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午後の授業を終えると僕はルーシェのクラスの子に声をかけて、彼女を廊下に呼んでもらった。
「なかなか会えなくてごめんね」
「いえ、大丈夫ですわ。ちょっと寂しかったですけど」
「うん、僕も寂しかったよ。ねえ、明日ランチを一緒に食べないかい」
「まあ、うれしい。ぜひ、ご一緒しますわ」
僕はほっとする。内心、断られたらどうしようかと思っていた。友達もできているころだろうから、先約があるのではとも思っていたが、その心配など吹き飛ぶような満面の笑みを浮かべて了解してくれた。
胸の中のもやもやした空気が一瞬にして晴れたような思いだった。
翌日、授業終了後、僕はクロトアから衝撃の事実を聞かされた。
「どうやら、まずいことになりそうだ」
「まずいこと?」
「ああ、アルマ・キース男爵令嬢にいかれちまってる。あいつ、アリエスに適当な贈り物をしているが、それが帳簿上アリエス宛で、アルマには豪華なドレスや珍しい香水なんかも定期的に送っている」
「帳簿上ってことは……」
「そういうことだ。俺はしばらく、二人に張り付く。何か裏がありそうだからな。お前はアルマに近づくなよ。何が起こるかわからないぞ」
「僕の心にはルーシェがいるよ。誰も割り込む隙なんてないくらいね」
「そういう油断がお前の甘いところだな。とにかく、アルマには近づくなよ。いいな」
「わかった。この話はアリエス様には伝えたのか」
「まだ、確信が持てない。事情がはっきりしたら、俺から伝えておく」
そう言って、クロトアは生徒会室を出て行った。僕も慌てて部屋を出る。王子の執務室でもある生徒会室のカギはしっかりかけた。そして、学食へと走って行った。
「ごめん、遅くなって」
「いいえ、かまいませんわ。それより何かありましたの?」
「いや、ちょっと授業がね……」
僕はなるべく今起きていることを悟られないように疲れた顔をしてみせた。ルーシェはいつもの笑顔でせかすように言った。
「では、ランチをたべましょう」
「うん」
そして、ランチを食べ終わり珈琲をのんでいるとき、ルーシェの口からアルマの名を聞いた。
「なぜか、わたくしとすれ違うたびに転ばれまして、足を引っかけるなんて最低ですわといわれてしまいました」
なぜ、そんなことが起きているのか僕にはよくわからなかったが、とにかくルーシェを巻き込みたくない一心で平静を装い、注意を喚起した。
「そんなことがあったの。大変だったね。そういう人にはあまり近づかないほうがいいね」
「ええ、そう思います」
「そうだ、今度の休日に馬で遠乗りしようか」
「本当ですか。でも、馬はどちらに?」
「学院で貸してもらえるから、申請しておくよ」
「お昼はどうしますの?」
「僕が用意するから、楽しみにしててね」
ルーシェの頬が薄く朱に染まる。ああ、なんて可愛いんだろう。僕は休日を楽しみにして警戒心を怠っていた。
休日はあっという間にやってきた。僕は乗馬服に身を包むと急いで馬とランチを受け取りに行き、ルーシェの待つ学園の裏門に向かった。ルーシェは僕を見つけると嬉しそうに手を振ってくれた。僕たちはすぐに馬に乗り、街を抜けて森へと駆けた。ルーシェは乗馬も得意なのだ。僕たちは森の入り口近くを流れる小川で馬を休ませ、水筒で喉を潤した。かすかに汗ばんだルーシェの頬が上気している。今日の彼女の乗馬服は白のシャツに紺のジャケット、そして女性用の幅広の白い乗馬パンツ。襟元と袖はジャケットからはみ出すタイプのレース付き。僕は彼女のそんな乗馬服をほめようと口を開いた時だった。突然、女性の悲鳴が聞こえた。僕たちは反射的に街道へと駆けだした。そこには、三人の男に絡まれている少女がいた。僕はとにかく暴漢を打ちのめし、少女に大丈夫かと声をかけた。
「怖かったですわ!クリストファー様」
彼女はひしと僕に抱き着いた。
「なぜ、僕の名前を?」
「だって、わたくしの憧れですもの」
そう言われたとき、僕の心臓に異変が起きた。急激に鼓動が早まり、めまいを覚えた。僕はとにかく正気を失いそうになりながらも、彼女を引きずってルーシェのもとへ近づいた。
「ルーシェ。申し訳ないけど、警備隊を呼んできてくれ」
ルーシェはなぜか悲しそうに微笑んで馬を走らせ、警備隊を連れてきて暴漢三人の捕縛を見守った。僕はルーシェの悲しそうな微笑みを見て不安になった。なぜそんな顔をしているのと聞きたいのに、隣にいる少女から手が離せない。
「今日は、もう戻ろう」
「そうですわね」
「申し訳ありません。わたくしのために」
少女は泣きながら謝罪したが、よほど怖かったのだろう。うさぎのように震えている。
「仕方ありませんわ。アルマ様」
ルーシェがそう言って彼女の背中を撫でたとき、僕ははっとした。この平凡なピンクブロンドの髪の少女が、問題のアルマ・キース男爵令嬢。僕はとにかく急いでアルマを馬に乗せて、学院に戻った。学院につくとすぐに馬を返しに行った。ルーシェとアルマを二人きりにするのは不安でたまらなかったが、アルマから一刻も早く離れるにはそれしか方法がなかった。僕は、吐き気をもよおした。そして、確信した。アルマは魅了の魔法を使っていることに。魅了の魔法とはともにいる時間が長くなればなるほど、離れがたくなる魔法である。生徒はそれを使うことを禁じられている。あまりにも長く魔法に触れていれば、虜になった相手はやがて廃人になってしまうからだ。僕は回復魔法を使った。そして、殿下はこの魔法に引っかかっているのだと確信した。