#4:王国広報官の栄光
## 1
アオリが情報省の特別広報戦略官として働き始めて3ヶ月が経過した。彼のオフィスは王宮の東翼にあり、窓からは王都の美しい景色が一望できた。壁には彼が手がけた広報キャンペーンのポスターが飾られ、机の上には次々と届く報告書や企画書が積み上げられていた。
「アオリ、今日も早いな」
振り返ると、ヴィクターが微笑みながら立っていた。
「おはようございます、次官」アオリは丁寧に挨拶した。「新しい広報キャンペーンの企画を練っていました」
「熱心だな」ヴィクターは満足げに頷いた。「君が来てから、我々の広報活動は格段に効果的になった。特に『北部農業改革計画』は大成功だった」
アオリは微笑んだが、内心では複雑な思いがあった。確かに彼の戦略は効果的だったが、それは本当の問題解決ではなく、単なる「印象操作」に過ぎなかった。
「実は、重要な話がある」ヴィクターは声を低くした。「今日の午後、国王陛下に謁見することになった」
「国王陛下に?」アオリは驚いた。
「ああ。陛下は君の手法に興味を持たれているようだ。特に『心理戦略』という概念にね」
アオリは緊張した。国王に会うとは…前世では想像もできなかった展開だ。
「準備をしておいてくれ。正午に迎えに来る」
ヴィクターが去った後、アオリは窓の外を見つめながら考え込んだ。この3ヶ月間、彼は様々な広報キャンペーンを手がけてきた。北部の穀物不足問題、隣国ガリアとの緊張関係、南部鉱山の労働問題…どれも表面上は成功したが、根本的な問題は解決されていなかった。
「本当にこれでいいのだろうか…」
彼は自問自答していた。前世では視聴者数と収益のためなら何でもする「炎上の帝王」だったが、この世界では違う道を歩みたいと思っていた。しかし、現実は皮肉にも似たような状況に陥っていた。
正午、ヴィクターが約束通りアオリを迎えに来た。二人は王宮の中心部へと向かった。
「緊張しているようだな」ヴィクターは微笑んだ。
「はい、少し…」
「心配無用だ。陛下は温厚な方だ。ただ、あまり長話はしないように。陛下は簡潔な報告を好まれる」
彼らは豪華な廊下を進み、ついに王の謁見室の前に到着した。衛兵が敬礼し、重厚な扉が開かれた。
中に入ると、豪華な装飾が施された広い部屋があり、その奥の玉座に一人の男性が座っていた。レオン4世、メディアクラティア王国の国王だ。
アオリとヴィクターは深々と頭を下げた。
「陛下、特別広報戦略官のアオリをお連れしました」ヴィクターが恭しく言った。
レオン4世は50代半ばの威厳ある男性で、鋭い目と思慮深い表情が特徴的だった。彼はアオリを見つめ、微笑んだ。
「噂の『心理戦略』の専門家か。興味深い報告を聞いているぞ」
「恐れ多くも陛下のお目にかかれて光栄です」アオリは緊張しながらも丁寧に答えた。
「ヴィクターから君の手法について聞いている。『プロスペクト理論』『ハロー効果』『フレーミング効果』…興味深い概念だ」
アオリは驚いた。国王がここまで詳しく彼の手法を把握しているとは。
「特に『北部農業改革計画』は見事だった」国王は続けた。「不足を『改革』と言い換えるだけで、民の反応が大きく変わるとはな」
「ありがとうございます」アオリは頭を下げた。
「さて、本題だ」国王は姿勢を正した。「来月、王国創立500周年を迎える。盛大な祝賀行事を計画しているが、民の参加意欲が低いという報告を受けている」
「それは…」
「民は日々の生活に精一杯で、祝賀行事など関心がないようだ。だが、この記念すべき節目に民が一丸となることは重要だ。君の『心理戦略』で民の参加を促せないだろうか?」
アオリは考え込んだ。これは単なる広報活動ではなく、国家的イベントだ。彼の手腕が試される大きなチャンスでもある。
「いくつかアイデアがあります」アオリは慎重に言った。「まず、『バンドワゴン効果』を利用して、『多くの人が参加する』という印象を作り出します。次に、『プロスペクト理論』を応用して、『参加しないと損をする』と思わせる戦略を…」
