俺とバルサンと妹
過去に企画の参加作品として書いたものの再録になります。
朝起きたら、俺のベッドの脇でバルサンを焚きながら妹が泣いていた。
「な、なにやってるんだ、彩名。ごほっごほっ」
慌ててベッドから起き上がると、妹の彩名は涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。
「……あんたのせいで」
「え?」
「あんたのせいで、パパもママも出て行っちゃったのよ! あんたなんか、燻製になっちゃえばいいのよ!!!」
燻製。それは、食材を煙でいぶすことで独特の風味をつけ、かつ保存に適するように加工すること。バルサンでは殺虫成分で保存どころか食べることもできないが、煙であれば燻製になると思っているあたりが天然でかわいい。うん、こんどキャンプにでも連れて行って燻製を教えてやろう。
こういっちゃ何だが、妹は可愛い。
いや、そんなひとことで片付けるわけにはいかない。天に太陽、地には花が、海にきらめくさざ波があろうとも俺の妹にはかなわない。まるで天使のようなふわふわの柔らかい髪、黒目がちな大きな瞳、肌はきめ細やかで雪のように白く、なにもつけずともバラ色の唇はぽってりとして小さめ。すべてのパーツは完璧な形で、それらが完璧な配置で整っている。スタイルも抜群で、ファッションセンスも大変によろしい。ああもうかわいくてかわいくてかわいくてかわいくて、この妹を視界に入れた世界中の汚らわしい男どもを抹殺して回りたい衝動に駆られたとしても誰も文句は言えないだろう。
たとえ今は、俺の部屋の俺が寝ていたベッドの横に座り込み、泣きながらバルサンを焚いていたとしても。
「でもなんでバルサン?」
「あんたの部屋には無駄に大量の買い置きがあるでしょ!」
ああ、なるほど。
「ところで、親父とお袋は帰ってないのか?」
「あんたのせいでしょ! 何を言ったのよ!」
「はあ?」
「しらばっくれたってだめよ! ゆうべ、ふたりに何か話してたでしょ。知ってるのよ!」
「……聞いてたのか」
「話の内容までは知らないわ。でも、そのあと出て行って、それきりじゃない! ああもう、こんな露出狂で病んでる兄貴のせいで! いつかこんなことになるんじゃないかと思ってたわ! お父さんとお母さんも、あんたの変態っぷりに気がついていたたまれなくなったに違いないわ!」
「なんだよそれ」
「寝るときはいつもパンツ一枚じゃない! やめてっていつも言ってるのに! 今日という今日はもう許せない!」
怒りながらはあはあと息を荒げる彩名に、俺はぽつりと言った。
「……彩名、おまえ、疑問に思ったことはないか」
「え?」
「なんで、俺の部屋にバルサンがこんなに置いてあるのか」
「……趣味?」
「違う」
どういう趣味だ。バルサンを眺めて興奮するとか、煙吸ってトリップとかないぞ。
「あれはな。武器なんだ」
「――――G様退治のでしょ? お兄ちゃんの部屋、そんなに出るの?」
「ここじゃない。これを使う場所は――――」
一呼吸置いて、彩名をじっと見る。
「異世界だ」
………。
うん、予想通りの反応だ。痛い沈黙が返ってくるとは思ってたよ。
「俺が高一の頃、ある日突然異世界に召喚されたんだ。ノートルビアという名前のその世界は、魔物の脅威にさらされていた。俺は魔物を退治する勇者としてノートルビアに呼ばれた」
「……はあ」
「魔物は小さな虫みたいな生き物でな、それを退治するためにこれを使ったんだ」
俺は部屋に山積みになっているバルサンに視線を移す。
「……で?」
「以来、魔物が出るたびに呼ばれることになってな。そのたびにバルサン持参で魔物退治に行くわけだ」
「……その異世界のひとにバルサン山盛りあげとけばいいじゃん」
「一度に持ち込めるものの数に限度があるんだよ。せいぜい、一回分しか持ち込めないんだ」
「はあ」
「で、昨日もその魔物退治の要請が来てな」
「……」
「でも、あいにく今日はどうしても外せない試験の日で」
「……」
「で、代わりに親父とお袋に行ってもらったわけだ」
「はあ?!」
「なにしろ、親父とお袋は俺たちの前の勇者だからな。知ってるか? あの二人は召喚されて出会って、それが縁で結婚したんだぞ」
………。
ふたたび訪れる沈黙。
だが、さっきとは違い、彩名の肩がぷるぷると震えているのがわかる。
「彩名?」
「じょおっ、だんも、たいがいに、しろおおおおおおおおっ!」
ごすっ!
低い音とともに、煙をたてているバルサンが俺の眉間を直撃する。うん、すばらしいコントロールだ、彩名。
「誰がそんな世迷い言を信じるか、ボケッ! ついに脳味噌まで腐ったかっ!」
「口が悪いぞ彩名。そんなんじゃ彼氏もできないぞ」
「言い寄ってくる男を全部返り討ちにしてるのは、あんただろうが!!」
「あ~、知ってたんだ」
「知ってるわよっ! 結構仲良かったのに、ある日突然急によそよそしくなって、事情を聞いたらあんたのせいじゃない!」
「いや、ちょこっと遊んで、ちょこっとお願いしただけだよ?」
「フルボッコにして脅されたって口を揃えて……ちょっと! 布団から出てこないでよ!」
「なんで?」
「どうせ、パンいちなんでしょ!」
「あったりまえ。俺、パンいちじゃないと寝られないもん」
「この、ど変態がああああああ! だから、あんたの言うことは信用できないの!」
今度はクッションが飛んできた。首だけひょいと傾けて直撃をよける。彩名は悔しそうな顔をしていたが、手近に投げるものがなかったのでそれ以上は飛んでこなかった。
自分を落ち着かせるように大きく息を吐いて、低い声で俺に聞いてきた。
「で? 本当のところは?」
「何が?」
「だから、お父さんとお母さんに何を言ったのよ!」
「だから、異世界に代わりに行ってもらえるように……やっぱり、信憑性がなかった?」
「やっぱりでたらめかっ!!! もういいっ!!」
彩名は床を踏み抜く勢いでどすどすと歩いて、勢いよくドアを閉めて出ていった。
ああ、ベッドにバルサンが転がって、水が零れちゃったじゃないか。
俺は仕方なく手近にあった服を着ると、濡れてしまった掛け布団をベランダに干した。
そのとき、がたがたっと音がして、俺の部屋のクローゼットが開いた。
「あら、一樹起きてたの。ただいま~」
「おかえりお袋。どうだった?」
「いいわねえ、最近のバルサンは性能がよくて。私たちの頃より遙かに楽ちんよ」
クローゼットから出てきたお袋はにこやかにそう言うと、あとから出てきた親父もそれに同意する。
「久しぶりにノートルビアに行けて懐かしかったよ。たまにはまた変わってやるからな」
「ああ、そのときはよろしく」
親父とお袋はリビングへと降りていき、俺はクローゼットに近寄り、中にあるノートルビアへの扉を閉じる。これを開けられるのは勇者と召喚師だけだ。
階下からの彩名の驚く声(「お父さんたち、いつ帰ってたの?!」)を聞きながら、俺は試験を受けるために家を出たのだった。
2014年3月に「プロットを交換して書こう!」という企画で書いたものです。