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(ロイドはどんな服が好きかしら)


 鮮烈な赤のドレスを身体に宛て、メルヴィナは微笑んでみた。このドレスを着るのであれば、もう少し濃い色の口紅のほうが合いそうだ。


 さっそくドレスに袖を通し、化粧をして髪を整える。派手なドレスに負けないように、豪奢に美しく。もともと子爵の厚意で手入れできていた亜麻色の髪は、最近とみに美しくなった。


 まばゆいデコルテは惜しみなく晒され、斜めに広がるスカートからは足がすらりと伸びている。これまでのメルヴィナからすれば信じられないような露出の高いドレスではあったが、ロイドのためだと思えば恥ずかしくはない。このドレスは、彼ならきっと気に入ってくれる。そんな気がした。


(やっぱり、服を選ぶのって楽しいなぁ……!)


 おしゃれをすると心が躍る。新しい服を着ると、自分自身が新しくなったような気がする。


 真面目でおとなしくあろうと、両親に気に入られるよう振る舞っていた。従順で清楚であろうと、子爵に気に入られるよう振る舞っていた。

 けれどロイドに気に入られるためには、それではだめだ。別の自分にならないと。ロイドを喜ばせるために。


 ロイドのことを考えながら、メルヴィナは指折り数えて時を待つ。ついに玄関のドアが開く音がした。「ロイド?」おずおずと声をかけたメルヴィナが目にしたのは、待ち望んでいた青年だ。


「今日は雰囲気が違うな」

「お姉さん達がくれた服を着てみたの。……変かしら?」

「まさか。よく似合ってるぞ、メルヴィナ」


 ロイドは甘く囁いてキスしてくれる。この瞬間こそ最高の報酬だ。夢見心地のまま、メルヴィナはさりげなく彼の腰に手を回して胸を押しあてた。



 ロイドが与えてくれる至福は、子爵にかけられた呪いをたやすく忘れさせてくれる。身体を重ねるごとに、ロイドはメルヴィナを深く見てくれるようになった。「愛してるわ、ロイド」「俺もだ、メルヴィナ」……その睦言こそ、メルヴィナの選択が正しいことを証明している。


 けれどもっともっとロイドに愛してもらいたい。まだ足りない。この程度では、いつか捨てられてしまうかもしれない。


「わたし、貴方のためならなんだってするわ」


 お金も稼ぐし、言うことも全部聞く。殴られたって構わない。どこまでだって尽くしてみせる──だから、わたしを捨てないで。


「心配しなくていい。お前はただ、俺にすべてを委ねていればいいんだ」


 ロイドの言葉には力がある。彼の声を聴くだけで、メルヴィナの不安はたちまち消えてしまった。彼に従っていれば、何も間違いはないだろう。


*


 都合のいい女というのは、時として道具以上の価値を男に見出みいださせる。

 その素直さに愛着が湧き、健気さに対して情が生まれてしまったのならば、もはやその女はただの“都合のいい女”ではなくなるのだ。

 愛する女へと形を変えた存在を、男はいたく気に入ってしまう。ロイドもその例に漏れなかった。


(この女は、危険だ)


 傍らで眠る少女の魔性を、さすがのロイドも認めざるを得なかった。メルヴィナは、男の好みを完璧に読み取ってそれになりきれる。恐ろしいほどに。


 彼女はきっと天性の女神だ。娼婦だろうと聖女だろうと、構わず転身できるなんて。都合のいい妄想の具現としか思えない。

 子爵が溺れたのは、きっとそういうところなのだ。そして今、ロイドもその深みにはまろうとしていた。


(客によって接客方法を変えるのは、売春婦にとっては基礎の技術だ。だが、メルヴィナのこれ・・はそんな次元じゃない。ただ演じているわけじゃなく、心から自然に変貌しているんだ。しかも、メルヴィナにはその自覚がない)


 メルヴィナにつく客が、ごくごく普通の初々しい娘との退屈な愛撫を好む者だけとは限らない。そういう娘をあえて壊したい者や、自分の色に染めたがる者もいるだろう。

 そんな客にとって、理想を叶えるメルヴィナはまさに劇薬だ。使い方を誤れば、多くの客が破滅する。ことによっては同じ店の売春婦もだ。

 うかつに野に放てば最後、誰もがメルヴィナに溺れて狂ってしまいかねない。時にはメルヴィナ自身にも危害が及ぶだろう。商品として店に出すには、あまりに影響が大きすぎる。


 そんな理性の警告とは裏腹に、ロイドは己の血がたぎるのを感じていた。四つも年下の、あどけない寝顔で眠る無害そうな小娘を眺めるだけで、脳髄が切なく痺れていく。彼女こそロイドが求めていた最高の女なのだと、本能は理解していた。


 気を抜けば喉笛を食い千切られ、奈落の果てへと転落しかねない焦燥。それほどのものを感じさせる、強大かつ危険な女を支配し従える。それは何物にも代えがたい快楽だ。欲望を満たし、強く生を実感できる。それこそをロイドは欲し、愛していた。


