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ロイドの厚意で、メルヴィナは仮宿のアパートメントからロイドの家へと住まいを移すことになった。閑静な高級住宅地に建つ屋敷だ。
メルヴィナの主な仕事は、着飾ってロイドの客や配下と話すことだという。
部下達の話では、ロイドは侍らせる女性を来客や場所によって変えるらしい。その時々に応じてふさわしいものがある、ということだろう。
(それは……ちょっと嫌かも。ロイドのやることに、わたしが口を出すのもおこがましいけど……)
胸がちくりと痛むメルヴィナだが、それでも前を向くことに決めた。
だって今この屋敷には、ロイドと褥を共にできる女性はメルヴィナしかいないのだ。金や権力目当てにロイドに群がって、一夜限りのパートナーを務める女性達とは違う。もっと自信を持たなければ。
その鼓舞が功を奏したのだろうか。恐れていたほどには、ロイドは他の女性の影を感じさせなかった。
ロイドはどこにでもメルヴィナを連れていくし、誰にでも引き合わせる。ドレスや髪形、そして化粧で雰囲気を変えさせるだけだ。メルヴィナならどこにでも通用すると言ってもらえているようで嬉しかった。
ドリー子爵や仕立屋を通してメルヴィナと面識がある者を見かけることもあったが、誰もメルヴィナに気づいた様子はなかった。
唯一気づいているのは子爵だけだったが、ロイドの手前か彼も素知らぬふりでメルヴィナに近寄ろうともしない。メルヴィナも気づかないふりをした。
あの時ドリー子爵によって撮られたメルヴィナの痴態は、ロイドが手を回して消してくれたらしい。つくづくロイドには頭が上がらない。
これでもう、メルヴィナが子爵の報復を恐れる必要はなくなった。精神的な自由を得たメルヴィナは、ますますロイドに傾倒した。金を返すあてはなかったし、たとえ借金のことがなくても彼から離れる気はなかった。
「いい子だメル。よく怖がらなかったな」
「だってロイドが傍にいてくれたから」
一家の幹部達とのパーティーで、ロイドが忍び込んだ暗殺者を返り討ちにした時も、メルヴィナは悲鳴ひとつあげずにいた。ロイドは暗殺者を一瞥もせず、銃弾を何発も撃ち込んでとどめをさした。
そして彼は足元の死体を蹴飛ばし、メルヴィナを抱き寄せてキスしてくれた。ロイドのエスコートを台無しにした暗殺者には怒りが湧いたが、ロイドが構ってくれたのでメルヴィナはすぐに機嫌を直した。
「俺の傍を離れるなよ」
「大丈夫、ずっとついていくわ」
屋敷に敵対組織が殴り込みにきたときも、メルヴィナは陶酔をもってロイドの背に庇われていた。ロイドと一緒にいられるのなら、怖いことなどひとつもなかった。
弾丸の雨も、血塗れた刃の煌めきも、男達の怒号や断末魔も、この恋を引き立てる祝福の鐘に聞こえた。だって、守られているとより強く実感させてくれるのだから。
「わたし、貴方の仕事のことをもっと知りたいの。貴方の全部を理解したいから」
「これ以上俺を理解してどうする。ますます俺好みの女になるつもりか?」
ロイドは笑いながら、それでも快くメルヴィナの申し出を聞き入れてくれた。
薬物中毒者の巣窟や売春宿を巡り、自分の幸運を噛みしめた。ロイドに見初められたから、ああならずに済んだのだ。やはり彼に捨てられてはならない。
ロイドの部下達が敵対者を手際よく挽き肉に変えていくところを、ロイドと一緒に眺めた。
彼を裏切れば、メルヴィナもああなるのだろうか。そんなことはしないから、無用な心配だが。
財界や政界の大物との裏の商談にも同席し、秘密を知る女としての立場をより強めた。
もし商談相手がメルヴィナに何かしようとしても、きっとロイドなら守ってくれる。危険な目に遭うことは、ロイドの愛の深さを量る絶好の機会だ。それを思えば、むしろどんどん危険に首を突っ込んでいきたいぐらいだった。
「メル、これをあそこのソファに座っている女の傍にそれとなく置いてきてくれ。クッションの下に金の入った包みがあるはずだから、それも回収するんだぞ」
「おつかいね! 任せてちょうだい」
渡された小瓶の中身がちゃぷんと揺れる。サンガレラという麻薬だ。フェルワース一家の大事な収入源らしい。
一舐めで酩酊と幸福感をもたらすこの赤い液体はレラの花蜜を原材料にしていて、レラの花は屋敷の庭にも咲いていた。ふわふわした花びらの、綺麗な花だ。
その取引を任せてもらえるほどロイドに信用されているのは、メルヴィナにとってとても名誉なことだった。だからメルヴィナは、おつかいはいつでも完璧にこなす。帰ってくると、ロイドはうんと褒めてくれた。
「あの男と一緒に酒を飲んでやってくれないか。グラスにこれを混ぜて、飲み終わったのを確認したら戻ってきていいぞ」
「わかったわ。わたしが戻ってくるまで、他の女の子と一緒にいないでね?」
それはロイドがよく使う劇薬で、彼はこれをネージュと呼ぶ。雪のように白い粉は、飲み物にすぐ溶けていくからだ。分量によって死亡する時間をある程度操作できるので、ロイドはネージュを重宝していた。
メルヴィナは笑顔で標的に近づき、親睦を深めるふりをしながらこっそりとグラスに毒を混ぜた。
男が飲み干すのを確認し、適当なことを言って席を立つ。これで明日の朝を迎えるころには、ベッドの上で冷たくなった男が発見されるだろう。誰のベッドかはわからないが、メルヴィナのものではないのは確かだ。
約束通り、ロイドはメルヴィナを待ってくれていた。部下やら顧客やら、他人に囲まれている分には構わない。ロイドを取り巻いているのが、彼を狙う女性でさえなければよかった。
そんなことになれば、ネージュを入れるグラスを間違えてしまうかもしれない。もちろんロイドにまとわりつく泥棒猫のグラスに、だ。ロイドはいつもメルヴィナに対して真摯に接してくれるので、そんな心配は無用だが。
メルヴィナがロイドに買われてから、あっという間に三か月が過ぎていった。
雪の名残は徐々に融け、小さな新芽がぷくりと顔を出している。両親のことはもちろん子爵のことすらも、思い出すことはほとんどなくなっていた。
ロイドが喜んでくれるから、ロイドの言った通りにする。何をしてでもロイドに愛されたい。メルヴィナのことだけを見て、メルヴィナのことだけを愛してほしい。メルヴィナの頭にあるのはそれだけだ。