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 メルヴィナがロイドに買われて早数日。これまでのすべてが夢だったのかもしれないと思うほど、穏やかな時間が流れていた。


 ニコの手当てが適切だったおかげで、子爵のせいでできた痣も少しずつ薄くなっている。恐ろしい記憶がフラッシュバックすることはあるが、多少は食欲も戻って普段通り生活できるようになった。


 精神が不安定になっても、傍にはニコか、ロイドがついていてくれた。特にロイドは駄々っ子のようになったメルヴィナを優しく受け入れ、落ち着くまで一緒にいてくれる。嬉しかった。


 ロイドと話すのは居心地がよかった。ロイドはメルヴィナを決して否定せず、深く理解を示してくれるからだ。


 メルヴィナのことを、頭が空っぽの愚図で不細工な根暗娘だと揶揄やゆするばかりの両親や幼馴染とは大違いだ。

 確かにメルヴィナは頭がいいとは言えないし、さして明るくも振る舞えないが、ロイドは嫌がるそぶりを見せなかった。


 ロイドは料理が好きらしい。夕食を作ってもらう以外にも、ホットチョコレートやサンドイッチ、果てはクッキーまでよく差し入れてくれる。それを手にロイドと語らう時間は、だんだんメルヴィナの癒しになっていった。


 ロイドは優しい。彼はとても親切で、何より親しみやすいのだ。

 最初は怖かったが、話してみるとそれが誤解だということがわかった。裏社会の人間であっても、堅気には手を出さないと言うことなのかもしれない。


 けれど、どうしてロイドはここまでよくしてくれるのだろう。何故メルヴィナを助けてくれたのだろう。

 今度こそ、メルヴィナに心から優しくあいしてくれる人に出逢えたのだろうか。


 彼のことを信じたいが、信じて裏切られるのが怖かった。子爵とロイドは違うと、わかっているのに。


 だから。

 もっと、もっと彼を知りたい──彼のことを、理解したい。



 メルヴィナは、アパートメントの外に出ることを許されなかった。表向き、領主のお抱えになったのだからうかつに出歩かれていては都合が悪いのだろう。


 子爵と付き合っていたメルヴィナが急遽領主の城に雇われるのであれば、それは愛人として囲われることを意味していた。

 外に出て知人と会おうものなら、どんな暮らしをしているのか質問攻めに遭うに決まっている。そんなことになっても、メルヴィナには何も話せない。


 メルヴィナも、よもやロイドの元から逃げ出して子爵を告発しようとしていると勘違いされて写真をばらまかれては困るので、部屋でおとなしく過ごした。生活に必要な物はロイドやニコが用意してくれるので不自由もない。


 ロイドの話では、彼は近々両親に会いに行くそうだ。しかしあの二人は、もうメルヴィナと縁を切ったつもりなのではないだろうか。


 いくら貴族とはいえ、愛人になるようなあばずれはもはや娘ではないと思われていても仕方ない。飽きられて出戻るようなことがあっても、少なくともこの街ではもうまともな結婚は期待できないのだから。


 それは両親が常々説いていた、「身の丈に合った、慎みのある正しい生活」とは真逆に位置している。

 そんな風になった娘を両親が否定するのも当然だ。家族への未練は、いつの間にか消えていた。


 それに、退屈ではない。ロイドが気を利かせて、話し相手の女性達を呼んでくれるからだ。


「アタシも最初は怖かったけどね。慣れてみたら意外と楽なのよ」

「そういうものなの?」

「メルヴィナちゃんだったらあっという間に売れっ子になれるんじゃない? すっごく可愛いもん」

「そうかなぁ……」

「自信持ってって! フェルワース様がじきじきに目をかけてくださるなんて、そうそうないんだよ? あー、羨ましい!」


 派手で美しい女性達。仕立屋の客と針子としてしか関わり合いになることのなかった人種と、仕事と関係なしに話すことができる。これもロイドのおかげだ。


「この仕事をすれば、お金なんていくらでも稼げるようになるわ。お金があれば、今まで我慢してたことが全部できるの。メルヴィナちゃんも好きなだけ稼いで、もっと楽しく生きましょ?」

