The perfect…
青井水波。私立司高校二年生。切り揃えられた黒のロングヘアが似合う、穏やかな瞳の美少女だ。学力が高く、成績は全国でもトップクラス。どんなスポーツもなんなくこなす。おまけにこの高校の生徒会長だ。…まさに容姿端麗、文武両道の、「完璧」な少女だった。
今日も朝から生徒会の会議があった。予定より少し早く終了したため、ゆっくりと自分達のクラスの教室へ戻っていると、前から数人の女生徒が一人の男子生徒を囲んで歩いてくる。男がいると分かると、無意識的に廊下の端による水波。そして、目の前の集団とすれ違ったときだった。
「…水波?」
「!…ゆき、と…?」
集団の中心にいた男子生徒に声をかけられ、水波は足を止める。そして、驚きとも恐怖とも分からぬ表情でその男を見た。グレーの髪で涼やかな目をしたその男は、彼女の中学時代の元恋人だった…。
「久しぶりだね、水波。相変わらず…いや、あの頃よりずっと美しい…」
人気の少ない校舎の外にやってきた二人。水波の表情は、未だ困惑しているようだった。
「恭人…どうしてここに…?」
「転校してきたんだよ。…君に会うためにね」
「!」
「…嬉しくないのかい?」
「そんなことないわ!…私…だって…」
水波の答えに、恭人は満足そうに微笑む。そして、ゆっくりと自分の顔を水波に近づけた。二人の唇が触れ合おうとした、その時。
ヒュンッ。
細長い何かが、二人の顔のすぐ近くを横切った。恭人は飛んできたそれを、二本の指で掴む。それは、一輪の赤い薔薇だった。
「あんた…私の水波に何してんの?」
恭人が顔を上げると、金髪でやたらスカートの短い女生徒がこちらを睨みつけている。水波の幼馴染で元不良の赤羽花琳だった。
「『私の水波』、ねえ。…悪いけど、水波は俺のものだよ」
「はあ?!何ふざけたこと言っ」
「やめて!!」
今にも暴れだしそうな花琳を見て、恭人をかばうように水波は両腕を広げた。その様子に、花琳は動きを止める。
「お願い花琳…彼に手を出さないで…!」
「…水波…?!」
自分がつい暴走しそうになるときなど、いつもは厳しい表情か目の笑ってない極上の笑顔で制止しようとする水波が、今回は目の前の男を必死に擁護しようとしている…。彼女のその行動に、花琳は驚きとショックを隠せなかった。
一方、水波の後ろで、恭人はにやりと笑っていた。
「…あれ何?」
病院に行っていたため、朝のHR後に登校した水原氷奈は、教室の隅でうずくまっている花琳を見て問うた。
「あー…あれ?あれは…」
「水波にフラれて落ち込んでるのよ!」
「…は?」
呆れた表情で黄谷雷亜が答えようとすると、桃山愛里が割って入る。
「今日隣のクラスにすごいイケメンが転校してきたんだけどー、それがなんと水波の元彼だったの!で、二人があんまりラブラブなもんで拗ねちゃってさ。いやああれはお似合いだし仕方な」
「うっさい!!」
「うあっ」
恋愛話が好きな愛里がペラペラ喋っていると、聞くに堪えなくなったのか、花琳は彼女に回し蹴りを食らわす。
「あんなひ弱そうな男…私は絶対認めない…!」
花琳は吐き捨てるように呟いた。
ーーー
生徒会長とイケメン転校生が恋人同士だったという噂はあっという間に校内に広まった。周囲の評価は、愛里同様「お似合い」であった。
「水波...なんであんな奴と...」
水波が授業中以外ほぼ恭人と共にいるようになり、花琳はさらに不満げだった。
「そりゃああんな素敵な人だったらねえ...!彼、成績も優秀みたいだし!何より水波を追って転校してきたってとこが一途で...」
「あんたは黙ってて!!」
「う"っっ」
またしても花琳の回し蹴りが愛里にヒットする。
「でも、本当にずっといるよね...。今日も放課後デートだって」
「放課後まで...?一体何してるっての...」
「...そ、そんなに気になるんならこっそり後でもつければ...?」
蹴りを食らった状態からよろよろと起き上がる愛里の言葉に、花琳は目を見開いた。
「それだ!!」
