旅立の号令
暗がりの中、固いもので頭や肩をごつごつと殴られる夢を見た。やけに体がぐらぐらと揺すられる。
いや、待って、今私寝てるんだけど一体何の用なのよ。
そう問いかけようとしてやめた。
だって眠いんだもの。多少寝心地が悪くたって、この気怠さに身を任せていればすうっと眠りに落ちていくはず……。
と思ったのに、ずいっと意識が引き上げられ辺りが明るくなってくる。まだ眠り足りないのに、もう朝だというのだろうか。
「ん……、ま、て……?」
「お嬢様!」
「ダナ、気が付いたか!」
重たくなった瞼と唇を渾身の力で開いたら、頭の上で私を呼ぶ声が聞こえた。ごつんとひと際大きな衝撃が体に加わるが、それを最後に揺れが止まる。
あれ、と二、三度瞬きをした。うっすら霞がかかった視界で目を動かすと、焦点が合わずぼやけた世界が次第にくっきりとした輪郭を取り戻していく。
すると、目の前にサラの顔が飛び込んできた。
「お嬢様! よかった……!」
両目にたっぷりの涙をたたえ、サラが私の首に抱き着いてくる。顔に押し付けられた彼女の厚みのある肩からは、ちょっと煤けた煙っぽいにおいがした。
「……サラ? 無事だったの?」
「お嬢様にもしものことがあったらどうしようかと! もう、無茶をなさらないでください!」
「無茶? あれ? 私、動けなくなって、斬られたんじゃ……?」
そうだ。私、黒焦げの兵に斬られたはずではなかったか。敵を前に睡魔に襲われ、だらしなく地面に倒れてしまっていたはずなのに。
意識を失う直前の記憶が蘇り、私の体は小さく震えた。しかし震えるということは生きているということだ。私を抱きしめているサラの体温が伝わってくるし、なによりなんか体のあちこちが痛い。
一体どうなっているんだろう。私は目だけ動かしてあたりをぐるりと見渡した。頭上には幌がかかっているから、ここは馬車の荷台だろうか。外で倒れたはずなのに、と思っていると視界にひょいっともう一つ顔が飛び込んでくる。
明るく茶色い髪が、さらりと揺れたその顔は――。
「斬られる直前だったんだよ。ほんっと、無茶しやがって」
「リカルド? なんでここに?」
思わず大きな声を上げると、抱き着いて泣いていたサラが顔を上げた。真っ赤になった目が痛々しいが、ちょっとだけ眉を吊り上げたこの表情は怒っているらしい。
「お嬢様がお倒れになったときに、馬で駆けつけてお助けくださったんですよ。リカルド様が来てくださらなければお嬢様のお命はありませんでした!」
「ああ、あれ、夢じゃなかったの……名前、呼ばれた気はしてたんだけど……」
睡魔に負けて薄れていく意識で見え、聞こえていたのは本物のリカルドの姿と声だったということか。でも何故あんなところに現れたんだろう。求婚を断られて屋敷に帰ったのではなかったのか。
まだうすらぼんやりとしてまとまらない思考のままリカルドを見上げると、当の幼馴染は私の額に手を当てほうっとため息をついた。
「聞こえてたのか?」
「……ん、なんとなく?……幻聴かと思った」
「俺が割って入った時にはもうお前、目を閉じてたからびっくりしたよ。間に合ってよかった、ほんとに」
「じゃあ名前を呼ばれたと思ったのは気のせいじゃなかったのね。あんたの姿がぼやーっと浮かんで、走馬灯かと思ったわ」
「きっとお前がすぐにエスピネル領に戻るだろうからと思って急いで馬と装備を取りに戻ったら、グラシアーノの私兵がぞろぞろと城から出ていくの見えたんだよ」
ああやっぱり。あの兵たちはポンコツ皇太子の私兵と見たのは正解だったらしい。
公衆の面前でやられた意趣返しにしては荒々しいが、高慢な皇太子の性格を考えればそういった手にでるのも頷ける。もう少し早く屋敷を発てばよかったのかもしれない。狙いはきっと私だけだろうけど、ほかの使用人たちが無事にタラセナまで抜けているかが心配だ。
「待ち伏せされてると屋敷に伝えに言ったらもう居ないし、大急ぎで追ってきてよかった」
ありがと、と告げるとリカルドはほんの少し目を細めた。でもすぐにまじめな表情を浮かべ、私の横に腰を下ろす。
場所を譲る形になったサラは幌を上げて御者台に移ったようだ。ひひん、と馬がいななく声がしたかと思うと、馬車が動き始めた。