国王は熱心に聞いていた。アオリの説明が終わると、満足げに頷いた。
「素晴らしい。君の提案を採用しよう。この祝賀行事の広報責任者に君を任命する」
アオリは驚いた。「私を?」
「ああ。ヴィクター、必要な権限と予算を与えるように」
「かしこまりました、陛下」ヴィクターは頭を下げた。
謁見が終わり、アオリとヴィクターは王宮を後にした。
「おめでとう、アオリ」ヴィクターは笑顔で言った。「国王直々の任命だ。これは大きな栄誉だぞ」
アオリは複雑な心境だった。確かに栄誉ある任命だが、同時に大きな責任も伴う。そして、彼の「心理戦略」が国家レベルで利用されることの意味を考えずにはいられなかった。
「ありがとうございます。最善を尽くします」
彼らは情報省に戻り、早速準備に取りかかった。アオリは専用のプロジェクトルームを与えられ、スタッフも数名配属された。
「創立500周年祝賀行事広報計画」と書かれた大きな看板がプロジェクトルームに掲げられた。
アオリは深呼吸し、決意を新たにした。
「よし、始めよう」
## 2
アオリは創立500周年祝賀行事の広報計画を練るため、まず王国の歴史と民衆の現状を徹底的に調査した。
「メディアクラティア王国は500年前、初代王レオン1世によって建国された」アオリはスタッフに説明した。「当時は小さな都市国家だったが、『情報の力』を活用して周辺国を統合していったという」
「情報の力?」若いスタッフのエリカが尋ねた。
「そう。初代王は『噂の力』を理解していた最初の統治者と言われている。敵対する国々に有利な条約を結ばせるため、巧みに情報を操作したという」
アオリは歴史書を読みながら、この王国の本質を理解し始めていた。メディアクラティア王国は建国当初から「情報操作」を統治の手段としていたのだ。
「現在の民衆の状況はどうだ?」アオリは別のスタッフに尋ねた。
「北部では穀物不足が続いています。南部の鉱山労働者の不満も高まっています。また、隣国ガリアとの緊張関係で、国境地域の商業活動が停滞しています」
アオリは眉をひそめた。状況は彼が想像していたよりも深刻だった。そんな中で祝賀行事に民衆の参加を促すのは容易ではない。
「では、なぜ民衆は祝賀行事に関心がないのだろう?」
「生活が苦しいからでしょう」エリカが率直に答えた。「祝賀行事よりも、明日の食べ物の方が大事です」
アオリは頷いた。これは「現在志向バイアス」の典型だ。人は将来の大きな利益(国の繁栄など)よりも、目先の小さな利益(日々の生活)を優先する傾向がある。
「わかった。では、民衆が祝賀行事に参加することで『即時的な利益』を得られるようにしよう」
アオリは「現在志向バイアス」を逆手に取る戦略を考え始めた。
「祝賀行事期間中、参加者には特別な『記念食糧配給』を行う。北部の穀物不足地域では特に手厚く」
これは即時的な利益を提供することで、参加意欲を高める戦略だ。
「次に、『フレーミング効果』を利用しよう。祝賀行事を単なる『お祝い』ではなく、『王国の未来を築く重要な機会』としてフレーミングする」
アオリはポスターのデザインを指示した。「『あなたの参加が王国の未来を創る』というメッセージを前面に出そう」
さらに、「ハロー効果」も活用することにした。
「各地域の尊敬される人物—村長、商人ギルドのマスター、有名な職人など—に先行して参加を表明してもらう。彼らの影響力で周囲の人々の参加意欲も高まるだろう」
アオリの戦略は次第に形になっていった。彼は「バンドワゴン効果」も取り入れた。
「『すでに多くの人が参加を表明している』という情報を広める。人は多くの人が選んでいる選択肢を選びたがるものだ」
計画が固まると、アオリはヴィクターに報告した。
「素晴らしい戦略だ」ヴィクターは感心した。「特に『記念食糧配給』のアイデアは秀逸だ。民衆の参加意欲を高めつつ、北部の不満も和らげられる」
「ありがとうございます」アオリは謙虚に答えた。「ただ、一つ気になることがあります」
「何だ?」
