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# 2:最初の依頼

朝日がアオリの部屋に差し込み、彼は目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったが、すぐに状況を思い出した。


「そうだ、異世界に転生したんだ…」


彼はベッドから起き上がり、窓から外を眺めた。ルモアシティは早朝から活気に満ちていた。商人たちが店を開け始め、通りには既に多くの人々が行き交っている。


「まずは情報収集だな」


アオリは身支度を整え、宿を出た。マルコは既にカウンターに立っており、彼を見ると笑顔で迎えた。


「おはよう、アオリ。よく眠れたか?」


「ええ、久しぶりに良く眠れました」


「それは良かった。朝食はどうする?うちの名物、噂のパンはいかがかな?」


アオリは笑顔で頷いた。「ぜひお願いします」


マルコは厨房に向かい、すぐに焼きたてのパンと、香り高い飲み物を持ってきた。


「これが噂のパンだ。食べると幸運が訪れるという噂があってね」


アオリはパンを一口食べた。驚くほど美味しかった。


「これは本当に美味しい。でも、『噂のパン』というのは、単なるネーミングですか?それとも…」


マルコは意味深に微笑んだ。「この国では、噂は時に現実になる。このパンを食べた後、多くの客が良いことがあったと言ってくれるんだ」


アオリは興味深く聞いていた。これは前世で言うところのプラシーボ効果だろうか?それとも、この世界特有の現象なのか?


「マルコさん、この街で仕事を探したいのですが、何かアドバイスはありますか?」


「そうだな…」マルコは考え込んだ。「お前は宣伝師に向いていると思うが、いきなり大きな商店の仕事を得るのは難しいだろう。まずは小さな店から始めるといい」


「小さな店ですか…」


「実は、知り合いの宿の主人が困っているんだ。『銀の月亭』という宿なんだが、最近客足が遠のいているらしい。もし興味があれば紹介するが?」


アオリの目が輝いた。これは絶好のチャンスだ。


「ぜひお願いします!」


「よし、では昼食後に一緒に行こう。オーナーのリーナは良い人だが、少し頑固でね」マルコは笑った。


アオリは朝食を終え、街の情報を集めるために外に出た。商人街を歩きながら、彼は様々な店の宣伝方法を観察した。看板、呼び込み、実演販売…基本的な手法は前世と変わらないが、「噂の力」を利用した独特の宣伝文句が目立った。


「噂の効果で髪が生える薬!」

「三日で効果が出ると噂の美容クリーム!」

「幸運を呼ぶと噂のお守り!」


アオリは思わず笑みを浮かべた。これらは前世でいう「バズワード」のようなものだ。しかし、この世界では単なる誇大広告ではなく、実際に効果に影響を与える可能性があるという。


彼は中央広場に戻り、昨日見かけた宣伝師・カルロのパフォーマンスを再び見学した。カルロは今日も多くの聴衆を集め、ある商店の新商品を宣伝していた。


「皆さん、この『夢見の香水』は、つけると良い夢を見ると噂の逸品です!王宮の貴族たちも愛用していると言われています!」


アオリは注意深く観察した。カルロは「王宮の貴族」という権威を引き合いに出している。これは前世で言うところの「ハロー効果」だ。権威ある存在が使っているという情報が、商品の価値を高めている。


