幼き義兄 (兄視点)
義兄視点のお話です。
僕はずっと狭く暗い部屋の中に閉じ込められていた。
大きな屋敷から離れた、小さな小屋が僕の家。
生活に必要な最低限の物しか与えられず、部屋には勉強するための机と寝具しかない。
子供一人が生活できるだけの広さ、この閉ざされた世界は、まるで鳥かごの様だった。
僕の父は一条家から勘当された長男だった。
顔なんて覚えていない。
そんな父が勘当される前に愛人との間にできたのが僕。
僕の母は、生まれた僕を連れてこの家に金をたかりに来た性悪女だったらしい。
僕を一条家に渡す代わりに金をくれと。
そうして母は金を受け取ると、僕を置いて消えてしまった。
そうして一条家に入った僕は、一条 歩となった。
そんな僕の生活は毎日勉強だった。
僕は一条家の恥だが、一条家に入った以上、その名に恥じぬように教育を身に身に付けろとそう言われた。
本邸に足を踏み入れることは許されず、小屋の中で閉じ込められ、来る日も来る日も勉学やマナー、茶道・武道と何でも学ばせられた。
毎日必死だった。
僕の教育を担当する年配の女中は口癖のように、全てを身につけなければ、あなたをこの家に置くことはできません、こんなこともできないようであれば、すぐに一条家の籍から出て頂きます、と言い聞かされていたからね。
そんな僕は基本外へ出ることは許されず、窓から見える大きな本邸を眺める毎日。
僕は一条家に名があるだけのよそ者だから。
表に出すことはできないと口酸っぱく言われていた。
しかし僕には運のいい事に勉学の才能があったんだ。
教えられる知識をすぐに身に着けることができた。
優秀になる事で、女中たちに煙たがれながらも。僕は一条家から追い出される心配はなくなった。
風邪を引いて寝込んでも、僕を看病してくれる人なんていない。
勉強を頑張ってもほめてくれる人もいない。
僕の話を聞いてくれる人も、僕を抱きしめてくれる人も誰もいない。
孤独な生活で、僕の心はどんどん凍りついていくのだった。
そんなある日、僕の世話役として新しい女中が来ることになった。
彼女は名を恵と名乗り、僕に初めて笑いかけてくれた。
そんな彼女の様子に僕は目を丸くすると、じっと彼女を見つめた。
様々な女中が出入りする中で、皆僕が話しかけても言葉を返すことはなかったから。
最初だけだろう……僕の事を知ればすぐに話しかけなくなるだろうな……。
そう思い僕は冷たい態度で恵さんに接していたが、彼女は訪れるたびに僕へ優しい言葉をくれた。
それは僕にとって初めての喜びで、氷ついていた心が少しずつ溶かされていったんだ。
いつしか彼女と話す時だけが、僕が僕で在れる瞬間になっていった。
気がつけば僕は初等部へと通うようになり、学園に通う間は外に出れるようになった。
まだ6歳で一条家の名に恥じぬ学力を身に着けていた僕は、ようやく表舞台に姿を現すことができたが、それでも今だ、小屋の生活は変わらない。
初等部へ入学し一年過ぎたある日、本宅にいる娘が僕を凌ぐ速さで、お稽古事を身に着けているとの噂が耳に届き始めた。
本宅に義妹がいると知っていたが、一度も顔を見たことはない。
どんな女の子なのだろうか。
そんな事を考えていると、開けていた窓の外から女中たちの井戸端会議が耳に届く。
「やっぱり妾の子供よりお嬢様の方が優秀ね」
「さすが一条家のお嬢様だわ、勉学だけじゃないのよ!美しい上にお優しくて可愛らしい、あの坊やとは大違いだわ」
「えぇ、跡継ぎもお嬢様の方がいいんじゃないかしら」
「まぁおまけだしね、あの前当主と性悪女の子なんて、どうして戸籍に入れちゃったのかしらね」
彼女たちの言葉に頭が真っ白になった。
僕と言う存在がようやく認め始められたと思っていたのにー――――。
僕はそっと小屋の窓を閉めると、体を丸め耳を塞いだ。