「この祝賀行事の後も、根本的な問題—穀物不足や労働問題—は残ります。一時的な対応ではなく、長期的な解決策も必要ではないでしょうか」
ヴィクターは少し考えてから答えた。「その通りだ。だが、それは別の部門の仕事だ。我々の役割は情報を管理し、民の意識を適切な方向に導くことだ」
アオリは納得できない思いを抱えながらも、頷いた。
広報キャンペーンは直ちに開始された。街中にポスターが貼られ、吟遊詩人たちは祝賀行事を称える歌を歌い始めた。各地域の有力者たちも次々と参加を表明し、「バンドワゴン効果」が生まれ始めた。
特に効果的だったのは「記念食糧配給」の発表だ。北部の穀物不足地域では、この知らせを聞いて多くの人々が参加を決めた。
「アオリ、素晴らしい成果だ」ヴィクターは報告書を見ながら言った。「参加申し込みが予想の2倍のペースで増えている」
アオリは満足げに頷いたが、内心では複雑な思いがあった。彼の戦略は確かに効果的だったが、それは本当の問題解決ではなく、一時的な「気分転換」に過ぎなかった。
ある日、アオリがプロジェクトルームで作業していると、エリカが興奮した様子で駆け込んできた。
「アオリさん、大変です!南部の鉱山労働者たちが祝賀行事への参加を拒否すると宣言しました!」
「何だって?」アオリは驚いた。
「彼らは『労働条件が改善されない限り、祝うべきことは何もない』と言っています」
これは予想外の展開だった。アオリは急いでヴィクターに報告した。
「南部の状況は把握している」ヴィクターは冷静に答えた。「対応策を考えてくれ」
アオリは南部鉱山地帯の状況をより詳しく調査した。労働者たちの不満は想像以上に深刻だった。長時間労働、低賃金、危険な作業環境…改善の兆しがないまま、祝賀行事だけが進められることに彼らは怒りを感じていた。
「どうすべきだろう…」
アオリは悩んだ。単なる「心理戦略」では、この問題は解決できない。根本的な改善が必要だ。
彼は勇気を出して、ヴィクターに提案した。
「南部鉱山労働者の問題について、一つ提案があります」
「聞こう」
「祝賀行事の一環として、『労働環境改革宣言』を行ってはどうでしょうか。国王陛下が直々に労働条件の改善を約束するのです」
ヴィクターは眉をひそめた。「それは情報省の権限を超えている」
「しかし、このままでは祝賀行事自体が危うくなります。南部の不参加が他の地域にも波及する可能性があります」
アオリは「プロスペクト理論」を用いて説得を試みた。人は得をすることよりも、損をすることを避けたいという心理がある。
「祝賀行事の失敗は、王国の威信に関わる大きな損失です。それを避けるためには、多少の譲歩も必要ではないでしょうか」
ヴィクターは長い沈黙の後、ため息をついた。
「わかった。国王陛下に提案してみよう。だが、期待はするな」
数日後、驚くべき知らせが届いた。国王陛下が「労働環境改革宣言」を祝賀行事で行うことを承認したのだ。
「信じられない…」アオリは驚いた。
「君の説得力は見事だ」ヴィクターは微笑んだ。「だが、これは単なる『宣言』に過ぎないことを忘れるな。実際の改革がすぐに行われるわけではない」
アオリはその言葉に複雑な思いを抱えたが、表情には出さなかった。少なくとも、一歩前進したことは確かだ。
「労働環境改革宣言」のニュースは瞬く間に広がり、南部の鉱山労働者たちも祝賀行事への参加を表明した。全国各地から参加申し込みが殺到し、準備は最終段階に入った。
祝賀行事の前日、アオリは王宮の窓から街を見下ろしていた。街は祝賀ムードに包まれ、色とりどりの旗や装飾で彩られていた。
「成功したな」ヴィクターが後ろから声をかけた。
「はい…」アオリは複雑な思いで答えた。
「国王陛下も大変満足されている。君の功績は大きい」
アオリは微笑んだが、内心では疑問が渦巻いていた。彼の「心理戦略」は確かに効果的だったが、それは本当の意味で人々を幸せにしているのだろうか?それとも、単に問題から目を逸らさせているだけなのか?
