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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
五章

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51、不眠症の王女




 窓からは暖かな午後の日差しが差し込んでいる。

 この世界に来なければ一生見ることもなかったであろう豪華絢爛な調度品に埋め尽くされたこの部屋には、何度来ても慣れることはない。きっとこの国で一二を争う豪華さだ。

 いつまでも借りてきた猫のように椅子に座っている亜佐だったが、向かいに座るヘンリッカは特に気にした様子もなく紅茶をすすっていた。

 化粧を落とした目元には、濃い隈が浮かんでいる。その不眠症の原因は、彼女からはまだ聞かされていなかった。

「おや、良い石をつけているな」

 銀のカップをそろりと持ち上げた亜佐の薬指を、ヘンリッカが覗き込むように見る。

「その濁りのない血色(ちいろ)、なかなか希少なものだぞ」

 さっと背中が冷たくなった。貢ぎ癖のあるロイリのことだ。きっと高価なものだろうと思っていたが、一国の王女に良い石と言わせるなんて一体どれほどのものなのか。

「そんなに高価なものですか……?」

「……それは贈り物か。値段の話は野暮だったな」

 バツが悪そうに亜佐から顔をそらして、ヘンリッカは話を切り替えるように笑った。

「クラウゼからの贈り物?」

「はい、そうです」

 一月と少し前、ロイリにもらってから肌身離さず身につけているものだ。「ふぅん」と返事をしてから、ヘンリッカは今度はにやりと笑った。

「もしやお前の世界では、その指にはめる指輪には何か意味があるのか?」

「……よく、お分かりで」

「はは、そのような珍しい指にだけはめていたら誰にだって分かるさ。意味も何となく想像がつくな」

 顔に熱が集まるのが分かる。いつものようにからかわれるだろうかと身構えたが、ヘンリッカは肘をついて紅茶の入ったカップをくるくると弄ぶと、ちらりと亜佐を見上げた。

「そうだ、お前の耳にも入れておこうか」

 それは試すような視線だった。

「私の可愛い従妹が、クラウゼとの縁談を進めて欲しいと私にお願いをしてきた」

 ガチャンと、カップをソーサーにぶつけた。それを謝る余裕もなくヘンリッカを見つめる。

「身分差から周りには反対されているようだが、それはもう惚れ込んでいるらしくてな。しかしまぁ、クラウゼは騎士爵を持っている。四十も半ばを超えれば師団長になるだろうし、そうなればいくつか勲章も手に入れる。クラウゼ家といえば、四代に渡って宮廷で我々に仕えてくれている。私のひと押しがあれば姫との結婚も不可能ではない」

 姫、従妹。きっとヘンリッカが特段可愛がっている王弟の末娘のことだ。殴られた後のような頭で呆然と考える。

 ヘンリッカはその縁談を進めるつもりなのだろうか。

 ロイリからもらった指輪の話をした後に、どうして彼女がこの話をしたのか。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 生まれたときから可愛がっている従妹と、赤の他人である亜佐。勝てる要素など何一つ見当たらなかったが、それでも言わなければならない。

「嫌です」

 声が大きく震えたが、それでもじっとヘンリッカを見上げる。

「お願いです、王女様。ロイリと離れたくありません。あの人は、私がいないと生きていけない」

 言い切って、冷えていく指先を握り締めながら見つめ合うこと数秒。

 ヘンリッカは俯いて、それから耐え切れなかったというような噴き出したような声を出した。その肩は大きく震えている。恐らく、いやほぼ確実に彼女は笑っている。

「ふっ、くく……お前に嫌だと言われたら仕方がない。それでは姫には諦めろと言っておくよ」

「……王女様。私を、試されたのですか」

「ごめん、すまない。駄目だな、寝不足だとどうも意地悪になってしまう」

 目尻にたまった涙を指で拭いながら、ヘンリッカは胸を撫でて笑いを収めたようだった。

「姫にそのお願いをされた時、その場で断ったよ。それでヘソを曲げられて、最近会話もしてくれない」

 断ったという言葉に、安堵して全身の力が抜けた。

 しかし羨ましいくらい仲が良かったのに、喧嘩をしてしまったらしい。罪悪感ではないが首を竦めた亜佐を見て、ヘンリッカはふんと鼻で息を付いた。

「初めての恋をして浮ついているが、頭のいい娘だ。クラウゼがお前のためにこの縁談を強く拒絶するだろうことも、そうなった後の奴の処遇も理解している。あの男は軍には有益だ。失う訳にはいかない」