「なるほど…」アオリはつぶやいた。「この世界でも行動経済学の原理は通用するんだな」


昼頃、アオリは宿に戻った。マルコは約束通り、彼を「銀の月亭」に連れて行ってくれることになった。


「銀の月亭は以前は繁盛していたんだが、最近は新しい宿が増えて苦戦しているらしい」マルコは説明した。「特に『黄金の夢亭』という新しい宿に客を取られているとか」


「なるほど…」アオリは考え込んだ。競合分析は前世でも得意分野だった。


二人は南区に向かって歩いた。「銀の月亭」は三階建ての古い建物で、外観は少し寂れていたが、風格のある佇まいだった。


マルコはドアを開け、中に入った。「リーナ、いるかい?」


カウンターから中年の女性が顔を上げた。彼女は疲れた表情をしていたが、マルコを見ると少し明るくなった。


「マルコじゃないか。珍しいね」


「久しぶりだな、リーナ。紹介したい人がいるんだ」マルコはアオリを前に出した。「こいつはアオリ。宣伝師を目指している若者だ」


リーナはアオリを上から下まで見た。「宣伝師?まだ若いじゃないか」


アオリは自信を持って一歩前に出た。「確かに経験は浅いですが、人の心理を読むのには自信があります。リーナさんの宿を手伝わせてください」


リーナは疑わしげな表情を浮かべた。「うちは今、客が少なくて…報酬はあまり出せないよ」


「結果が出れば報酬をいただきます。まずは宿の状況を教えていただけませんか?」


リーナは少し考えてから頷いた。「まあ、話を聞くだけなら…」


彼女はアオリとマルコを奥の部屋に案内した。そこには小さなテーブルと椅子があり、三人は座った。


「実は半年前から客足が減り始めたんだ」リーナは説明を始めた。「20年以上この宿を経営してきたが、こんなに苦しいのは初めてさ」


「競合の『黄金の夢亭』について教えてください」アオリは尋ねた。


「あそこは1年前にオープンした新しい宿だ。オーナーのゴールドという男は元貴族の執事で、上品な接客が売りらしい。内装も豪華で、うちとは比べものにならない」


アオリは頷きながら聞いていた。「料金は?」


「あちらの方が高いんだが、それでも客が流れている。『高級感がある』『貴族気分が味わえる』という噂が広まっているらしい」


「なるほど…」アオリは考え込んだ。これは典型的なブランディングの問題だ。「リーナさん、この宿の強みは何ですか?」


リーナは少し考えてから答えた。「そうね…料理には自信があるわ。私の母から受け継いだ秘伝のレシピがあるの。あとは、常連客との関係かな。長年通ってくれているお客さんとは家族のような関係になっているわ」


「それは素晴らしい強みです」アオリは目を輝かせた。「では、一度宿内を見せていただけますか?」


リーナは頷き、アオリを宿内に案内した。部屋は清潔で居心地が良さそうだったが、確かに内装は古く、特に目を引くような特徴はなかった。


案内が終わると、アオリは決意を固めた表情でリーナに向き合った。


「リーナさん、この宿を再び繁盛させる方法があります」


「本当かい?」リーナは半信半疑だった。


「はい。まず、宿の名前を変えましょう」


「名前を?でも『銀の月亭』は先祖代々の…」


「名前を完全に変えるのではなく、少し修正するんです」アオリは説明した。「『伝説の銀月亭』はどうでしょう?」


「伝説の?」リーナは首を傾げた。


「そうです。そして、ある『伝説』を作り上げるんです」


マルコが興味深そうに聞いていた。「どんな伝説だい?」


アオリは微笑んだ。「かつて、この宿に滞在した旅の吟遊詩人が、リーナさんの母親の料理に感動して詠んだ詩が、今でも王宮の図書館に保管されているという伝説です」


「でも、そんなことは…」リーナが言いかけたが、アオリは手を上げて遮った。


「事実かどうかは重要ではありません。重要なのは、人々がそれを信じるかどうかです」


アオリの目は輝いていた。これは前世で彼が得意としていた「ストーリーテリング」だ。そして、この世界では「噂の力」によって、そのストーリーが現実に影響を与える可能性がある。


「次に、宿の看板を新しくし、内装の一部だけを変えます。全てを変える必要はありません。入口と共有スペースだけで十分です」


「それだけで客が戻ってくるのかい?」リーナは懐疑的だった。


「もう一つ重要なことがあります」アオリは真剣な表情で言った。「影響力のある人物に宿泊してもらう必要があります」


「影響力のある人物?」


「そう、例えば有名な吟遊詩人や、尊敬される商人、あるいは…」アオリはマルコを見た。「噂の宿『眠れる噂亭』のオーナーとか」


マルコは驚いた表情をした。「私が?」


「マルコさんは商人街で尊敬されている人物です。マルコさんが『伝説の銀月亭に泊まった』という噂が広まれば、多くの人が興味を持つでしょう」


これは「ハロー効果」の応用だ。尊敬される人物の行動が、その対象の評価を高める効果がある。


リーナは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。「確かに、新しい試みは必要かもしれない…でも、費用は?」


「看板と最小限の内装変更だけなら、そう高くはないはずです」アオリは自信を持って言った。「そして、効果が出なければ報酬はいりません」


リーナとマルコは顔を見合わせた。


「マルコ、あなたはどう思う?」リーナが尋ねた。


マルコは笑顔で答えた。「面白い案だと思うよ。それに、リスクは少ない。試してみる価値はあるんじゃないか?」


リーナは深く息を吸い、決断した。「わかった。やってみよう」


アオリは満足げに微笑んだ。「ありがとうございます。必ず結果を出します」


その日から、アオリの計画が動き出した。まず、彼は新しい看板のデザインを考え、地元の看板職人に依頼した。「伝説の銀月亭」という名前と、銀色に輝く月のイラストが特徴的な看板だ。