「明日は早いぞ。休息を取るといい」
ヴィクターが去った後、アオリは再び窓の外を見つめた。
「母さん…私は正しいことをしているのでしょうか?」
彼の心の中で、答えはまだ見つからなかった。
## 3
創立500周年祝賀行事の当日、王都は朝から多くの人で賑わっていた。全国各地から集まった人々で街は溢れ、祝賀ムードに包まれていた。
アオリは早朝から現場を巡回し、最終確認を行っていた。彼の「心理戦略」は見事に功を奏し、予想を大幅に上回る参加者が集まっていた。
「アオリさん、素晴らしいです!」エリカが興奮した様子で駆け寄ってきた。「参加者数は当初予測の3倍以上だそうです!」
アオリは微笑んだ。「みんなの努力のおかげだよ」
正午、中央広場で祝賀行事の開会式が行われた。レオン4世が登場すると、集まった民衆から大きな歓声が上がった。
「我が国民よ」国王は力強く語り始めた。「今日、我々はメディアクラティア王国創立500周年という歴史的瞬間を共に祝う。500年前、初代王レオン1世が小さな都市国家から築き上げたこの国は、今や繁栄を極めている」
民衆は熱狂的に拍手した。
「しかし、繁栄の陰には課題もある。今日、私は『労働環境改革宣言』を行う。南部鉱山を始めとする全ての労働現場の環境改善に、王国を挙げて取り組むことを約束する」
南部から来た鉱山労働者たちから特に大きな歓声が上がった。アオリはその様子を見て、少し安堵した。
開会式の後、街中で様々な催しが行われた。音楽、踊り、食べ物の屋台、展示…全てが盛大に行われ、人々は楽しそうに参加していた。
「記念食糧配給」も大盛況で、特に北部から来た人々は喜んで受け取っていた。
「アオリ、見事だ」ヴィクターが彼に近づいてきた。「これほどの成功は予想していなかった」
「ありがとうございます」アオリは謙虚に答えた。
「国王陛下も大変満足されている。今夜の晩餐会に君も招かれているぞ」
「晩餐会?」
「ああ。王宮で開かれる特別な晩餐会だ。王族や高官、各国の使節団が参加する」
アオリは驚いた。そのような高位の集まりに招かれるとは。
「光栄です」
夕方、アオリは最も良い服装で王宮を訪れた。晩餐会場は豪華に装飾され、多くの貴族や高官が集まっていた。
「アオリ君!」
振り返ると、ヴィクターが別の男性と共に立っていた。その男性は50代前後で、洗練された雰囲気を持っていた。
「こちらは情報省の大臣、ロドリゴ・カルバハルだ」
アオリは深々と頭を下げた。「お目にかかれて光栄です、大臣」
「噂の『心理戦略』の専門家か」ロドリゴは微笑んだ。「今日の成功は君の功績が大きいと聞いている」
「ありがとうございます。しかし、これはチーム全体の努力の結果です」
「謙虚だな」ロドリゴは満足げに頷いた。「そういえば、君は商人ギルドのアドバイザーもしているそうだな」
「はい、週に一度、商人ギルドで助言をしています」