「アタシの親も最悪でさ。もっとましな家に生まれてたら、全然違う人生があったのかもしれないけど……でも、自分の力で生活できる今の暮らしが気に入ってんだ」

「フェルワース様のお役にも立てるしね!」


 きゃあきゃあと盛り上がる彼女達の言葉に、メルヴィナも勇気づけられていく。

 彼女達はこんなにも楽しそうなのだ。漠然とした不安が徐々に弱まっていくのを感じ、メルヴィナはほっと胸を撫でおろした。


「アタシ達はお金がたくさんもらえるし、フェルワース様にも褒めてもらえるし。いいことしかなくない? 最高の仕事だよ。組織が守ってくれるから、危ないこともないしね」

「わ……わたしでも、そういう仕事はできると思う?」

「できるできる! 誰でも不安になることはあると思うけど、アタシ達がついてるから!」

「誰だって初めてのことはあるもんねー。でも、ちょっとずつ慣れていけば大丈夫だよ。一緒に頑張ろ?」


 ぎゅっと手を握られて、笑顔を向けられる。つられてメルヴィナも微笑んだ。ここには、優しい人がたくさんいる。



「よしっ! おしゃれしよ、メルヴィナちゃん! 今日はたくさん服を持ってきたの。自信持てるように、お姉さん達が変身させてあげる!」

「へ、変じゃないかな……? こういう服、着たことなくて……」


 鏡の前で大胆なドレスを着た少女がもじもじと身をよじりながらうつむく。


「ええっ!? すっごく似合ってるよ!?」

「うんうん。着たことないなんてもったいないよ。それとも、もしかして趣味じゃなかった?」

「ううん。こういう服、ずっと憧れてたんだけど……実は、親がいい顔をしなくて。はしたないからやめろって」

「なにそれ! ひどすぎない!? 偏見だよ偏見。普通に街で流行ってるやつだし。着たい服を自由に着たっていいじゃんね」

「そうそう。もううるさい親もいないんだしさ。これからは、もっと好きなようにしなよ」

「この服は全部あげるから! アタシ達の友情の証だよー」


 悪意なき扇動者達が少女を囲む。咲き誇る美しい毒花達は、自身もまた利用されている被害者であることに気づかないまま、加害者に加担していた。

 そのかぐわしい言葉が、振る舞いが、少女の心を絡め取る。心の隙間を埋めていく。いつの間にかすっかり打ち解けた気になって、いつしか少女は胸の内を吐露していた。


「頭も、顔も、体つきも……性格だって、全部馬鹿にされてきて……わたしだって、好きでそんな風に生まれたんじゃないのに……。わたしだって、みんなみたいに明るくなりたい……」

「アタシはメルヴィナのその胸、すっごく羨ましいんですけど? 栄養全部そこに行った? なんで?」

「こーらっ、メルヴィナを困らせないの! でもそうね、人には人のよさがあるの。それなのに、個性を認めてくれないのはつらいわよね」

「大丈夫、メルヴィナは可愛いよー。もう貴方を馬鹿にする人なんていないから。だから、嫌なことは全部忘れちゃお!」


 美しく朗らかで、これまでずっと憧れてきたような女性達。

 そんな彼女達が、メルヴィナを認めてくれる。輪の中に入れてくれる。鏡の中に映る自分はこれまでくすんで見えていたが、ぱっと華やいだように見えた。


 干し草で作ったかつらだと笑われた亜麻色の髪。

 生まれながらの淫売の証だと罵られた薔薇色の瞳。

 性根のだらしなさの表れだと叱られた豊かな胸。


 ドリー子爵と出会うまで嫌いで仕方なかったそれらのことが、再び愛おしく見えてくる────子爵以外にも、メルヴィナに価値を与えてくれる人がいる。


(ロイドの言った通りだったわ。生きていれば、もっといい思い出が作れる。わたしを愛してくれるのは、子爵だけじゃない)


 ロイドの姿が脳裏をよぎる。メルヴィナが頑張れば、彼も甘やかな低い声で褒めてくれて、ミステリアスな鳩羽の一つ目で見つめながら、あの色っぽい手で撫でてくれるだろうか。


 メルヴィナのことを、メルヴィナのことだけを、永遠に。


 その未来を想像するだけで、胸が高鳴った。

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