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試験の成績はルーシェのおかげで一位を取れた。だが、殿下は完全に成績を落とされていた。成績上位者十名は掲示板に名前を張り出される。アリエスも一位をキープしている。なにより嬉しかったのは、ルーシェの成績だ。三位に入っている。何かお祝いをしてあげたいけれど、今の僕にはプレゼントを選んでいる余裕はなかった。クロトアも成績を落としているが、彼の場合はわざとである。殿下に歩調を合わせて、アルマの秘密を探っているのだ。だが、なかなか証拠がつかめないようだった。
「そろそろ夏のダンスパーティの準備が必要だね」
僕は書類を作成しながら、つぶやいた。
「ええ、楽団の手配と給仕の手配が必要ですわ」
「その書類は、今書いてるけど、殿下のサインがいつ入るかが問題だね」
「サインがなければ、そのままウィルス先生にサインしていただきましょう」
試験が終わると、夏のダンスパーティが行われる。まだ、婚約者のいない生徒たちのために、生徒会の予算で交流を深めてもらうイベントだ。
ルーシェは、今、嘆願書の分類をしている。真剣な顔でひとつひとつ要望を分けていく作業は面倒なことこの上ないのに、なんにでも一生懸命な彼女に元気を分けてもらっている気がして、申し訳ないやらうれしいやらで、とにかく頑張ることができていた。
そこへ、いきなりドアが開いてエドワード殿下とクロトア、アルバートが戻ってきた。殿下は開口一番ルーシェを見て言った。
「なんだ、見慣れない生徒がいるな」
「僕の婚約者です。殿下」
ルーシェはあわてて席を立ち、淑女の礼をとる。
「お初にお目にかかります。アリスベルガー子爵の娘ルーシェにございます」
「部外者は出ていけ」
ルーシェは怯えた子猫のように、急いで部屋をでようとしたが、そこはアリエスがとめた。
「部外者でしたら、わたくしもですわね。それに後ろのご令嬢も部外者ですが」
エドワード殿下はちっと舌打ちする。
「まあいい。そのまま仕事を続けろ。クリストファー。俺がサインをしている間、お前はアルマの課題を手伝ってやれ」
「お言葉ですが殿下。そんな余裕はありません。勉強ならクロトアが見てやればいいのでは」
「俺がお前に頼んでいるんだ。クロトアと交代してアルマの方を優先しろ」
僕はあんなに気さくで明るかった殿下が、高圧的な男に豹変していることを残念に思った。僕は強制的に席を外され、クロトアと交代させられた。そして、生徒会室の隅でアルマは課題を広げて、僕を待ち構えている。僕はそっと防御の魔法を展開した。ルーシェは、怯えたまま元の席に戻ってまとめたモノをアリエスに渡していた。そしてアリエスは申し訳なさそうな顔で、紙束と表紙を渡し、いつものように穴あけ係に専念させた。重苦しい空気の中、アルマの甲高い声だけが響く。僕は平静を装い、彼女の課題の手伝いをした。その間に、表紙を付けた書類の内容も見ずに、エドワード殿下はサインをしている。
ルーシェは不安そうな表情を浮かべながらも、作業を続けていた。
「よし、終わった。アルマ、そっちはすんだか」
「はい、ほとんど。クリストファー様。ありがとうございます。また、勉強を教えていただけるとうれしいですわ」
「悪いが、今回だけにしてくれ。勉強なら殿下が教えてくださる」
僕はそう言ってさっさと側を離れた。
アルマは今にも泣きそうな顔で殿下を見つめる。殿下はすぐにアルマ様のところへ行ってよしよしと頭を撫でて、頬にキスをした。
「お前が可愛いから照れているのだ。許してやれ」
「まあ、殿下ったら」
うふふとアルマは上機嫌で笑っているが、僕は正直気分が悪かった。アリエスも見て見ぬふりをきめこんでいる。すでに、アリエスは婚約破棄について根回しを始めているというし、国家の法の定めにより、調停局で話し合いの上、両家の主が納得した上で成立させるためにいろいろと手続きをはじめていると僕は聞いていた。
僕は、不安そうに見上げてくるアメジストの瞳を、じっと見つめてそっと手を握った。ルーシェは、ほっとしたように微笑む。僕は君を手放す気なんてないんだよと心の中でつぶやいた。
