猫の気持ちは分からないけど
俺の家の飼い猫は、狩りが上手い。
毎日一匹は、小鳥や鼠、昆虫を狩って、俺の枕元に置く。
家族はやめてほしそうな顔をしているけど。こいつは知らん顔だ。
今日もこいつは鼠を狩って、俺の枕元に置く。
今日は久々に俺が起きているときに鼠を狩ってきたので、俺はこいつの頭を撫でた。
「俺に、食えというのかい? ありがとう。でも、俺には食べられないんだ」
そう言っても、恐らくこいつは人間の言葉なんてわからない。俺に、こいつの言葉が分らないように。
だが、礼は言わないといけない。多分、こいつは俺のために狩りをしているのだ。
昔、本で読んだことがある。猫にとって、飼い主は狩りの下手な相棒なのだと。
だから、こいつは狩りの下手な俺のために、狩りをする。
俺の一方的な視点からの話だが、なんともいじらしく、愛らしい話ではないか。
昔は、俺の方が餌をやる側だったというのに、今では、こいつが俺の食事の世話をしている。
しかし、俺にはこいつの狩ってくる食事は食べられない。
もっとも、仮にこいつが牛やら豚やら狩ってきて、調理できたとしても食べられないだろう。何せ、俺の食事は、注射の管から流れてくる、液体なのだから。
久しく、野菜や穀物はおろか、肉など食べていない。久しぶりに、あの肉特有の歯ごたえや、ジューシーな肉汁の味を楽しみたいものだ。無理なのは、分かっているのだが。
俺がこいつの頭を撫で、喉を撫で、背を撫でれば、満足したのかこいつは去って行く。
そして、妹が入れ替わりに入ってきて。困った顔をする。
「もう。東風ったら。どうやって入ってくるのかしら」
「はは、猫は存外賢いからな。扉くらい、開けられる様だ」
「って、また鼠が置いてあるし。兄さん、扉に鍵をかけましょうよ。東風が近づくのも、あまり兄さんの体によくないし」
「いや、東風にとって、俺は親と思われているかもしれないからね。弱った親の世話をしたいのは、猫も同じだよ」
「はぁ。まったく、東風に甘いんだから」
妹が鼠の死骸を処理するのを眺めながら、俺は目を閉じる。少し、腕を動かしたら疲れたようだ。寝るとしよう。
私にとって、飼い猫は、兄との絆だ。
10歳くらいの時だったろうか、東風と呼んでいる、この猫に出会ったのは。弱弱しくミャ―ミャー鳴いているのを見つけて、親に飼いたいと言った。
可哀そうな子猫を飼いたいという、幼い正義感からの行動も、親としては、子供の我儘だ。中々了承してくれなかった。
そこで口出ししてくれたのが、私の兄だ。
私の父と母は、二人とも離婚を経験していて、私は父方、兄は母方の連れ子だった。なので、その時まではあまり仲が良くなかったというか、交流の仕方が分からなかった。
だが、この弱弱しい子猫が、私と兄の仲を取り持ってくれるかけ橋となったのだ。
私と兄の必死の我儘は、親に「絶対に途中で捨てないこと」を条件に、飼う事を了承させた。
その日、名もない子猫に、私が東風と名付け、兄は、餌を与えた。
あれから7年経った。東風は立派に成長し、私は高校生。そして、兄はベッドの住人になった。
兄に癌が見つかり、寝たきりになった頃から、東風が狩りをし始めた。
私や家族は、衛生上、辞めてほしいと思うのだが、こいつは知らん顔。
兄の言葉を借りれば、兄にご飯を用意しているのだが。有難迷惑とはこの事だろうか。
兄は、あんな弱弱しい子猫だった東風が、俺に餌を用意するまでに成長したと喜んでいたが、私としては、兄の体調を考え、近づかないでほしいと思う。
まあ、猫に私の願いなんてわからないのだが。私に、東風の想いが分からないように。
今日も、東風は兄の部屋に忍び込み、ネズミの死骸を置いていた。
呆れつつも、何といえばいいのか分からず、居間で東風を抱き、テレビを見る。
東風、お前は、何を考えているの? そう思っても、東風は知らん顔だ。
そして、穏やかな時間を切り裂く音が鳴る。
心電図の機械から異常音が鳴る。
慌て部屋に駆けこめば、兄が穏やかな顔をして、息を引き取っていた。
20XX年、某月某日のこと。一軒の家で、若くして一人の青年の命の灯火が消えた。
家族は悲しみに包まれ、喪に服した。彼の遺骨は埋葬され、時間のみが、遺族の心の喪失感を癒すだろう。
葬儀が終わった後のこと。東風と呼ばれる猫は、誰もいなくなったベッド脇に、ネズミの死骸を置く。それを見て、ふと悲しくなった高校生の長女が、猫を撫でる。
「あなたのお父さんは、遠い場所に行ったんだよ。だから、もう狩りをしなくていいんだよ」
その数日後、気が付けば東風と呼ばれている猫は居なくなっていた。
それからさらに、一月ほどたった。兄と猫の喪失感も、少し癒えてきた頃。長女は墓詣りに向かう。
墓地では、東風が墓を守る様に、墓石の上で寝ていた。
長女はそれを見て思った。東風は、兄を守っているのだと。
それは、人間の勝手な妄想かもしれないが。少なくとも、東風は墓石の上で眠っている。きっと、起きたら鼠でも狩って、兄に供えるかもしれない。
そう思った妹は、兄を喪失した後、枯らしたと思っていた涙を、再び流した。
そして猫は、素知らぬ顔で、眠る。実に穏やかな寝顔で、眠る……