次に、宿の入口と共有スペースの内装を少し変更した。全面的な改装ではなく、壁の一部を銀色の塗料で塗り直し、月をモチーフにした装飾を追加しただけだ。しかし、その小さな変化が宿全体の印象を大きく変えた。


そして最も重要な「伝説」の部分。アオリはリーナの母親が作っていた料理のレシピを基に、「月の涙スープ」という新メニューを考案した。このスープこそが、伝説の吟遊詩人を感動させたという料理だ。


「本当に効果があるのかしら?」リーナは不安そうに尋ねた。


「必ず効果があります」アオリは自信を持って答えた。「人間の心理は、どの世界でも同じですから」


準備が整った日、マルコは約束通り「伝説の銀月亭」に宿泊した。そして翌日、彼は自分の宿「眠れる噂亭」の常連客たちに、銀月亭での素晴らしい体験を語り始めた。


「あの『月の涙スープ』は絶品だったよ。王宮の料理人も舌を巻くほどの味だ」


「本当に吟遊詩人が詩を詠んだという伝説があるのか?」


「ああ、リーナの母親の料理に感動した吟遊詩人が、一晩で100行の詩を書き上げたという。その詩は今でも王宮の図書館に保管されているらしい」


アオリはマルコの話術に感心した。彼自身が提案した「伝説」に、マルコが自分なりの色付けを加えている。これこそが「噂」が広がる本質だ。


数日後、最初の効果が現れ始めた。好奇心から「伝説の銀月亭」を訪れる客が増え始めたのだ。


「アオリ、信じられないわ!」リーナは興奮した様子で言った。「昨日は満室だったのよ!」


アオリは満足げに微笑んだ。「これはまだ始まりです。次のステップに進みましょう」


「次のステップ?」


「はい。今度は『バンドワゴン効果』を利用します」


「バンドワゴン効果?」リーナは首を傾げた。


「人は多くの人が選んでいるものを選びたがる心理があるんです」アオリは説明した。「つまり、『この宿は人気がある』という印象を作り出せば、さらに多くの人が来るようになります」


アオリの提案で、リーナは宿の前に「本日満室」という看板を用意した。実際に満室でない日でも、この看板を出すことで、通りを行き交う人々に「人気の宿」という印象を与えるのだ。


また、アオリは宿の予約システムも変更した。以前は当日でも部屋が空いていれば宿泊できたが、新しいシステムでは「原則として2日前までの予約が必要」とした。これにより、「人気で予約が取りにくい宿」というイメージを作り出した。


「でも、実際には部屋が空いているのに…」


「大丈夫です。当日来た客には『特別に』部屋を用意したと伝えればいいんです。そうすれば、客は『ラッキーだった』と感じ、より良い印象を持ちます」


リーナは半信半疑だったが、アオリの提案に従った。そして、その効果は予想以上だった。


「伝説の銀月亭」の評判は急速に広がり、2週間後には本当に予約が殺到するようになった。「月の涙スープ」を求めて訪れる客も多く、中には「このスープを飲むと恋愛運が上がる」という新たな噂まで生まれていた。


「アオリ、あなたは本当に凄いわ!」リーナは感激して言った。「こんなに短期間で宿が生まれ変わるなんて思ってもみなかった」


アオリは謙虚に微笑んだ。「リーナさんの宿の良さを引き出しただけです。本当に素晴らしい料理と、温かいおもてなしがあったからこそ成功したんです」


リーナは約束通り、アオリに報酬を支払った。それは彼が期待していた以上の金額だった。


「これからも顧問として助けてほしいの」リーナは真剣な表情で言った。「月に数回でいいから、アドバイスをもらえないかしら?」


アオリは喜んで承諾した。これで安定した収入源ができ、さらに実績も作れる。一石二鳥だ。


その夜、アオリは自分の部屋で報酬の金貨を眺めながら、感慨深く微笑んだ。


「前世では炎上マーケティングで人を傷つけていたけど、この世界では人を助けることができるんだな…」


彼は窓から夜空を見上げた。銀色に輝く月が、まるで彼の成功を祝福しているかのように明るく輝いていた。


「母さん…俺、ちゃんとやれてるかな」


アオリは小さくつぶやいた。前世の記憶が鮮明に蘇る。貧しい家庭で育った彼は、病弱な母親を楽にさせたいという一心で、インフルエンサーの道を選んだ。最初は真面目に活動していたが、炎上商法の方が稼げることに気づき、次第に倫理観を失っていった。


