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第二王子シリル・レオニエは失望していた。地下賭場で違法すれすれの賭け事に興じる貴族達のだらしなさに、だ。
(こんな猥雑とした空間が社交界とは。仮にも高貴さと優雅さを体現する、上流階級の民とあろうものが)
知人の多くが熱に浮かされたように賭場の話をするから、さぞ刺激的な催しが開かれていると思ったのに。庶民が一生かけて稼ぐような大金を一晩で失い、げらげら笑いながら次のゲームを始め、とても宮廷では聞かないような下卑た話に夢中になっている豚がいるだけだった。
権威主義の音楽が流れる中で、派手に着飾った者達が眩しいだけのシャンデリアに照らされながら踊り語らう。夜ごと開かれるその退屈な舞踏会に倦み、趣向を変えてみようと思った結果がこれだ。これでは、虚飾ばかりの夜会のほうがいくばくかましに見えた。
(浅ましい。王侯貴族と言えど、しょせんは平民と同じ人間なのだな)
目元を隠す仮面のおかげで、この乱痴気騒ぎに興じている者達がどこの誰なのか、シリルにはわからない。
一方で、潔癖さと偏狭さで知られる第二王子がこの場にいることも、誰も気づいていないだろう。
……もっとも、そう思っているのはシリルだけだ。彼が気づいていないだけで、仮面の社交場の常連は大抵相手のことを理解していた。
シリルが対して他人に興味を持っていないだけで、たとえ目元が見えなくても立ち振る舞いや声である程度の推測はできる。素性を当てるゲームすら余興として開かれるぐらいだ。シリルのことについても、みな見て見ぬふりをしているだけだった。
「飽きた。帰るぞ」
「まだ何もしていないではありませんか。せっかく来たんですし、ゲームのひとつでもしていかれては?」
シリルが踵を返すと、唯一連れてきていた侍従ガウルは残念そうに口をすぼめた。
第二王子の乳兄弟である青年は、物怖じせず第二王子に意見できる数少ない一人だ。うわべだけの言葉で溢れる社交界を毛嫌いする堅物王子に新しい刺激をと、上流階級の社交場としての賭場を紹介したのもガウルだった。
「私が虚飾と不道徳を嫌うのはお前も知っているくせに。お前を信じてのこのことついてきた私が馬鹿だった」
「貴方様はまだここの本質をご存知でないだけですよ。ここは庶民の賭場のように、あぶく銭を掴もうと必死になるような場所ではありません。優雅にスリルを楽しむための、大人の社交場なのです」
「それに何の意味がある。どのみち健全とは言えないだろう」
「まあまあ。有り余る富と引き換えに刺激を楽しめるんだからお手軽でしょう? 同じ金のばらまきでも、明確に他人を傷つける行為よりかはよほどいい。ありきたりな娯楽に飽きた金持ちは、何に楽しみを見出すかわかったものじゃないですからね」
「……」
ガウルの言うことにも一理あった。王侯貴族にとって、人の命は金で買えるものだ。退屈を慰める、一風変わった遊戯の道具に人間が使われることはそう珍しくない。
金をちらつかせて貧民街から連れ帰った孤児や浮浪者を自身の荘園に放ち、悪趣味な狩猟に興じる者。売春婦達を金で呼び寄せ麻薬に溺れさせ、悪魔崇拝だの享楽だののための乱交の餌食にする者。彼ら彼女らの欲望を満たす不祥事をもみ消すためにもまた金が動く。シリル自身、その腐敗ぶりにはうんざりしていた。
もちろん王侯貴族の全員が悪徳に耽っているわけではないが、堕落しきった者や、それを見て見ぬふりをしている者がいるのは事実だ。
矛先が上流階級の人間に向けられない限り、本気で食い止めようとする者はいないのだろう。シリルもどうにかしたいと思ってはいるが、できることはこれといってない。国王が、貴族達の機嫌を損ねないよう事なかれ主義を通しているからだ。歯がゆかった。
「知らないうちから批判するのは貴方様の悪い癖ですよ。さ、ちょうどあちらのテーブルが空きました」
たまには肩の力を抜いて遊んで来いとばかりに、ガウルはカードゲームのテーブルを指し示す。不愉快ながらもシリルは渋々そちらに近づき──そして、運命に出逢ってしまった。
「なぁに?」
知的な亜麻色の長い髪の乙女が、隣の空席に近寄ったまま微動だにしないシリルを怪訝そうに見上げている。
目元を隠す蝶の仮面のせいで素性はわからないが、さぞ美しい女だというのは雰囲気でわかった。形のいい鼻筋とつややかな唇、洗練された所作とまばゆい肢体、そして輝く髪が彼女の美を証明している。
大胆に胸元を空けて太ももを覗かせるほど深いスリットが入った真紅のドレスは、ともすれば娼婦の装いと言われてもおかしくない。しかしなまめかしい以上に神々しく、彼女を芸術品のように魅せていた。
彼女の瞳に合わせた薔薇色の宝石のネックレスは、他の女が身に着ければぎらぎらと輝くだけの下品なアクセサリーになるのかもしれない。だが、彼女の魅力の前ではそんな批評などみじんも湧いて出てこなかった。高貴な者には、それにふさわしい装いがあるのだ。鮮やかなそのネックレスは、彼女を彩るためだけに存在しているかのようだった。
(芳しい薔薇の香り……。まるで薔薇の妖精のようだ)
ほのかに香る薔薇の香水にうっとりしていたシリルは、ガウルに小突かれたことでやっと我に返り、咳払いしながら着席する。
ディーラーが説明している間も、シリルの視線は彼女の完璧な横顔に釘付けだった。それに気づいたのか、薔薇の精は嫣然と微笑む。たちまちシリルの心臓は早鐘のように脈打った。
(み、認めないぞ! こんなところに出入りするような身持ちの悪い女に、この私が見惚れるなど……!)
