満月の下で
月明かりの下、足音に私は振り返ると、そこに人影があった。
逆光の為顔は確認できないが、きっと日華先輩だろう。
「無事に手に入れることができました。あの……体調は大丈夫ですか?」
私はおもむろに立ち上がると、日華先輩の方へ一歩足を踏み出す。
「ぐぁ……はぁ、ダメだ、どうして……はぁ、はぁ、来るなッッ、頼む、こっちへ来ないでくれ……グガアアァァァァ」
人ではない雄たけびに私は体を震わせると、人影がゆっくりとこちらへと近づいてくる。
動く事も出来ず月明かりに照らされる広場に現れた姿は人ではない。
血走った真っ赤な瞳に、頭には犬のような耳がついている。
身体は人間のままだが、袖やズボンが破れその隙間から茶色毛が見えた。
この姿、俊君と同じ……ッッ
「グルルルルルルッ」
大きなうなり声をあげた獣は、私と視線が絡むと勢いをつけて跳びかかってきた。
うそッッ!?にっ、逃げなきゃ。
私は反射的に右へと避けると、日華先輩は紅の瞳を私に向け追撃してくる。
その姿に私は必死に足を動かすが、向かってくる彼のスピードに逃げきれる気がしない。
満月の光が差す広場の中央に、先ほど摘み取ったはずの丸つき草が目に入った。
私は自分の手元へ目を向けると、摘み取った丸つき草が新たに咲き白く輝いている。
一か八か……ッッ。
私は逃げるのをやめると、向きを変え、広場の中心へとヘッドスライディングで飛び込んだ。
何とか空いている手で丸つき草を握りしめるも、すぐ後ろに大きな影が迫ってきている。
採ったけど、どうしよう、どうやって使えば?
私は咄嗟に体を小さく丸めるが、彼は私の上に覆いかぶさり、叢に押さえつける。
強い力で押さえこまれた体は、叢の上で仰向けに転がされると、目の前に紅の瞳が現れた。
「グルルルルルル、ガルルル」
その瞳の奥には悲しみの色が、浮かんでいるように見える。
私と視線があった彼は一瞬表情を歪めたが、そのまま私の首元に牙をたてた。
その瞬間、私は咄嗟に彼の頭を引き寄せると、ギュッと強く抱きしめた。
「日華先輩ですよね。大丈夫です、落ち着いてください」
私は彼をあやす様に背中を優しく撫でてみるが、グルルルと呻き声が聞こえ肩に牙がくいこんでいく。
「いっ……あ゛あ゛あ゛あああああああああああ」
鋭い牙が肉に食い込みあまりの痛みに彼へしがみ付く。
すると紅の瞳から真っ赤な涙が零れ落ちた。
ポタポタと血の涙が私の肌に落ちると、その冷たさを肌で感じる。
泣いている……苦しんでいるの?
どうすれば、彼を元に戻してあげられるかな。
満月が目に映ると、私は噛まれていない腕で先ほど取った丸つき草を持ち上げる。
目の錯覚かもしれない……丸つき草が強く光を放ったかと思うと、紅の瞳が私の腕へと向けられた。
押さえつけられていた力が緩み、肩から牙が抜かれると、彼はクンクンと丸つき草へと鼻を寄せる。
牙が抜かれたことで、肩からドッと血があふれ出しドクンドクンと激しく脈を感じている中、彼は私の手にしている草をパクリと食べた。
丸つき草を飲み込んだ彼は、紅の瞳から漆黒の瞳へと変わっていくと、牙が消え、腕から見えていた茶色毛は剥がれ叢の上へと落ちていく。
血の涙は透明の水へと変わり私の肌に落ちると、赤く染まった涙と混ざり合った。
変化するその姿を虚ろな瞳で眺めていると、次第に良く知る日華先輩の姿がそこに現れた。
彼は私に跨ったまま、呆然とした様子でこちらを見つめている。
そんな彼の姿にほっと息を吐くと、私は力尽きるように叢へと体を預けた。
「ごめん、ごめん、俺は……どうして……ッッ」
喉から絞り出す声に、私は平気平気と軽く手を振ると、日華先輩は震える腕で肩のキズに触れた。
袖を破り私の肩を縛り付けると、手際よく応急措置を施していく。
さすが医者の息子だね。
そう言葉にしようと視線を向けると、悔やむ表情をする彼と目があった。
「そんなに顔しないで下さい。私は……大丈夫です。事故したときに比べれば全然痛くない」
「何を……ッッ、ごめん、本当にごめん……。こんなことになるなんて……ッッ」
傷口を見つめ取り乱す彼を落ち着かせるように、私は彼の背中に手をまわすと、優しく背を撫でた。
すると彼は慌てた様子で私から体を離すと、信じられないと言った様子で目を見開く。
「どうして……俺を怖くないの……?」
私はニッコリ微笑みを浮かべると、肩から流れ出た血で濡れてしまわないように、丸つき草をそっと持ち上げた。
「日華先輩が怖いわけないですよ。きっとこれで俊くんも治るはず、早く帰りましょう。戻って俊君にも食べさせてあげないと……」
肩の血が止まると私は上体を軽くおこす。
脚に力を入れ立ち上がろうとすると、血を流しすぎたのか上手く力が入らない。
ふと肩へ目を向けると、布から血が滲み腕を伝って地面に落ちた。
止血しているはずなのに、血がまた……?
「彩華ちゃん!?」
意識が朦朧とし叢へ倒れ込むと、もう起き上がる力はない。
肩に巻かれていた布は機能しないほどに濡れ、血が水たまりのように叢へと広がっていく。
心配そうにする日華先輩の姿が霞んでいくと、グラングランと視界が揺れた。
ダメだ、眠い……だけど丸つき草は絶対に持ち帰らないと……ッッ。
意識を手放す瞬間、丸つき草が落ちてしまわないよう最後の力を振り絞り、ギュッと拳へ力を入れた。




