義兄との顔合わせ
私は母との親睦を深めていくと同時、女中達とも交流を広めていった。
そうして新たな自分として過ごし6歳になったある日、私は義理の兄と対面することになったのだ。
義兄は私より2歳年上で、あの声を最後に一度も会ったことはなかった。
まぁ、あの言葉を聞く限り嫌われているのは間違いない。
しかし同じ屋敷で暮らしているはずなのに、一体どこにいたんだろうか?
私は母に連れられるまま部屋へと赴くと、すでに義兄は綺麗な姿勢で座っていた。
ハーフのように彫が深く、地毛なのだろう……髪は茶色だ。
そんな綺麗な顔立ちをした義兄は、冷めた瞳を浮かべ、正面に座った私の事をなぜか親の仇のように睨みつけてくる。
うーん、これはまた心の闇が深そうだ。
仲良くなった女中の噂話を聞く限り、彼はどうやら、一条家元当主だった父の兄が外で作った子供なのだとか……。
この名家にそのレッテルを張られては生きづらいだろう。
生まれてきた子供には何の罪もなんだけどね。
でも義兄だし、仲良くできるならしておきたい。
そっと顔を上げ義兄にへ視線を向けると、青みかかった瞳の中に憎しみが浮かんでいた。
これは母以上に骨が折れそうだなぁ。
堅苦しい顔合わせが終わり、義兄が無言で去っていく後ろ姿を追いかけてみると、私はお兄様と呼び掛けてみた。
しかし兄はこちらへ振り向くことなく、そのまま歩き続ける。
ぐぬぅ、無視ですかね……。
私は小さな足でトコトコトコと速足で追いつくと、思い切ってお兄様の服の裾を掴んだ。
裾を引っ張られたことで立ち止まった兄は、色のない無気力な眼差しでこちらを見下ろす。
「……離せ」
ボソッと呟かれた言葉には、強い拒絶と怒りが含まれていた。
その声色にビクッと体を震わせるが、私はしっかり兄を見上げるとニコッと笑いかける。
「お兄様、どこへ行くの?」
「お前には関係ない」
おぅ、まぁそうだよね。
言葉を間違えたかな、けどここまで拒絶されるとくるものがある……。
兄は私の手を軽く振り払うと、また歩き始める。
私はそんな兄の背中をじっと見つめ拳を握りると、絶対に仲良くなってやるんだからと強く誓った。
私は女中たちから、なんとかお兄様の情報を聞き出そうと奮闘していた。
しかしどの女中もお兄様の名前を出すと苦笑いを浮かべ、なかなか有用な情報を得られない。
なぜ皆教えてくれないのか……半ば強引に女中の一人を捕まえると、兄の帰宅情報を聞きだす事に成功した。
兄は習い事が終わり、18時頃に屋敷の玄関を通るらしい。
考えるより、まずは行動!!そう意気込んだ私は早速玄関の前で待ち伏せを始めた。
静かな玄関前で、カチカチと時計の音が耳に届く。
チラチラと時計を確認していると、鼓動が早くなっていった。
そろそろ、お兄様が返ってくる!
私は玄関前で迎える準備を整えると、じっと閉まった扉を見つめていた。
そうして黒い外車が門の前に到着したのを見計らい、私はサッと玄関の正面へと立つ。
「おかえりなさいませ、お兄様」
突然の私の登場に驚いた様子の兄だったが、兄は私と目を合わせる事も言葉を発すること無く、私の横を素通りしていく。
これぐらいでめげる私じゃないんだからね。
無理に追いかける事無く、私はスッと離れると、励ますように自分へ言い聞かせた。
次の日も、また次の日も私は兄の帰りを待ち出迎えた。
他の情報も聞き出したいのだが、女中達は兄の事に関しては頑なに口を閉ざす。
習い事も、食事も、全て兄とは別々、どこで生活をしているのかもわからないそんな現状で、兄と親睦を深める為に出来る事は、玄関で会うこのチャンスだけだった。
一週間、一ヶ月、気がつけば半年が経過していた。
いまだに兄から返答をもらったことはないどころかこちらを見てくれる気配もない。
心が弱くなり諦めようと何度おもったことか。
けれどその度に自分を奮い立たせ続けてきた。
絶対あきらめないんだからと。
私は強く拳を握りしめると、今日も兄の帰りを待っていた。
「お兄様、おかえりなさいませ」
今日も笑顔で兄を出迎えると、兄が珍しく顔を歪めた。
おっ!初めて表情が動いた、けど良い顔ではないかな。
緊張した面持ちで私は、兄の動きを窺っていると、初めて視線が絡んだ。
「鬱陶しいんだよ……」
そう呟かれた言葉は鋭利な刃物となって私の胸に突き刺さると、自然と涙がこみあげてくる。
ダメだ、私が勝手にしていること、泣くのは間違っている。
私はぐっと涙を堪えると、兄から視線を逸らした。
自分よがりな方法だったかな、待ち伏せがダメなら別の事を考えなきゃ……。
私は固まった頬の筋肉を吊り上げ、精一杯の笑顔を浮かべる。
「お兄様、ごめんなさい」
私は兄に謝罪をすると、彼へ深く頭を下げた。
兄はそんな私の様子を無言のまま、いつもと同じように私の横を通り過ぎて行った。
誰もいなくなった玄関前で、兄の鬱陶しいとの言葉が頭の中で反芻する。
泣くな泣くな、失敗は誰にでもある、頑張れ自分。
翌日、今日は稽古が終わり、私は母の部屋へお邪魔していた。
最近の母は、表情が大分緩やかになり、会話も続くようになっていた。
まぁ一般的にみると、穏やかだとは思えないかもしれないけどね!
