入れすぎ。喉に絡みつくような重厚感こそが、都会を生き抜くための『覚悟』を試すのです。さあ、一気に。ストレートで。」
魔王は震える手でその『泥炭』を口に含んだ。あまりの苦味とエグみに、角の先まで衝撃が走る。
「……に、苦い! 苦すぎて、前世の記憶が見えそうになったぞ……!」
「それこそがデスプレッソの醍醐味でございます。」
***
「うぅぅ…… 色々な味で口の中がグチャグチャなのじゃ…… バルザスよ、水を持ってきてくれ。」
「魔王様、甘えてはいけません。都会はセルフサービスが多いのです。水は、あちらのドリンクバーにてセルフサービスでお願いします。」
バルザスが示した先にあるのは、壁から無造作に出ている錆びた蛇口と、細い鎖で縛られた金属製のカップだった。
「これが…… これが、どりんくばぁ?」
「これこそ、この物件の工業的なイメージを再現した『インダストリアル・ドリンクバー』でございます。」
「蛇口が錆びていて、水が茶色い気がするのじゃが…… しかもかなり鉄臭いぞ?」
「それが都会のヴィンテージ・テイスト。鉄錆を豊富に含んだ『アイアン・リッチ・ウォーター』です。お気の済むまでご自由にお飲みください。」
あまり飲みたいとも思わなかったが、口の中が限界である。魔王は蛇口をひねり、一気に飲み干した。繰り返されること数回……
「なるほど…… ……都会の味は、血の味がするのじゃな……」
***
「ついでですので、一緒に説明させていただきます。あそこの隅にある『床の臭気漂う穴』により、部屋から一歩も出る必要はございません。都会のヤングは、一分一秒を惜しんでスマホを操作するもの。排泄すらもクリエイティブな時間の一部なのです」
「おおお……! 部屋から出ずに、すべてが完結するのか! さすが、予が憧れた『してぃらいふ』。なんと機能的なのじゃ!」
***
「次は、こちらの『皓い鯛焼き』にございます。」
バルザスが示した物は、白濁した粘液を纏い、どんよりと濁った瞳でこちらを見つめる、本物の『魚の焼き物』であった。
「こ、これは…… ……いくら何でも、生臭くないか? 鯛焼きとは、もっとこう、甘くて可愛らしいものでは……?」
「魔王様。都会では今、『本物志向』が一周回ってブームなのです。こちらは、魔王領で採れた皓鯛という魚を……」
「皓鯛じゃと? あの不味くて有名な……」
「はい、その皓鯛です。大量に採れ、生命力豊かなこの魚を、至高の一品に仕上げました。『本物志向』を活かすために、皮の代わりに白濁した鱗。餡の代わりに内臓。この圧倒的な『ライブ感』こそが、ヤングの魂なのです。」
「そうか……ライブ感か……」
魔王は涙目で、震えながら鯛焼きに齧り付いた。パリッとした皮、柔らかな身の部分、くどくない甘さ、小麦とあんこの香り…… そんな食感とは対を成す、ヌメッとした皮と鱗、小骨が多く筋張った身、くどい程に脂が乗り、そしてメチャクチャ生臭い……
「ぐおおぉぉおおぉおぉっ……」
そして、本日何度目かの、魔王の悶絶した叫びが響いた。
***
「そしてこちらが、本日最後のメニュー、『マリツットォ』になります。」
「ま、まりつ……?」
最後の一皿に乗っていたそれは、フワフワの丸パンに挟まれた純白のホイップクリーム……ではなく、見るからにカチカチになった硬い丸パンに挟まれた、白い塊だった。
「バ、バルザス…… 丸パンは分かるが、この白いのは一体?」
「この丸パンに挟まれているのは、上質な砂糖を練り込んだ、最高級の豚脂です。丸パンも、可能な限り水分を抜いております。スイーツの欠点である、時間経過による味の劣化。この弱点を克服したマリツットォは、何日経とうが出来立ての味を楽しめる、最高のスイーツです。」