 内気な性格は、きっと両親の英才教育・・・・の賜物だろう。幼い子供は、庇護あいされるためであれば親の言うことに無条件に従う。自我が芽生えるにつれて反発を覚えていくものだが、メルヴィナの場合の転機は「これ以上彼らに従っていても愛されることはない」という自覚からだろうか。


 そして彼女は両親の目を盗むように文学や服飾に興味を示し、愛してくれる者を探す戸口を広げた。引っかかったのがドリー子爵だ。


 子爵はきっと、メルヴィナの従順さや素直さに惹かれたに違いない。

 言葉巧みに生娘をその気にさせて、新雪を踏み荒らすように、あるいは野花を引き抜くようにつまみ食いを繰り返すと、界隈では有名な男だ。しかしいつまで経ってもメルヴィナは子爵好みの初々しく貞淑な乙女であり続けたため、彼も気をよくして傍に置く気になったのだろう。


 初心を忘れず慎ましやかで、何度散らしても翌日には戻るなら、次の女を探す手間も省ける。そうやって、ようやく腰を落ち着けようとした矢先に舞い込んできたのが男爵令嬢との縁談だ。

 貴族的な判断を下した彼の遊び人の血が騒ぐようなことがなければ、メルヴィナは身分違いの恋を叶えた奥方として一種の美談のように語り継がれていただろうに。


 クラーレ夫妻、そしてドリー子爵と、どちらもメルヴィナに望んだのはありのままの・・・・・・メルヴィナであることだった。無垢で無力でか弱い少女。愛されたいと願うあまり、メルヴィナ自身もそう振る舞った。

 ロイドだって、そういう都合のいい女を望んでいた。世間知らずの馬鹿な娘を売春婦に落とし、感覚を麻痺させて死ぬまで働かせるつもりだった。


 けれどメルヴィナは、ロイドに対して本気になった。

 ロイドの嘘を信じ込み、ロイドに愛されたいと願ったから、まったく別の自分を作り上げた。ロイド好みの、きらびやかな毒婦になってしまった。ああ、そのなんと健気で純粋で愚かしいことか!


「お前は誰より魅力的だよ、メルヴィナ」


 囁くと、メルヴィナは小さく身じろぎをした。長いまつげが悩ましげに震え、ゆっくりと薔薇の花が開く。


「お前ほど可愛い女は見たことがない」


 毛布を取り払ったロイドは彼女の肢体にゆっくりと手を這わせ、太ももに口づけを落とした。夢見るようなまなこのまま、少女はくすぐったそうに笑う。


 クラーレ夫妻が、メルヴィナから自尊心と主体性を奪うことがなかったら。一方的な思想の押しつけではなく、メルヴィナという個を尊重できていたのなら。メルヴィナは己の美しさをきちんと自覚し、愛に飢えることもなく、今ここにはいなかったはずだ。


 あの二人は、メルヴィナの意志を頭ごなしに否定し、自由を奪い、自分達の考えが絶対であると刷り込んだ。

 彼らの過干渉と束縛は、きっと娘を思うがゆえのものだったのだろう。だが、彼らはやりすぎてしまった。


 思い上がることなく謙虚に生きられるようにと、容姿を罵倒し嗜好を強制すべきではなかった。

 貴族に目をつけられないようにと、極端に堅苦しく時代遅れな格好をさせるべきではなかった。

 悪いことを覚えてこないようにと、交友関係を制限して厳しく行動を監視するべきではなかった。

 それらすべてが、虚ろなメルヴィナを形作ってしまったのだから。


 目的はわかる。それでも手段が最悪だった。もしも両親のしつけの仕方がもう少し穏やかであれば、メルヴィナは不満を覚えこそすれどここまで手遅れにはならなかったはずだ。


 褒められないから自己肯定感が育たない。本来の自分を抑圧されればされるほど、いざ解禁された時は盛大に弾けるものだ。

 もっと身近に悩みを共有し、相談できる相手がいれば、愛を求めるあまりに自分を見失うことも──一人の男に依存しきって破滅することもなかったのに。


「だから俺だけの娼婦おんなになれ。お前に悪女の顔を教えた責任は、きちんと取ってやるからな」


 まどろみの狭間に立ちながらも、薔薇の瞳は歓喜に蕩けていった。魔性の聖女は疑うことを知らないままロイドを見つめている。それは無言の肯定だった。


 承認欲求に溺れ、哀れなまでに愛を乞い、肥大化した欲望を抑えきれない女を造ったのは、それまで彼女が置かれていた環境だ。

 親達に洗脳され、元婚約者に傾倒したメルヴィナを、改めてロイドが洗脳して支配する。それは、メルヴィナという思春期の怪物を、より美しくおぞましい悪魔へと羽化させて解放するために必要な儀式だった。


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