五話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。
ミスコン、という言葉を耳にして、結ノ介は心を見透かされたように感じた。
「ミスコンか。ミーハーな話題だな」
結ノ介は、ミスコン自体にはあまり良いイメージを持っていないのかも知れない。
「ミーハーなことは、何も悪いことだけじゃないよ」
麗は結ノ介の「ミーハー」という単語の響きに、ネガティブな感情が含まれているのを感じ取ったのか、
「流行は軽薄に見られがちだけど、時事への敏感な反応という側面もある。その折々の旬を素直に、精力的に楽しむことは僕たちを充実させる。何もしないよりも、その方が楽しいと思うんだ。春には花見をするのが良いし、夏には海水浴に出掛けるのが良い。秋には紅葉狩りに行き、冬には降ってくる雪を見上げる。同じように行事や流行を上手く楽しめば、僕たちの毎日はより刺激的になるよ」
「なるほどな。そういう姿勢でいるのに、麗はミスコンに出ようと思わなかったのか?」
「とんでもない話だよ、僕なんかがミスコンに出場するなんて」
「そんなことないと思うけどな」
コンパクトな体躯のため、体の部位のそれぞれが小さいが、それにしたって顔が小さい。
黒目勝ちのぱっちりとした瞳と、蝶々の触角のような曲線を描くまつ毛には、あどけない可愛さがあり、精巧な人形のようだ。
年端のいかない子供のような、さらさらの柔らかい髪の毛も魅力的だ。
これに親近感を抱く、愛嬌たっぷりの笑顔が加わる。
結ノ介にとって麗は、気の置けない特別な友人、という意識が強く根付いてしまっているが、それは二人の距離が近すぎる故かも知れない。
例えば、部屋が隣同士ではなく、たまに学校の廊下ですれ違うときに、麗が屈託のない笑顔で「おはよ」と言って、結ノ介が会釈を返すといった程度の関係であれば、結ノ介は今とは別の関係を麗に求めたかも知れない。
「鏡見たことないわけじゃないよな。俺と麗の仲なんだし、別に謙遜とかしなくても」
だから横柄に振る舞えという意味ではなく、付き合いの浅い知人のように、互いの真意を韜晦し合うのは、やめようという意味だ。
二人の間には、そういう他人行儀は必要ないと、麗にも思っていてほしい。
「謙遜じゃないよ、単なる事実だ。僕は桜や紅葉にはなれないよ。容姿のことだけではなくてね。世の中には、海や太陽のような人が確かにいる。でもそれは僕じゃない。僕は美しいものや、綺麗なものを遠くから眺めるだけ、それだけさ。そうあるべきだし、それでいい。僕の容姿を褒めてくれて、ありがとう。君から言われると嬉しいよ」
結ノ介は、麗はどうしてこんなにも自己評価が低いのだろうと思う。
麗は自身を、いかにも取るに足らないものだと評する。
そのときの麗は、悲しそうでも悔しいそうでもない。
それは当然のことで、しかも疑うべくもないことだと信じきっているのが、彼女の表情から分かる。
そういう顔をするのは、今日が初めてではない。
ころころと笑っていたかと思うと、次の瞬間には、遠くを見るような熱の低い表情をしていることがよくある。
諦観というのが、近いかも知れない。
そんなとき結ノ介は、説明しづらい感情に襲われる。
麗が感じるはずの、悲しさや悔しさが移ってきたのかと思うが、これはたぶん怒りだと思い至る。
最後に待っているのは、いつだって無力感なのだ。
「仮に麗が桜でも紅葉でもなくても、俺にとって麗は、一緒に桜や紅葉を見に行きたい人だっていう気持ちは確かだ。それだけは、はっきりと分かる」
「ありがとう。僕も君には特別なものを感じてるよ。謙遜の必要のない関係だと思ってるから」
麗は続けて、「それじゃ、一緒に桜を見ようか」と言って、ベランダへ向かった。
結ノ介は、どういうことだろうと首をひねる。
麗はそのままベランダを通り、自室へ帰ったかと思うと、すぐに戻ってきた。
手にタブレット型の電子端末を携えている。
電源を入れ、慣れた手つきで操作し、インターネットに接続した。
結ノ介は麗の手元を覗き込み、
「何だかハイテクだな。俺には到底扱えないよ」
「今どき普通だよ。すごく便利な代物さ。ネットはもちろん、電子書籍のアプリとかあってね。ただ極めて高額で、お年玉の貯蓄を使い果たしたよ」
麗が端末の表面に触れるたび、そこに映るページが変わっていく。
「見て、僕たちの学校の掲示板だよ」
「そんなものがあるのか」
画面には、ミスコンの出場者の名前と、その所属クラスの一覧が表示されている。
「こんなの分かるのか?」
「各クラスから一人ずつ出るんだから、調べようと思えばすぐ分かるよ。この情報と、出場者がミスコンの実行委員会に提出した写真が、明日の朝、校庭の掲示板に張り出される」
名前とクラスの一覧のページをスクロールすると、匿名のコメントが表示されていく。
「いわゆる、下馬評だよ」
「下馬評?」
「基本的にミスコンは本番の一発勝負だけど、この掲示板を閲覧することで、途中経過に近い評価を確認することができる」
コメントの数から、賑わっていることが分かり、ミスコンに対する校内の注目度が覗い知れる。