「ラ、豚脂、か…… 確かにこれでは、何日経とうが味の変わり様は無いが……」
魔王は何かを(何もかも?)諦めたような顔で、マリツットォに手を伸ばし、大きな口を開けて齧り付き……
「あ、甘すぎて重すぎてバサバサなのじゃ…… いつまで経っても後味が引かないのじゃ……」
「その味こそ、都会を生き抜くエネルギー源なのです。都会は常に戦場。丸パンで手も汚れず、砂糖で短期エネルギーを、豚脂で長期エネルギーを摂取できます。後味で口寂しさを紛らわし、満腹感もしっかりしており、更に保存性も抜群です。」
「…………」
もはや、返す言葉もない魔王だった。
***
「それでは、のんびりと『してぃらいふ』をお楽しみ下さい。」
バルザスは廊下に出ると、鉄格子を引き、ガチャリと……
「待てバルザス。なぜ鍵を掛ける!?」
「これは都会の高度なセキュリティシステム『オートロック』にございます。お忍びの隠れ家生活を邪魔されないために、自動的に施錠されるのです。更にこの鉄格子には、魔力無効化、物理攻撃無効化の魔法陣が組み込まれているため、魔王様の安全は万全です。」
「そ、そこまで考えておったのか……」
バルザスの心遣いに、魔王の瞳に涙が滲む。
「おお、バルザスよ! 予は今、最高にヤングな気分じゃ! この『ダメージ加工ソファ』も、『こなれ感』のある骸骨も、実にエモいのう!」
「お褒めに預かり恐悦至極。それでは、ごゆっくりとどうぞ。」
バルザスは恭しく一礼すると、そのまま廊下を歩き去る。
「ハッシュタグ…… 『隠れ家カフェなう』 っと……」
背中に、魔王の喜びの声を聞きながら……
地下牢を出て、ケーブルを挟まないように気をつけながら重厚な鉄扉を施錠し、足早に自分の執務室へと向かいながら、ひとりごちた。
「これだけカロリーを与えておけば、二~三日は暗闇に閉じ込めておいても大丈夫だろう。これでようやく執務に取り掛かれる……」
***
「バルザス様、お疲れさまです。」
「うむ。」
バルザスが執務室の扉を開けると、秘書官であるダークエルフのルルエラが、書類の山を前に苦戦していた。バルザスの姿を確認し、立ち上がって敬礼する。
「これから執務にはいるが、その前に食事とコーヒーを頼む。」
「は、はい。既に用意してございます。」
「うむ、ご苦労。」
ルルエラの怯えた視線が、バルザスの机の上に向けられる。バルザスの机の上には、壁が見えない程の書類の山脈と…… デスプレッソとマリツットォ。彼はおもむろにマリツットォに齧り付き、デスプレッソを一気に煽る。パンで挟んであるので手を汚さないこの食事は、彼にとって甘味でも美食でもなく、彼が長年常用している『バルザス自身が限界を超えて働くための、ドーピング用社畜食』に他ならなかった。
「……さて、それでは……」
食事(食餌?)を終えたバルザスは、複雑な印を組んで、長い呪文を唱える。次の瞬間、バルザスの体は光に包まれ、異形へと変形した。頭は4つに増え、腕も8本に分裂する。これがバルザスの本体……ではない。効率よく執務を行うために彼が作り出した変身呪文……『業務特化四倍体』だった。代々のポンコツ魔王達の補佐と尻拭いをし続けてきた彼が、過酷な労働環境を生き抜くために独自に編み出した、社畜の進化の到達点である。膨大な魔力と制御技術が必要だが、現魔王を凌ぐ魔力と知力を誇る彼にとって、そう難しい事ではなかった。さらに彼は自分に迅速化を掛け、左から順に書類を取り、内容を確認し、修正し、魔力を込めた認印を押し、魔王代理の最終承認サインを記す。これらの『ひとり流れ作業』を黙々とこなしていく。