「興味深い。民間と王国、両方の視点を持つことは貴重だ」
彼らの会話は、国王の入場によって中断された。全員が深々と頭を下げる中、レオン4世が晩餐会場に入ってきた。
晩餐会は豪華な料理と洗練された音楽で彩られ、アオリは生まれて初めての王族との食事に緊張しながらも、礼儀正しく振る舞った。
食事の途中、国王が突然アオリに話しかけた。
「アオリ君、今日の成功は君の『心理戦略』のおかげだと聞いている」
会場が静まり返り、全ての視線がアオリに集まった。
「恐れ多くも、お褒めの言葉を賜り光栄です」アオリは丁寧に答えた。「しかし、これは多くの人々の努力の結果です」
「謙虚だな」国王は微笑んだ。「だが、君の才能は特別だ。『プロスペクト理論』『ハロー効果』『バンドワゴン効果』…これらの概念を実践で活用する能力は稀有だ」
アオリは驚いた。国王がここまで詳しく彼の手法を理解しているとは。
「実は、もっと大きな仕事を任せたいと思っている」国王は続けた。「王国全体のイメージ向上キャンペーンだ」
「イメージ向上…ですか?」
「ああ。隣国ガリアとの緊張関係や、一部地域での不満…これらを解消し、王国の一体感を高めるキャンペーンだ。君なら成し遂げられるだろう」
アオリは複雑な思いを抱えながらも、丁寧に頭を下げた。
「光栄です。最善を尽くします」
晩餐会の後、アオリは王宮の庭園で一人、夜空を見上げていた。今日の祝賀行事は大成功だったが、彼の心には疑問が残っていた。
「本当にこれでいいのだろうか…」
彼の「心理戦略」は確かに効果的だったが、それは根本的な問題解決ではなく、単なる「印象操作」に過ぎなかった。国王の言う「イメージ向上キャンペーン」も同じだろう。
「アオリさん、ここにいたんですね」
振り返ると、エリカが立っていた。
「エリカ、君も晩餐会に招かれていたのか」
「はい、スタッフ代表として」彼女は微笑んだ。「素晴らしい晩餐会でしたね」
「ああ…」
「でも、アオリさんは何か悩んでいるようですね」
アオリは少し躊躇してから、正直に答えた。
「私たちのやっていることは、本当に人々のためになっているのだろうか…と考えていたんだ」
エリカは少し驚いた表情をした後、真剣な顔で言った。
「実は私も同じことを考えていました。特に『労働環境改革宣言』…あれは本当に実行されるのでしょうか?」
「わからない」アオリは正直に答えた。「情報省の役割は情報を管理することであって、実際の政策実行ではないからね」
二人は沈黙の中、夜空を見上げた。
「でも、アオリさんなら変えられるかもしれません」エリカは突然言った。「アオリさんは特別です。国王陛下も認めているじゃないですか」
アオリは彼女の言葉に考え込んだ。確かに、彼は今、前世では想像もできなかった影響力を持っている。この立場を利用して、本当の意味で人々を助けることはできないだろうか?