 カップの取っ手に指を引っ掛けて、ヘンリッカはまだ熱い紅茶を一気に飲み干した。

「我々は王族だ。国民の血税で贅沢な暮らしをしている。だからこそ国民に利益をもたらし、不利益から守らねばならない。……この身や心を殺してでも」

 その語尾に悲痛な響きが混じったような気がして、思わず彼女の顔を見つめる。そこにはいつも通りのヘンリッカしかいなかった。

「それに、御神に愛し合う事を許されているお前たちは、愛し合いそして寄り添うべきだ。それを邪魔する権利は誰にも、我々王族にもない」

 人間と吸血人は、一歩宮廷を出れば触れ合うことすらできない。

 その法を定め、率先して遵守しなければならない王女が、亜佐とロイリに愛し合えと言う。

「神様がお許しになっても、この国の法が許してくれません。本来なら私達はキスもできない関係です」

「いいや、できるぞ」

 あっけらかんと言い放ったヘンリッカを驚いて見る。

「ニ日前に新たに制定された人間に関する法の内容を見ていないのか?」

「ええと、最終の草案までは確認したのですが……」

 最終の草案が変更されることはまずない。仲のいい人間たちで集まって草案を読んで、特に困ることはないねと話をしてそれきりだった。

「治癒力や依存性がないと診断された人間のみが対象だがな、吸血人との粘膜を含む全ての接触が許されることになった」

 亜佐は思わず立ち上がりかけて、浮いた腰をゆっくりと下ろした。

「本来の目的は医療行為のためだ。お前が呼吸停止状態で見つかった時に色々と課題が見つかったようでな。呼吸の止まっている人間を人工呼吸器の設備のある場所まで担いで運ぶのに、この宮廷では長くて十五分かかる。依存性がないのなら、その場でマウストゥマウスの人工呼吸を始めとする救命処置ができればと、医師たちと話し合って決めた。……ただ」

 ヘンリッカは身を乗り出して、亜佐の首元を見つめた。

「最終草案提出後に無理やり付け足した見切り発車だったからな。対象の人間には襟につけるピンバッジを渡しているはずなんだが……」

「……頂いていません」

 大きなため息をついて、ヘンリッカはいつも傍らに置いている分厚い手帳を引き寄せた。

「まだ混乱しているな。責任者を叱っておこう。それと、一度人間と人間に関わることの多い吸血人を集めて改正後の法の説明会を行うか」

 何か書き込んでいる手帳は、亜佐からは文字が読めないほど真っ黒だ。もちろんヘンリッカに休みなんてない。高齢の国王と病弱な王太子に代わり、彼女は恐ろしい量の職務をほとんどひとりでこなしていた。

 パタンと音を立てて手帳を閉じて、ヘンリッカは二度目のため息をついた。

「まあ、そういう事だ。だからお前とクラウゼが人前でイチャついたって、誰もクラウゼを罰する事はできない。……できれば法周知後にして欲しいが」

 目と口を開いたまま、呆然とヘンリッカを見つめる。

 脳が急展開に追い付いてない。

 それはつまり、例えば、人前でロイリとキスをしたって大丈夫ということだろうか。いや、さすがに人前でするのは恥ずかしいが、そう、例えば。

 混乱して目を回す亜佐のその様子を見てくっくと喉の奥で笑いながら、ヘンリッカは小首を傾げてみせた。

「お前たちを邪魔する障害は、全て取っ払った。思う存分愛し合ってくれ。ヨニとイーダのように」

 ヨニとイーダ。キノスにも彼らみたいだと言われたことがある。

 亜佐は体を縮ませる。ロイリにはこの国をより良くする力があるだろう。しかし自分にはそんな力はない。

 ヘンリッカは冗談めかして肩を持ち上げた。

「別に世界を救えと言っているわけではないよ。ただの老婆心だ。色々としてやりたいんだ。お前は私の命の恩人だから」

「そんな、大層なことは、私は……」

「純粋に、お前自身のことが好きだという理由もある。礼儀正しく、他人の気持ちに寄り添って物事を考え発言できる。お前のその性格を私は好ましく思っている」

 顔面に熱が集まるのが分かった。動揺して視線を左右に泳がせる。

「も、もったいないお言葉です……」

「私には子供ができなかったが、お前のような娘がいればさぞやこの人生は楽しかった事だろうな。……そうか、何だかしっくりきたよ。お前を娘のように可愛がりたいんだな、私は。……ああ分かったぞ、うん。だからクラウゼ、あの男がいけ好かないんだ」

 うんうんと合点がいった顔で頷きながら突然ロイリに向けられた敵意に、亜佐は困ったように笑った。そういえばロイリが、王女が何かと突っかかってくると言っていた。

「ふん、こう言うのは悔しいが、あれ程の男を落としたんだ。お前はもっと自分に自信を持つべきだ。私はクラウゼがお前に骨抜きなのもよく理解できるよ」

「……はい、ありがとうございます」

 頭が沸騰しそうなほど熱いのは、ヘンリッカに褒められたせいか、堂々とロイリと触れ合えることに今さら実感が湧いてきたせいか。きっと両方が混ざり合って相乗効果でどうにかなっている。

