人ではない自分(日華視点)
「いやあああああああああああああああ!こっちにこないでッッ」
初めて母の元を訪れた時、僕の姿を見た母は悲鳴をあげた。
耳をつんざぐ声に僕は慌てて耳を折りたたむと、急いでその場から逃げ出した。
数分後、その悲鳴を聞きつけた女中達が、母の部屋に集まる様子を、僕は遠くからじっと眺めていたんだ。
お母さんどうしたのかな?
慌ただしくなる様子に狼狽していると、後ろから僕の体がゆっくりと持ち上げられた。
咄嗟に逃れようと身をよじらせるが、大人の腕から逃れることはできない。
バタバタと足をばたつかせ抵抗していると、母の部屋から遠く離れた自分の部屋に連れ戻されていった。
「亮おぼっちゃま、あれほどあの部屋には近づいてはなりませんとお願いしたはずですよ」
「だって……ぼく……お母さんに会いたくて……。昨日ね、じょちゅうさんが、お母様の話しているのを聞いたんだ。元気がないって……だから……モゴモゴモゴ」
僕は弱弱しく呟くと、年老いた女中は真剣な瞳で僕を見据える。
「……そうでしたか。亮おぼっちゃまには、そろそろお話しなければなりませね。言いずらい事ですが、あなたは普通の子供ではありません。狼男と人とのハーフ。人の頭に耳はついておりませんし、お尻から尻尾も生えておりません。そんな人ではないあなたを、お母様は恐れております。ですから今後一切お母様に会いに行ってはいけませんよ」
何を言われているのかわからなかった。
僕は人じゃない、だからお母さんに会っちゃいけないの?
僕に耳と尻尾があるから?
どうして、どうしてダメなの?
僕は自分の耳と尻尾を強く引っ張ってみると、痛みに涙があふれ出す。
よく考えてみると、父以外に耳や尻尾を持ってる人を見たことがない。
初めて知らされたその事実に、僕は大きな声で泣きじゃくると、年老いた女中は僕の背中をずっと撫でてくれたんだ。
ひとしきり泣いた後、女中は狼男について、僕にもわかるよう簡単に教えてくれた。
僕の父は狼男で、僕の母は普通の人間。
そんな二人は親に決められて結婚し、母は父が狼人間と知らず僕を生んだんだそうだ。
生まれた時、人のようで人ではない僕の姿に母は発狂し壊れた。
それから母は心の病気にかかってしまった。
だから僕が母に会ってはいけないのだと。
狼人間と人間の違いは、人よりも臭いや音に敏感で、体を動かすことが上手。
だけど満月になると狼の血が騒ぎ、獣へと変化してしまう。
父はお医者さんだけど、満月の日は屋敷の地下に閉じこもり誰とも会わない。
そして満月が過ぎれば、地下から出てくる。
満月以外の日、狼になることはないのだとか。
だけど僕は人間の血が多いから、本来の狼人間の姿になった事は一度もない。
耳と尻尾があるだけ、満月の日は少し体調が悪くなるけど、普通に生活できていた。
自分が人間ではないと知り、僕は耳と尻尾を隠す特訓を始めた。
外の世界で人との生活に馴染めるよう、運動能力の押さえ方を学んだんだ。
6歳でようやく耳と尻尾をスムーズに隠せるようになると、僕は学校に通えるようになった。
人の前では絶対に耳と尻尾を出さないよう念を押され、運動も抑えめにと言い聞かされたんだ。
初めて学校へ行った日のことは今でもはっきり覚えている。
何もかもが新鮮でドキドキした。
同じ年の子供たちがいっぱいいる世界は、屋敷とは全く別の世界だったから。
初めてみる人、物に緊張しっぱなしで、僕は必死に普通を演じられるよう、みんなを観察した。
どうも人は集団で行動することが好きで、仲間外れを嫌うようだ。
皆がやっていることを真似して、人と違うことをやらなければ、溶け込めると次第にわかってきた。
それに人間の女の子は可愛いよ、綺麗だねとか、褒められるのが好きみたい。
人の世界に溶け込めていくと、自分が違う者だとの意識が薄れていった。
学校に通い始めて数年、その日は満月だった。
僕はいつものように学校へ向かい授業を受け、少し遅くまで友達と遊んでいると、どうも体調がおかしい。
今日の朝は何ともなかったんだけどなぁ。
日が傾き夕暮れ空が広がる中、ひどい吐き気に歩くことも辛くなっていく。
そんな時友達の一人が僕の方へ戻ってくると、励まそうとしたのだろうか……強く背中を叩いた。
驚き体が傾くと、お尻から尻尾が飛び出した。
「うわッ、何だこれ、気持ち悪い、化け物だ!」