「で、でも花琳さん...今日はバイトの日では...?」
「......あ」
緑川葉子に指摘され、花琳は再び表情を曇らせる。
「...代わりに尾行してあげようか?」
「!!」
愛里はニヤリと笑いながら提案した。
「その代わり...」
「...あんた元々こういうの趣味でしょ。つべこべ言わず行って来な。また蹴られたいの...?」
不良時代さながらの花琳の脅しじみた言葉と表情に、愛里は言葉を飲み込んだ。
「分かったわよ!ね、雷亜!葉子!」
「え、雷亜達も?!」
「もう恒例になってしまいましたね...」
そうして、結局雷亜と葉子含め、3人で水波のデートの様子を尾行することとなった。
ーーー
「...何か、模範みたいなデートだね...」
「確かにそうですね...」
放課後。教室を出ていく水波達の後をこっそりとついてきた愛里、雷亜、葉子の3人。楽しそうに買い物をして、カフェでお茶して...。予想以上に絵になる美男美女カップルのデート姿に、3人はただただ感心するしかなかった。
「これ、そのまま報告したら花琳ますます怒りそうじゃない...?」
「でもしょーがないじゃん!っていうか、花琳が変に嫉妬しすぎなのよねー」
「...あ!移動するみたいですよ!」
カフェの席を立つ水波と恭人。2人に合わせて愛里達も移動する。
「...あ!ごめんなさい!」
「いえ、大丈夫ですよ!」
移動途中、通りすがりの男性と水波の肩が一瞬ぶつかる。すると、それまで穏やかだった恭人の表情が険しいものとなった。
「...水波」
低い声で呼び掛け、人通りの少ない路地へと水波を導く恭人。そこで彼は突然、水波の頬を彼女が地面に膝を着くほどに強く殴った。
「!!」
「水波...人前で俺以外の男に触れるなんて、どういうこと...?」
「ごめんなさい...ちょっとした不注意で...」
「不注意なら許されるとでも?」
「...ごめんなさい...気を付けるわ...」
氷のような表情の恭人に対し、水波は弱々しく答えた。彼女の言葉に満足したのか、恭人は一転してふっと雰囲気を和らげ、彼女に手を差し伸べた。
「分かってくれたならいいさ。俺も美しい君をあまり傷付けたくはないからね。さあ立って。そして口付けを...」
「...ええ...」
立ち上がり、水波は恭人にキスをする。しばらくの後、2人はその場を後にした。
一部始終を見ていた愛里達3人は顔を青ざめたまま、しばらくその場から動けずにいた。
「...な、何あれ...DVってやつ?!やばくない?!」
「あ、愛里さん声大きいです...!」
「だって!!」
「まあ、確かにあれは...。花琳怒るどころじゃないね...」
「...」
その様子を想像し、3人は黙り込んだ。
ーーー
「はあ?!あの男が水波を殴って無理矢理従えさせた?!」
じゃんけんに負けて報告係となった愛里が花琳に電話をすると、案の定の反応が返ってきた。
「あんた達なんで止めなかったの?!」
「いや、入っていけるような雰囲気じゃなかったし!!」
「あーーもういい!!」
花琳は電話を切ると、部屋を飛び出しマンションの二階上まで階段で駆け上がる。そして、目当ての部屋にやってくると呼び鈴を押した。
「あれ、花琳ちゃんいらっしゃ…」
「おばさん、水波いる?!」
「え?ああうん部屋に…」
「どうも!」
戸惑う水波の母との会話も手短に、花琳はずんずんと中に入っていき、水波の部屋の前に来るや否や勢いよくドアを開けた。
「水波!!」
「…花琳?どうしたの、いきなり…」
突然かつ強引な来訪に驚く水波。その右頬は若干腫れているように見えた。
「…それ、誰にやられたの」
「え?…ああ…少し赤くなってるように見えるかもしれないけど、大したことな…」
「あいつにやられたんでしょ!愛里から全部聞いたわ!!」
「!…そう…。ついてきてたのね…」
やはり知られたくなかったのか、水波は気まずそうに目をそらす。そんな彼女にかまわず、花琳は続けた。
「水波に手上げるなんて許せない…!なんであんな奴といるの?!大体別れてたんじゃないの?!」
