婚約話
翌日、私は案の定風邪で寝込んだ。
そんな私の様子に、母、それにお兄様からも散々説教をされ半泣きになったのは記憶に新しい。
そして兄の付きっきりの看病、もとい監視……が続くこと一週間。
すっかり元気になったのだが、もう一日安静にしていなさいと家から出る許可が出ない。
咳も熱も鼻水もおさまり、暇を持て余し動きたくてウズウズしていると、母が呼んでいると女中が部屋にやってきた。
私は和装へと着替え、急ぎ母の部屋へ向かうと、何とも難しい顔をして座っていた。
母は軽く頷き、座りなさいと目で訴える。
重苦しい雰囲気に不安になる中、私は恐る恐る座布団へと正座した。
なになに、何かやらかしたっけ……。
この間の飛び込みはもうすでに怒られ済みだし……。
他に何か、うーん。
私は肩をすくめながら母を見上げると、膝の上に手を添えた。
「元気になったようで安心しました。ところでもうすぐ12歳になりますね」
母の言葉に素直に頷くと、姿勢を正し母へと向き直る。
「二条家のご長男ともうまくいっているようですし、そろそろ本格的に婚約させようかと考えておりますが、彩華はどう思いますか?」
母の言葉に私は大きく目を見開くと、思わず視線を逸らせた。
婚約……そんな話すっかり忘れていた。
二条は気が合う友達で、別に婚約する事を嫌だとは思わない。
でも彼は乙女ゲームの攻略対象者の可能性が高いんだよね。
ここで私と婚約してしまえば、高等部へあがり彼がゲームのヒロインを好きになったら、私の存在が邪魔になってしまうだろう。
そうなってしまったら……家同士の関係性や他の問題が必ず出てくる。
悲しい未来が頭を掠めると、私はギュッと拳を握りしめた。
そんな思いを二条にさせたくない。
それに……二条だけに限らず、攻略対象者がはっきりと思い出せない現状、安易に婚約を結ぶの危ない気がする。
だって乙女ゲームで私は悪役。
誰が婚約者になったとしても、その相手がヒロインを好きになったら……。
それにしても……はぁ、名家っていうのは大変だな。
乙女ゲームの内容をはっきりとは思い出せないけれど、この立場がある以上こういった話はこれから先でてくる。
二条を断っても。
それはそれで面倒だな、けど名門の一条家の長女だ……。
婚約をしないとは言わない、けれどなんとか婚約を引き延ばしたい。
出来れば乙女ゲームが終わるまで。
私が何も言わず黙り込んでいると、母はスッと目を細めると私を真っすぐに射抜く。
「何か言いたいことがあるのなら言いなさい」
言葉はきつく感じるが、この言葉は母の優しさなんだと知っている。
私はグッと唇を噛むと、母の澄んだ黒い瞳が映った。
「お母様ごめんなさい。今はまだ考えられません。身勝手なお願いとはわかってますが、婚約の話は高等部卒業まで待って頂けないでしょうか?理由は申し上げられませんが、高等部を卒業すれば必ず婚約すると約束します。相手はお母様やお父様が選んでくれ構いません。家の為の結婚をする覚悟は出来ております」
長い沈黙が続くと、母は私の言葉に口もとを緩め、わかりましたと囁いた。
きっと私がここで断ることは、母にも父にも迷惑をかけてしまうのかもしれない。
それでも、私は。
「高等部を卒業するまでですね。では、あなたのお披露目の席では歩を連れて行きなさい」
お披露目?
あぁ、そうだった。
この為に母は婚約者の話をしてきたんだね。
お披露目というのは、名家が集まるパーティーで子供が12歳になると大々的にお披露目が行われる。
そこで婚約者が決まっていれば、その家のものと同伴することで皆に知らしめることができるのだ。
まぁお披露目の席といっても、分家たちが集まる為、ビジネスの話であったりと大人の都合も多々ある。
私はわかりましたと答えると、静かに襖を開け、部屋を後にした。
廊下へ出ると、なぜか兄が佇んでいた。
兄の姿に驚いた表情を見せると、彼はなぜか嬉しそうにほほ笑んでいる。
「おっ、お兄様、どうしてここに?」
「彩華が部屋にいなくて探していたんだ」
私はそっかと呟くと、お兄様に笑いかける。
「それよりも今の話、僕はてっきり彩華のパートナーは二条になると思っていたよ。……どうして断ったんだい?」
「あー、うん……色々考えがあって……。あっ、そうだ、私のお披露目のパートナーはお兄様になるみたい。宜しくお願いします」
私は苦笑いを浮かべると、追及を逃れるかのように兄へと背をむけた。
高等部まで後3年ちょっと。
今更だけど、お兄様も攻略対象者だと思う。
甘いマスクに加え、一条家の跡取りと名誉もあるし、品行方正、文武両道。
私との関係も深いとなれば、大体予想はつく。
きっとこの先。私の周りにいる人は、皆がヒロインを好きになってしまうのかもしれない。
前世の私がプレイしていたヒロインは、百合のように美しく、嫋やかで、それでいて直向きに努力するその姿はとても好感がもてた。
まだ先、ヒロインにすらあったことはないけれど、彼らが離れていってしまうと考えると、心が締め付けられるように苦しくなった。
この苦しみが嫉妬や怒りに変化した時、私は変わってしまうのかもしれない。
そう思うと手足が冷たくなっていく。
ゲームの画面から高笑いする悪役の姿が頭を過ると、私は振りあ払うように首を横へ振った。
だめ、暗いことばかり考えちゃだめ。
まだ何も始まっていない、時間はまだある。
私は勢いよく自分の頬を両手で叩くと、しっかりと前を見据えた。
悪役になんて絶対にならない。