「何だかすごいな」
「ミスコンはビッグイベントだからね。ミスコンのことを話すときの、生徒たちの語調や表情からも、その興奮ぶりが伝わって来るよ。地元の新聞記者が取材に来るくらいだしね。当日は一般客も入れるようになる。学校当局としも、ミスコンで次年度の入学者を増やしてやろうって腹だから、気合の入り方が違うんだよ。授業潰して時間作ってでも、大々的にやりたいのさ。それに、誰もが楽しい高校生活を送りたいと思うものだろ? 毎年すごく盛り上がるそうだから、僕も今から楽しみだよ。何といっても、可憐な少女たちが僕たちの目の前で、青春の輝きを放つんだからね」
「麗の良い通りだと思うよ」
結ノ介は平坦な声を出した。
「あまり興味がなさそうだね。結ノ介は楽しみじゃないの?」
「微妙だな。ただミスコンとかって、ルックスにコンプレックスがあるやつからしたら、あんまり楽しいもんじゃないかもな。事実は別として、自分に自信がない人や、自分のことを過小評価してる人の多くは、嫉妬とか劣等感が邪魔するんじゃないかと思う。でも、さっきの麗の話聞いたら、積極的に関わろうとするのが良い気がしてきたよ」
結ノ介は今日まで、ミスコンにはほとんど興味がなかった。
理由は簡単で、夜子が出ないから。
すでに好きな子がいると、他の女の子に異性としての関心を持ちにくくなる。
だから、ミスコンに誰が出場しようが、関係がなかった。
そして、関係がないから、俯瞰的な立ち位置になってしまう。
「僕が言ったことと矛盾するけど、抵抗があるなら、無理に頭を突っ込むこともないとも思うよ。ストレスや苦痛になったら、本末転倒だからね。重要なのは、僕の考えを採用することじゃなくて、君が楽しむことなんだから」
麗がページの最初からじっくりと見始める。
結ノ介は、他クラスの生徒の氏名をほとんど知らない。
ミスコンにエントリーされている生徒は、一部のクラスメートのように、名前と顔が一致しないというレベルではない。
その中に、知ったばかりの名前を見つける。
一年七組、黒凍 翠。
今はミスコンに興味がない、なんて言っていられない。
片想いの相手、夜子から相談は、最重要事項と定めても差し支えないだろう。
「結ノ介、気になる子でもいるの?」
「え、気になる子?」
「うん。熱心に見てるから。瞬きは必要な行為だよ」
麗が言う気になる子というのは、出場者の中で興味がある生徒という意味だったが、夜子の顔が脳裏を過ぎっていたため、思いを寄せる異性がいるかどうか聞かれたのかと一瞬誤解してしまう。
しかし、すぐにその齟齬に気づいた。
「いや、知り合いの名前があったから」
「そう」
麗は何も疑わず、画面に目を落とす。
「結ノ介のクラスはこの子が出るのか。だけど、掲示板では、灰半さんに出てほしかったっていう意見も多いね」
結ノ介は思わず画面を凝視してしまう。
水面下にこれだけライバル予備軍がいるのか。
「クラス委員長を務める才色兼備の優等生。君は同じクラスだから、僕よりも彼女の魅力をたくさん知っているんじゃない?」
「まぁ、そうだな」
図星過ぎて、焦ってしまう。
「それにしても、七組の黒凍さんは意外だったよ。会話したことないから、イメージに過ぎないけど、ミスコンに出そうな子じゃないんだよね」
「どんな印象なんだ?」
「そうだね……」
麗は可愛い眉間に皺を寄せた後、
「控えめで大人しい子かな。あんまり前に出るタイプの子じゃないと思う。いや、やめよう。こんな憶測に何の意味もないよ」
麗は結ノ介を見やり、
「君は彼女のことが気になるの? もしかして知り合いってこの子?」
隠しても仕方ない。
「そうだよ。ちょっとした縁があってな」
「そう」
麗は短く言い、微笑みながら、
「良い縁になるといいね」
スマホが震えた。
翠からの返信だった。
がんばるから、これからよろしく。
素っ気ない活字の羅列だが、意志を感じなくもない。
「どうしたの? 何だか嬉しそうだけど」
意図せず顔が綻んでいたようだった。
「ミスコンがちょっとだけ、楽しみになったと思ってさ」
「それは良かった」
麗と「それじゃ、おやすみ」「あぁ、おやすみ」と挨拶を交わし、結ノ介は姉に電話をかけた。
風呂から上がった後、夜子にラインを打つ。
内容と、そもそも夜分に連絡していいのか、さんざん悩む。
寝てたらごめん、から始め、明日出場者の顔写真が張り出されるから一緒に見に行こう、これからよろしく、と送った。
夜子からすぐに返信が来る。
いいよ、こちらこそよろしくね。
おやすみなさい。
間もなく眠るのだろうと配慮して、おやすみ、とだけ返す。
スマホを置いて、就寝の支度をしたが、しばらくは寝付けなかった。
興奮して、眼が冴えているのが分かる。
自分が思っている以上に、楽しみにしているのかも知れない。
遠足の前日の子どものように、さまざまな想像を膨らませる。
それはとても幸せなことだ。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
またお会いできることを祈っています。