「確かにそう…でも、私に会いに来てくれた…私を求めてくれたの…!やっぱり、離れられないわ…」
「だからなん…」
「愛しているからよ!!」
「!!」
花琳の追究に対し、水波ははっきりそう言い放った。再び花琳を見つめたその表情は、どこか必死だった。
「愛してるって…そんな…」
「私が誰を愛そうと、花琳には関係ないでしょう…?…彼は、私が初めて好きになった男性…。そして、私を愛してくれた…。だから、応え続けなきゃいけない…」
「…水波…」
「…ごめんなさい…。今日はもう、出て行って…」
かつてないほど暗く重い声に、花琳は従わざるをえなかった。
―――
次の日。休日で特に予定もなかった花琳は、あてもなくふらふらと歩いていた。荒んでいた自分の心を救ってくれた人を守りたい。そう思って水波に変な男が寄り付かないよう注意してきたつもりだったが、自己満足だったのだろうか…。そんなことを考えながら歩き続けていたが、ふと大きな水飛沫が上がったのが目に入り、ぴたりと足を止めた。
「まさか…」
水飛沫の方向に駆けていく花琳。辿り着いた先の光景に、彼女は目を見開いた。
「ちょっと…どういう状況よこれ…。あんた、水波に何したの…?!」
そこでは、戦士に変身した姿の水波――ピーカウォーターが、虚ろな瞳で恭人を攻撃していた。その様子は、あからさまにいつもの水波のものではなかった。
「この姿の彼女を水波と認識できるということは、君も戦士か…?まったく、襲われているのは俺の方だというのに」
「水波が訳もなく人を襲うはずないでしょうが!」
「やれやれ。でも、この事態は俺も想定外なんだよ…。あとは『完璧』に育った彼女を美味しくいただくだけだったのに、暗示が効き過ぎてしまったようだね」
「美味しくいただく?暗示…?あんた、さっきから何言ってんのよ…!」
無言で放たれるウォーターの攻撃を避けながら答える恭人。その言葉に、花琳はすっかり混乱していた。
「何…?簡単なことだよ。つまり…」
恭人は不敵な笑みを浮かべ、ウォーターに対し気弾を放つ。それが直撃し、気を失ったウォーターを素早く抱きかかえて、恭人ははっきりと言った。
「彼女は最初から俺のモノ、ってことだよ」
ウォーターに向け口を大きく開ける恭人。そこからは、獣のように鋭い牙が見えた。
「だから、それが訳わかんないのよ!!」
花琳も戦士・ピーカフラワーに変身し、牙が当たる直前に恭人からウォーターを救い出した。
「あんた、魔物よね…。じゃあ何、中学のときから水波のこと騙してたってこと…?」
「その通り。『こちらの世界』に来てから、俺に相応しいエサを探し続けて、ようやく見つけたんだ。外見も心も美しく、優れた能力をもつ少女をね。ただ、当時の彼女はまだ未成熟だったから、俺が育ててやったのさ。ちょっと俺を愛するように暗示をかけてやったら簡単だったよ!俺のために勉学その他あらゆることに励み、俺以外の男には触れない…。まさに俺のための『完璧』だ!重圧に耐えきれず俺の元を離れたけれど、その間も俺の暗示を心に残し、順調に育ってくれたようだから何ら問題ない。俺を愛しすぎてしまったあまり、裏切られた悲しみで暴走してしまうとは予想外だが…。彼女の『心の闇』も十分に解放されて、我らが世界の神も満足なんじゃないか?…さて、そうやって大事に育ててきた彼女が成熟しきって、ようやく今が食べ頃なんだよ…。さあ、『俺の水波』を返してくれないか?」
「…あんたなんかに、誰が渡すか…!」
恭人に対し、激しい拳と蹴りを繰り出すフラワー。しかし、さきほどのウォーターの攻撃同様軽々と避けられてしまい、逆に彼の気弾を食らってしまった。
「…く…っ」
「俺が『こちらの世界』に来てどれほど力を蓄えたと思っている…?それに、待ちわびた時間を邪魔されて、少々機嫌が悪いんだよ…!」
「ああ…っ!」
恭人がフラワーの左肩に噛みつく。その血を舐め、不満げに言葉を漏らした。
「やはり不味い…。水波のような完璧な女とは違うな」