「しかしダナが無事でよかった。俺が駆け付けた時には辺り一面、黒焦げでひどい有様だったぞ。一体なにが起きたっていうんだ?」
神妙な顔つきで問われるが、そんなの私にだって分からない。本当にあっという間の出来事だったのだ。私は首を横に振って見せる。
「グラシアーノの兵がやった、ってわけでもないだろうな。とりあえず馬車には俺の馬をつないだが、男爵家の馬は泡を吹いて死んでたし、よっぽどの衝撃があったんだろうってことは分かるんだが……てことは、お前の力ってことかな……」
「……そう、かも。……囲まれて、最初は普通に戦ってたんだけど、サラが危ないって時になんか一瞬頭の中で変な音がして、そのすぐ後にすごい光と音がしたの。目を開けたら木は裂けて燃えてたし、兵はほとんど倒れてた」
そっか、とリカルドは腕を組んだ。ちょっとだけ首を傾げ、そしてまた私の顔を覗き込む。ぱちっとした茶色い瞳がこちらを向いて、丸くなった。
「お前、目……」
「え? また、変?」
「また赤くなってるぞ」
え、と私は頭を起こした。急に起き上がって血が下がったのか、まだ目が回るようにふらふらする。リカルドに背を支えてもらいながら、私は手近にあった私物が入った鞄から、手鏡を一つ取り出した。
幌の中はちょっと薄暗いけれど、なるべく明るい方向を向いて鏡を見れば確かに瞳の色が違う。卒業式の後に見た色より、赤みが増しているというか、赤銅色だったのが燃える炎のような朱が混じった紅い色になっている。
「……本当ね。ますます魔族に近くなったってことかしら。じゃあ、あの光や轟音は、やっぱり私……?」
目もくらむような光を放ち、聴覚をマヒさせるような轟音を響き渡らせ、街道の木々を焼き兵を倒した。そんな暴力的な魔力が解放されたのか。そんな力があることを見越して、祖母は封印を施してくれたのか。それがなぜ今になって解放されてしまったのか。
自分の中にある力の凄まじさに、私の体は小さく震えた。胸の奥がぎゅうっと締め付けられるようだ。
しかし何も言えずに俯く私の背を支えるようにリカルドの掌があてられた。肩甲骨の間からじんわりと体温が伝わってくる。
怖くないの、と聞くとリカルドが首を横に振ったのが分かる。ぽんぽんと宥めるように背を叩かれ振り返ると、人懐こそうな茶色い瞳と目が合った。
「一歩間違えたらあんたも巻き込んでしまったかもしれなかったのに?」
「でも巻き込まれてないし。むしろ俺が来るまで持ちこたえててすごい力だと思ったし」
「そりゃ、まあそうだけれど」
「けど俺が着いた時にはダナは気を失ってた。力が強すぎて体が耐えられなくて眠ってしまったのかもしれない。俺としては戦いの最中にそんな無防備になることのほうが心配だぜ」
なんとも心配の方向性がズレている気がして、私は肩の力が抜けてしまった。
少なくともリカルドにとっては魔族の力は怖くないということか。少年のような笑顔を浮かべる幼馴染に、私の眉も下がっていく。
「まあ、男爵領まではまだかかるだろう? 女二人で行くのは危険だろうし、ひとまず俺が護衛についてやるさ」
な、とリカルドは微笑んだ。いたって普通に護衛を買って出るこのお人好しさ加減に、私はため息をついてしまった。自分の地位とか、忘れてるんじゃないだろうか。
そういえばグラシアーノ皇太子と婚約する前も、そのあとも、なんだかんだ言ってこの人はマメに私たちの面倒を見ようとしてくれていたっけ。散々愚痴を言ったり、言い合ったりはしたものの、割合でみれば聞いてもらったほうが多いかもしれない。
そんなことを考えていると、昼前に唐突に告げられた求婚の言葉を思い出してしまった。
墓まで持っていこうと決めていたと言っていたけれど、思わせぶりな態度一つも見せなかったとはいえそんな相手に婚約者の愚痴などを言っていたと思うとちょっと申し訳なくなる。
好意に甘えていてはいけないのではないかと思いながら顔を窺うと、リカルドの口元が少しまじめそうに引き締まった。
「いいだろ? グラシアーノのことだ、兵が戻ってこないと知ればまた追っ手を差し向けてくるだろうし」
「うーん」
本当にいいのだろうか。数人の追っ手なら一人でなんとかできるとは思うけれど、サラもいるし他の使用人たちと合流できたとしても戦闘には不向きな人たちばかりだ。万が一エスピネル領に戻る前にさっきみたいに囲まれちゃったら、対処するのは難しいかもしれない。
