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求婚と共闘②

 公爵家の証である赤いサッシュを提げた嫡男が、学院の制服を着た辺境の男爵家の娘に膝をつくとは、これはいったいどういうことだろう。人目もある市街地、しかも男爵邸前でのありえない行動に、私のほうが泡を食ってしまった。


「ちょ、ちょっとやめなさいよリカルド! 人に見られたらあんたどうすんのよ!」

「見られたって構うもんか。というか、どうせなら見物して吹聴してもらいたいと思ってるくらいだけど」

「あんた、頭おかしくなったの? 公爵様に知られたら……!」


 リカルドの父親はよく知っている。先帝の年の離れた弟君の一人で、いかつい陸軍の将でもある。遊びに行ったときの私にはちゃんと優しく接してくださったけれど、息子たちのしつけに関しては鉄拳制裁も辞さない御仁だ。

 往来で公爵家の者が格下の身分の女に膝をついていたと知られたら、と私の胃が痛くなってくるではないか。

 しかし、リカルド自身はどこ吹く風という顔をしている。やめなさいってば、と引っ張って立たせようとすると、リカルドは私のその手を取った。


「お前の様子でグラシアーノが何を言ったか、大体想像はついたけどさ。あいつが留学生に乗り換えたっていうなら話は早い」

「なによ、もういい加減に立ってってば」

「俺がお前に結婚を申し込む」

「は!?」


 今まで生きてきた中で一番大きな「は?」が出た。

 何を言ってるんだこいつ、正気なのか。わたしはぽかんと口を開けたままその場で固まってしまった。


「物心ついてからずっとダナが好きだ。政治的にグラシアーノと婚約が成立したときに、もうこれは告げることは叶わないと思って墓までもっていくつもりだった。けど、あいつとの婚約破棄が本当なら、改めて俺の気持ちを伝えておきたい」

「な、なに言ってるの……今見たでしょ、私の目」

「ダナがダナであることに何の変りもないじゃないか。だから、グラシアーノとの話が白紙になったのなら、俺と結婚してほしい」


 真摯な目でまっすぐに告げられた言葉はぐさりと胸に突き刺さった。痛いような、くすぐったいような、泣きたくなるような、訳が分からない感情が湧いてくる。

 じわりと目頭が熱くなり、それをごまかすように私は握られた手を振り払った。


「……馬鹿なこと言わないで。私、エスピネル領に戻るから」

「ダナ!」

「公爵様がそんなこと許すわけないでしょ? あんた、公爵家の跡取りなんだから、もっといいとこのお嬢さんと結婚しなさいよ。そのほうが家も安泰でしょ」


 じゃあね、と私は追いすがるリカルドの声を振り切って男爵邸の門扉をくぐった。

 待てとか、話を、という怒鳴り声が聞こえるけれど、それに答える余裕はない。ばたばたと大きな音を立てて階段を上ると、侍女のサラが慌てて駆け寄ってきた。

 卒業式の後は祝賀会に出る予定だった私が急に戻ってきたのでよほど動揺したのか、サラは口元にクッキーの食べかすをくっつけたままだ。


「お、お嬢様? ど、ど、どうなさったので?」

「どうもこうもないわ。すぐにエスピネル領に戻るから、馬車の準備を。使用人全員にも荷物をまとめるように言って。あと、お父様にも早馬を出して。手紙を書くわ」

「は、はい!」


 口元の食べかすもそのままにサラが踵を返した。

 私は机から便箋を取り出すとささっと今日の経緯を記載し、ついでに今から帰る旨を書き添えて封筒に入れた。早馬であれば、この手紙も明後日には父に届くだろう。

 次に寝室に行き大きな鞄にどさどさと必要な荷物を放り込む。荷物と言ってもここには学業のために来ているので大したものはない。普段着と、ちょっとした教科書類、そして皇帝陛下からいただいた皇太子との婚約の証である小さな冠だ。

 私はキラキラと光るその冠を箱から取り出した。窓から差し込む日差しを反射して輝く宝石は、未来の皇太子妃にふさわしい無色透明で小さな石たちだ。これを贈られたときは、まさかこんな結果になるとは思わなかった。

 深く感傷にふける前にその冠を箱にしまうと、私は箱ごと机の上に放り投げた。持っていくべきではない。本来ならこの手でお返しするべきだろうけど、きっとそのうち屋敷が皇帝に召し上げられるだろうからその時に勝手に持ってってくれればいい。

 荷物を詰めた鞄をぎゅうぎゅうと押しつぶしていると、階下から早くも伝令の準備ができたというサラの声がかかった。


 ★ ★ ★


「さあ、さっさと帰るわよ!」


 私の号令で男爵邸から三台の馬車が出発した。お目付け役としてこの屋敷に来ていた侍従のルシアーノをはじめ、料理番や給仕などをそれぞれの馬車に荷物とともに乗せたのは、私が帰宅してからほんの一時間程度が経過したころだった。

