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※「モブ令嬢は攻略対象の婚約者」をクリストファー視点で書いてみました。楽しんでいただければ幸いです。
僕はときどき、悪夢にうなされた。それは、僕が愛しの婚約者を捨てて別の女性と恋に堕ちるというものだった。そのたびに、そんなことにはならない。ぼくは必死で自分にいいきかせていた。
(早く会いたいよルーシェ)
僕の名前はクリストファー・リザーズ。侯爵家の一人息子だ。といっても、養子だが。僕は三つの時にどういう事情でかはわからないまま、母の兄であるガルム様の息子としてリザーズ家に入れられた。それからは、毎日が地獄だった。教養、作法、剣術、体術、魔法、ダンス。息をつく暇もないほど次から次へと習い事のオンパレード。三つの僕はただただそれらをこなして、疲れ果てては眠るという日々を送った。どうして、四つ上の兄のミハエルではなくぼくなのかなどと考える暇さえなかったが、のちにその事情をしることになる。
兄は生まれつき体が弱く、魔力も弱かったために長生きはできないだろうと言われていた。だがリザーズ家に伝わる秘伝の薬を飲めば、普通の人と同じように生きることができるという。もともと母アリアも兄と同じように長生きは望めないと医者にいわれたくちだった。僕が養子になることは、両親の結婚と同時に決まっていることだったらしい。駆け落ち同然で、身ごもった母は一度は実家と縁を切っている。だが、兄が生まれたとき自分と同じ体質だと気がつき、頭を下げて実家に助けを求めた。そのとき、次に男児が生まれたら、リザーズ家に養子に入れるよう約束させられていた。理由はガルム様がお子をなすことができない体質だということが、わかっていたからだった。幸いにして、僕の銀髪と蒼い目は、ガルム様と同じで、養子であることを使用人でさえ忘れてしまうことがあったようだ。だからだろう。社交界にデビューしたときは、「お母さまを早くになくされるなんて大変でしたわね」と言われるのが常だった。
そして、当時、まだ僕は何の事情も知らなかった七歳の初夏。ルーシェ・アリスベルガー子爵令嬢と運命の出会いを果たした。夏薔薇が我が物顔で庭を埋め尽くしている中、白い肌に映える黒髪、大粒のアメジストをはめ込んだかのような紫の瞳がとても美しい令嬢だった。だが、当時の僕は彼女の美しさには何の興味も抱かなかった。義父に言われるがままに、挨拶をしようとしたとき、彼女は突然倒れてしまったのだ。なんてか弱い子供だろうという冷めきった感情が僕の中にはあった。それから、三日後彼女を見舞うよう義父から命令され、庭師に花束を用意させた。
僕は不満だった。月に一度しかもらえない休みを、今月は彼女の見舞いに使うはめになったからだった。息抜きさえ許されないのかと、ため息だけがこぼれていった。それでも、アリスベルガー子爵家に着いた時には、条件反射のように僕は笑顔を作っていた。対してアリスベルガー家の人々は、柔和で自然な微笑みを称え、僕を出迎えてくれた。
その日から、義父の命令で月一の休みはアリスベルガー家で過ごすように申しつけられた。最初こそ、不満だらけだった僕だったが、徐々に一家と交流するうちに心の棘は不思議と抜けて行った。
特にルーシェには驚かされた。僕が地獄だと思うような習い事を自らの意思で行っていたのである。まだ、五つだと言うのに将来のためですわとどこか寂しそうに言った。その時、雷にでも打たれた気持ちだった。そして、はじめて彼女の美しさに気がついた。それは、きっと彼女の強さだと思った。わずか五歳にして人生の伴侶を決められても、やるべきことは自分の意思でやるという。そんな強さだ。そして、彼女は七歳になると魔法の勉強まで始めたのだった。
僕は何かから目覚めた様なすっきりした気分になった。それからは習い事が苦にならなくなった。そして、ルーシェと過ごす時間をとても楽しんだ。彼女が一番楽しそうに笑うのはダンスをしているときだった。僕らはお茶をして勉強の話をしたり、時にはアリスベルガー夫妻と一緒に将来のことを楽しく話しては、笑いや驚きに包まれるときもあった。夫妻は勉強ばかりする娘を心配していたが、本人がやりたいと言うことは何でもさせていた。一人娘を大事に大事に育てているのがわかった。そして幸せな時間ほど過ぎるのは早いと実感した。
僕は十五歳になると王立魔法学院に入学した。貴族階級が集まる最高学府である。そして、成績優秀者として生徒会執行委員を任された。同じ学年にはエドワード・ルシフィール殿下がいらっしゃった。気さくで陽気な方で、わからないことがあれば、遠慮せずに聞けと言ってくれた。王宮で会う殿下がまとう近寄りがたい雰囲気は微塵もなかった。僕はいつかこの方にお仕えするのだと思うとなんだか誇らしく思えた。そして、殿下の右腕とも称されているクロトア・エバンズ様。彼は口は悪いが頭の切れる殿下のご友人であり、現在の王を支える公爵家のご令息である。そんなクロトア様はニヤリと笑って学園生活を大いに楽しもうぜと言ってくれた。それにここでは生徒は平等だからな、余計な気遣いはするなよとも。僕はとても楽しい学園生活が送れそうだと、さっそくルーシェに手紙を書いた。最後に君の入学する日を心から待っていると書いて。