匂い立つ色香に惑わされたことを恥じ、煩悩を振り払おうとする。けれど事実は変えようもなかった。
給仕を呼びつけてグラスをもらい、ウイスキーを一気に呷る。頬の火照りを酒の熱でごまかし、シリルはカードを手に取った。
「待たせて悪かったな、メル。調子はどうだ?」
「ロイド! やっと来てくれたのね。わたし、待ちくたびれちゃった。見て、こんなにチップを稼いじゃったのよ?」
何度かゲームが繰り返された後、テーブルに新たな紳士が寄ってきた。どうやら薔薇の精の連れらしい。
女はこれまで稼いだらしいチップを自慢げに見せびらかす。その量はさほどでもなかったが、連れの男は慈愛のこもった微笑を口元に浮かべて女の頭を撫でた。
「さすがだ。ずいぶん上達したんだな。この前みたいに、他の男からチップを託されてはないだろう?」
「今日はちゃんと断ったわよ。あの時だって、しっかり返してきたでしょう?」
女は立ち上がり、男の腕になまめかしく自らの腕を絡ませる。けれど一瞬だけ、彼女の切なげな眼差しがシリルを捉えたような気がした。
目の保養にしていたであろう美女が連れの男と去ってしまったので、何人かの紳士がゲームを降りる。シリルも席を立ち、そのまま賭場を後にした。
「ガウル、メルという令嬢に心当たりはあるか? 亜麻色の髪のメルだ」
停車場に向かうまでの夜風が心地よい。だが、頬を撫でる風も浮かされた心を静めるには足りなかった。
「いえ、聞いたことはありませんが……」
ガウルは困ったように眉根を寄せる。彼が再び口を開いたのは、乗り込んだ馬車が走り出してからだった。
「あの連れの男、ロイドと呼ばれていましたよね。たまたま同じ名前だっただけであればいいのですが……もしロイド・フェルワースであれば少々厄介です。確か、今年彼が連れ回している情婦が亜麻色の髪だったかと」
「フェルワース? ……ああ、あの薄汚いフェルワースか。まさかお前、あんな男がうろつく場所にこの私を案内したとは言わないだろう?」
古くからこの国に巣食う二匹の巨大な蛆虫。その片割れの名を聞いて、シリルは不快感をあらわにした。
「さすがに今夜来るとは予想外ですよ。フェルワース一家は上流階級にたかるハイエナのような連中ですから、その当主も平然と社交場には出入りしていますが……」
悪徳貴族や悪徳商人と癒着する忌々しい犯罪組織は、この国を影から操る黒幕気取りだ。目障りなことこのうえない。
特にフェルワース一家の元締めであるロイド・フェルワースは、血も涙もない非道な男だと聞いていた。そんな男に好んで侍る女がいるとは思えない。
きっと薔薇の精は弱みか何かを握られていて、彼に従わざるを得ないのだろう。自分が見つけた可憐な蝶が、ハイエナが食い荒らした腐肉に群がるハエの同類である可能性を、シリルは無意識のうちに排除していた。
(もしもメル嬢がロイド・フェルワースの情婦だというのなら……フェルワース一家を摘発することができれば、彼女を奴の魔の手から救い出し、民に平穏をもたらすこともできるのではないか?)
それはとても素晴らしい思いつきだ。恐ろしい男に捕らわれた姫君を助け、犯罪者に悩まされる民衆の憂いも取り除けるなんて。
仮にメルが人違いだったとしても問題はない。フェルワース一家から力を奪うことができれば、彼らと癒着する貴族や商人の勢いも削げることに変わりはないからだ。
それは国内の大掃除に繋がり、はりぼての玉座に威光を取り戻す足掛かりとなるだろう。王族と言えども議会の顔色をうかがう傀儡に過ぎない。しかし今一度王家が威厳を手にすれば、これまで好き勝手やってきた佞臣達も心を入れ替えて真面目に国のために尽くしてくれるはずだ。
「決めたぞ、ガウル。私はこの国の腐敗を一掃する」
「え……急にどうしたんです、シリル殿下。本気でおっしゃってるんですか? そもそも、一体どうやって?」
困惑するガウルに、シリルは素晴らしい計画を披露する。どうやって悪の組織を潰すか、彼にも案を出してもらわなければ。
去り際に向けられた、薔薇の精の切なげな眼差し。彼女からすべての憂いを取り除き、あの仮面の下の笑顔を見たい。麗しき花の妖精に、シリルはすっかり魅了されてしまっていた。
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