「ありがとう、エリカ」アオリは微笑んだ。「君の言葉で少し勇気が出たよ」
二人は王宮を後にし、それぞれの宿へと向かった。
アオリは自分の部屋に戻り、窓から夜空を見上げた。
「母さん…私はこの力を正しく使えるでしょうか?」
彼の心の中で、新たな決意が芽生え始めていた。
## 4
創立500周年祝賀行事の成功により、アオリの評判は王国中に広まった。「心理の魔術師」「民の心を読む男」など、様々な呼び名で彼は知られるようになった。
国王の命により、アオリは「王国イメージ向上キャンペーン」の責任者に任命された。彼は専用のオフィスと多くのスタッフを与えられ、より大きな権限を持つようになった。
「これが新しいプロジェクトルームだ」ヴィクターは広々とした部屋を案内した。「必要なものは何でも用意する」
「ありがとうございます」アオリは感謝の意を示した。
「国王陛下は大きな期待を寄せている。特に隣国ガリアとの関係改善が優先事項だ」
アオリは頷いた。ガリアとの緊張関係は長年の課題だった。国境地帯での小競り合いや、貿易摩擦など、様々な問題が両国関係を悪化させていた。
「まずは現状を詳しく把握したいと思います」
アオリは徹底的な調査を開始した。ガリアとの関係、国内各地域の状況、民衆の不満…あらゆる角度から情報を集めた。
調査を進める中で、彼は驚くべき事実に気づき始めた。表向きの情報と、実際の状況には大きな乖離があったのだ。
例えば、ガリアとの緊張関係。公式には「ガリアの挑発的行動」が原因とされていたが、実際には王国側の秘密工作が多くの問題を引き起こしていた。
また、南部鉱山の労働問題も、単なる「労働者の不満」ではなく、王族や貴族が鉱山の利益を独占し、労働者に還元していないことが根本原因だった。
「これは…」アオリは資料を見つめながら呟いた。
彼が集めた情報は、王国の「公式見解」とは大きく異なっていた。情報省が発表する情報は、都合の良い部分だけを切り取り、民衆に伝えていたのだ。
「アオリさん、大丈夫ですか?」エリカが心配そうに尋ねた。「最近、ずっと資料に埋もれていますね」
「ああ…少し複雑な状況に気づいてね」アオリは慎重に言葉を選んだ。
「何か手伝えることはありますか?」
アオリは少し考えてから、信頼できるエリカに本音を漏らした。
「実は、公式情報と実際の状況に大きな違いがあることに気づいたんだ」
エリカは周囲を確認してから、小声で言った。「それは危険な発見かもしれません。情報省は『公式の真実』を守ることに厳格ですから」
「わかっている。だからこそ、慎重に進めたい」
アオリは「王国イメージ向上キャンペーン」の計画を練りながら、同時に真実を明らかにする方法も模索し始めた。
彼の公式な計画は、「フレーミング効果」を利用して王国の良い面を強調し、「ハロー効果」で権威ある人物の発言を通じて王国のイメージを高めるというものだった。
「素晴らしい計画だ」ヴィクターは満足げに言った。「特に『王国の繁栄を支える民の力』というフレーミングは秀逸だ」
「ありがとうございます」アオリは表面上は従順に振る舞った。
キャンペーンは順調に始まった。街中にポスターが貼られ、吟遊詩人たちは王国の栄光を称える歌を歌い始めた。表面上は、全てが計画通りに進んでいた。
しかし、アオリの内面では葛藤が深まっていた。彼は「心理戦略」を使って人々を操作することに、次第に嫌悪感を抱くようになっていた。
ある日、アオリは商人ギルドでの定期的な助言の後、マルコと話す機会があった。
「久しぶりだな、アオリ」マルコは笑顔で言った。「王国の高官になって、忙しそうだな」
「ああ…」アオリは疲れた表情で答えた。
「何か悩みがあるようだな?」
アオリは信頼するマルコに、少しだけ本音を漏らした。
「マルコさん…もし、あなたが真実と異なることを広める立場になったら、どうしますか?」
マルコは驚いた表情をした後、慎重に答えた。
「難しい質問だな…私なら、できる限り真実に近づけようとするだろう。完全な真実が言えなくても、少なくとも嘘はつかないようにね」
アオリは頷いた。「ありがとう、参考になります」
その会話がきっかけとなり、アオリは新たな決断を下した。彼は「王国イメージ向上キャンペーン」の中に、巧妙に真実の要素を織り込み始めたのだ。
例えば、「王国の繁栄を支える民の力」というフレーミングの中に、南部鉱山労働者の過酷な労働実態を示唆する内容を含めた。また、「隣国との平和的関係の重要性」を強調しながら、過去の外交失敗から学ぶ必要性も示唆した。