「今度こそ、胸を張って生きていける…そう信じたい」


アオリは金貨を大切にしまい、明日からの新たな挑戦に思いを馳せた。「伝説の銀月亭」の成功は、彼の新しい人生の第一歩に過ぎない。


「伝説の銀月亭」の成功は、アオリに新たな依頼をもたらした。リーナの知り合いの商人たちが、彼の宣伝の才能に興味を示し始めたのだ。


「アオリ、ちょっといいかい?」ある朝、マルコが彼を呼び止めた。「紹介したい人がいるんだ」


マルコの隣には、立派な服装をした中年の男性が立っていた。


「こちらはドミニク。西区で布地商を営んでいる」


「初めまして、アオリさん」ドミニクは丁寧に挨拶した。「あなたの評判は聞いていますよ。『伝説の銀月亭』の奇跡を起こした宣伝師だとか」


アオリは謙虚に頭を下げた。「奇跡というほどのことではありません。リーナさんの宿の良さを引き出しただけです」


「謙虚ですね」ドミニクは微笑んだ。「実は私も助けが必要なんです。よろしければ、私の店に来ていただけませんか?」


アオリは興味を持って頷いた。「喜んで」


その日の午後、アオリはドミニクの店「彩織堂」を訪れた。店内には様々な色や質感の布地が並んでいたが、客の姿はほとんど見えなかった。


「以前は繁盛していたんですが、最近は客足が遠のいています」ドミニクは悩ましげに説明した。「東区に新しい布地商が開店して、そちらに客を取られているんです」


「その新しい店について教えてください」


「『虹の織物』という店です。若い店主が経営していて、派手な宣伝で注目を集めています。特に若い客層に人気があるようです」


アオリは店内を歩きながら、商品を手に取った。布地の質は確かに良く、種類も豊富だ。


「ドミニクさん、あなたの店の強みは何ですか?」


「そうですね…品質には自信があります。また、長年の経験から、どの布地がどんな用途に適しているか、的確なアドバイスができます」


「なるほど…」アオリは考え込んだ。「では、競合店と比べて弱い点は?」


ドミニクは少し躊躇してから答えた。「正直なところ、店の雰囲気が古臭いかもしれません。また、新しいデザインの布地が少ないことも弱点です」


アオリは頷きながら聞いていた。これは典型的な「老舗vs新興店」の構図だ。前世でも多くの企業がこの問題に直面していた。


「ドミニクさん、あなたの店を再び繁盛させる方法があります」


「本当ですか?」ドミニクの目が希望に輝いた。


「はい。まず、『プロスペクト理論』を活用しましょう」


「プロスペクト…何ですか?」


「人は得をすることよりも、損をすることを避けたいという心理があるんです」アオリは説明した。「つまり、『この機会を逃すと損をする』と思わせることが重要なんです」


アオリの提案は、「限定品」の導入だった。ドミニクの持つ高品質な布地の一部を「限定生産」として販売し、「今買わないと二度と手に入らない」という希少性を強調するのだ。


「でも、実際には限定ではないのでは?」ドミニクは疑問を呈した。


「その布地の組み合わせやデザインを限定にするんです」アオリは説明した。「例えば、季節ごとに特別なコレクションを作り、『今季限り』と宣伝する。これなら嘘にはなりません」


次に、アオリは「アンカリング効果」を活用した価格戦略を提案した。


「まず高価格の『プレミアムコレクション』を前面に出し、その隣に通常の商品を置きます。高い価格を先に見せることで、通常価格が相対的に『お得』に感じられるんです」


ドミニクは興味深そうに聞いていた。「なるほど…他には?」


「最後に、あなたの経験と知識を前面に出しましょう」アオリは続けた。「『40年の経験が生み出す最高の布選び』というキャッチフレーズはどうでしょう?若い競合店にはない、あなただけの強みです」


