09
学生編はこれでおしまい。
次回からは社会人編がスタートします。
私が何をしようとしまいと、時間というものは決して留まることなく流れ続ける。歳を重ねれば重ねるほど、気付けは一年なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。
人気ロックバンド『infinity』がメジャーデビューを目前に控えて電撃解散を発表してから早五年。もはや彼らの名前を口にしたところで今の若い子たちには通じないだろう。いや、ある人物のファンには「あぁあのバンドね」と通じるかもしれない。
バンド解散後、ボーカルの恭介は移籍予定だった大手レーベルにそのまま移籍し、現在はソロとして活動している。新曲を発表するごとにハイレベルな楽曲とそれを歌いこなす抜群の歌唱力で一躍有名となり、彼のファンの間では以前の所属バンドの名前として知られている。
ベースの拓也とドラムの智については詳しく知らないが、彼らもまたレーベルに所属しそれぞれアーティスト活動をしているらしい。たまに恭介のライブでバンドメンバーとして参加していると風の噂で聞いたが私自身がこの目で見たことはなかった。
しかし当時リーダーだったショウの名前はどこにも見つけることができない。大好きだった彼の音楽は今やインディーズ時代のCDの中でしか流れず、私の家のラックに並んだまま静かに眠り続けていた。
バンドが解散してから一体どこで何をしているのか、彼の居場所だけが黒く塗りつぶされたままだった。
「ったく、最悪……っ!」
ある日の帰り道、私はヒールを乱暴に鳴らして人波を縫うように街中を歩いていた。
嫌な日だった。会社の同僚の結婚報告を聞いたまではよかったが、嫌味な上司が「同期で結婚してないの君だけだよね。そういう予定ないの?」とニヤニヤ顔で尋ねてきたのだ。うるさい、余計なお世話だ。
同期はこれでみんな結婚する。三十歳を越えて未だ恋人もおらず仕事に明け暮れる娘に、実家の母親もため息交じりに「あんたもそろそろ見合いする?」なんて言い出した。余計なお世話だし、見合いなんて真っ平ごめんである。
恋人なんていらない。仕事が忙しくてきっと構っていられないし、そもそも鬱陶しいと感じてしまうだろう。適度な距離で付き合える人なんて私は知らなかった。
たった一人を除いて。
「……だめだ。気分転換しよう」
脳裏を過ぎった顔をかき消して、私は駅の改札とは反対に足を向けた。向かう先は駅直結のビル内にあるCDショップだ。こういう時は何か新しい曲でも聴いて気分を変えるのが良い。家に帰ってずっとローテーションで流しているジャズもそろそろ飽きてきたし、新しいCDを買おう。
エスカレーターをとんとんと上がってお目当てのCDショップに入ると、急に懐かしさが胸を占めた。
ずらりと並ぶCDケースに、ヘッドホンが無造作にかけられた視聴機、新譜の宣伝にでかでかと張られたポスターや、スタッフおすすめアーティストを宣伝する熱の入った手書きのポップが躍る。店頭サンプルで流れる曲と新譜コーナーでリピート再生されるPVの音が混ざり合う空間は、大学時代の楽しかったあの頃を思い出させた。
私もよくこんなポップ書いたなー。
なんて装飾された文字やイラストが所狭しと書かれたポップを横目に、ジャズ・ヒーリングコーナーに足を向ける。どれが良いだろう。もういっそのことヒーリング一択で環境音のCDにでもしてみようか。波の音を聞きながらゆっくり眠るのもリラックスできていいかもしれない。
なんて、コーナーをふらりふらりと歩いていた時だった。
「……え?」
不意に耳に届いたメロディに、間抜けな声が零れ落ちる。
刻むビート、特徴的で挑戦的なメロディ、先ほどまでとは違った強烈な既視感に襲われ足元がくらりと揺らいだ。
何、これ。