 朝のうちに荷物をまとめておけといったのが伝わっていたようで、帰宅した私の様子を見たサラが手早くみんなを動かしてくれたらしい。ちょっと食いしん坊なところはあるけれど、有能な侍女である。

 私はみんなを送り出してから、最後の馬車にサラとともに乗り込んだ。御者は私だ。手綱をとって馬に合図を送ると、ひんと低くいなないた馬はゆっくりと歩き出した。

 いたらどうしようとちょっとびくびくしていたが、リカルドは私たちが出立するころには姿を消していた。さすがに求婚した相手に返す刀で他の女との結婚を勧められたら、会わせる顔もないだろう。

 ほっとしながら私は後ろに乗ったサラを振り返った。


「今から発って街道を下れば暗くなる前にタラセナの町まで着くかしら」

「十分でございましょうね。どの馬車もそれほど大荷物ではありませんし、馬もそこまで疲れないでしょう」

「じゃあ明日はウェルバ―河を超えるところまで行けそうね」


 なぜそこまで急ぐのか、と聞きたそうだけれどあえて聞いてこないサラは本当に有能だ。幌を張った荷台に座り込み、地図を広げている。


「ウェルバ―河の超えてすぐにあるカーデスまでは起伏も少ない道ですし、それほど足を止めずに済みそうですよ、お嬢様」

「よかった。サラもでこぼこ道ばっかりじゃ、荷台に座ってるのきついだろうしね」

「ですねぇ」


 くすくすと笑い声が聞こえる。母よりかなり若い侍女は、私にとってみれば姉に近い存在だ。気安い相手と二人で話しながらであれば、きっとタラセナまでの道のりもあっという間に感じるだろう。


 ――しかし皇都の城門をくぐってしばらくすると事態は一変した。


 私たちの乗る馬車が黒い頭巾をかぶって武装した一団に囲まれてしまったのだ。


「お、お嬢様……」


 立ち塞がった奴が鞘から剣を抜く。ギラリと陽光を照り返す切っ先に、サラが堪らず声を上げた。

 無理もない。辺境にあるエスピネル領の出身とはいえ魔族との戦いを目の当たりにしたこともない世代だ。武器などを間近に見たとしても、それはあくまで「もの」として見ただけにすぎない。こんな風に自分達へ敵意を持って向けられるのは初めてのことだろう。


「サラ、下がってなさい」


 私は荷台に侍女を押し込めた。

 御者台に立ち上がり、取り囲んでくる者たちを睨みつける。武装した集団はそれぞれ剣を抜き、構えたままじりじりと近づいてきた。やけに様になっているその構えは、皇都の武官が初めに教わる基本的な型の一つだ。

 野盗の類じゃない、と気が付くと同時にピンときた。


「あんたたち、あのポンコツの私兵ね……?」


 私の言葉に黒頭巾の一人の足が止まる。当たりということだろう。

 なんて小さい男。

 盛大にため息をついて見せると、馬車を取り囲んでいた集団の輪がぎゅっと縮まる。

 ざっと数えて帯剣してるのが二十人。舐められたものだ。怒り狂って私兵を派遣したであろう皇太子の顔を思い出すと、ふつふつと血が沸いてくる。


「あのポンコツから何も聞いてないの? 白昼堂々、魔族の血を引くエスピネルの者を倒そうって? 本格的に我が家と決別するつもり?」

「皇国に仇なす者には死を」

「あ、そう。じゃあ、全員まとめてかかってきなさい。返り討ちにしてやるわ!」


 そう叫ぶと同時に視界がまばゆく輝き赤く染まった。伸ばした腕を一閃すると、突風が起こり黒頭巾を切り裂く。はらはらと風に舞う黒い布が地に落ちる前に、私の足が御者台を蹴った。


「打ち取れ!」


 おお、と気合の声が上がる。剣を振りかぶった男が突進してくるのを目の端にとらえると、私は左腕でその剣先を弾いた。驚くほど軽々しい音をたてて刀身が割れ、驚愕に目を見開いた男が突進の勢いそのままに突っ込んでくる。

 がら空きの首に手刀を叩きこんでそいつを倒すと、次は三人同時の突きがやってきた。

 こっちは丸腰だっていうのに。

 姿勢を低くして横に飛びそれを避けると、動いた先で今度は上からこん棒のようなものが振り下ろされた。反動を付けてやってくる重量物の根元を狙って横薙ぎに腕を振り、地面をゴロゴロと転がりながら目の前にある足を蹴りつける。靴越しにつま先が当たると、こん棒の奴の足は小枝のようにぼきぼきと音をたてて態勢を崩していった。

 悲鳴を上げてのたうち回る男の胴を仲間のほうへと蹴っ飛ばしてやると、ぐえっと変な声を上げてそれは動かなくなった。

 死んだか、それとも気を失ったか。そんなことはどうでもいい。驚くべきは自分の身のこなしだ。

 常人より発達した筋力を抑えながら生活していたとはいえ、今までの私は戦い方などほとんど教わっていなかった。淑女としての身のこなしは叩き込まれたけれど、戦いには不向きな、形式的な動きである。