しかもだ。首尾よく領地まで戻ったとして、皇太子が執念深く襲ってくるかもしれない。場合によっては男爵家を反逆罪だのなんだのといって、前世のごとくつぶしに来ることだって考えられる。いや、むしろその公算が高い。
それは断固拒否だ。私を含め父も母も領主の一家として、領地のみんなを守る責務がある。そこで戦うには私の力が目覚めているほうが望ましい。目覚めさせてくれてありがとうとすら思えた。
ただ、公爵の跡取りを巻き込んでいいものだろうか。黙って皇都に戻って大人しくしていれば、この人はいずれ公爵となって皇国の重要な地位につくはずだ。家柄にふさわしいどこぞのご令嬢と結婚して、家を守る責務がある。
――と考えると胸がチクリと痛んだ。そしてそのことに自分自身が驚いた。
どっかの知らない人と、このリカルドが結婚するのは、ちょっと嫌だなと思ってしまったのだ。
しかしリカルドは私がそんなことを考えているとは思いもよらないだろう。うーんと唸っていると、屋敷の前でしたように私の手を取った。
「俺としては、お前に求婚してる身でもあるから無事にエスピネル領まで送り届けて、親父さんに許可をもらいたいところなんだけどな。あと、お前にケガをさせたくないし」
何をのんきなことを言っているのだろう。今、私は皇国と一戦交えることを考えていたというのに。
でも冗談とも、本気ともつかないリカルドの言い分に私は思わず吹き出してしまった。ついでのように告げられた、ケガをさせたくないという一言に背中を預けても良い気がしたからだ。
結婚云々は、ともかくまずは一回無事に領地に帰ろう。
「私、魔族みたいなもんよ?」
そう念を押すと、リカルドもまたにやりと笑う。
「関係ないね。俺にとって、ダナはダナだ。守らせてくれよ」
よし、決めた。
「仕方ないわね。じゃあリカルド、あんた私の護衛兼従者としてなら付いて来ていいわよ」
「従者? 俺が?」
ふふん、と胸を逸らすとリカルドはぽかんと口を開けた。呆気にとられたように丸くなる茶色い瞳の前にびしりと指を突き付ける。
「そ。まずはいったんエスピネル領に戻ることを優先するわ。その間、しっかり護衛を頼むわよ。その後のことはむこうに着いてから考えるから」
「いや、まあ……それはもちろんやるけど、そこでなんで従者……? そこは婚約者とか、なんとか……」
「だって、私、公爵夫人にはなれないし、なるつもりないもの。しかも道中で公爵の坊ちゃんってバレたらそっちのほうが問題になりそうだし」
「え、待って。俺、ちゃんと気持ち伝えたよね?」
「それとこれとは話が別!」
ぴしゃりと言ってやるとますますリカルドの目は見開かれた。
求婚が、婚約が、ともごもごした小声が漏れているけれど、それらは聞こえないものとして私は荷台の上に仁王立ちとなる。話し声が聞こえたのか、御者台に乗ったサラが馬を止めて幌の中を覗き込んだ。
「ここまでやられちゃあのポンコツを皇太子に据えている皇国にも愛想が尽きるってものよ。あの兵も私のことバケモノって言ったしね。力も目覚めたことだし、この際だからエスピネルは皇国と縁を切って独立してやるわ。エスピネル家の成り立ちのごとく、目指すは魔族と人間が共存する国を作るのよ!」
いいわね、と言うと激しい勢いで頷くサラと目が合った。エスピネル出身のサラにとっても、何か思うところがあったのだろう。
対するリカルドは私の足元で腑に落ちない顔をしながら唇を尖らせている。でもこの件に関しては主導権を譲るつもりはない。
「よーし、まずは無事に帰るぞー!」
解せない、と言わんばかりのリカルドは放っておいて私はサラに馬車を走らせるように号令をかけた。それを受けた侍女は手綱を握り直し、にこにこしながら馬に合図を送ったのだった。
こちらまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
続きが気になるなー、この二人どうなんのかなー、とか思ってくださる方で、
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