これは「フレーミング効果」の応用だが、通常とは逆の使い方だ。表面上は肯定的なメッセージでありながら、その中に真実の種を埋め込むのだ。
「アオリ、最近のキャンペーンは少し…異質だな」ヴィクターが眉をひそめて言った。
「どういう意味でしょうか?」アオリは平静を装った。
「例えば、この南部鉱山に関するポスター。『労働者の献身』を称えながらも、その労働条件の厳しさを示唆している。これは意図的なものか?」
「はい」アオリは正直に答えた。「『プロスペクト理論』の応用です。人々は損失に敏感です。現状の問題を認識させることで、改善への期待を高める効果があります」
ヴィクターは少し考えてから、頷いた。「なるほど…確かに理論的には正しい。だが、あまり問題を強調しすぎないように」
「承知しています」
アオリの新しいアプローチは、予想外の効果を生み出し始めた。民衆の間で、王国の問題について議論する動きが生まれたのだ。
「最近、街で南部鉱山の労働条件について話し合う人々を見かけます」エリカが報告した。「アオリさんのポスターがきっかけになっているようです」
アオリは内心で喜びを感じたが、表情には出さなかった。彼の「真実の種」は芽を出し始めていた。
しかし、この動きは情報省の上層部にも気づかれ始めていた。
ある日、アオリは突然、情報省大臣ロドリゴに呼び出された。
「アオリ君」ロドリゴは厳しい表情で言った。「君のキャンペーンが、予期せぬ効果を生んでいるようだな」
「どういう意味でしょうか?」
「民衆の間で、不適切な議論が広がっている。南部鉱山の問題、ガリアとの関係…これらは繊細な問題だ。民衆が深く考える必要はない」
アオリは冷静に対応した。「申し訳ありません。しかし、これは『アンカリング効果』の一部です。まず問題を認識させ、その後の改善策をより効果的に受け入れさせる戦略です」
ロドリゴは疑わしげな表情をしたが、アオリの説明に一理あると感じたようだった。
「わかった。だが、今後は事前に私に相談するように」
「承知しました」
アオリは危機を脱したが、彼の行動は監視されるようになった。情報省内で彼の評判も二分され始めた。
「アオリさん、気をつけてください」エリカは心配そうに警告した。「あなたの行動を監視する人が増えています」
「ありがとう、エリカ」アオリは感謝の意を示した。「でも、これは私がやるべきことなんだ」
彼は「王国イメージ向上キャンペーン」を続けながら、同時に真実を広める活動も続けた。彼の「心理戦略」は、今や二重の目的を持っていた。表向きは王国のイメージを高めながら、実際には民衆に真実を伝えるための道具となっていたのだ。
ある夜、アオリは自分のオフィスで遅くまで作業をしていた。突然、ドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアが開き、意外な人物が現れた。情報省の高官の一人、セバスチャンだ。彼はいつも寡黙で、アオリとはほとんど接点がなかった。
「遅くまで働いているな」セバスチャンは静かに言った。
「はい、キャンペーンの調整をしていました」
セバスチャンはドアを閉め、アオリに近づいた。彼は周囲を確認してから、小声で言った。
「君の本当の意図に気づいている者もいる」
アオリは緊張した。「どういう意味でしょうか?」
「君は『真実の種』を蒔いている。私にはわかる」
アオリは言葉を失った。彼の秘密の活動が露見したのか?
「心配するな」セバスチャンは続けた。「私も同じ考えだ。この国には変革が必要だ」
アオリは驚いた。まさか情報省の高官が…
「実は、私たちのような考えを持つ者は他にもいる。『真実の守護者』と呼ばれる秘密のグループだ」
「真実の守護者…」
「興味があるなら、もっと話そう。だが、ここではない。明日の夜、旧市街の『銀の鈴亭』に来てくれ」
セバスチャンはそれ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。
アオリは窓の外を見つめながら、考え込んだ。彼の行動は予想外の展開を招いていた。「真実の守護者」とは何者なのか?彼らと接触することは危険かもしれないが、同時にチャンスでもある。
「母さん…私は正しい道を選んでいるのでしょうか?」
彼の心の中で、新たな決断を迫られていた。