 それが今、剣を持った男を複数人相手取って戦えている。なぜか相手の動きがとてもゆっくりに見えるのだ。これが解放された魔力のなせる業なのか、それとも封印が解けたことによる戦闘能力の向上の賜物なのかは分からない。ただとても体が軽かった。


「丸腰の女相手に、情けないな」


 大声で煽ってやると、最初に黒頭巾がはがれた男が剣を大上段に振りかぶって襲い掛かってくる。訓練されたその動きは、普通に考えればとても速い攻撃となるだろう。そして普通の娘であれば、彼が剣を振り下ろせば頭と胴が切り離されていたことだろう。

 しかし今の私にはその動きがはっきりと見え、わずかな体捌きでかわすことができるのだ。

 体を半身にして剣の軌道から避け、同時に膝を男の腹にめり込ませる。剣を持ったまま、男はもんどりうって倒れこんだ。私はその男の体を持ち上げ、ぼろきれのごとくぶんぶんと振り回す。うわあと情けない声が上がるが、お構いなしにそれを街道の端っこに向かってぶん投げた。

 宙に放られた男の体は近くに立っていた二人も巻き込み、街道沿いの大木にぶつかって動かなくなる。――これで四人。いや、五人か。

 この分なら楽々制圧できそうだ、と思った時だ。男の一人が馬車に駆け寄るのが見えた。

 がばっと幌をめくり、中に向かって剣を突き出そうとしている。絹を切り裂くようなサラの悲鳴が上がった。


「サラ!」


 咄嗟に手を伸ばして叫んだ。ぶつりと頭のなかで糸が切れる音がすると、視界がさっきの比ではないくらいに、白く、まばゆい閃光に包まれた。

 次の瞬間、耳をつんざく轟音が鳴り響く。音とほぼ同時に地面が小刻みに揺れ、辺りの木々が縦に裂けて炎を上げた。

 何が起こったのかわからない。けれど光によって視界が遮られた私は、背に圧し掛かるようなすさまじい倦怠感に膝を折った。至近距離で喰らった轟音のせいで耳もおかしい。

 眩んだ目が徐々に回復していくと、まるで様変わりした辺りの様子が目に飛び込んできた。


「……なに、これ……?」


 街道沿いの木の幹は私を中心に軒並み裂けて黒煙を上げており、その下では黒頭巾の男たちが倒れていたのだ。

 幌がかかった馬車の荷台は無事なようだったが、繋がれた馬はかわいそうに横に倒れてしまっていた。


「サ、サラ……」


 声をあげるのさえ辛い。私は地面に両膝をついた。

 戦っていた時はあれほど軽く感じた体が嘘のように重かった。まるで泥の中で動いているようなそんな気さえする。

 とにかくサラの無事を確認しなくてはいけない。しかしそう思い地に這いつくばりながら馬車へ近づこうとすると、幌の向こうからゆらりと立ち上がった影が目にはいった。

 さっき荷台に向かって剣を突き出そうとしていた男だ。着ていた衣類は焼けて燻ぶり、あらわになった皮膚も黒く爛れている。

 ふらふらになりながらもそいつは剣を握り直し、動きが鈍くなった私に近づいてくる。


「こ、この……バケモノ……」


 血走った目がぎらぎらとこちらを睨んでいた。殺気をみなぎらせたその視線に、戦わなくてはと四肢に力を籠める。が、次第に意識が朦朧としてくるのが分かった。

 だめだ、起きろ、戦え。

 頭の中で自分を怒鳴りつけるけれど、猛烈な眠気がそれを阻害する。今眠ってしまうわけにはいかないし、何故この状況で眠くなるのか意味が分からない。寝たら死ぬ。そう思っているのに動くことができない。

 くそう、と私は震える唇で呟いた。

 できればサラだけは逃がしてやりたい。しかしそれも叶わないかもしれない。私の体は地面に崩れ落ちた。

 遠くでリカルドが私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。「ダナ」というそれは幻聴だろう。睡魔に襲われ霞がかかった視界に、馬に乗ったリカルドの姿が浮かぶ。

 ああ、と私は息を吐いた。これが俗にいう走馬灯ってやつか。この期に及んで現れるのが、つい数時間前まで婚約していたグラシアーノ皇太子ではなくリカルドだというのが面白い。それだけあいつの求婚の言葉が心に残ったということなんだろうか。

 そういやリカルドって公爵様の教育方針のおかげで、皇国正規軍の必修になってる剣技のマスターだったなぁ。護衛としてでも付いて来てもらえばよかったかなぁ。でも、ここにいたら黒焦げになってたかもしれないし、それはかわいそうかもな。

 そんなとりとめのない考えが、一瞬のうちに浮かんで消えていく。

 そして。


「ダナ!」


 やけにはっきり聞こえる幻聴を最後に、私は目を閉じ意識を失ったのだった。


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