「…そうね…。確かに私は、水波と違って馬鹿だし、すぐ暴走する元不良よ。…だけど、そんな私でも、水波は大切に想ってくれる。どん底にいた私に、光をくれた!!だから絶対に守る…。水波の心を踏みにじったあんたを、絶対に許さない!!」
「威勢はいいようだが、その怪我で俺に勝てるとでも?」
「…馬鹿ね…。『赤』は私を、強くするのよ…!」
血が流れているところを、右手で触れる。すると、赤き花の戦士の周りに、無数の赤薔薇の花弁が舞った。放たれた花弁とその香りに惑わされ、ペースが乱れる恭人。戦闘は一気に、フラワー優勢となった。それでもなお、浄化技を放つまでの隙は与えてくれない。流血の赤色は戦士としての力を高めてくれるが、身体へのリスクも大きい。貧血でふらつき始めた彼女を支えてくれたのは、心強い仲間達だった。
「何一人で無茶してるの?!ウォーター倒れてるし!」
「それに…あれは、恭人さん?一体…」
「あいつは魔物で、水波を自分のものにするために暗示かけて、ずっと騙し続けてたのよ…!」
事態に気付き駆けつけたであろう仲間の戦士達に、恭人の正体を告げる。支えから離れ、仲間達と並び立ち、フラワーは改めて恭人に向き合う。
「…まったく、戦士様大集合とは…。俺の水波を、さっさとよこ…」
「…恭人…」
「!水波…!」
意識を取り戻したウォーターは、切なげな瞳でまっすぐに恭人を見つめた。
「…目が覚めたんだね水波…。…大丈夫。君が俺のモノであることに変わりはない。だからさあ…おいで…」
「…あなたはやっぱり、私を愛してくれていたわけではなかったのね…」
「…?」
寂しげに呟く水波。その様子が、いつものように服従するでもなく、先程のように暴走するでもないことから、恭人は眉をひそめた。
「悪いけど、水波にかけてたっていう暗示は、この愛の戦士ことピーカラブ様が解除させてもらったわよ!もうあなたの言う通りにはならないわ!」
「なん…だと…!」
得意げに言い放つピーカラブ――愛里に対し、恭人は怒りで身を震わせた。感情のままに戦士達に攻撃を仕掛けようとする。
…が、突如巨大なる力を感じ、動きを止めた。いや、動けなくなった。ウォーターの周りに現れた数本の渦巻く水柱。それらは集まって、一つの束になった。
「…さよなら」
言葉と共に、恭人に向けて手を突き出す。渦巻く水が正確に彼を捉えると、恭人は浄化され、光の粒子となり消えていった。
―――
変身を解除してなお、水波は恭人が消えていった方向を見つめてしばらくの間立ち尽くしていた。
「花琳さん、大丈夫ですか?!」
「あー…うん、大丈夫でしょ」
「いや、めちゃくちゃ血出てるじゃん!とりあえず血止めなよ!」
「はいはい」
仲間達の声が聞こえ、水波は花琳の方へ振り返った。彼女から流れる血を見て、顔を曇らせる。そのまま、ゆっくりと彼女に近づいた。
「…花琳、ごめんなさい。私のせいで…」
「だーから大丈夫だって!水波のために血流すことに何の後悔もないし。っていうか、水波は騙されてたんだから、何も悪くな…」
「…いいえ。きっとそうじゃないわ…」
「…え?」
「…ううん、何でもないわ。悪いけどみんな、花琳のことちゃんと病院に連れて行ってもらっていいかしら?…私は、もう少しここで…」
仲間達が去って行く。その姿を見届けた後、水波は再び恭人がいた方へ目を向けた。
…きっと、暗示にかけられていたからだけではない。それよりも前から、自らの心で彼に恋していた。だからこそ、簡単に彼の術に嵌り、彼の意のままに尽くしてしまったのだろう。だってそうでなければ…「誰かのために動くこと」はあまりにも難しい。
大切な幼馴染を守りたい。優しい彼女が、心身共に傷つく姿をもう見たくない。そう決めたはずなのに、自分のためにまたも血を流させてしまった…。
「…ねえ、恭人…」
もう誰もいないその場所に向かって声をかける。
「あなたが生まれ変わったとき、私がもっと強い心を持てていたら…。誰かのために動くことができる、真に『完璧』な人間になれていたら…。そうしたら、今度は本当に、私を愛してくれるかしら…?」