異端の少女と罪の家 1-2
「はぁ……」
締め切った部屋の中、少女がため息をつく。
今まで渋られつつも、少しずつ教えて貰っていたこの家の歴史は、今日をもって時系列が現実に追いついた。
大戦前のこの家の在り方、戦中に利権を失った後の所業……
貴族達が急降下する家を建て直すために動き回る中、エタンダール家は商売に賭ける事で起死回生を図った家の一つだった。
しかし、戦後復興の時期に売れるものなど建材や燃料、一般市場では生活必需品か家具ばかり。そこには勿論既存の市場が存在する訳で、提携できる会社もないエタンダール家は門前払いを食らう羽目になった。
結局、邸と多少の金品以外を失い、どん底に落ちたこの家が手を伸ばしたのは、麻薬。
菓子に偽装したそれを流通させ、離れる事のできない顧客を手に入れてそれなりの利益を得た今代当主は、戦前から存在していた自前の武装組織を再編成する事に成功した。
そこからは言わずもがな、社会の裏側で生きるマフィアと化したこの家に近づく者など居なくなったという訳だ。
でも。それでも、私は私が歩きたいと思う道に進みたい。それがリリアの意思だ。
だから、ギルバートにもお願いをしているし、邸では比較的中立な立場で居てくれるエレフィにはなるべく普通に接している。
「他の皆とも仲良くなれたら一番いいんだけどな……」
壁を作られたから、距離を取られたから、一度はそれに応じて距離を保ったのはリリア自身の選択でもあったのはわかっている。それでも……
「ギルさんにもお願いしたんだし、私も動かないと」
かくして、夜は更ける。
使用人達が邸を離れたのを確認したリリアは、行動を開始した。行動とは言っても大したものではないが、基本的に部屋に閉じ籠っているリリアには少し胸の躍る冒険なのは間違いない。
使用人達は仕事を終えたら、翌朝まで邸に戻る事はない。両親も、リリアの部屋がある西棟に近づく事はない。そうわかっていても、リリアの心拍は上がったまま下がらなかった。
久しく感じる事のなかった胸の高鳴りと悪戯をするような緊張感の中、壁伝いに暗い廊下を歩き、恐る恐る階段を降りる。普段は片目でしか動けないが、夜ならば羞明の影響を受けにくく両目を開けて歩けるため、目的地までは特に不具合なく辿り着くことができた。
そこには簡易的な間口。扉などついておらず、その奥には煉瓦製の調理台と木製のテーブル、昔ながらの石窯が並んでいた。この調理場こそが、リリアの目的地であった。
「まずは、ギルさんが教えてくれた道具を探して……」
リリアは誰も居ないとわかりつつも、そろそろと厨房に入る。
「おそようございます」
背後から抑揚のない声が聞こえたのは、窓のある廊下と違い真っ暗な厨房では流石に明かりが必要だと、電灯のスイッチを探していたその時だった。
ふいにかけられた声に、白髪の侵入者の体が跳ね上がった。
振り返ろうとした脚はもつれ、そのままバランスを崩したリリアはなす術もなく床に身体を叩きつけた。見事な転びっぷりに呆れたのか、ため息が聞こえる。
「まったく、こんな時間に何をしているんですか」
聞き慣れた声。しかし普段では聞かないような、少し柔らかな声音。声の主はそのまま近づいて来ると、倒れた姿勢のままのリリアを抱き起こした。
「……エレフィ?なんで?」
「ギルバートさんとの話、私も聞いていたのをお忘れで?」
一応同じ部屋に居たでしょうに、と続ける彼女に、リリアを咎める様子はなかった。
「お嬢様一人では何もできないでしょう。私が手伝うので学んでください」
「いいの?」
「何がですか?」
「その……エレフィも、この家がやった事の被害者なんでしょ?」
「そうなりますね。私はこの家の事は嫌いです」
リリアは寝間着の裾をぎゅっと握りしめる。理解はしていても、きっぱりと言われると傷つくものだ。
「しかし、貴方は悪いことはしていないでしょう?」
「でも……」
不意に、頭に手が乗せられた。リリアが反応できずにいると、エレフィは彼女の髪を優しく撫でる。突然撫でられた事に混乱しつつもどこか落ち着く心地良さに身を任せていると、エレフィはリリアを優しく抱きしめた。しかし、その手はリリアの服を強く握りしめ、微かに震えていた。
「貴方が”悪い人”ではない事は理解しております。ただ、それだけでは納得できない感情もある事はご理解ください」
「……ありがとう」
「礼には及びません。普段のお詫びでもありますから」
「それでも、ありがとう。言葉を交わしてくれる、これだけでも違うものよ?」
エレフィが少し離れたのを感じて顔を上げると、エレフィは微笑んでいた。初めて見るエレフィの笑顔は穏やかで、まるで妹を微笑ましく見つめる姉のように感じられた。
「笑ってるエレフィ、初めて見た」
「そうでしたか?」
「だって、いつもはツンとしてるじゃない」
「無愛想なのは素ですので、ご容赦ください」
エレフィはわざとらしく無愛想な態度を取り直す。
「もう。エレフィが取りたい態度でいいよ」
「では、お言葉に甘えてそうさせて頂きます。明かりをつけますね」
「ありがとう。いいよ」
エレフィはリリアが左目を閉じるのを確認してから、電灯のスイッチを押した。
正常な右目は問題ないものの、左目を開けた状態で明かりをつけると眩しすぎてまともに目を開けられないのだ。エレフィはそのあたりをよく理解してくれているので、普段もこうやって確認をしてくれる。こういった気遣いをしてくれる事が、リリアがエレフィに対して普通に接する事を後押ししたのだ。
こうやって少しずつでも、人との信頼を築ければいい。いつか辿り着きたい未来のために。
私のやる事は決して悪いことではない。正しいかはわからなくても、私がやりたいと思った事で信頼を重ねていきたい。そう思う心をエレフィが肯定してくれたようで、一つ支えを得たリリアは明るくなった厨房を見渡した。
照明としてはやや頼りない電灯によって、暗がりではぼんやりとしか見えなかった空間の全貌が見える。程々に掃除の行き届いて居ない設備類、突貫工事でつけたような電灯、壁を這う後付けの電線。これらと古い煉瓦造りの壁が絶妙に組み合わさって、とても雑然とした印象だ。それでも、道具の類いはしっかりと片付けてあるあたり、一応彼らは適当仕事をしている訳ではない事が察せられた。
「ここを見ると、この建物が古い事を再認識するわね」
「新しく建てる余裕なんてなかったんでしょう」
言外に「没落貴族」とでも言いたげなエレフィに、リリアは苦笑いする。
「間違いないわね」
とはいえ、リリアにもそれを否定する意思はない。
こんな軽口を叩くのはいつぶりだろうか。リリアはそんな事を考えつつも、「さ、始めましょうか」と差し出されたエレフィの手を握った。
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今回から話が進み始めます。
次の話もそれなりに書いてあるので、また1~2ヶ月後程度を目安に投稿できればなと。