僕の背中を叩いた友達は、人ではない姿に怯えると、逃げるように入り去っていく。
彼に続くように皆が逃げ出し、目の前が真っ暗になった。
誰もいなくなった道で僕は必死に涙を堪えると、誰にも見られないよう家まで走って行った。
しかし化け物の噂は瞬く間に広がると、僕は転校することになってしまった。
誰も僕をしらない新しい場所で、人間と一線を引いた。
自分は人間ではない、そのことを忘れないよう、同じ事が起こらないように。
もうあんな思いはしたくないから―――――――。
時はたち、俺は9歳になった。
母親はいつの間にか屋敷からいなくなり、父は新しい母を迎え入れた。
そうして生まれたのが、俊だった。
弟は生まれた時から狼の血が強く先祖返りと言われ、皆とても喜んでいた。
しかしそれもつかの間、満月が近くなったある日、まだ幼い俊はお手伝いさんをかみ殺した。
俺にはそんな経験はない、それは人間の
狼の血をより濃く引き継いだ弟は、野獣と化してしまったのだ。
あまりにも強い狼の血に俊は囚われていくと、すぐに父の病院へと入院させられた。
月の満ち欠け関係なしに、突然起こる発作は俊を本物の狼へと変化させていく。
病室には必要最低限の物だけを置き、いつ発作が現れるかわからない弟を監視していた。
治療法なんてものはない。
従来の狼人間とはそういうものなのだと。
俊の獣化が徐々に進んでいく中、このままだと俊は人間に戻れなくなると父から聞かされた。
もしそうなれば、俊を殺す事になるとも……。
俊が生まれ8年の月日が流れ、僕は17歳。
その頃から俊の発作が頻繁に起こるようになっていた。
人間での8年はまだ幼初期であるが、獣のにとっての8年は成長するのに十分な年月。
俊自身狼になった自分の事を覚えておらず、自分がなぜ入院しているのかもはっきりとわかっていない。
だから治療法が見つからない難病だと俺たちは伝えていた。
ある日の夜、俺は父に呼び出され俊のことを聞いた。
次獣になれば、もう人間に戻ることは出来ないのと。
そう聞かされた翌日、僕は俊の病室へと向かうと、そこには一条さんの姿があった。
一条さんがこの病院へ入院しているのは知っていたが、まさか俊と知り合いになっているとは考えてもみなかった。
俊の病室に部外者が入ることは出来ない、そして俊は病室から出ることを許していなかった。
どうやって知り合ったのかわからないが、このまま会わせるわけにはいかない。
彼女は人間で、俺たちは人間でない者だから。
そういえば最近、歩の機嫌が悪かった。
原因はこれだったのかな。
本当に妹ちゃんの事に関して、歩は感情が豊かになる。
歩とは中等部からの仲だ。
俺を狼男だと知っても、傍に居てくれる貴重な親友。
だがそんな彼にも、弟の事は伝えていなかった。
俺は一条さんを呼び出すと、付き合はなすようにここへ来るなといいつける。
強く言ったつもりだが、彼女は素直に頷いてくれない。
仕方なく日華家だと伝えると、不承不承だが頷いてくれた。
数日後、俊の発作が起きたと連絡が入った。
夜中に俺は病室へと駆けこむと、俊の腕にはふさふさの毛が生え、もう野生の狼そのものだった。
人間には戻らない、父の言葉が脳裏をかすめると、その場で崩れおちた。
人間になれない俊は、このまま殺されてしまうだろう。
俊の様子を見に行こうと、次の日こっそり深夜の病院へとやってきていた。
関係者の入口から薄暗い病院内へと入ると、ふと見覚えのある華奢な背中に立ち止まる。
あれは……何をしているのだろう?
そっと可愛らしい背中へ近づき肩を叩いてみると、間違いなく一条彩華の姿。
コソコソと出入り口の様子を窺う彼女の姿に、首を傾げる。
こんな夜中にどこへ行こうとしているのだろうか?
このまま見て見ぬ振りも出来るが、歩が大切にしている妹を放っておけない。
行かせないと腕を掴んでみると、彼女はとんでもないことを口走った。
「離して下さい、俊くんを助けられるかもしれないんです」
最初何を言われたのか、理解するのに数分かかった。
冗談で言っているのかとも思ったが、彼女の瞳は真剣そのもの。
彼女は獣に変わってしまった俊を見て、そう言っているのだろうか。
色々と聞きたいことはあるが、時間がないと彼女は必死の様子。
だから俺は彼女の言葉の真意を助けるためについていったんだ。