これは「ハロー効果」の応用だ。長年の経験という権威が、商品の価値を高める効果がある。


ドミニクは感心した様子で頷いた。「素晴らしいアイデアですね。すぐに実行しましょう」


アオリの提案に従い、「彩織堂」は変化し始めた。店内のレイアウトを変更し、「今季限定コレクション」のコーナーを目立つ場所に設置。また、ドミニクの経験を強調したポスターも作成した。


さらに、アオリは「フレーミング効果」も活用した。同じ布地でも、「高級仕立て服に最適」「王宮御用達の職人も使用」といった言葉で説明することで、顧客の認識を変えたのだ。


「これは単なる青い布地ではなく、『王家の青』と呼ばれる特別な染料で作られた布地です」


このような説明は、商品の価値を大きく高める効果があった。


実施から2週間後、「彩織堂」には再び活気が戻り始めた。特に「今季限定コレクション」は予想以上の人気を博し、中には「次のコレクションはいつ出るのか」と問い合わせる常連客も現れた。


「アオリさん、本当にありがとう!」ドミニクは感激して言った。「おかげで店が生き返りました」


アオリは満足げに微笑んだ。「ドミニクさんの布地の質の高さが評価されただけです。私は少し方向性を変えただけですよ」


ドミニクは約束通り、アオリに報酬を支払った。さらに、「彩織堂」の顧問として定期的にアドバイスをしてほしいと依頼してきた。


アオリの評判は商人街で急速に広がり始めた。「奇跡の宣伝師」「商売の救世主」など、様々な呼び名で彼は知られるようになった。


その夜、アオリは自分の部屋で、増えた報酬を数えながら考えていた。


「前世では視聴者数とスーパーチャットのために炎上を起こしていたけど、この世界では人々を助けることで成功できる…」


彼は窓から夜空を見上げた。


「母さん、見ていますか?今度は正しい道を歩いています」


アオリの前世の記憶が鮮明に蘇る。貧しい家庭で育った彼は、病弱な母親のために必死で働いていた。インフルエンサーとして成功し始めた矢先、母親は亡くなった。その後、彼は母親を楽にさせられなかった後悔から、ただ成功するためだけに生きるようになり、次第に倫理観を失っていった。


「今度こそ、母さんが誇れる息子になる…」


アオリは決意を新たにした。この世界での彼の成功は、まだ始まったばかりだ。


アオリの評判は日に日に高まり、様々な商人から依頼が舞い込むようになった。彼は「伝説の銀月亭」と「彩織堂」の成功例を基に、自分のサービスを「心理戦略コンサルティング」と名付け、より体系的なアプローチを取り始めた。


