覚醒の祝宴①
閉じた瞼の裏に見えるのは、紅蓮の炎に煽られ舞い上がる赤い髪。耳にこだまするのは薪の爆ぜる音と、打ち鳴らされる金属の音。
刑場には大勢の観衆が押し寄せているというのに、人々の声はまるで聞こえない。私の断末魔の叫びを聞き逃さぬようにと、息を潜めているのだろう。
熱風にまかれ呼吸もままならず天を仰ぐと、雷が空を切り裂いた。
おばあさま、と叫ぶ私の声は地の底へと引きずり込まれる。
――ダナ、お前の無念を晴らすがよい。
身体の内から響く声に意識を向ければ、奥底にぎらりと光る金色の瞳が見え体全体が浮遊感に包まれた。その瞬間、あたりは漆黒の闇に包まれ私の意識は途切れたのだった。
★ ★ ★
「ダナ・カリナ・エスピネル男爵令嬢。貴様との婚約は破棄する。明日付で国外追放の命令を出そう」
居丈高な物言いを恥ずかしげもなくできるのは、その身分故か、それとも生来の性質か。あるいは隣に立つ女の魔性によるものか。
私は目を開けると、一段高い檀上にふんぞり返っている一組の男女を見やった。
緩く波打つ金色の長い髪を束ねた男の方はこの国の皇太子、グラシアーノ。生まれて間もない頃に決められた私の婚約者であり、同級生であり、そしてベルガンサ皇国の最高教育機関であるバルカルセ学院の生徒総代である。学院の制服を着てはいるものの、肩からは皇太子であることを表す青いサッシュを下げている。
その隣で怯えたような顔をして皇太子に寄り添っているのが、アリシア・カルリエド? だったかな? 黒く艶のある黒髪と、象牙のような色の肌を持った外国人だ。制服のスカートが規定より膨らんでいるように見えるのは、きっと余分にパニエを仕込んでいるからだろう。
私の婚約者がなぜ檀上で別の女と並んで立ち、私との婚約破棄を宣言しているのかって?
そりゃあ、あのアリシアの策略がうまくいったからってことでしょ。
表向き心細げにはしているけれど、口の端がわずかに吊り上がっていて内心の喜びが隠しきれていない。
あんな浅はかな性悪に騙されるなんて二十歳を迎えたというのに皇太子もとんだポンコツだ。
しかも今日は学院の、私たちの卒業式である。学院長からの祝辞を頂き、グラシアーノがそれに対する答辞を述べるために檀上に上がったかと思えば、その場にアリシアを呼び寄せてこの茶番劇をおっぱじめた。度し難い馬鹿だ。――と、今なら思える。
なぜ今ならそう思えるか。
私、ダナ・カリナ・エスピネルは現在二度目の人生をやり直している真っ最中らしいからだ。
前回の私は皇太子の宣言と周囲の視線を受け無様に狼狽え、皇太子とアリシアの思惑通り国外追放された挙句に処刑されてしまった。
一度は愛そうとした相手から見捨てられた絶望、どれほど無罪を訴えようと聞き入れてもらえなかった無念、国賊として裁判も受けさせてもらえないまま火あぶりにされた屈辱。
男爵家に生まれた聖女として散々その血の力を利用され、挙句に処刑された無残な記憶のすべてが蘇ったのは今朝方のことだった。
曾祖母から受け継いだ血による予見の夢だったのかと思ったが違う。すさまじいほどの臨場感に胸を押さえて起き上がったとき、シーツに広がった自分の赤い髪の毛先が焦げていることに気が付いたからだ。
悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。喉の奥からせり上がってくるものを必死に飲み込み事態を整理できたのは、卒業式も間近な昼頃だった。
記憶を辿れば卒業式の最中に一波乱あったことが思い出される。前回はやむを得ずそれを受け入れてしまったことで、処刑までのルートがつながってしまった。なぜ諾々と従ってしまったのか、前世の自分を問い詰めてやりたかった。
愛そうとした相手からの急な裏切りで混乱していたとはいえ、本来であれば皇帝陛下の裁可もない宣言になんの効力もなく、「聖女」の地位を持つ私がそんな無駄な宣言に従う必要などなかったのに。
しかし今さらそんなことを言っても仕方ない。まずは卒業式で披露される茶番劇をひっくり返すことが先決である。ついでに煮え湯を飲まされた仕返しもしなくては。
そう心に誓った私は、にこにこと身支度を手伝ってくれたサラに荷物をまとめるよう言いつけて学院の講堂へとやってきたのである。
「はるばる異国から留学してきたアリシアに対する嫌がらせの数々、文明国と名高い我が国の品位を貶める蛮行と言える。ダナ、いくら聖女と崇め奉られようとも、お前のような下劣な女を将来の皇后にするわけにはいかない」