私はいつものように母の前に腰かけると、自然にため息がこぼれた。
「はぁ、お兄様と仲良くなりたいんだけど……なかなかうまくいかないな。やっぱり仲良くなるなんて無理なのかな……」
そうボソッと呟いてみると、母は静かに私の前へ佇んだ。
母には兄の話は一度もしたことがなかった。
彼について母がどう思っているのかを測れない現状、変に気まずい雰囲気を作りたくなかったとの気持ちもあったのだ。
だが行き詰まりを感じてしまったことで、つい兄についての弱音を口走ってしまった。
しまったと思いながらも、恐々私の前に佇む母へ視線を投げると、母は強い眼差しで私を見据えていた。
「私のこんな態度にもあなたはずっとここに通い続けてきてくれた。あなたのその姿勢に、私は心を打たれました。今まで言えませんでしたが、こんな私の元へ……毎日毎日懲りずに訪れ笑ってくれるあなたを見て、私は救われましたわ」
母の言葉に私は勢いよく顔を上げると、その瞳には優しい色が浮かんでいた。
嬉しい、そう思ってくれてたんだ。
母も兄と同じ最初は冷たくて、突き放されることもあった……だけどこんな話が出来るほど仲良くなれたんだ。
私は母に思わず抱きつくと、母は私の体を優しく包み込んでくれた。
母の部屋を後にすると、私は廊下を進みながら義兄のことを考える。
うーん、兄とどうやって接触しようか、出迎えは迷惑のようだし……どうしよう。
広い屋敷をうんうんと悩みながら歩いていると、ふと兄が縁側に一人座っている姿が目に映った。
あっ、お兄様だ、この機会逃す手はない!
何の作戦も考えていないけど、とりあえず話しかけてみよう……。
今回は待ち伏せじゃないし、よし。
私は頬を軽くパンパンと叩くと、そっと近づき兄の傍へ静かに腰かけた。
兄は私の登場にビックリした様子で、慌てて顔をそむけたが、その刹那に見えた兄の頬には水滴がチラッと光に反射した。
「何だ、何なんだ、どこかへいけよ!」
顔をそむけたまま怒鳴る彼に、私は無意識に彼の頭を優しく撫でた。
パンッ、
「触るな!!!!!お前がいるから僕が……ッッ!!!」
触れた手が思いっきり振り払われると、手の甲がジンジンと痛む。
また失敗しちゃったかな、馴れ馴れしすぎだよね。
私は気まずげに顔を上げると、兄はやりすぎたと思ったのか……動きを止める赤い目をしたまま表情を歪ませた。
私はそんな兄にニッコリと微笑みを浮かべると、兄が落ち着くまで静かに傍に寄り添っていた
次第に落ち着いてきた義兄は私に視線を向けると、ばつの悪そうな顔を向ける。
「どうしてお前は僕をそんなに構うんだ。僕に媚びを売ってもいいことなんて何もない。一体何が狙いなんだ……?」
「狙い?ただ仲良くなりたいだけだよ。だって私たち家族じゃない、家族と仲が悪いのは悲しいわ」
「家族か……、変な奴だな……」
兄はまたそっぽを向くと、目を何度も拭いでいた。
私はそんな彼の様子に、恐る恐る背に手を伸ばしてみると、触れた瞬間大きく彼の体が跳ねた。
小さな震えが指先に伝わりそっと顔を上げると、透き通った水滴が彼の頬に流れ落ちていた。
義兄と近づけたあの日から、彼の態度が少しずつ変わっていった。
何もいい案が思いつかなかった私は、懲りずに今日も玄関で兄を出迎えてみると、初めて返答が返ってくる。
私は嬉しさのあまり頬が緩むと、飛び跳ねそうになる体を必死に抑えた。
そんな私の様子に、兄は私の頭にそっと手を伸ばすと、震える手で優しく髪を撫でてくれた。
「今までごめん」
兄は誰にも聞こえないような小さな声でそう囁いた。
それから私は兄を出迎えることが日課となっていった。
今では私に笑いかけてくれるようになり、私も満面の笑みを義兄へ向けると、そっと手をつなぐ。
二人並んで歩く廊下で、今日あった出来事や他愛無い話に花を咲かせていった。