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今回もショウ目線です。
初めてのミニアルバムは恭介の急な思いつきのせいでとにかく急拵えだった。
メンバーで手分けして焼いたCD-Rに、ひどく簡素なジャケット。クリスマスライブ二週間前の、本当に唐突で気まぐれな思いつきだったせいで枚数だってろくに用意できなかった。むしろなんとか形になって受付に並んだことが奇跡と言えるほどだ。ほぼ全員が徹夜だったのは言うまでもない。
それでも初めてそれを手にした彼女は、まるで大切な宝物を手にした少女のように顔を綻ばせて喜んだらしい。少し早めのクリスマスプレゼントをもらったようなものだと、今にも泣き出してしまいそうな声で言っていたとあとからメンバーに聞いて、申し訳ない気持ちが半分と、何とも言えない高揚感が胸を占めた。
レコーディング技術だってお粗末で、ほんの数十枚しか存在しない拙いそれ。しかし大切な思い出がつまった特別な一枚。だから俺たちは最後の最後にリメイク盤を作ってばら撒いた。そしてそのうちの一枚を丁寧に丁寧に封をして彼女の元へと送った。
他にはない曲が一曲だけ紛れて収録されている、この世でたった一人彼女のためだけの特別な一枚。
ひっそりと、とあるバラード曲の後ろに隠したその曲。想いを託した名もない唄に気付くことを祈って。
◆◆◆◆◆
「今日も来ると良いな、『赤頭巾ちゃん』」
ライブ当日、リハーサルを終えて控え室に戻ってくると恭介が楽しそうな声音でそう投げかけてきた。そのネタで俺をからかおうとしているのは明白で、思わず眉間に皺が寄るのがわかった。
「急に何だ」
「別にー? ただ今日は新曲もあるし、初ライブから欠かさずずーっと応援してくれてる赤頭巾ちゃんにもぜひ聞いて欲しいなーって思っただけだぜ?」
「何せバンド初のバラードだもんな。ショウも結構力入れて作ってたろ? そりゃ赤頭巾ちゃんに聞いて欲しいよな?」
恭介に加えてベースの拓也までにやにやと気色悪い笑みを浮かべながら混ざってくる。その後ろでは会話に加わる素振りはないが、まるで微笑ましいものでも見るかのような目でこちらを見つめるドラムの智と目が合った。妙に苛立ちを覚える。
「勢いのある曲は収録でなければある程度その場のノリで誤魔化しが利くが、バラードはそうもいかない。客にじっくり聴かせるためにはボーカルの歌唱力はもちろん、俺たちもそれ相応の演奏レベルを求められる。今までの曲も手を抜いていたつもりはないが、力が入るのは当然だろう?」
「お前相変わらず可愛くねぇな」
「いやまぁ正論なんだけど。ほら、もうちょっとこう、あるだろ?」
「何がだ」
「これだよ! わざとなの? 天然なの?!」
本番前の高揚からか、いつもよりもやけに騒ぐ拓也の声が耳に突き刺さる。俺よりも二つほど年上だが、こうして騒いでいる姿は到底年上には見えない。ため息を一つ吐き出して、それ以上構うことなく新しいフライヤーを並べていると、恭介が強引に引き戻すように肩を組んできた。こいつは一度絡み出すとしばらくしつこい。こういう突然で強引なスキンシップも想定内でよろめくことはなかったが、面倒事の予感に少しうんざりした。
「恭介」
「お前が赤頭巾ちゃんに惚れてんのはメンバー全員知ってるんだ、今更隠すことないだろ?」
「またその話か」
「違うってか?」
「最初からそう言っているだろう」
やっぱりその話か、と俺はまた一つため息をつく。
彼らの言う『赤頭巾』とは、昨年の夏に行った初ライブの時に出会った女性のことだ。美咲という名であることを知ったのは、それから四ヵ月後のクリスマスライブでのことである。そして年下だとばかり思っていた彼女が俺より一つ年上である事実もその時初めて知った。だが年上とはいえ、こういった場にはあまり慣れていないであろう彼女が小動物のようにおろおろとしているのを見ると、そのうち本当にろくでもない狼に食われるのではないかと内心ハラハラして気が気じゃなくて、つい意識はそちらを向いてしまう。そんな俺の視線の先にメンバーが気づくのはすぐのことだった。
『ショウ、あの子誰?』
『赤頭巾』
尋ねられ、考えるよりも早くそう答えていた自分を今思い出すだけでも頭が痛い。以来彼女のあだ名が赤頭巾になってしまったのだから、さらに彼女に対して申し訳なさがこみ上げる。
とにかく、それ以来やたらとこいつらは俺が彼女に気があるのだと勘繰っているのだ。勘違いもはなはだしい。気があるのではなく、心配で気が気じゃないだけだ。それはやけに警戒心の薄い妹を心配する兄貴の心境に非常によく似ている。
なんてぼんやりと思案していると、ふと肩を組む恭介がにんまりと笑った。
「じゃあ俺がもらって良い?」
「猟師にうっかり殺されないように気をつけろよ」
「それってお前のこと?」
「さぁな」
なんて濁したが、本当のところはどうだろうか。じっと恭介を凝視して考える。
こいつが彼女を頭から丸呑みしたとして、俺は果たして恭介の腹を割き、石をつめ、暗く深い井戸へと突き落とすだろうか。考えて、考えて……やめた。そもそもこいつが関わればろくなことにはならない。なら下手な接触は今後も避け続けるべきだろう。
