怒りをぶつけたがる人々
最近、自分は『誰かに怒りをぶつけたがっている人間』なのだと、そう悟る事ができたので、それについて話そうと思う。
例えば序列の厳しい部活においては、上級生が下級生をいたぶる事がままあるそうな。そしてその下級生が上級生になると、いたぶられた鬱憤をぶつけるかのように、これまた自分の下級生をいじめだす。『俺達が味わった苦しみを、お前達も味わえ』と言わんがばかりに。
さてみなさんは、こっぴどく叱られ、怒りをぶつけられた経験があるだろうか? 正論で殴られ、徹底的に凹まされた経験があるだろうか? そして、ひょっとしたらその事が、心の中にしこりとして残ってはいないだろうか?
僕は長年不思議だった。部屋に一人でいる時、どこからともなく怒りがこみあげて来ることに、そしてそれを誰かにぶつけたいと、そんな欲望がある事に。
今考えてみれば、これは簡単な事だった。『あの時怒られて、俺がどんなに怖かったか、お前達にも思い知らせてやりたい』と、そんな欲望が知らず知らずのうちに、心の中に根付いていたのだ。
そして、娯楽作品の中には、そんな僕の欲望を叶えるシーンに溢れていた。悪人を言い逃れを許さぬまで論破し、怒りをぶつけてスカッとするシーンが、頻繁にあった。退屈する間もないくらいに、敷き詰められていた。どうりで、そんな娯楽作品が大好きだった訳だと、今更納得した。
しかし分かってしまった以上、この悪癖は棄ててしまうべきだろう。怒らずとも優しく諭す事だってできるし、その方がお互い傷つかない。それに、現実に悪に怒りをぶつけようにも、相手だって自分が叱られる側になりたくないもんだから、自分が悪くともあれやこれやと言い訳をする。ディベートなどという、どっちが悪くても論破されない技術もあるし、国会中継などはそんなやりとりの連続で溢れている。うんざりだろう、もうこんなのは。
『俺達が味わった苦しみを、お前達も味わえ』などという狭い料簡はきっぱりと捨てて、『俺の味わった苦しみを、わざわざ他人に味わわせる事はない』と改めるが、建設的というものだ。無理に怒りをぶつけようとして、上級生のいじめが暴露された部活のような目に遭うのも、僕は御免である。