既視感の正体は店内スピーカーから流れてくる曲だった。店頭サンプルとして新譜を店全体に流しているのだ。どくりどくりと心臓が嫌な音を立て、無意識に胸のあたりをぎゅっと押さえながら私はレジに足を向ける。
レジ横にちょこんと置いてある「店頭サンプルはこちら」のポップの下に、現在流れているCDがプラスチックの写真立てに立てかけられていた。そのCDを手に取り、ゆっくりと裏返す。
聞いたことのないアーティストだ。その場でスマホで検索すると今月デビューの新人ロックバンドだということがわかった。所属先は……あのinfinityの元ボーカルである恭介と同じ大手レーベルだ。
もっとほかに情報はないのかと紹介サイトをスクロールするが、公表されているメンバー紹介からは欲しい情報はまるでなかった。
勘違いだろうか。それにしては恐ろしいほどによく似ている。
「ショウくん……?」
新人バンドのデビュー曲は、五年前まで何度も何度も聴いたショウくんの作る曲に不気味なほどそっくりだった。
翌月、例のバンドのライブイベントがあるという情報を見つけた私は、気付けばイベントチケットを購入して会場を訪れていた。
メジャーデビューしたばかりのバンドとはいえ、小さなライブハウスを貸し切ってのイベントは些かスケールが小さすぎはしないだろうか。疑問に思いながらも、私はそのライブハウスの入口がある地下へと階段を下りていく。
いつかの私が白い兎を追いかけるかのように心を躍らせて降りた階段にどこか似ていると思ったのは気のせいだろうか。そういえばあの思い出のライブハウスは数年前に閉店して、今ではお洒落なバーに変わっているらしい。いや、今は考えるのをやめておこうと、頭の隅に追いやった。
ところ狭しと人がひしめくフロアに懐かしさを覚え、その時をじっと待つ。耳元に心臓があるのではないかと思うほどに自分の心音がうるさい。
満を持して彼らがステージに上がる。途端に歓声が上がり、ステージライトが彼らを煌々と照らした。
五年前の、決して戻ることはできないあの日々が不意に蘇り、私は自然とボーカルではなくギターに目を向けていた。
想像した彼とは似ても似つかないギタリストにどこか安心した自分がいたが、その反面予想が外れたことにほんの少しがっかりとしたことに思わず愕然とする。そうだ、メンバーは確か全員二十代前半の若者だったはず。彼であるわけがない。そうわかっていたはずなのに、無意識に彼を探していた。
なんて自分勝手なんだろう。
自嘲を含んで吐き出した息が、演奏が始まった瞬間に詰まる。
店頭で聞いたイントロ以上の衝撃を受けたのは、ギタリストの弾き方が誰かにそっくりだったから。奏でるメロディが誰かの曲とよく似ていたから。
聞き間違えるはずがない。この曲は……ショウの作る曲によく似ている。
気付いてしまったその瞬間、私は弾かれたように踵を返し、迷惑そうな顔をする観客を押しのけて出口を目指した。
とても聴いてなどいられなかった。曲が五年前の自分を責めたてるように聞こえた。どうして、どうして。
人の波を何とか泳ぎきって、縺れる足を叱咤して出口から地上を目指す。はやく、はやく現実に戻らないと。過去の後悔に囚われるその前に。
その時、出入り口から入ってきたスーツ姿の男性と肩がぶつかった。
ふらりと後ろに傾いた体を引き戻すように、大きな手が私の腕を掴んで引き寄せる。とん、と軽い衝撃と共に彼の胸に体を預ける形となったその瞬間、ふわりと甘く懐かしい香りが鼻腔を過った。
「す、すみませ……」
咄嗟に謝罪し、足元ばかり見ていた顔を上げる。
眼鏡のレンズ越しに凪いだ静かな瞳と視線が絡み合った。
「ショウ、くん……?」
「……久しぶりだな」
ふつりと途切れたはずのCDは人知れず時を刻み続け。
五年の空白のあと、誰も知らない曲が再び音を奏ではじめる。
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