接触を避けるとは、彼女と恭介のことか。それとも彼女と俺のことか。いや馬鹿なことを考えた。そもそも俺と彼女の間には挨拶を交わす程度の接触しかないのだから。
「……恭介」
「ん?」
「彼女のこと、間違っても本人の前でそう呼ぶなよ?」
「いや気にするとこ、そこなのかよ」
ようやく気が済んだのか、それとも思い通りの受け答えをわざとしない俺に諦めたのか。つまらないとでも言いたげな表情であっさりと離れていく。気まぐれな恭介の態度に拓也も智も苦笑していたが、その彼らもこの話題に乗ったのを俺は忘れていはいない。せめて意趣返しくらいは良いだろうと先ほどのリハでの問題点を強めに指摘してやれば、面白いほどに顔を引きつらせ何度も頷くのだった。
その日、開場時間となって友人と顔を出した彼女に誰よりも早く気付いた恭介が「赤頭巾ちゃん」と呼びかけたのを聞いた時は、さすがの俺でも考える間もなく持っていたスコアで後ろ頭を殴っていたが謝る気は毛頭なかった。
◆◆◆◆◆
季節は巡る。バンド結成から二年目にしてライブ出演回数が片手で足りなくなったのは、新人バンドとしてはすこぶる運がよかったと言える。順調に曲も増え、初めて出したミニアルバムとは比べ物にならないほど上出来に仕上がったアルバムは、メンバーはもちろんのこと、手にした彼女にもとても喜ばれた。
相変わらず「いらっしゃい」と「こんばんは」だけの、会話とも言えないささやかな時間しか二人の間にはない。だがその「こんばんは」の一言から徐々に緊張感が抜けてやわらかくなっていくのを、俺は心のどこかで嬉しいと感じるようになっていた。
他のメンバーは、せめてもっと会話をしろとせっついたが一体何を話せというのか。特定の誰かに対する贔屓は、巡り巡ってその誰かを傷つけることになる。かといって彼女にしたいと思ったことを他の人間にも同じようにしたいかと言えば、答えはNOだ。
そこまで考えて、はたと我に返る。彼女にだけしたいこととは一体なんだろう。
「何ってセックスじゃね?」
「下半身で考えるお前と一緒にするな」
無事にライブが終わってメンバー揃って駅に向かう途中。あまりにしつこく絡んでくるから仕方なく話したというのに、何て答えを投げて寄越すんだこの男は。
苛立ってぴしゃりと言い返すが、恭介には大した効果はないどころかむしろ厄介なことに興味を持たせたようだ。明らかに楽しいといわんばかりの顔で俺の肩に腕を回す。自分が満足するまで逃がさない、ということだ。
「惚れた女にしたいことが、まさか会いたい、一緒にいたい、だけで済むわけねぇだろ。どんだけ枯れてんだよ。あ、もしかしてついてないとか?」
「あえて指摘するのもいい加減馬鹿らしくなってきたが、そもそも彼女のことをそういう目で見てるわけじゃないと何度言えば理解してもらえるんだ? あと下世話な心配をするな」
「あえて言うのも飽き飽きしてきたが、いい加減あの子と一緒にいる時の自分の面を自覚しろ鉄仮面」
「そうそう。他のファンの子に何言われてもにこりともしないくせに、彼女が来た時だけあの氷の王様が微笑むんだもんな。ほんとそろそろ自覚してください」
「たまたまそれ見たファンの子があまりの衝撃で卒倒しかけたの、かなり有名な話だからな」
「氷の王様?」
「「「お前のことだよ」」」
三人の声に揃って指摘されるが心外だ。顔を顰めれば、こっちの方が心外だと怒られた。
「ん?」
「どうした」
「噂をすればなんとやら、ってね」
あれ、と拓也が指差すその先は人気のない公園だ。そこに彼女の姿があった。隣にはよく見る友人の姿もあるが、こんな遅い時間に女の子二人だけで人気のない公園にいるなんて何を考えているのか。
ため息一つ、自然と足がそっちに向けば、もの言いたげな視線が三つほど寄越される。あまりに鬱陶しいので先に帰れと促したが、ついに送り狼になるショウを見届けないと帰るに帰れないと妙に楽しそうな顔をするそいつらに呆れ果てた。
「注意して駅まで送り届けるだけだ」
なんて、ため息ついでに言い訳をして。
……言い訳?
何に対しての言い訳か。それが彼女に話しかけることに対する言い訳だと気づかなかったフリをして。ベンチに並んで座る彼女の元へとゆっくりとした足取りで向かう。
けれどそんな俺の足を止めたのは、聞こえてきた彼女の声だった。
風に乗って耳に届いたメロディは、恭介が歌うそれよりも拙いがどこまでもやさしく、やわらかい。ブレスの位置も恭介とはまるで違うところを取っているのに、それは自然と歌詞の意味を正確に捉えての表現だと気付いた。
伝えたい言葉を、込めた思いを、大切に大切に一つずつ丁寧に拾い上げて紡ぐかのように歌う。この曲が好きだと言葉にして伝えられるよりもずっと情熱的で、曲を書いた自分の心の奥底にそっと触れて受け止められたような気がして、思わず呆然とその場に立ち尽くす。
「この、このフレーズがね、すごく情熱的で不器用なまでにやさしくて……好きなの」
あぁ、そんなの。ずるいだろう。
緩む口元を手の甲で覆う。なんだか顔がやけに熱くて、こんな情けない顔は誰にも見られたくない。それなのに。
こちらに気付いた彼女と、ふと視線が絡んだ。
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