#1 異世界への炎上転生
炎上商法を生業にしていたインフルエンサー兼マーケターが、生配信中の事故で異世界転生。そのインフルエンス力と現代マーケティング知識を活かして商店の集客から始め、やがて王国の広報担当へと成り上がるお話
「炎上商法は最高のマーケティングだ!」
火野煽は、自信に満ちた表情でカメラに向かって叫んだ。彼の背後には、炎のエフェクトが派手に踊っている。生配信の視聴者数は10万人を超え、コメントが滝のように流れていく。
「今日も皆さんの期待を裏切らないコンテンツをお届けします。さあ、今回のターゲットは……」
煽はニヤリと笑い、画面に表示された高級レストランの写真を指さした。
「このミシュラン星付きレストラン。SNSで『料理が来るのが遅い』『スタッフの態度が悪い』という投稿が増えているんですよね。でも、実はこれ、競合店が仕掛けた工作の可能性が高い。今日はこの真相に迫ります!」
視聴者からは「さすが炎上の帝王!」「今日も暴いてくれ!」といったコメントが次々と投稿される。煽は満足げに頷き、テーブルに置かれたウイスキーのボトルを手に取った。
「乾杯しましょう。今日も"炎上"という名の真実を追求するために!」
彼はグラスに琥珀色の液体を注ぎ、一気に飲み干した。そして次のグラス、さらに次のグラスと、話が盛り上がるにつれて酒の量も増えていった。
「皆さん、知っていますか?人間の心理って、実はとても単純なんですよ。行動経済学では『プロスペクト理論』というものがあります。人は得をするよりも、損をすることを避けたいという心理が強いんです。だから、『このレストランに行くと損する』という情報は、『あのレストランはおいしい』という情報より、はるかに強い影響力を持つんです」
煽は少し言葉を詰まらせながらも、専門知識を披露し続けた。視聴者数は12万人に達し、スーパーチャットの通知が次々と画面を彩る。
「そして、『バンドワゴン効果』。みんながそう言うなら、きっとそうなんだろうって思っちゃう心理ですね。SNSでネガティブな投稿が増えると、実際に行ったことがない人までもが『あそこはダメらしい』と思い込む。これを利用すれば、競合店は簡単に相手の評判を落とせるわけです」
煽の顔は次第に赤くなり、言葉も少しずつ乱れ始めていた。しかし、彼の話術は健在で、視聴者を引き込む力は衰えていない。
「今日はこのレストランのオーナーに直接取材してきました。その様子をご覧ください」
彼は編集済みの映像を流し始めた。レストランのオーナーが困惑した表情で質問に答える姿が映し出される。煽の鋭い質問に、オーナーは次第に焦りを見せていく。
映像が終わると、煽は再び画面に戻ってきた。彼の目は少し焦点が合っていないように見えた。
「いかがでしたか?このオーナーの反応、明らかに何か隠していますよね。実は、このレストランは食材の偽装をしている可能性が……」
突然、煽は言葉を切った。彼の顔から血の気が引き、苦しそうな表情になる。
「ちょっと、気分が……」
彼はカメラに向かって手を伸ばしたが、その手は宙をつかむだけだった。視聴者のコメントが心配の声に変わる中、煽は椅子から崩れ落ちた。
「助けて……」
それが彼の最後の言葉だった。
## 2
暗闇。そして、痛み。
煽は自分の体が激しく揺さぶられているのを感じた。頭が割れるような痛みと、喉の渇き。これは二日酔いの症状だろうか?しかし、なぜ体が揺れている?
「お、目を覚ましたか?」
聞き慣れない男性の声が耳に入ってきた。煽はゆっくりと目を開けた。
そこは木造の天井だった。揺れの正体は馬車だと気づく。彼は今、藁の上に横たわっていた。
「どこ……ここ?」
煽は自分の声に違和感を覚えた。いつもより高く、若い。
「メディアクラティア王国の東部領だ。お前さんは森の中で倒れていたところを俺が見つけたんだ。記憶がないのか?」
馬車を操る中年の男が振り返って言った。彼は粗末な服を着ており、髭面だが優しそうな目をしていた。
「記憶は……」
煽は考えようとしたが、頭に激痛が走った。しかし、徐々に記憶が戻ってくる。生配信中の出来事、大量の酒、そして突然の胸の痛み。
「俺は……死んだのか?」
「何を言っているんだ?死んでいるわけがないだろう。ほら、自分の手を見てみろ」
煽は自分の手を見た。確かに実体がある。しかし、これは彼の知っている自分の手ではなかった。もっと若く、傷ひとつない手だった。
「鏡はないか?」
「鏡だって?贅沢なものを持ち歩いてないよ。でも、ほら」
男は小さな金属片を取り出して渡した。それは鏡ではないが、表面は十分に磨かれていて、顔を映すことができた。
煽はそこに映る顔を見て息を呑んだ。そこにいたのは28歳の自分ではなく、十代後半か二十歳前後の若者だった。赤みがかった髪、鋭い緑の瞳、整った顔立ち。
「これは……俺?」
「お前の顔を見て驚くとは、よほどの記憶喪失だな」男は笑った。「名前くらいは覚えているか?」
煽は考えた。自分の名前は火野煽。しかし、この世界でその名前を名乗るべきだろうか?直感的に、ここは日本ではないと感じた。
「アオリ」彼は答えた。「俺の名前はアオリだ」
「アオリか。変わった名前だな。俺はガルムだ。メディアクラティア王国の首都に向かう途中だ」
「メディア……クラティア?」
「ああ、この国の名前だ。情報と噂が力を持つ国さ。知らないのか?」
煽、いやアオリは首を横に振った。
「どうやら記憶をかなり失っているようだな。まあ、首都に着けば医者もいるし、何か思い出せるかもしれない」
アオリは黙って頷いた。彼の頭の中は混乱していた。これは夢なのか?それとも、本当に異世界に転生したのか?