 体がふわふわとしていて、小刻みに震えている自分の手のひらを見つめた。

「ピアノ、弾けるかな……」

「はははっ、菓子でも食べて落ち着け」

「はい、頂きます」

 朝からあまり食欲がなかったが、ヘンリッカが亜佐の好物だと知ってわざわざ用意してくれている焼き菓子だ。一枚食べると食欲が戻ってきて、紅茶を飲みながらあっと言う間に全て平らげた。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「それじゃあそろそろ子守唄を歌ってくれないか」

「かしこまりました」

 笑って返事をして、手を拭って立ち上がる。

 ヘンリッカの私室には、少し年代物のピアノが置いてある。彼女は弾かなくなって久しいらしいが、定期的にメンテナンスと調律を受けているそれはまだまだ現役だ。

 その前に座って、ヘンリッカがベッドにゆったりと横になったのを確認してから鍵盤に指を乗せた。

 考えたいことがたくさんあったが、今はピアノに集中しなければ。

 指で紡ぐのは睡眠導入にいいと亜佐の世界で科学的に証明されていた曲だ。

 どんなカウンセリングを受けてもどんな薬を飲んでも治らなかった彼女の不眠症は、亜佐のピアノを聞いた時にだけ治る。

 それが、もうその血に何の価値もないたったひとりの人間のために警護の人員を割く理由だった。

 初めてヘンリッカにピアノを聞かせたとき、一曲を弾ききる前に彼女は椅子に座ったまま寝てしまった。居眠りをするほど退屈な演奏だったかと顔を青くする亜佐を尻目に、彼女の取り巻きが大騒ぎしていたことをまだ覚えている。

 その時ヘンリッカは寝不足に加え、激務で体を壊す直前だった。そしてたまたま亜佐が弾いた曲が子守唄だった。気を失うように眠ったヘンリッカの体は、眠る事ができたのは亜佐のピアノのおかげだと思い込んだらしい。その思い込みを亜佐とヘンリッカふたりで利用して、彼女は健康を害さない程度の睡眠時間を確保していた。

 心が浮ついて、指が滑る。やはり少し気が散っている。

 この不眠症の原因をヘンリッカからは聞かされていなかったが、彼女とよく接するようになった時に、彼女の夫の親類であるフリードハイムが絶対に他言無用だと念を押して教えてくれた。

 その昔、彼女が降嫁せずに婿を取ったのは、当時もう長くはないと言われていた王太子の代わりの世継ぎを産むためだった。国王の決めた相手だったが、ヘンリッカと夫はそれはそれは仲がよかったそうだ。

 しかしふたりが愛し合えば愛し合うほど、いつまで経っても子供ができないことに不安と不信の声が上がり始める。さらに王太子の様態が悪化しベッドから起き上がれなくなった頃、彼女は周囲からの強い要望を聞き入れ、夫の兄や従兄弟などの血縁者を寝室に招き入れるようになった。

 そうまでして得られたのは、子供ができない原因はヘンリッカ自身だという事実だけだった。

 時を同じくして王太子を蝕んでいた病の治療法が確立され、そして入れ替わるように彼女の夫が病気で亡くなった。

 何も知らない国民は、二十代という若さで最愛の夫を失った悲劇の王女として彼女を扱った。

 夫を裏切り子も出来ず、結局何もかもが無駄に終わり、最期まで彼女を愛し続けた夫を失い。その頃から彼女は不眠を訴え始めたらしい。

 国民から人気のある王室の存続や安定した立憲君主制を維持するために彼女が殺した自らの心は、いまだに死に続けたままだった。

 今は彼女のためだけにと、息を吸い込んで止める。目をつむると、ようやく浮ついたものを頭から追い出せた。

 二曲、三曲とヘンリッカが好きだと言ってくれた曲も弾く。

 消え入りそうな音で曲を終わらせ、そっとヘンリッカを見やると、彼女は目をつむったまま、ゆっくりと腹を上下させ眠っていた。

 そっと近付いてブランケットをかけてから、一息つくためにソファに戻った。

 紅茶をもう一杯もらって、それから置き手紙をして部屋を出よう。そう思うのに、柔らかく体を包み込むソファから動けなくなってしまった。

 ヘンリッカの寝息を聞いていると、座ったままでも眠れそうだ。そう考えて目を閉じて、今度はまぶたが上がらなくなってしまった。

 満腹で、部屋は適度に温かい。昼寝に最適な全ての条件が揃っていた。

 結局ヘンリッカの侍女に起こされるまで、亜佐はソファで眠りこけていた。




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