二話
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、定期的に少しずつ上げていきます。
バスで一五分ほど移動する。
連れてこられたのは喫茶店だった。
こだわりがあるのか全てが木でできていて、瀟洒で落ち着いた雰囲気を醸し出している。
妖精でも住んでいそうな趣を前に、結ノ介は一人では絶対に入れない、と恐れをなした。
場違いを司る妖精さんが耳元で冷静に「ここは違う」と囁いてくる。
妖精さんは悪くない。
当然の配慮をしているだけだ。
夜子を先頭に、翠、そして結ノ介も店に入っていく。
店内も木製品で統一されていて、自然の香りが漂い、どこか懐かしさと安寧を感じる。
いくつかの高校や大学から割と近い場所にあり、なかなか繁盛しているようだ。
夜子は親しげに店員と挨拶を交わす。
三人は、窓際の丸いテーブルと椅子が三脚の席に案内された。
昼間来店すれば、さぞ日当たりが良いだろう。
夜子は慣れた様子でメニューを広げ、迷うことなくチョコレートケーキと紅茶のセットに決めた。
メニュー名はオシャレ過ぎて、結ノ介には分からない。
「灰半、全然迷わないな」
「ここに来る途中で決めちゃった。五野くんはどうする?」
「えーと、……ブレンドのコーヒーで」
無難な選択。
ここで変にカッコつけて、目に留まったオシャレそうな、飲んだこともない通っぽいメニューにしても、無知ゆえにどうせ、想像もしてなかったとんでもないものが来るなり、作法を誤るなりで、自らの稚拙さが露見するだけだ。
翠はさんざん迷った挙句、夜子と同じものを選んだ。
テーブルに設えられたベルで店員を呼ぶと、シンプルかつコケティッシュなデザインのエプロンドレスのウェイトレスが注文を取りに来て、如才なく奥に引っ込んだ。
腰の大きなリボンが跳ねる。
結ノ介は夜子を一瞥する。
あのエプロンドレスを夜子が着たら、多分俺はその場で卒倒するだろう。
頭の中の夜子はトレイで口元を隠し、「ご注文は何になさいますか」と恥ずかしそうに微笑んでいる。
「ここってよく来るのか? 随分慣れてる感じだけど」
「バイトしてるの。高校生になってから始めたから、まだ二か月くらいだけどね」
ということは、ここに来ればウェイトレス姿の灰半に会える!
「へー、そうなんだ」
と平静を装いつつ、答えると壁に『写真撮影はご遠慮ください』という張り紙がしてあるのを見つけた。
別に残念になど思ってない。
ただここの店長はクソ野郎だ。
翠が「バイトしてるんだ、ここで」と呟いた。
どうやら知らなかったようだ。
間もなく注文したものがテーブルに来て、それを待っていたように夜子が話し始めた。
「七月にミスコンがあるの知ってるよね?」
ミス・コンテスト――一番魅力的な女性を決めるイベントだ。
結ノ介の学校では毎年七月の第一週に、ミスコンを開催するのが恒例となっている。
と、クラスの連中がそんなこと言ってたような。
「聞いたことあるな。それがどうした?」
夜子は紅茶にもケーキにも手を付けず、結ノ介の目を見つめ、
「翠をミスコンで優勝させたいの。その協力をお願いしたくて、手紙を書いたの」
結ノ介は目を見張り、そして翠を見やる。
ばつが悪そうに俯いている。
「難しくないか? 確か各クラスから一人ずつ出て、学年関係なく競わせるんだよな」
「翠なら優勝できると思うの。物凄く綺麗だし、スタイルだって見ての通り抜群でしょ」
夜子の言う通り、確かに顔は見惚れるほど整っていて名状し難い魔性があるし、背が高く女性らしいラインも際立っている。
テーブルの下には、ともすれば折れそうなほど細い腰から伸びた、決して細すぎない健康的な脚が隠れているのだ。
スペックはかなり高水準だ。
だが問題は、
「……じろじろ見ないで、気持ち悪い、気持ちの悪い」
「二回も言いやがったな」
翠はまた夜子の後ろに隠れた。
縄張りを死守するような排他的な眼差しを送ってくる。
夜子は困ったように眉を寄せ、
「翠はね、人付き合いをするのがあまり上手くないの。私以外の人にはずっとこんな感じで、人と話したり、行動したりするのが苦手っていうか」
「ちょっと待て。それでミスコン優勝って、大丈夫なのか? ミスコンって、イコール人気投票じゃないだろ?」
「できる。私はそう思ってる。翠が優勝できるように、私たちに協力して」
夜子の普段は見られない切実な表情に、結ノ介はその真剣さを感じる。
「何で俺に協力させようって思ったんだ?」
「男の子の意見が必要なの。私のアドバイスはあくまで女の子目線で、女の子が思う可愛い女の子だから。男の子の視点で見てくれる人がいれば、絶対上手く行く」
「なるほど。確かにそうかもな。協力って、具体的には何をすればいいんだ?」
「ミスコンまで後一か月。本番のステージで着る衣装と、五分間の自己PR。それを男の子目線で一緒に考えてほしいの」
夜子の言っていることは、理路整然としているが、
「でも、俺じゃなきゃいけないことにはならないよな。それに俺とこいつは、相性が悪すぎると思うんだが。水と油っていうか、火に油っていうか」
難色を示す結ノ介の様子を見て、夜子は上目遣いに、
「他に頼れる男の子がいなかったの、……ダメ?」
ぐはっ!