名指しされた私の周りからは、波が退くようにさあっと人が居なくなった。在校生、卒業生から様々な思惑が入り混じった視線が集まっているのが分かる。式が始まる直前まで私と談笑していたご令嬢たちまで、ささっと人の影に隠れているではないか。
なるほど、皇太子殿下の不興を買いたくないということか。いや、手で口元を隠しているけれど、目つきのとげとげしさから言って本性が現れたってとこかもしれない。ざわめきの中に、いくつか気になる単語が聞こえる。
――魔族の末だから。
――魔族の血が流れているから。
――人のなりをしていても結局は魔族。殿下のお相手にはふさわしくない。
各人は小声のつもりだろう。しかし常人よりわずかに優れた聴覚を持つ私にとっては、誰が口にしているか特定するくらい簡単だった。
コルデーロ伯爵令嬢を筆頭にあとはエスカルパ男爵令嬢、おや、ビダル侯爵の令嬢もか。彼女たちをエスコートしているどこぞの伯爵家の坊たちも、それに頷いているのが見えた。
学園生活ではそこそこ交流があった相手だけれど、裏に回れば私のことをそう蔑んでいたのか。そこをアリシアに抱き込まれたってところらしい。
魔族、ねえ。
私は頬に手を当てた。それはこの国の「聖女」の加護を否定することに繋がるということに、誰も気が付いていないのがおかしかった。
確かに私の曾祖母は隣国ウルキアガ王国出身の大魔族だ。だから私が魔族の血を持っているのは間違っちゃいないけど、それがわざわざ人間の国の男爵家へ輿入れした経緯を知らないわけじゃあるまいに。さてはあいつら、歴史の授業は居眠りでもしていたな。
私は恭しく制服のスカートをつまみ、膝を軽く曲げた。ドレスではないから少し格好がつかないけど。
しおらしく受諾したように見えたのだろう。ふ、と檀上の男の口もとから笑いが漏れる。けれど、そうそう簡単にそれを受け入れるわけにはいかない。
「身に覚えがございません、殿下」
すっくと立ちあがって真向から否定すると、皇太子の顔が真っ赤になった。
「この期に及んで見苦しいぞ! お前がアリシアに対してやったことは全部分かってるんだ」
「殿下、殿下、もう大丈夫です。良いのです、きっとダナ様にも何かご事情があったのです……」
こちらを責めながら、皇太子は隣に立つアリシアを強く抱き寄せた。黒髪の少女は皇太子の胸にすがりながら哀願するような目で彼の顔を見上げている。口ではなにやら皇太子を止めようとしているようだが、うっすら涙を浮かべてあのようなことを言えば男はますます燃え上がるだろう。
「何の罪もないアリシアにこのようなことを言わせるとは!」
ほら見ろ。ポンコツはすぐ乗せられる。その目で横の少女の顔をよく見れば、口元が綻んでいることが分かるだろうに。
しかし皇太子は頼られる自分にすっかり酔いしれている。残念過ぎるその姿に、私は大きくため息をついて見せた。
「全部、とおっしゃられても。私はアリシア様とはほとんど口も利いたことがないのですが」
「外国から来た留学生で心細い思いをしているアリシアに対して、取り巻き連中を扇動して孤立させたということだろう」
「いえ、ご挨拶がなかったので」
「挨拶?」
「大変失礼ですが、アリシア様のご身分は外国人留学生。爵位はないと伺っております。そうなると、一応は男爵という爵位を持つ家の私がアリシア様からご挨拶を受けなければお声がけすることもできない決まりでは?」
しれっと言ってやると皇太子の顔がさらに赤くなった。周りを取り囲んでいる連中からも、ああと得心したような声が上がる。
ベルガンサ皇国は皇帝を戴く国である。国内では貴族、平民、移民など区分が定められており、貴族においても爵位によって緩めではあるが身分が分けられている。
通常であれば挨拶などお互いにかわすものだが、何故か初対面の際だけは身分が下の者から儀礼に則った挨拶をし、上位の者がそれを受けることで会話が許可されるという慣習があった。
「そこは臨機応変にするべきだろう! 融通が利かない石頭め!」
「学院の中ですから慣習は不問にするべきと申し上げた際に、それはならんとおっしゃったのをお忘れですか? 入学直後に伯爵家のご子息からのご挨拶がなかったといって、いつまでも無視をされていたのはどこのどなた様でしょう」
「は? なんだそれは、誰の事――」
「ご自身でおっしゃったことですよ」
人のことを石頭と言うが、お前は鶏頭か。
自分が言ったことを本当に覚えていないようで、首を傾げた皇太子に私は追い打ちをかけた。