月日が流れ彼女が僕に追いついてくると、小屋に来るたびに嫌味や、嫌がらせもどきをする女中が出てくるようになった。
そんな憎悪の言葉を耳にする度に、見たこともないその一条家の女に敵対心を燃やしていた。
僕も負けじと勉学に励むが、彼女は軽々と僕と並ぶ。
二年も早く生まれた僕の、二年の努力をものともせずに。
そんなある日、彼女が病気で倒れたとの噂を耳にした。
僕はコッソリ小屋から抜け出すと、誰にも見つからないよう彼女の部屋へと向かってみる。
彼女の部屋は以前噂好きの女中たちが話しているのを聞き知っていた。
僕の小屋から反対の場所にある、本邸の一番奥。
僕は庭をコソコソと駆けまわりながら、ようやく彼女の部屋であろう場所にたどり着くと、誰もいないことを確認し、縁側からサッと中へと忍び込んだ。
彼女の部屋だろう襖を静かに開くと、そこには苦しそうな表情を浮かべた血の気のない黒髪の少女が、布団に横たわっていた。
これが、この女が僕の義妹。
僕とは似ても似つかない顔立ちに髪色。
彼女の部屋を見渡すと、広々とした空間に、大きな机が置かれ、窓際には瑞々しい花が並び、その傍には写真が飾られている。
彼女の寝込んでいる周りには、様々なお見舞いの品がたくさん置かれていた。
君は愛されているのに、僕はあんな小屋で一人ぼっち。
なのにどうして何もない僕から、居場所まで奪おうとするのか。
この女が居なくなれば、僕も彼女のように愛されるようになるのかな?
そうだ……このまま死んでくれないかな。
そうすれば追い出される心配もなくなるよね……?
彼女の苦しそうな姿をじっと見下ろすと、自然と本音がこぼれていた。
無意識に彼女の首へ手を伸ばし力を入れる。
その刹那誰かの足音が聞こえると、僕は慌てて彼女の部屋から小屋へと逃げ帰っていった。
そうして数日が立ち、風の噂で彼女が元気になったと聞き、僕はガックリと肩を落とした。
もう少しだったのに……。
虚ろな瞳で本邸を眺めていると、恵さんが笑顔で僕の小屋へとやってきた。
優しい微笑みに僕は慌てて振り返ると、彼女との貴重な対話を楽しんだんだ。
そうして僕が8歳になったある日、初めて本宅へ呼ばれることになった。
何でも僕と義妹との顔合わせらしい。
あの日以来だな……。
僕は女中に和装へ着替えさせられると、本邸へと向かったんだ。
彼女を目の前にすると、さらに強い憎しみがこみ上げてくる。
女中たちは彼女を囲うように世話をやき、ニコニコと笑顔で話しかけている。
大事に大事に育てられた彼女は罵倒を受ける事無く、幸せな生活を送っていたんだ。
それに比べて僕の傍には誰もいない。
真っすぐな瞳に、彼女の幸せそうな笑顔にその全てに苛立ちを感じていた。
堅苦しい挨拶が終わると、この場所から早く逃げたくて、僕はすぐさま部屋を出たが、なぜか彼女は僕の後を追いかけてきた。
彼女に何度か呼ばれているようだが無視だ、僕は君と関わりあいたくない。
君の傍にいるだけで、僕がみじめだと思い知らされるから――――。
そんなある日、初等部から戻ると、玄関に彼女が佇んでいた。
彼女はおかえりなさいと僕に笑顔を向ける。
なんなんだ、その馴れ馴れしい態度、僕を憐れんでいるのか?
僕は苛立ちを表に出さぬまま、彼女と視線をあわせること無くいない存在としてスルーした。
しかし来る日も来る日も、彼女はずっと僕の帰りを出迎える。
どんなに無視しても、どんなに睨みつけても、彼女はいつも笑顔だった。
そんな彼女の純粋そうな笑顔に、どうしてこんな無碍な扱いをされながらもここに居るのか。不思議でならなかった。
一週間、一月・二月・三月……気がつけば半年と過ぎたが、それでも彼女は僕を出迎えてくれる。
次第に彼女の出迎える姿に、彼女の横を通り過ぎる度に香るその優しい匂いに、胸が騒ぎ出すようになった。
それでも僕は……彼女の存在を認めることはできなかったんだ。