結ノ介は椅子から転げ、その場に崩れ込んだ。
「どうかしたの?」
「いや何でもない」
緩む頬を必死に引き締める。
「そっか、俺の他に頼れる男がいなかったのか」
「こんな言い方は失礼だよね、それじゃまるで他にいないから仕方なくみたいだもんね」
夜子は恥ずかしそうに微笑み、
「五野くんに協力してほしいって思ったから」
結ノ介はスマホを取出し、メモ帳のツールを開き、何故か「あ」の文字を打ち続けた。
思春期特有の謎の衝動を、無意味な行為で発散しているのだ。
「何をしてるの」
「大丈夫だよ、問題ない」
翠は顔をしかめ、
「気持ち悪い。私、一一〇番の準備しておくね」
「お前は黙ってろ」
「私が黙ったら、あなたはもう私からの言葉攻めを受けられない。それでもいいの?」
「一向に構わねぇな! 元より望んでないし」
「なに? じゃあ、あなたが私を言葉攻めしたいっていうわけ? 身の程を知りなさいよ。この変態メガネ野郎」
「メガネかけてねぇよ。変態でもねぇし。問題があるのは目か? それとも頭の方か?」
「早速言葉攻め? はたしてあなたに私を攻めきれるかしら」
「うるせぇ!」
結ノ介と翠のやり取りを見ていた夜子は、嬉しそうに言う。
「私の思った通り、息ぴったりね。少女漫画とかでも第一印象は往々にして悪いものだし、食パンをくわえて登校してたら男の子と曲がり角でぶつかって、その後教室で担任の先生が転校生を紹介するって言って、あいつ! みたいな」
「すべての男女を少女漫画の伝統的な様式美に準えるのは、いささか乱暴じゃないか」
「さっきも見つめ合ってたし」
「睨み合ってた、の間違いだろ。そもそもそいつが乗り気じゃないっぽいけどな」
翠に水を向けると、
「私、優勝したいの。そのためだったら、何でもする」
不承不承とした態度かと思いきや、意外と神妙な顔つきだった。
夜子は折り目を正し、結ノ介を見つめる。
「私たちに協力してくれる?」
結ノ介は黙考する。
翠のことは気に入らない。
気に入らないが、灰半のお願いを無下にするわけにはいかない。
今日だけでどれだけ彼女と会話をしただろうか。
いつもの一瞬の挨拶や簡素な会話だって、嬉しいのは嬉しい。
だけど、どこかで物足りなさを感じているじゃないか。
奥手な自分が、これだけ会話できたのは、結構な釣果ではないだろうか。
それは牛歩のような速度かも知れないが、自分にとっては大きな前進だ。
向かい合わせで話をするのが、こんなに幸せだって知ってたか?
今は教室の席が隣だから会話の機会が多いけど、席が離れてしまったら、それは俺たちの関係もその分だけ離れてしまうような気がする。
同じ教室であっても、わざわざ話をしに行く用事なんかそうはない。
いつまでも今の僥倖を享受できるわけじゃないんだ。
いつかは俺の手から零れ落ちてしまう。
だったら、それが分かってるんだったら、後手後手じゃダメだ。
席が隣の間に二人の関係性を強固なものにしておく。
要するにこれは俺にとって悪い話じゃない。
それどころか絶好のチャンスなんだ。
一度傾いた天秤は、もう動かなかった。
「分かった。俺に二人の協力をさせてくれ」
結ノ介の了承を得て、夜子は満面の笑みを湛えた。
「本当? ありがとう。五野くんなら、絶対引き受けてくれると思ってたよ」
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
またお会いできることを祈っています。