そんな僕たちを無視して、殿下とアルマは出ていった。アルバートも護衛だから、後ろからついて行く。ただ一人、クロトアは居残った。
「あー疲れた」
クロトアは表情を崩して肩をもんでいる。
「誰かお茶いれてくれないか。お目付け役なんてしんどいぜ」
その言葉にルーシェはすばやく反応し、紅茶を入れてクロトアに渡した。ありがとうとにこやかに微笑まれて、ルーシェはびっくりしていた。
「クロトア、状況的にはどうなんだ?」
「ああ、俺、当て馬にされてるよ。スキンシップはどんどん過激になってるし、贈り物も相当してる。皇太子の予算赤字でそうな勢いだ。俺の家が第二王子派だってこともすっかり忘れてるし」
ルーシェが一人おろおろしていると、アリエスが紅茶の要望を出したので、とりあえず、彼女は紅茶をいれる。優しいルーシェは僕にもお茶を入れてくれたので、安心させるようににこりと微笑んで、隣に座るよう促した。
「アリエス。婚約破棄の方はどうなってる?」
「こちらからは無理なようですわ」
「王が頷けば、それで済むだろう?」
「完全な廃嫡をもくろんでらっしゃるみたいよ。それには十分な馬鹿をやらかしてもらわないといけないらしいですわ」
「成績が落ちた。婚約者以外と親しくしただけじゃ、廃嫡にはならないからね」
「アルバート様はなんとおっしゃっているの?」
「彼も気が滅入ってるよ。今までは何とか忠告を聞いてくれてたけど最近はまったく耳を貸さないそうだ」
「ということは、すべて陛下は知っている、今は泳がせているって感じか」
僕は、ふーっとため息をついた。
「最悪の場合、病死とかありえそうだがな」
クロトアは優雅にお茶を飲みながら、恐ろしいこと平然と言った。王族の病死は、ときとして暗殺を隠すための方便でもある。
「まあ、なんにせよ。自滅の道を歩いていることに気づいてないから、救いようがないよ。あとは陛下がどうにかなさるさ」
「ルーシェに聞かせる話じゃなかったね。ごめんね」
僕は小さくなって震えているルーシェをなだめるように背中をさすった。すると、ルーシェは深呼吸をして落ち着きをとりもどした。
「とりあえず、この話はこれぐらいにしとこう。それより、夏のダンスパーティの準備だけど、予算内でおさまりそうか?」
「ええ、それこそ今日サインをいただきましたから、滞りなく行えますわ」
「そりゃ、よかった。他の案件は?」
「全部サインが入りましたから問題なく提出できますわ。ただ、新しい案件がございますの」
「なんだい?」
「ルーシェ様にまとめていただいた嘆願書に夜会やお茶会を増やしてほしいとありますの。増やせてもあと二回分ぐらいしか予算がありませんわ」
「それをこのまま、殿下に見せたら……」
「十中八九毎月やらかすでしょうね」
「他にどんな要望がきてるんだ?」
「放課後の訓練場開放ですわ」
「それは顧問に要相談だな。俺たちだけで判断したらけが人どころか死人がでるぞ」
「ええ、そこは慎重にしたほうがいいでしょうね」
僕たちがそんな話をしていると、ルーシェがおずおずと言葉を発した。
「あの、よろしいでしょうか」
僕たちはルーシェに注目する。彼女は遠慮がちに言った。
「わたくし予算のことはわかりません。ですが、夜会や茶会ではなくても、皆様が楽しく参加できるものが放課後にあればよろしいのではないかと」
「たとえば?」
「ダンスの練習会とか、楽器が得意な方に演奏してもらうなどの工夫をすれば月に一度でも行えるのではないでしょうか。お茶会は庭園にテーブルと椅子を増やして、誰でもいつでも小さなお茶会ができるようにするというのはどうでしょう」
僕たちは驚いてしばらく一瞬黙り込んでしまった。そのせいで、ルーシェは不安な表情をうかべた。
「ルーシェ様、とてもいいアイディアですわ」
「うん、それなら、ダンスパーティ二回分の予算でなんとか納まるだろう」
「僕もいいアイディアだと思うよ。ルーシェ」
僕は、破顔した。そして、ルーシェの頭を撫でた。ルーシェは顔を真っ赤にしてはにかんでくれた。僕は思わず抱きしめたい衝動にかられたが、人目があるので自制した。