ある日、マルコが興奮した様子でアオリの部屋を訪ねてきた。


「アオリ、大変だ!商人街全体が危機に瀕しているんだ!」


「何があったんですか?」アオリは驚いて尋ねた。


「隣町のノバタウンに新しい商業地区ができたんだ。『ノバマーケット』という名前でね。多くの商人が店を出し、客足が急速にそちらに流れているんだ」


アオリは眉をひそめた。「どれくらい深刻なんですか?」


「かなり深刻だ。うちの宿も客が減り始めている。このままでは商人街全体が衰退してしまうかもしれない」


アオリは考え込んだ。個々の店舗ではなく、商人街全体を救う必要がある。これは前世でいう「地域活性化」や「商店街再生」のプロジェクトに近い。


「商人ギルドはこの問題についてどう考えているんですか?」


「今日の午後にギルドで緊急会議があるんだ。実は…」マルコは少し躊躇してから続けた。「ギルドマスターのグレゴリーが、君に会議に参加してほしいと言っているんだ」


アオリは驚いた。「私に?でも、私はギルドのメンバーではありませんよ」


「君の評判は商人ギルドにも届いているんだ。『奇跡の宣伝師』として知られているよ」


アオリは少し考えてから頷いた。「わかりました。会議に参加します」


その日の午後、アオリはマルコと共に商人ギルドの本部を訪れた。立派な石造りの建物で、入口には商人ギルドの紋章が掲げられていた。


中に入ると、既に多くの商人たちが大きな会議室に集まっていた。部屋の正面には、威厳のある老人が座っていた。


「あれがギルドマスターのグレゴリーだ」マルコが小声で教えてくれた。


会議が始まり、グレゴリーが立ち上がった。


「諸君、我々は前例のない危機に直面している。ノバマーケットの台頭により、我々の商人街は深刻な打撃を受けている。今日はこの問題について話し合いたい」


多くの商人たちが不安そうな表情で頷いた。


「まず、現状の報告を」


数人の商人が立ち上がり、売上の減少や客足の変化について報告した。状況は想像以上に深刻だった。


「対策案はあるか?」グレゴリーが尋ねた。


一人の商人が立ち上がった。「価格を下げるしかないのではないか?ノバマーケットより安くすれば、客は戻ってくるだろう」


別の商人が反論した。「それでは共倒れになる!利益が出なければ、店を維持できない」


議論は平行線をたどり、緊張感が高まっていった。


そのとき、グレゴリーがアオリの方を見た。「君が噂の『奇跡の宣伝師』アオリか?」


会場が静まり、全ての視線がアオリに集まった。


アオリはゆっくりと立ち上がった。「はい、アオリと申します」


「君は『伝説の銀月亭』と『彩織堂』を救ったと聞いている。我々の商人街についてどう思う?」


アオリは深呼吸してから話し始めた。


「価格競争は最後の手段です。それよりも、ノバマーケットにはない、この商人街だけの価値を作り出すべきです」


「具体的には?」グレゴリーが尋ねた。


「プロスペクト理論という考え方があります。人は得をすることよりも、損をすることを避けたいという心理があるんです」


会場から小さなざわめきが起こった。


「つまり、『ノバマーケットに行くと損をする』と思わせることが重要なんです。そのためには、この商人街でしか得られない価値を作り出す必要があります」


アオリは自信を持って続けた。


「私が提案するのは、『失われる伝統市』というキャンペーンです」


「失われる伝統市?」グレゴリーが首を傾げた。


「はい。このルモアシティの商人街は300年の歴史があると聞いています。その歴史と伝統を前面に出し、『このままでは失われてしまう伝統の市場』というメッセージを発信するんです」


アオリは熱を込めて説明した。


「各店舗は『伝統の技術』『代々受け継がれた秘伝』『古来からの製法』などを強調します。そして、『今体験しないと、二度と体験できないかもしれない』という危機感を煽るんです」


会場は静まり返っていた。


「さらに、商人街全体で『伝統市フェスティバル』を開催します。各店舗が特別な商品や体験を提供し、ノバマーケットにはない独自の価値を作り出すんです」


グレゴリーは興味深そうに聞いていた。「なるほど…損失回避の心理を利用するわけだな」


「はい。そして、もう一つ重要なのが『ハロー効果』です」


「ハロー効果?」


「権威ある存在が認めることで、価値が高まる効果です。例えば、王室の誰かに商人街を訪れてもらえれば、その影響力は計り知れません」


グレゴリーは思案顔になった。「王室か…難しいが、不可能ではないな」


アオリは最後に締めくくった。


「重要なのは、単なる価格競争ではなく、『価値の競争』に持ち込むことです。ノバマーケットは新しさが魅力ですが、この商人街には歴史と伝統という、お金では買えない価値があります」


会場は沈黙の後、突然の拍手に包まれた。多くの商人たちがアオリのアイデアに賛同の意を示したのだ。


グレゴリーも満足げに頷いた。「素晴らしい提案だ、アオリ。具体的な実施計画を立ててくれないか?」


アオリは頷いた。「喜んで」


会議の後、グレゴリーはアオリを自分の執務室に招いた。


「君の評判は本物だな」グレゴリーは微笑んだ。「『伝統市フェスティバル』の企画と実施を任せたい。報酬は弾むよ」


アオリは光栄に思いながらも、冷静に交渉した。


「ありがとうございます。ただ、成功報酬制にしていただけませんか?フェスティバルが成功し、商人街の売上が回復したら、その一部をいただく形で」


これは「アンカリング効果」を利用した交渉術だ。最初に高い基準(成功報酬)を示すことで、相手の期待値を操作する。


グレゴリーは驚いた表情をした後、大きく笑った。


「面白い!自分の提案に自信があるということだな。いいだろう、その条件で契約しよう」


二人は握手を交わし、契約が成立した。


アオリは商人ギルドを後にしながら、心の中で微笑んだ。


「前世では炎上させることでしか注目を集められなかったけど、この世界では建設的な提案で人々を助けることができる…」


彼は空を見上げた。夕暮れの空が美しく染まっていた。


「母さん、見ていますか?今度は人々を傷つけるのではなく、助ける仕事をしています」


アオリの目には決意の光が宿っていた。「失われる伝統市」キャンペーンは、彼の新しい人生における最大の挑戦になるだろう。


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