彼は自分の体を確認した。若い体、見知らぬ世界。そして、前世の記憶は完全に残っている。これは間違いなく、いわゆる「異世界転生」だろう。
「ガルム、この国について教えてくれないか?」
ガルムは不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ああ、暇つぶしにはちょうどいいな。メディアクラティア王国は、約300年前に建国された。他の国々が魔法や武力で栄えるなか、この国は『情報』の力で発展してきた。王国の中心には『情報省』があり、国中の情報を管理している」
アオリは興味深く聞いていた。情報が力を持つ世界。これは彼の前世のスキルが活かせるかもしれない。
「情報省?」
「ああ、国の重要な機関だ。噂や情報を集め、必要な情報を国民に伝える役割を担っている。情報大臣は王様に次ぐ権力者だと言われているよ」
アオリの目が輝いた。これは面白い。前世では情報操作のプロだった彼にとって、この世界は天職かもしれない。
「噂が力を持つというのは、どういう意味だ?」
「文字通りの意味さ。この国では、強い噂は現実に影響を与えることがある。例えば、ある商品が『効果がある』という噂が広まれば、実際にその効果が強まることがあるんだ。逆に、『危険だ』という噂が広まれば、本当に危険になることもある」
アオリは驚いた。これは単なる心理効果を超えた、魔法のような現象だ。
「それは興味深いな……」
彼は考え始めた。前世での知識、特に行動経済学の知識がこの世界でどう活かせるか。人間の心理を操る技術は、噂の力が実体化するこの世界では、さらに強力な武器になるだろう。
「そういえば、お前は何か特技があるのか?首都に着いたら、仕事を探さないといけないだろう」
アオリは少し考えてから答えた。
「人の心を読むのが得意だ。あと、言葉で人を動かすことも」
「おお、それは素晴らしい才能だ!首都では情報商や宣伝師として働けるかもしれないな」
「宣伝師?」
「ああ、商人たちの店や商品の宣伝をする職業だ。上手い宣伝師は引く手あまただよ。特に最近は商人街の競争が激しくなっているからな」
アオリは微笑んだ。これは彼の前世のスキルにぴったりだ。マーケティングとPRのプロとして、この世界でも活躍できるだろう。
「それは面白そうだな」
馬車は揺られながら進み続けた。アオリは窓から外の景色を眺めた。見慣れない草木、異世界特有の生き物たち。そして遠くには、大きな城壁に囲まれた都市が見えてきた。
「あれが首都か?」
「ああ、メディアクラティアの首都、ルモアシティだ。情報の中心地さ」
アオリは深く息を吸い込んだ。新しい人生の始まりだ。前世では炎上マーケティングで人々を傷つけてきた。今度は、その知識と技術を別の形で活かせるかもしれない。
「ルモアシティ……」彼はつぶやいた。「俺の新しい舞台だ」
## 3
首都ルモアシティは、アオリの想像をはるかに超える規模だった。高い城壁に囲まれた都市の中には、石造りの建物が整然と並び、通りには多くの人々が行き交っていた。
「すごいな……」アオリは思わず声に出した。
「初めて見る景色のようだな」ガルムは笑った。「記憶がなくても、目の輝きを見れば分かるよ」
馬車は中央広場に向かって進んでいく。道の両側には様々な店が立ち並び、商人たちが大声で自分の商品を宣伝していた。
「ここが商人街だ。首都の経済の中心地さ」
アオリは興味深く周囲を見回した。前世のマーケティングとは全く異なる手法だが、本質は同じだ。人々の注目を集め、購買意欲を刺激する。
「あそこを見てみろ」ガルムが指さした先には、一人の男が台の上に立ち、周囲に集まった人々に向かって何かを話していた。「あれが宣伝師だ」
アオリは注意深くその男を観察した。男は抑揚のある声で話し、時折ジェスチャーを交えながら聴衆を引き込んでいる。その技術は素人のものではなかった。
「彼は上手いな」
「ああ、カルロという名の宣伝師だ。この商人街では有名な存在さ。彼の宣伝する商品は必ず売れると言われている」
アオリは思わず笑みを浮かべた。前世での彼の技術があれば、このカルロという男を簡単に超えられるだろう。
馬車は中央広場に到着し、ガルムは馬を止めた。
「さて、ここで降りよう。俺はこの先、北区に荷物を届けなければならないんだ」