「さて」「魔王様が飢えて倒れられる前に」「仕事を片付けて」「お迎えに上がらないと……」
手を止めることなく、横に並んだ口が次々に台詞を紡ぐ。
***
最後の蝋燭が、一瞬だけ強い光を放ち、ジュッと音を立てて消える。手元の発光魔石板の画面だけが、彼女の顔を青白く照らし出していた。
「……バルザス…… 都会の夜は、もっと明るいのでは……ない、のか……?」
画面には、自分が投稿した『秘密の隠れ家カフェなう』の文字。誰からも『いいね』がつかない、孤独な電脳世界。喉にこびりつくデスプレッソの泥のような苦味と、胃に溜まった豚脂の重みが、彼女をこの場に繋ぎ止めている。
「……ヤングな、青春…… ……まじ、尊い……のじゃ……」
その呟きは、もはや流行語としての意味を成していない。自分が欲しかったのは、偽物の光でも、目隠しをされて辿り着く檻でもなく、誰かに自分の存在を肯定してもらえる『本物の青春』だった。だが、腹の中で蠢くオタマジャクシの『ライブ・バイブレーション』が、そんな感傷を強制的に打ち消した
壁の向こうからは、亡者と囚人たちの怨嗟の呻き声が絶え間なく響く。魔王はそれを『都会の喧騒』だと思い込もうとして、涙で発光魔石板の画面を濡らした。
辺境の夜は、今日も静かに、そして残酷に更けていく。こうして魔王は、都会ライフを楽しむのだった……
***
「ハァッ…… ハァッ……」
バルザスの処理能力に、秘書官のルルエラが追いつかなくなっていく。何せ、本気を出したバルザスの補佐となると、大量の書類運搬くらいしか出来ないのだ。元々体力よりも知力に優れたダークエルフには、向かない業務だった。
(……彼女は有能なのだが、体力面では無理があるな。彼女に体力自慢の補佐をつける必要があるな。しかし、オーガやトロールでは知力的に仕事にならないし、ドワーフならその職責に耐えられるが、エルフとは犬猿の仲だし…… やはり本人に選ばせるのが最善か……)
バルザスは、端の顔をルルエラに向け、労をねぎらうように、優しい口調で告げた。
「ルルエラよ。それを運び終わったら、マリツットォとデスプレッソで休憩せよ。」
「ヒィッ!? それだけはご勘弁をっ!」
ルルエラの脳裏に、『砂糖まみれの豚脂の塊』と『泥炭のようなコーヒー』が浮かぶ。あれを食せば、心臓が止まる。彼女は必死の形相で首を振った。
「……そうだな。マリツットォとデスプレッソはいいから、食事と休憩は取るように。それと、貴官に体力面を補う補佐官を付けようと思う。今回の騒動が終わったら、人選を頼む。」
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
ようやく『人間らしい』配慮を受けられたことに、ルルエラは安堵の涙を浮かべた。だが、続く『期限』の宣告が、彼女の魂を凍りつかせた。
「期限は、『次の魔王様の癇癪が始まるまで』だ。まあ、起き上がれるようになるまで数日は養生する必要があるだろうし、『してぃらいふ』には懲りただろうから、数ヶ月は猶予はあろう。」
「ヒィイィッ!?」
ルルエラは、目の前の『四つの顔を持つ上司』を仰ぎ見た。彼は今、魔王様を『三日間、地下牢に閉じ込めて毒を盛った』ことを、単なる『養生が必要なレクリエーション』として処理している。
次の癇癪が起きる頃、魔王様はまた『してぃらいふ』の悪夢を忘れて、新たな刺激を欲しがるだろう。そして、この怪物は再び『業務特化四倍体』を発動させ、自分もその渦に巻き込まれる。
ルルエラは、自分が選ぶべき補佐官は『体力自慢』などではなく、『死を恐れない殉職覚悟の者』であるべきだと、震えながら確信した。
--- Fin ---