アオリは馬車から降り、ガルムに向き直った。
「助けてくれてありがとう、ガルム。恩は忘れない」
「気にするな。困っている者を見捨てられないのさ」ガルムは笑顔で言った。「そうだ、最初の手助けとして、知り合いの宿を紹介しよう。『眠れる噂亭』という宿だ。ここから東に少し行ったところにある。主人のマルコに俺の名前を言えば、安く泊めてくれるだろう」
「眠れる噂亭……覚えておく」
「それと、これを持っていけ」ガルムは小さな布袋を取り出した。「中には少しの銀貨が入っている。最初の数日を過ごすには十分だろう」
アオリは驚いて目を見開いた。
「こんな親切にしてくれて、本当にありがとう。必ず返すよ」
「いいんだ。お前が仕事を見つけて、軌道に乗ったら返してくれればいい。それじゃあ、幸運を祈るぞ、アオリ」
ガルムは手を振り、馬車を走らせた。アオリは彼が見えなくなるまで見送った後、周囲を見回した。
中央広場は活気に満ちていた。様々な階層の人々が行き交い、情報や噂が飛び交っている。アオリは耳を澄まして、会話の断片を拾い集めた。
「北区の貴族が新しい服飾店をオープンしたらしいぞ」
「西区の噴水広場で昨日、情報省の役人が演説をしていたな」
「南区の宿『銀の月』の料理人が変わったらしい。味が落ちたという噂だ」
アオリは微笑んだ。この世界でも、情報と噂は人々の行動に大きな影響を与えているようだ。前世での彼の専門分野だ。
彼はガルムに教えられた方向に歩き始めた。東区に向かう道は比較的静かで、高級な店や宿が並んでいた。しばらく歩くと、「眠れる噂亭」という看板を掲げた三階建ての宿が見えてきた。
建物は古いが手入れが行き届いており、温かみのある雰囲気を醸し出していた。アオリは深呼吸して、扉を開けた。
中は予想以上に広く、清潔だった。カウンターには中年の男性が立っており、入ってきたアオリに気づくと笑顔で迎えた。
「いらっしゃい、若い旅人さん。何かお手伝いできることはあるかな?」
「あなたがマルコさんですか?ガルムさんに紹介されて来ました。アオリと言います」
マルコの顔が明るくなった。
「ガルムが?あの道楽者が!久しぶりに名前を聞いたよ。元気にしているのか?」
「はい、元気そうでした。荷物を北区に届けると言っていました」
「そうか、相変わらず忙しそうだな」マルコは笑った。「で、ガルムに紹介されたということは、宿が必要なんだな?」
「はい、数日泊まれる場所を探しています。仕事も見つけなければならないのですが……」
「仕事か?何か特技はあるのか?」
アオリは少し考えてから答えた。
「人の心理を読むのが得意です。あと、言葉で人を動かすことも」
マルコは興味深そうにアオリを見た。
「それは面白い。この街では宣伝師として働けるかもしれないな。特に最近は商人街の競争が激しくなっているから、良い宣伝師は重宝されるんだ」
「ガルムさんも同じことを言っていました」
「そうか。では、まずは部屋を用意しよう。ガルムの紹介だから特別料金だ。一泊3銀貨でどうだ?」
アオリはガルムからもらった袋の中身を確認した。20銀貨ほどあった。
「ありがとうございます。では、とりあえず3泊分お願いします」
「了解だ。部屋は二階の一番奥だ。静かで景色もいい部屋だよ」
マルコは鍵を渡した。アオリはお礼を言い、階段を上がった。
部屋は確かに静かで、窓からは商人街の一部が見渡せた。アオリはベッドに腰掛け、深く息を吸い込んだ。
「さて、どうするか……」
彼は前世の知識を整理し始めた。行動経済学、マーケティング心理学、SNS戦略、炎上商法……これらの知識は、この世界でどう活かせるだろうか?
特に行動経済学の知識は、噂が力を持つこの世界では強力な武器になるはずだ。人間の非合理的な意思決定パターンを理解し、それを利用する技術。
「まずは情報収集だな」
アオリは立ち上がり、窓から街を見渡した。夕暮れが近づき、街灯が一つずつ灯り始めていた。
「明日から、この世界での新しい人生が始まる」
彼は静かに微笑んだ。前世では炎上マーケティングのプロとして、多くの人々を傷つけてきた。しかし、この世界では違う道を選べるかもしれない。
その夜、アオリは久しぶりに安らかな眠りについた。明日からの新しい人生への期待と、前世の記憶が交錯する中で。
普段はとある医療機関のマーケティング責任者をしております